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第一章 二人の関係

7.朱く咲く花

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「おじゃまします」

 何年ぶりかに上がる、俊成君のおうち。よそよそしく感じたのは玄関までで、中に入ってしまえば懐かしさの方が一気に勝った。

 入ってすぐの柱には、私と俊成君の身長が刻み付けられている。でも本当は、あの身長はウソなんだ。私のほうが当時は背が大きくて、それにむっとした俊成君が爪先立ちになって付けた跡なんだもの。

 廊下とリビングを仕切る障子に目をやって、そこの桟の一本だけが色が違うことを確認する。これは、いつだっけ? 年末の大掃除で障子を好きなだけ破いて良いよって言われて、二人で暴れていたら桟まで折ってしまったんだよね。

 俊成君は覚えているかな。聞こえないようにくすくす笑うと、なんだか気持ちが軽くなった。

 謝ろう。今までのこと全部。

 笑った分だけこだわりがとけたようで、素直な気持ちでそう思った。

「こんにちは」

 覚えていたおばあちゃんのお部屋。襖を開けると、畳敷きの和室の右横に床からちょっとだけ高いベッドが置かれていて、そこにおばあちゃんは寝ていた。部屋の正面は障子が半分開いていて、ガラス扉越しに庭が見える。俊成君はおばあちゃんの足元の壁に寄りかかり、顔を上げれば庭が眺められるこの位置で、手元のゲーム機で遊んでいた。

 私はお稲荷さんを持ったまま、おばあちゃんの顔をのぞきこむ。

「おばあちゃん、寝てる」

 その穏やかな寝顔にほっとした。

「昼寝だよ。ただの夏バテだって。クーラーの効いたとこで安静にしてれば大丈夫だって、お医者さんが言っていた」

 その言葉を聞きながら、私はゆっくり俊成君に視線を移す。

「手、もう大丈夫?」
「うん。大丈夫」

 俊成君はそう言うとゲーム機から手を離し、右手を振ってちょっと恥ずかしそうに笑った。私もつられて微笑んだ。

「あ、これお稲荷さん。お母さんがどうぞって」
「ありがとう。台所に置いてく」

 受け取ると、俊成君が席を外す。そのままおばあちゃんの枕元にずっと立っているわけにもいかず、私はその場で腰を下ろし、体育座りをして庭を眺めた。

「冷蔵庫に入れた」

 そう言って戻ると、俊成君も私の横で体育座りをした。

「庭、なに見ていたの?」

 久し振りの横並び。そして会話に気持ちが落ち着かなくなる。なんでもよいから俊成君と話をしなくちゃと思った。しゃべらないと間が持たないのも事実だし、それよりもせっかく和んだこの空気を、気まずい沈黙で汚すのが嫌だった。

「カンナ。春に植えたのが咲いたんだ」
「どこ」
「ほら、あそこ」

 後ろを振り返り、指のさす方を目で追うと、そこに茎が何本かすっと立っていた。

「あれ?」
「うん」

 花なら地面に咲いている。そう思って下を見たのに、そこには青い茎ばかりで目線を少しずつずらしても、なかなか頂点には達しない。

「とっても背が高いんだ。一番高いので二メートルあるって父さん言っていたから」

 俊成君の言葉に思い切って顔を上げると、そこには炎のように咲いている花の姿があった。

「……きれい」

 思いもかけなかったその姿に、私は小さくため息を漏らす。

 真っ直ぐに伸びた茎の上、赤というより朱の色をした真ん中から徐々に橙、黄色と色が変わる花が咲いている。庭の隅、何本ものカンナが咲き誇るその姿は美しかった。

「父さんと、春に植えたんだ」

 俊成君はもう一度繰り返すと、それきり黙りこんでしまった。私ももう、言葉で俊成君をつかまえようとは思わなくなっていた。

 二人静かに黙り込んだ空間に、ゲーム機から流れる音楽が響いていた。おばあちゃんの規則的な寝息が続いている。遠くでセミの音が聞こえている。通りのどこかで宅配便のチャイムを押す音がかすかに聞こえた。いつもと変わらない、ありふれた夏休みの午後だった。

「ごめんね」

 どのくらい、カンナを見ていたか分からない。ずっと見ているうちにふいにこの言葉が思い出され、いつの間にか私は言っていた。そして、俊成君の目を真っ直ぐに見つめる。

「ごめんね」

 俊成君もそう言って、私の目を見つめ返す。その思いもかけない言葉の真摯さに戸惑って、私は聞き返してしまった。

「なんで謝るの?」
「あずに嫌な思いさせたから」
「嫌な思い?」
「久しぶりに話したのに俺、あのときの最後、背を向けたから。今更だけど、ずっと謝ろうと思っていた」

 あのときって?

 極端に接点の少なかった私達にとって、「あのとき」という言葉で限定される時間は少なかった。俊成君の言いたかったあのときは、小学二年生のときのことなんだろう。みんなの見ている中、上級生に突き飛ばされてひどいことを言われた。でも突き飛ばされてひどいことを言われたのは俊成君だし、それは私が何も考えずに俊成君に話しかけたからこそ起こった出来事だ。

「嫌な思いをしたのは、俊成君のほうだよ」
「あずだよ。上級生を睨んでいたから止めたけど、でも俺うまく言えなくてあずに背を向けた。あずを一人にさせた」

 そう告白する俊成君の表情が、後悔に満ちている。その真剣さの分だけ自分が思いやられているのがよく分かって、でもそれは自分にとって思いもかけないことで、私は慌ててあのときのことを思い出そうとしていた。

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