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マレニアの二学期

・マレニアの二学期 - 飛竜の卵 -

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 その晩、女子寮にセラ女史がやって来た。

「グレイボーン・オルヴィン」
「なんだ、女史?」

「実験体を提供してくれたそうですね。殊勝なことです、褒めて差し上げましょう」
「なんのことだ? 俺はモルモットになんてならないぞ」

「ワイバーンの卵のことです。フフ……あれは、素晴らしいサンプルです」
「ああ、アレって高いらしいな」

 そう言葉を返すと女史は途端に不機嫌になった。
 急に黙り込んで鼻息を立てるのは、そういうことだろう。

「下らない見栄や投機のために、あるべき場所にあるべき物が行き届かない。愚かな話です」
「あ、ああ……」

「なんですか、そのどうでもよさそうな反応は!」

 どうでもいい……。
 社会問題とかあんまり興味ない……。

「投機で人の手を行ったり来たりした卵を! 腐らせた卵を! 後生大事に宝物庫に抱え込む愚か者が、私は許せないと言っているのですっ!」
「ああ、わかる」

「嘘おっしゃいなさいっ!」

 リチェルとコーデリアは風呂に行っている。
 リチェルはマレニアに帰って来るなり、その足で卵を抱えたままセラ女史を訪ねた。

 俺はそれに付き合わなかった。
 何せ大体のことは、俺がいない方が話が早くなるからな。

「女史ならあの卵、孵せるのか?」
「任せなさい。……学院長、孵化器を」
「ワ、ワシは……休暇中は、ただの、ブランチ・インスラーおじさん、である……」

 女史の背後にでかい影があるので、そうなのかなとは思っていたが、やはりそれは学院長その人だった。

 学院長が部屋の片隅に孵化器とやらを設置すると、そこに女史がワイバーンの卵を置いた。……と、思う。

「休暇中にすまん……」
「ワシは、疲れた……失礼する……」

「本当にすまん」

 孵化器がポンと出てくるところが、さすがの女史だ。
 まあどっちかというと、学院長の苦労のたまもののようにも見えなくもないが。

「リチェルを主人とするように細工をしておきました」
「へー。それって使い魔ってやつか?」

「ええ。それと少々の強化と、小型化を」
「ありがとう、女史。確かにでかいと困るよな」

 その技術、倫理的にどうなんだ?
 と思わなくもないが、モンスターを重弩でぶち抜く俺が言ってもしょうがない。

 孵化器は厚い木箱にわらが敷き詰められたもので、上部にはガラス張りの窓が取り付けられていた。

 なんというか、DIYで今さっき作り上げました、って感じの仕上がりだ。
 孵化器から香る白木の新しい香りと、疲れ果てたあの学院長の姿からして、もはや推理の必要もないだろう。

「気のせいか、卵の色が変わっているような……」

 元の卵は白に薄緑の模様だったはずなのに、それが桃色の基調に変わっている。

「誰かさんが割りそうになったそうですからね、その魔法は念のための保険です」
「これで割れなくなるのか?」

「トンカチ叩いても傷一つ」
「へぇ、魔法って便利だな。ご家庭1つあたり、魔法使いが1人欲しいくらいだ」

 そしたら生卵を落として割ることもない。
 落としても割れない卵をどうやって割るか? という問題が残るが。

「そうもいきません。高価な触媒を使った術ですから」
「そりゃ悪いな……。金、払おうか?」

「国に負担させますのでその心配はいりません」
「まさかの国費かよっ!」

「当然です」

 気になって孵化器に触れてみると、どこかに熱源があるのかほんのりと暖かい。
 わらのクッションもまた暖かそうだ。
 これを見たらリチェルが喜ぶな……。

「ただいまーーっっ!! あっ、セラせんせーっ!!」
「まあっ?! ご、ごぶさたしておりますのっ!!」

 リチェルのことを考えたら、石鹸のいい匂いのするリチェルが部屋に帰って来た。

 『異世界に石鹸?』とは最初に思ったが、魔法使いがいるんだから、石鹸くらい簡単に作れるだろうという見解に落ち着いた。

「リチェル、女史と学院長が孵化器を持ってきてくれたぞ」
「ああーーっっ?! 色っ、なんか変になってるーっっ!! わ、わ、わ、わ……っ、どうしようっ!?」

「ああそれは問題ないんだ。どっかのバカが卵を割りかけたから、保険にかけた魔法のバリヤーだそうだ」

 卵は希望の象徴だ。
 それが割れてしまうのは、俺としても寂しい。

「はーーー……ビックリしたー……。よかったー! セラせんせーっ、ありがとーっ!!」
「これで、そこのバカ兄が寝ぼけて蹴っても割れたりしませんよ」

 そりゃすごい。
 そしてまあ、あり得ることかもしれん……。

 何せ正面も足下もなんも見えん。
 足のつま先を鋼鉄に出来たら、どんなにいいことだろうか。

「セラせんせーっ、すごーーいっっ!!」
「フフ……貴女は褒め上手ですね。卵は時々抱いて暖めなさい」

「いいのですかーっ!? はい、そうしますっ!!」
「貴女の魔力を吸って育つように手を入れました」

 え、大丈夫か、それ……?
 そういうのって、代償付きのいわくの品によくあるやつじゃないのか……?

「グレイボーン、貴方もです」
「なぜ? 卵を俺に任せるなんて心配だろ」
「それを自分で言いますの……?」

「貴方の使い道のない魔力を卵に流し込むのです。出来の悪い貴方でも、使い道があるものですね」
「それが教師のセリフかよ」

 どんなもんかなと思い、孵化器を開けて卵に触れてみた。
 確かに女史の言う通りになっていた。
 なんか吸い取られている感がある。

「リチェルと、お兄ちゃんの間に、ヒナちゃんが生まれる……っ!! へへ、へへへへーー♪」
「わ、わたくしも、ちょっとはお手伝いしますのよ……?」

 満足したのか女史は部屋を去ろうとした。

「おい、これいつ頃孵るんだっ!?」
「おい? 教師相手に『おい』ですか。本当に、しつけのなっていない男ですね……」

「……セラ先生、これはいつ頃孵るのですか? これでいいか?」
「出来るなら最初からそうしなさい。貴方たちの魔力なら、1ヶ月以内に孵るでしょう」

「そうか、それは楽しみだ!」
「セラせんせーっ、ありがと!! リチェルッ、この子のお母さんになりますっ!!」

 セラ女史の細工済みの卵をお腹に抱えて、リチェルは幸せいっぱいにそう叫んだ。
 俺の目には到底見えんが、その時セラ女史がやさしく笑ったような気がした。

 そしてもう1つ。
 女子寮に滞在する口実が、もう1ヶ月分これで延びた。
 卵が孵るまで俺はここに居座る。
 何があろうと断固として。

「ところで貴方、お風呂はどうしましたの……?」
「ああそのことか。火曜日にする」

「あり得ませんわっ!! 早く行ってらっしゃいっっ!!」

 マレニアには公衆浴場がある。
 そこで週3回も風呂に入れる。
 ただ安息日は混む上に、ここから男子寮側まで戻るのがかったるかった。

「お兄ちゃんは、卵を守ってくれてたんだよねーっ! 今度は、リチェルに任せてー!」
「わたくしには、お風呂に入るのが面倒だっただけの顔に見えますわ」

「……まさか。卵を守っていたから、ここを動けなかっただけだ。……さっと行ってくる」

 これでリチェルの見解が正解となる。
 俺はタオルを肩に担いで、やはり面倒だったがやむを得ず風呂に向かった。
 出遅れたのもあって湯はぬるかった。

「まあ、悪くない」

 リチェルに懐くことが約束された小さな飛竜。
 俺には飛竜とじゃれ合うリチェルの姿が見える。
 成長して空飛ぶ番犬になってくれたら一石二鳥どころじゃない。

 考えるだけで孵化が楽しみになって、気付くと浴室には俺1人だけになっていた。
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