上 下
46 / 75

猫の行先

しおりを挟む
「退院、できるんだけどねぇ」

 教授は難しい顔をした。
 12月半ば、退院が決まったのは件の白猫、「プランちゃん」。
 すっかりスタッフに懐いたその1歳くらいの白猫をどうするか──で、三島さんたちと研究室で話し合っている。
 プランちゃんは我関せずで、私の膝の上スヤスヤ眠っていた。可愛い。そうっと、すっかり艶を取り戻したその毛並みを撫でた。
 確かな重みと、あたたかさ。いのち、って感じ。

「あの飼い主のところに戻すのは、正直賛成できません」

 犬派猫派でいうと、圧倒的猫派らしい三島先輩が難しい顔で言った。専門は鳥のくせに……。

(泉崎さん……)

 すみょみょん、さん。
 三島先輩も教授も知らないみたいだったけれど、ネットで検索したらすぐに出てきた。
 本当に有名人みたい。最近はテレビの地上波なんかにも出てるとのこと。

「でもねぇ、明確な虐待があったわけじゃないからねぇ」
「ですけど!」
「とりあえず警察に遺失物届けかなぁ……連絡は取れないんだよね?」

 教授の言葉に、私は頷く。

「ウチの番号、着信拒否されてると思います……」

 ハガキも送ったけれど、梨の礫だ。

「じゃあ警察に届けておこうか。……あ、そういえば今日、鮫川くん来るねぇ」

 農水省との共同研究。いわゆる野生の「害獣」、特に外来種の対策に関するものなんだけれど……。
 教授がニヤリと私を見る。正確には、私の左手の指を。

「指輪も買ったんだね」
「……まぁ、夫婦なので」

 そう答えたけれど──なんだか三島先輩の視線が気になる。どこか胡乱げな胡散くさい、みたいな。

(なんでそんな目を)

 三島先輩の方をみると、目線を逸らされた。

「いいねぇ新婚さん、いいねぇ。鮫川くんは本当に頑張ったよね」
「? どういう……」

 頑張った? 何がだろう?
 教授はにやにやしている。

「どうもこうも、そのまま……っと」

 教授がそう言ったところで、内線が鳴る。教授がとって、妙な顔をした。それから私たちに告げる。

「──飼い主さん、引き取りに来たよ」

 教授のことばに、私と三島先輩は顔を見合わせた。
 引き取りに──来た。
 思わずプランちゃんを、抱きしめそうになった。


「──だから、この子と交換でいいでしょ?」

 大学付属の動物病院、では他の患者さんもいるから話しにくい……ってことで、彼女を研究室の横の会議室へ通した。
 プランちゃんは、ドアで繋がった、隣の研究室で教授が見てくれている。
 そして、すみょみょんこと、泉崎さんの言い分は私には全く理解できなかった。頭が痛くなる。

(……日本語、だよね?)

 泉崎さんが喋っているのは、日本語のはずだ。同じ言語のはず。
 なのに、全く、全く──同じ情報を共有しているとは思えなかった。
 隣に座る三島先輩も眉間にシワを寄せて、机の上、やたらとデコデコしいキャリーケースに入っている白い子猫(オスのようだった)を見つめている。
 無言の私たちに苛立ったように、泉崎さんは早口にまくし立てる。

「ねぇ、聞こえてる? 理解できないのかなぁ。ほんっと理系ってコミュ障ばっか!」

 三島先輩が、はぁ、とため息をついた。呆れを通り越しているようなため息。

「……泉崎さん。たしかにこの猫たちは、あなたの飼い猫です。しかし、あなたは動物を飼うのに適した人格だとは思えません」
「……はぁ!?」

 三島先輩の言葉に激昂したように、泉崎さんは立ち上がる。

「とにかく、プランを返して! どこにいるのよ!」

 顔を真っ赤にして、イライラと目を釣り上げて──私は圧倒されて、でも落ち着かせようと立ち上がる。そっと彼女の肩に触れた。

「あの、泉崎さん」
「なによ牛女! 離しなさいよ!」

 振り払われて、でも言われたことが一瞬理解できない。う、牛女……?

「……っ、泉崎さん!」

 先に反応したのは、三島先輩だった。

「棚倉に謝罪してください!」
「はー? ヤダ。なんで? ほんとのことじゃん」

 文句を言いながら、泉崎さんは呆然としている私の手を見つめる。

「は? 結婚してんの?」
「……はい?」

 やっと思考がまわりだす。
 え、結婚……なんの関係が?

「なんで? メガネブスなのに? あ、胸がでかいから?」

 嘲笑うように、泉崎さんは言う。
 胸だけが取り柄の、地味なメガネザル。
 ぐっと唇を噛み締めると、三島先輩がすごい形相で泉崎さんに詰め寄る──と、そこで。
 猫が、鳴いた。
 机の上のオスネコじゃない。
 私たちはハッとする。

「……あ、横の部屋?」

 泉崎さんは私たちから興味を失ったようにふらりとドアへ向かう。

「まって、泉崎さん!」

 慌てた私たちを振り切って、泉崎さんはドアを開けた。ネコジャラシを持った教授が、ぎょっとこちらを見る。遊んでいたらしい。
 ふぎゃぎゃぎゃっ、と楽しげな声を上げてオモチャにじゃれつく白猫を見て、泉崎さんはにっこり、と笑った。

「プラ~ン」

 にこにこ、と手を差し伸べる。

「帰ろうねぇ~」

 プランちゃんは、きょとん、と自分を呼ぶ人物を見て、そうして小さく小さく、「なぁ」と鳴いた。ぴゃっと走って、教授の影に隠れる。

「どうしたのぉ、プラーン」
「あの、泉崎さん」

 私が声をかけた、その時だった。
 こんこん、とノックのあと、慣れた感じで入ってくる男の人の──聴き慣れた、好きな声。

「失礼します教授、おつかれさま……です……」

 桔平くんが、部屋に入って眉を小さく潜めた。
 そりゃそうだ、うん。
 小太りの教授が小さな猫を、綺麗な女性(しかも桔平くんの知人らしい)から庇い、同時にその女性を、白衣の私と三島先輩が止めようと必死、って──。
 けっこうカオスな状況だと思うよ。
しおりを挟む
1 / 5

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!

好きになって貰う努力、やめました。

恋愛 / 完結 24h.ポイント:6,390pt お気に入り:2,188

1年後に離縁してほしいと言った旦那さまが離してくれません

恋愛 / 完結 24h.ポイント:4,907pt お気に入り:3,767

悪役令息の義姉となりました

恋愛 / 連載中 24h.ポイント:23,244pt お気に入り:1,356

婚約破棄されましたが、幼馴染の彼は諦めませんでした。

恋愛 / 完結 24h.ポイント:3,187pt お気に入り:281

心の鍵はここにある

恋愛 / 完結 24h.ポイント:42pt お気に入り:481

言いたいことはそれだけですか。では始めましょう

恋愛 / 完結 24h.ポイント:4,423pt お気に入り:3,570

処理中です...