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猫の行先
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「退院、できるんだけどねぇ」
教授は難しい顔をした。
12月半ば、退院が決まったのは件の白猫、「プランちゃん」。
すっかりスタッフに懐いたその1歳くらいの白猫をどうするか──で、三島さんたちと研究室で話し合っている。
プランちゃんは我関せずで、私の膝の上スヤスヤ眠っていた。可愛い。そうっと、すっかり艶を取り戻したその毛並みを撫でた。
確かな重みと、あたたかさ。いのち、って感じ。
「あの飼い主のところに戻すのは、正直賛成できません」
犬派猫派でいうと、圧倒的猫派らしい三島先輩が難しい顔で言った。専門は鳥のくせに……。
(泉崎さん……)
すみょみょん、さん。
三島先輩も教授も知らないみたいだったけれど、ネットで検索したらすぐに出てきた。
本当に有名人みたい。最近はテレビの地上波なんかにも出てるとのこと。
「でもねぇ、明確な虐待があったわけじゃないからねぇ」
「ですけど!」
「とりあえず警察に遺失物届けかなぁ……連絡は取れないんだよね?」
教授の言葉に、私は頷く。
「ウチの番号、着信拒否されてると思います……」
ハガキも送ったけれど、梨の礫だ。
「じゃあ警察に届けておこうか。……あ、そういえば今日、鮫川くん来るねぇ」
農水省との共同研究。いわゆる野生の「害獣」、特に外来種の対策に関するものなんだけれど……。
教授がニヤリと私を見る。正確には、私の左手の指を。
「指輪も買ったんだね」
「……まぁ、夫婦なので」
そう答えたけれど──なんだか三島先輩の視線が気になる。どこか胡乱げな胡散くさい、みたいな。
(なんでそんな目を)
三島先輩の方をみると、目線を逸らされた。
「いいねぇ新婚さん、いいねぇ。鮫川くんは本当に頑張ったよね」
「? どういう……」
頑張った? 何がだろう?
教授はにやにやしている。
「どうもこうも、そのまま……っと」
教授がそう言ったところで、内線が鳴る。教授がとって、妙な顔をした。それから私たちに告げる。
「──飼い主さん、引き取りに来たよ」
教授のことばに、私と三島先輩は顔を見合わせた。
引き取りに──来た。
思わずプランちゃんを、抱きしめそうになった。
「──だから、この子と交換でいいでしょ?」
大学付属の動物病院、では他の患者さんもいるから話しにくい……ってことで、彼女を研究室の横の会議室へ通した。
プランちゃんは、ドアで繋がった、隣の研究室で教授が見てくれている。
そして、すみょみょんこと、泉崎さんの言い分は私には全く理解できなかった。頭が痛くなる。
(……日本語、だよね?)
泉崎さんが喋っているのは、日本語のはずだ。同じ言語のはず。
なのに、全く、全く──同じ情報を共有しているとは思えなかった。
隣に座る三島先輩も眉間にシワを寄せて、机の上、やたらとデコデコしいキャリーケースに入っている白い子猫(オスのようだった)を見つめている。
無言の私たちに苛立ったように、泉崎さんは早口にまくし立てる。
「ねぇ、聞こえてる? 理解できないのかなぁ。ほんっと理系ってコミュ障ばっか!」
三島先輩が、はぁ、とため息をついた。呆れを通り越しているようなため息。
「……泉崎さん。たしかにこの猫たちは、あなたの飼い猫です。しかし、あなたは動物を飼うのに適した人格だとは思えません」
「……はぁ!?」
三島先輩の言葉に激昂したように、泉崎さんは立ち上がる。
「とにかく、プランを返して! どこにいるのよ!」
顔を真っ赤にして、イライラと目を釣り上げて──私は圧倒されて、でも落ち着かせようと立ち上がる。そっと彼女の肩に触れた。
「あの、泉崎さん」
「なによ牛女! 離しなさいよ!」
振り払われて、でも言われたことが一瞬理解できない。う、牛女……?
「……っ、泉崎さん!」
先に反応したのは、三島先輩だった。
「棚倉に謝罪してください!」
「はー? ヤダ。なんで? ほんとのことじゃん」
文句を言いながら、泉崎さんは呆然としている私の手を見つめる。
「は? 結婚してんの?」
「……はい?」
やっと思考がまわりだす。
え、結婚……なんの関係が?
「なんで? メガネブスなのに? あ、胸がでかいから?」
嘲笑うように、泉崎さんは言う。
胸だけが取り柄の、地味なメガネザル。
ぐっと唇を噛み締めると、三島先輩がすごい形相で泉崎さんに詰め寄る──と、そこで。
猫が、鳴いた。
机の上のオスネコじゃない。
私たちはハッとする。
「……あ、横の部屋?」
泉崎さんは私たちから興味を失ったようにふらりとドアへ向かう。
「まって、泉崎さん!」
慌てた私たちを振り切って、泉崎さんはドアを開けた。ネコジャラシを持った教授が、ぎょっとこちらを見る。遊んでいたらしい。
ふぎゃぎゃぎゃっ、と楽しげな声を上げてオモチャにじゃれつく白猫を見て、泉崎さんはにっこり、と笑った。
「プラ~ン」
にこにこ、と手を差し伸べる。
「帰ろうねぇ~」
プランちゃんは、きょとん、と自分を呼ぶ人物を見て、そうして小さく小さく、「なぁ」と鳴いた。ぴゃっと走って、教授の影に隠れる。
「どうしたのぉ、プラーン」
「あの、泉崎さん」
私が声をかけた、その時だった。
こんこん、とノックのあと、慣れた感じで入ってくる男の人の──聴き慣れた、好きな声。
「失礼します教授、おつかれさま……です……」
桔平くんが、部屋に入って眉を小さく潜めた。
そりゃそうだ、うん。
小太りの教授が小さな猫を、綺麗な女性(しかも桔平くんの知人らしい)から庇い、同時にその女性を、白衣の私と三島先輩が止めようと必死、って──。
けっこうカオスな状況だと思うよ。
教授は難しい顔をした。
12月半ば、退院が決まったのは件の白猫、「プランちゃん」。
すっかりスタッフに懐いたその1歳くらいの白猫をどうするか──で、三島さんたちと研究室で話し合っている。
プランちゃんは我関せずで、私の膝の上スヤスヤ眠っていた。可愛い。そうっと、すっかり艶を取り戻したその毛並みを撫でた。
確かな重みと、あたたかさ。いのち、って感じ。
「あの飼い主のところに戻すのは、正直賛成できません」
犬派猫派でいうと、圧倒的猫派らしい三島先輩が難しい顔で言った。専門は鳥のくせに……。
(泉崎さん……)
すみょみょん、さん。
三島先輩も教授も知らないみたいだったけれど、ネットで検索したらすぐに出てきた。
本当に有名人みたい。最近はテレビの地上波なんかにも出てるとのこと。
「でもねぇ、明確な虐待があったわけじゃないからねぇ」
「ですけど!」
「とりあえず警察に遺失物届けかなぁ……連絡は取れないんだよね?」
教授の言葉に、私は頷く。
「ウチの番号、着信拒否されてると思います……」
ハガキも送ったけれど、梨の礫だ。
「じゃあ警察に届けておこうか。……あ、そういえば今日、鮫川くん来るねぇ」
農水省との共同研究。いわゆる野生の「害獣」、特に外来種の対策に関するものなんだけれど……。
教授がニヤリと私を見る。正確には、私の左手の指を。
「指輪も買ったんだね」
「……まぁ、夫婦なので」
そう答えたけれど──なんだか三島先輩の視線が気になる。どこか胡乱げな胡散くさい、みたいな。
(なんでそんな目を)
三島先輩の方をみると、目線を逸らされた。
「いいねぇ新婚さん、いいねぇ。鮫川くんは本当に頑張ったよね」
「? どういう……」
頑張った? 何がだろう?
教授はにやにやしている。
「どうもこうも、そのまま……っと」
教授がそう言ったところで、内線が鳴る。教授がとって、妙な顔をした。それから私たちに告げる。
「──飼い主さん、引き取りに来たよ」
教授のことばに、私と三島先輩は顔を見合わせた。
引き取りに──来た。
思わずプランちゃんを、抱きしめそうになった。
「──だから、この子と交換でいいでしょ?」
大学付属の動物病院、では他の患者さんもいるから話しにくい……ってことで、彼女を研究室の横の会議室へ通した。
プランちゃんは、ドアで繋がった、隣の研究室で教授が見てくれている。
そして、すみょみょんこと、泉崎さんの言い分は私には全く理解できなかった。頭が痛くなる。
(……日本語、だよね?)
泉崎さんが喋っているのは、日本語のはずだ。同じ言語のはず。
なのに、全く、全く──同じ情報を共有しているとは思えなかった。
隣に座る三島先輩も眉間にシワを寄せて、机の上、やたらとデコデコしいキャリーケースに入っている白い子猫(オスのようだった)を見つめている。
無言の私たちに苛立ったように、泉崎さんは早口にまくし立てる。
「ねぇ、聞こえてる? 理解できないのかなぁ。ほんっと理系ってコミュ障ばっか!」
三島先輩が、はぁ、とため息をついた。呆れを通り越しているようなため息。
「……泉崎さん。たしかにこの猫たちは、あなたの飼い猫です。しかし、あなたは動物を飼うのに適した人格だとは思えません」
「……はぁ!?」
三島先輩の言葉に激昂したように、泉崎さんは立ち上がる。
「とにかく、プランを返して! どこにいるのよ!」
顔を真っ赤にして、イライラと目を釣り上げて──私は圧倒されて、でも落ち着かせようと立ち上がる。そっと彼女の肩に触れた。
「あの、泉崎さん」
「なによ牛女! 離しなさいよ!」
振り払われて、でも言われたことが一瞬理解できない。う、牛女……?
「……っ、泉崎さん!」
先に反応したのは、三島先輩だった。
「棚倉に謝罪してください!」
「はー? ヤダ。なんで? ほんとのことじゃん」
文句を言いながら、泉崎さんは呆然としている私の手を見つめる。
「は? 結婚してんの?」
「……はい?」
やっと思考がまわりだす。
え、結婚……なんの関係が?
「なんで? メガネブスなのに? あ、胸がでかいから?」
嘲笑うように、泉崎さんは言う。
胸だけが取り柄の、地味なメガネザル。
ぐっと唇を噛み締めると、三島先輩がすごい形相で泉崎さんに詰め寄る──と、そこで。
猫が、鳴いた。
机の上のオスネコじゃない。
私たちはハッとする。
「……あ、横の部屋?」
泉崎さんは私たちから興味を失ったようにふらりとドアへ向かう。
「まって、泉崎さん!」
慌てた私たちを振り切って、泉崎さんはドアを開けた。ネコジャラシを持った教授が、ぎょっとこちらを見る。遊んでいたらしい。
ふぎゃぎゃぎゃっ、と楽しげな声を上げてオモチャにじゃれつく白猫を見て、泉崎さんはにっこり、と笑った。
「プラ~ン」
にこにこ、と手を差し伸べる。
「帰ろうねぇ~」
プランちゃんは、きょとん、と自分を呼ぶ人物を見て、そうして小さく小さく、「なぁ」と鳴いた。ぴゃっと走って、教授の影に隠れる。
「どうしたのぉ、プラーン」
「あの、泉崎さん」
私が声をかけた、その時だった。
こんこん、とノックのあと、慣れた感じで入ってくる男の人の──聴き慣れた、好きな声。
「失礼します教授、おつかれさま……です……」
桔平くんが、部屋に入って眉を小さく潜めた。
そりゃそうだ、うん。
小太りの教授が小さな猫を、綺麗な女性(しかも桔平くんの知人らしい)から庇い、同時にその女性を、白衣の私と三島先輩が止めようと必死、って──。
けっこうカオスな状況だと思うよ。
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