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第5章 森の魔女と託宣の誓い

第10話 常しえの蜜月

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【前回のあらすじ】
 いよいよ迎えた託宣の神事に、緊張しつつもリーゼロッテはジークヴァルトとともに臨みます。おとぎ話のような美しいシンシアの神事を前に、ただ目を奪われるリーゼロッテ。ザスとメアの守り石を交わし、まるで指輪の交換のように感じます。
 神事を無事に終えたふたりきりの部屋で、ジークヴァルトにいきなり体を求められて。突然のことに驚くも、先ほどの神事で自分たちは夫婦になったと告げられます。
 訳も分からないままジークヴァルトと、初めての夜を迎えたリーゼロッテなのでした。





 よろよろとした足取りで、リーゼロッテは浴室に足を踏み入れた。
 湯煙の中、羽織っていたガウンのひもをほどく。首筋から胸元にまで、鏡に映った肌の上、赤いあとがいくつも散らばっていた。ジークヴァルトにつけられたものだ。動揺のあまり、咄嗟にガウンを着直した。

「そんなに恥ずかしがることはございませんよ。ここは託宣の神事を終えたおふたりが、初めての夜を過ごすための館ですから」

 後ろからラウラがガウンを脱がせてくる。ジークヴァルトが言うように、あの泉での神事は初めから夫婦の誓いを立てるためのものだったようだ。
 今の自分の姿はラウラにとって見慣れた光景なのかもしれない。それでも何とも言えないこの恥ずかしさは、とてもではないがぬぐえそうもなかった。

「聖杯様にはやさしくしていただけましたか?」
「……ええ」

 目を逸らし、小さく返事をする。微笑ましそうな表情で、ラウラは手際よくリーゼロッテの体を清めていった。

「少し湯船で温まりますか?」
「そうね、そうするわ」
「果実水がここにございますから、水分はこまめにおとりくださいね。何かございましたら、その紐を引いてお呼びください」

 ラウラが出ていって、おぼつかない足取りで湯船へと身を沈めた。
 本当にジークヴァルトと夫婦としまった。展開が突然すぎて、すべては自分の妄想だったのではないかと疑いたくなる。何が何やらでされるがままだった。

 初めてジークヴァルトを受け入れるときは、正直怖かった。それなのに――

(めちゃくちゃ気持ちがよかったっ)

 ざばっと湯を顔にかぶせると、赤い顔のまま口元まで湯船に沈ませた。ぶくぶくと泡を吐きながら、打ち震える羞恥に身もだえる。

 初めては痛いだけだと聞いていた。だというのに途中からは訳が分からなくなって、あんあんとジークヴァルトにしがみついていた。その勢いのまま記憶を失くしてしまえばいいものを、ジークヴァルトがどう触れて、自分がどんな反応を返したのか、一部始終がくっきりはっきり記憶に残っている。

(ヴァルト様に淫乱だと思われていたらどうしよう)

 初めてだったことは間違いなく伝わったはずだ。だが夕べの自分の反応は、とても初体験とは思えない痴態っぷりだった。これも異世界チートなのか。

 このあとどんな顔をしてジークヴァルトに会えばいいのだろうか。それが分からなくて、いつまでもうだうだと湯船に浸かっていた。
 のぼせる寸前のところを、生温かい瞳のラウラによって、有無を言わさず引き上げられたのだった。

      ◇
 身支度を済ませると、ラウラは館から出ていってしまった。ぽつりと取り残された廊下で、意味もなくすーはーと深呼吸をする。
 ラウラの話では、あと数日は吹雪が続くとのことだった。天気が回復するまでは、ここでゆっくり過ごすように。そう言われたものの、この狭い建物にジークヴァルトとふたりきりだ。そのことに妙に緊張している自分がいた。

 暖炉のある居間の扉を静かに叩く。返事がないままそっと開くと、その先のソファには誰も座っていなかった。ジークヴァルトがいないことに変に安堵して、リーゼロッテは気兼ねなく中へと足を踏み入れた。

「ヴぁ、ヴァルト様っ」

 いきなり横から抱き上げられて、上ずった声のままソファへと運ばれた。自分が来るまで、ずっと扉の横で待機していたのだろうか。いや、相当長い時間お風呂に入っていた。そんなはずはないと思いつつ、伺うように声をかけた。

「あの、お待たせして申し訳ありません」
「いい、問題ない」

 昨日と同じ返事をされて、昨日と同じように膝に乗せられた。

「腹は減ってないか?」
「そうですわね……」

 やはり昨日とまんま同じ流れだ。いや、昨日は午後の話で今は朝だから厳密に言えば違うのだろうが、ジークヴァルトの変わらない対応に、リーゼロッテはなんだかほっとした。気負っていた自分が、少しだけ馬鹿らしくなる。

 目の前のテーブルには、今朝もたくさんの料理が並んでいた。夕べのこともあり疲れすぎていて、朝からはそんなに入らなそうだ。でも少しくらいは口にしたい。そう思って視線をさまよわせていると、消化によさそうなものを何品か口元まで運ばれた。

 もういらないかなというタイミングで、ジークヴァルトの手も止まる。やはり心が読まれているのではないだろうか。そんな疑惑がもたげる中、リーゼロッテはフルーツ盛りの中にカットされたビョウを見つけた。
 夕べも目にとまって、でもお腹いっぱいで断念したビョウだ。しかし今も腹八分目だった。これ以上は食べない方がいいと思いつつ、ひとかじりくらいしてみたい欲が湧き上がる。

(でも残すのはよくないわね……)

 日本人のもったいない精神が、お残しは許さないと訴えてくる。ここは諦めようとなった口元に、おもむろにビョウが差し出されてきた。

 心の葛藤を知ってか知らずか、ジークヴァルトがじっとこちらを見つめてくる。せっかく選んでくれたのだ。そう思ってリーゼロッテは、ビョウの端っこをひと口だけ小さくかじった。
 口の中を一気に芳香が広がっていく。季節外れにもかかわらず、このビョウはとても甘かった。

「うまいか?」
「はい、とても。でも、ヴァルト様はお食べにならない方がいいと思いますわ」

 甘いとはいえ時季外れのビョウは、旬のものに比べると酸味が強い。そのくらいの方がリーゼロッテにしてみれば好みの味だ。だが酸っぱいものが苦手なジークヴァルトには、きっと酸っぱすぎるに違いない。

 口をつけた以上、頑張って食べきらなくては。もうひとかじりしようとすると、ジークヴァルトが残りのビョウを自分の口に放り込んでしまった。やはり酸っぱかったのだろう。途端にその口元がすぼまった。

「もう、だからお食べにならない方がいいと申しましたのに。ヴァルト様には、こちらの方がよろしいですわ」

 口直しに熟れた苺をつまみ上げる。口元まで持っていくと、ジークヴァルトは素直に唇を開けた。
 しかし口にくわえたまま、ジークヴァルトは一向に苺を食べようとしない。じっと見つめ合って、迷惑だったかとリーゼロッテは再び苺へと手を伸ばした。

 その手を引かれ、いきなり唇を塞がれる。柔らかな果肉を押しつぶしながら、ジークヴァルトがそれを舌で押し込んできた。
 口の中、甘い果汁が広がって、唇の端から零れ落ちていく。逃げても追ってくる舌に絡めとられ、ふたりの間で踊る苺は、やがてぐちゃぐちゃに溶けてなくなった。

「……もう、べたべたですわ」

 恥ずかしさをごまかすために、抗議の声を上げる。ぷくと頬を膨らませるも、ジークヴァルトは首に伝った液を、下から上へと舐め上げてきた。

「今、綺麗にしてやる」
「やっ……あっ」

 肩を押すも、ジークヴァルトの唇は止まらない。

「あっ、ヴァルト様、やめっ」

 首筋をついばみながら、口づけは耳にまで登ってきた。慌てたリーゼロッテは必死に涙目で訴えかけた。

「ヴァルト様、こんな明るい時間からこんなこといけませんわ」
「新妻を愛でるのに昼も夜もないだろう」
「なっ!?」

 続く口づけに心地よさよりももどかしさが募っていく。くすぶる熱をどうしたらいいのか分からない。

「可愛いな」

 唇をやさしくみながら、ジークヴァルトがふっと笑みを落とした。余裕のない自分を笑われているようで、赤い顔のままリーゼロッテは拗ねた顔をする。

「可愛いなどと……こんなときだけ調子がいいですわ」
「お前のことはいつだって可愛いと思っている」
「そんなこと、今まで口にもなさらなかったくせに」
「ずっとそう思っていた。口に出さなかっただけだ」
「思っていたなら、どうして言ってくださらなかったのですか……?」

 今までの誤解とすれ違いを思い出す。そのひと言さえあれば、あんなにも遠回りしなくて済んだのに。いくら口下手でも、こんな短い単語を言えないはずはないだろう。

「言ってよかったのか? そんなことしたら止まらなくなっていたぞ」

 熱い吐息交じりに耳元で囁かれた。次いで首筋を強く吸い上げられる。ちくりとした痛みと共に、しるしが肌の上に刻みつけられた。
 その動きは迷いがなく、まるでもう止めるつもりはないのだと言っているようで――。

 エスカレートしていく唇が、リーゼロッテを追い立てていく。それを見てジークヴァルトは魔王の笑みを浮かべてたのしんでいるようだ。
 余裕の視線が悔しくて、リーゼロッテは頬を膨らませた。今までそんなそぶりは見せもしなかったくせに。淡白どころか、ひどい手のひら返しだ。

「……このようなこと、ヴァルト様はご興味がないのだと……わたくしそう思っておりましたわ」
「ふっ、馬鹿を言うな。オレはずっとお前にこうして触れたいと思っていたぞ」
「ずっと……? ずっとっていつからですの?」
「はじめから、ずっとだ」

 再開された口づけに思考が溶かされていく。
 あちこちを刺激され、リーゼロッテはジークヴァルトの熱に飲まれていった。

     ◇
 そのあとの記憶は断片的だ。

 気づくとジークヴァルトとともに寝室にいた。かと思えば湯船の中を漂って、ぼんやりと見上げた先でジークヴァルトと目が合った。
 次に気づいたときは、暖炉の前で髪を丹念に乾かされていたように思う。時に膝の上で食事を運ばれ、気づくとまたジークヴァルトの腕の中で夢を見る。

 今が朝なのか夜なのか、幾日たったのかもよく分からない。とにかくジークヴァルトに翻弄されて、訳も分からないままの時間を過ごした。

 車輪の回る音がする。聞きなれた鼓動を耳にしながら、リーゼロッテは重いまぶたを開いて、辺りを見回した。

「起きたのか?」

 気づくと走る馬車の中だった。いつの間に森を出たのだろう。何も記憶がなくて、リーゼロッテは不思議そうにジークヴァルトを仰ぎ見た。

「わたくしずっと眠って……?」

 かすれた声が出て、喉が渇いていることに気づく。すぐさまジークヴァルトは水差しの中身をグラスに注いだ。手渡してくれるものだと思っていたら、ジークヴァルトはそれを先に自分であおってしまった。

 いつもなら先回りして分かってくれるのに。そんな不満を抱きつつも、ジークヴァルトもちょうど喉が渇いていたのかもしれない。そう納得して、自分も飲みたいと口に出そうとした。
 ふいに顔を上向かせられ、間髪置かずに唇を塞がれた。

「んんんっ!?」

 口内に、冷たい水が注がれる。突然のことに驚いて、大半が口の端からこぼれてしまった。首筋に伝った水滴を丁寧に舐め取ると、ジークヴァルトは再び水を自らの口に含んだ。
 止めることも忘れて、その唇を受け入れた。ちょろちょろと慎重に流し込まれる水分を、今度は上手に飲み込んだ。

「まだ飲むか?」
「え、いいえ、もう大丈夫です」

 寝ぼけまなこのまま答えると、グラスを置いたジークヴァルトが再び唇を寄せてきた。

「あっん、ヴァルト様、ここ馬車の中……」
「誰も見ていない」

 抗議の声は口づけに飲まれ、抑え込んでくる後頭部の手に逃げることも叶わない。馬車の中でジークヴァルトがこんなことをしてくるなど初めてだ。

 それに合わせるように、異形によって馬車の窓が叩きつけられ始めた。おびただしい血のりの手形が連打されていく。窓にバンと手を突くと、ジークヴァルトは張り付く異形たちをあっさり叩き落した。
 しゃっとカーテンを締め切られた薄暗い馬車の中、ジークヴァルトの不穏な手つきが次第にエスカレートしていく。

「んん、やめ、あっ駄目、ヴァルト様っ」

 与えられる刺激に漏れそうになる声を、どうにかこうにか押し殺した。
 走る馬車とはいえ、御者の談笑などはこちらの耳にも届いてくる。何を話しているかまでは分からないが、大きな声を出せば中の音も、外に漏れ聞こえてしまうということだろう。

 我慢しきれない吐息を隠すため、ジークヴァルトの首筋に唇を寄せた。半ば歯を当てながら、必死に声を押し殺す。

「ヴァルト様っ、馬車の中っですってば……!」
「分かっている」

 そう言いながらも不穏な手つきと口づけは続いた。

「だからここ、馬車のなかだからぁっ」

 たまらず叫ぶも、ジークヴァルトの指の動きは止まらない。

「ああ、分かっている。最後まではしない」
「さっ……!」

(最後までって、どこまでならするつもりなの――――っ!)


 脳内の叫びも虚しく、リーゼロッテはひたすら声を出さないよう、甘い責め苦に耐えきったのだった。

     ◇
 ハリセンボンのように極限まで頬を膨らませて、リーゼロッテは馬車から降りた。疲労を訴える足は歩くこともままならなくて、いつものように抱き上げられ宿へと向かう。

「ああ、奥様! もしや酔われてしまったのですか!? 申し訳ございません、細心の注意を払って馬車を走らせたのですが……!」

 くったりともたれかかるリーゼロッテを見て、御者が悲嘆にくれた声で言った。これはあなたのせいじゃない。そうは思うも、恥ずかしくて顔を上げることはできなかった。

「いや、問題ない。すぐに落ち着く」

 そうだ。すべてはジークヴァルトが元凶だ。いやだやめろと訴えたのに、結局は馬車が止まる直前まで、あんあん言わされてしまった。
 申し訳なさそうな御者の顔をまともに見られなくて、赤くなった顔をジークヴァルトの胸に隠すようにうずめた。

 宿の中に入って、ほっと息をつく。これでようやくひとりで眠れる。世話係の女性がいれば、ジークヴァルトもさすがに手を出しては来ないだろう。

 抱えられたまま、一室に通された。大股で寝室まで行ったジークヴァルトに、寝台のふちに座らされる。
 そのままころんと押し倒されて、リーゼロッテはぽかんとジークヴァルトを見上げた。いつもなら頭のひとつも撫でてから、ジークヴァルトが部屋を出ていくところだ。

「あの、ヴァルト様?」
「そのままでは中途半端でつらいだろう? 今楽にしてやる」
「え? あっ」

 引導を渡す口ぶりで、スカートをまくり上げられる。しゃがみこんだジークヴァルトにそのまま顔をうずめられそうで、咄嗟に足で頭を挟みこみ、なんとか動きをブロックした。

「ななな何をなさるおつもりですか?」
「今から何をするのか、具体的に言葉で言われたいのか?」
「そ、そうではなくて! ヴァルト様はもうご自分のお部屋にお戻りにならないと……」

 食事すら共にできないのが、神事での決まり事だった。

「ここはふたり部屋だ。オレたちは夫婦になった。同じ部屋で寝るのは当然だろう」
「えっ!?」

 自分の太ももに挟まれたジークヴァルトが、無表情で返してくる。ほっぺたがむにっとなっているところが、何とも言えずシュールだった。そんなとき、ジークヴァルトがこっそり指を伸ばす。

「あっ! ンんんっ」

 飛び出た自分の大きな声に、咄嗟に口を覆った。

「もう誰も聞いていない、好きなだけ声をあげればいい。――もっとも馬車の中で声を我慢するお前も、ものすごく可愛かったがな」
「――……っ!」

 魔王の笑みのジークヴァルトが、動揺で緩んだ足の間に入り込んだ。

「ヴァルトさま、その前にせめて湯あみをっ」
「問題ない、あとでオレが入れてやる」
「あとじゃ意味がなああぁい……!」


 その後の記憶はとぎれとぎれで、気づくと再び馬車に揺られていたリーゼロッテなのだった。







【次回予告】
 はーい、わたしリーゼロッテ。馬車でのジークヴァルト様の暴挙を、なんとか封じ込めようと必死になるわたし。夫婦のルール作りは初めが肝心! そう意気込むもののあまりうまくはいかなくて? そんな帰りの道中に立ち寄ったのは、辺境にあるさびれた街で……。
 次回、5章第11話「辺境の砦」 あわれなわたしに、チート、プリーズ!!

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