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十一の月

1、祭りの足音

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 十一の月に入ってすぐに木枯らしが吹いた。日ごと気温が下がり、斎は急速に冬へと向かっている。そんな中、陽連にだけは先日から浮き足立つ空気が流れていた。

「いや~、もうすぐっすねぇ。雪華の姐御は誰とご一緒するんですか?」

「……何をだ」

「ええ!? またまたぁ。そんな興味ない顔しちゃって、ホントはもう決めてるんでしょ? やっぱかしらですかい? なんならオレが……」

「だから何が――」

 一階の酒楼で依頼書を確認していた雪華は、横から話しかけてくる梅林がいい加減に鬱陶しくなってきて眉をひそめた。すると後ろからひょいと手が伸びてきて、雪華のつまんでいた干菓子をかっさらう。

「あっ……!」

「そりゃお前、豊穣祭ほうじょうさいを見て回る相手だろ。……美味そうだな、これ。俺にもくれよ」

 帰ってきたのは航悠だ。とっておきをかっさらった相棒をじとっと睨むと、雪華はその手から菓子を取り返そうとする。

「駄目だ。お前、その菓子私が何時間並んで買ったと思ってる。勝手に食うな」

「ケチケチすんなよ、任務の帰りに違うやつ買ってきてやったから。なあ飛路?」

「え? あ、はい。……雪華さん、戻ったよ」

「ああ……悪いな飛路。お帰り、お疲れさん」

 一緒に帰ってきた飛路が、突然矛先を向けられて目を瞬く。雪華が労をねぎらうと、菓子を口に収めた航悠が眉を下げた。

「おいおい雪華、俺には?」

「知るか。さっさとその土産とやらを出せば、言ってやらないこともない」

「ひでえ……」

 つんと返すと航悠がわざとらしく泣き崩れる。それを完璧に無視して、男が差し出した包みを受け取ると雪華はいそいそと中を覗き込んだ。そんな雪華に梅林が背後からしずしずと手を上げる。

「あのー、オレの話は……」

「残念、もう完全に頭から飛んでるよ。……雪華。梅林が豊穣祭、一緒に見て回りませんかって聞いてるぞ」

「えっ!? いや頭、オレいきなりそんなことは恐れ多くてとてもとても――」

 航悠に助太刀された梅林が、恐縮しながらもまんざらでもなさそうな顔で手を振る。雪華はきょとんと目を瞬くと、久しぶりに聞く単語に首を傾げた。

「豊穣祭…? ……ああ、あれか。面倒くさいな」

「ですよねー……」

「お、林檎か。もうそんな季節なんだな。食事のあとでいただくよ」

 豊穣祭とは、ここ陽連で例年十一の月に行われる、いわゆる収穫祭のような祭りだ。
 昨年は仕事で他州に出ていたから、雪華も航悠たちも豊穣祭に行ったことはない。その昔に皇女として祭祀さいしに参加したことはあるが、それを皆に言うわけにもいかない。
 へにゃりと脱力した梅林に構わず、雪華は包みから立派な林檎を取り出した。つやつやとして美味そうだ。すると横顔に視線を感じ、梅林を振り返る。

「どうした、梅林。そんな泣きそうな顔して」

「いや……あんたって、本当に薄情な女だな」

「豊穣祭のことか? 大して興味もない女と一緒に行ったって面白くないだろうから、断ったんだが…」

 飛路の呆れた声に雪華はもう一度首を傾げる。飛路は梅林に同情するような視線を向けるともう一度繰り返した。

「そこが薄情なんだって……。あんた、豊穣祭初めてじゃないの? 見てみたくはないの」

「うーん。騒がしいのはあまり好きじゃなくてな」

「屋台、たくさん出るよ。異国から料理人が来て、甘味売ったりもしてるよ」

「……それは、いいな……。……行こうかな」

「姐御、オレより甘味が大事ですかい……」

 飛路の言葉で急に反応を変えた雪華に、梅林が再び泣き崩れる。豊穣祭自体には大した興味もないが、そういう店が出るのなら少し覗いてみるのもいいかもしれない。

「……雪華」

 そんなことを考えていると、航悠に名を呼ばれて軽く顎をしゃくられた。……話があるということだ。航悠について階段を上がる雪華を、梅林の恨めしげな視線が見送った。


 広い背中を追って二階に上がると、壁を背にした男は煙管キセルに火をともした。深く吸って紫煙を吐く相棒に雪華は問いかける。

「どうした」

「前の城の任務の件だがな……詳細が分かった」

「あの、シルキアの暗殺者が紛れ込んでいたやつか」

 陽帝宮の宴への潜入捜査――その後、どうなったのかとは思っていた。顔を上げた雪華に航悠も鋭い視線を返す。

「ああ、依頼してきた武官と連絡が取れてな。もしもあの場で斎の大臣どもが誰か一人でも襲われていたら、斎の威信はボロボロだったと感謝された」

「だが、ずいぶんとあらのある犯行だったな。私たちが気付かなくとも、衛士が気付いていればその場で取り押さえられて終わりだ。本当に殺したかったなら、もう少し慎重にするだろ? 捕らえた奴はなんと言ってたんだ」

「さあ。……あのあとすぐに、仕込んでいた毒で自害したらしい」

「っ……。自害……」

 予想外の結末に目を見開く。航悠は冷えた瞳で淡々と続けた。

「証拠も残らなかったから、斎としてもシルキアを表立って責めるわけにもいかないらしい。……粗もあるはずだ。失敗したら死んでもいいと思って忍び込ませたんだろうから」

「使い捨て……ということか」

 ……あの男にそれを指示したのは、誰なのだろう。そしてそうまでして命令を実行しようとしたあの男は、一体何を目指していたのだろう。

「シルキアが、斎の要人を狙っているということか?」

「分からん。シルキアがやったように見せかけて、実は裏で斎の反乱分子が動いているのかもという噂もある。どっちにしても、物騒だな」

「そこらへん、胡朝はうまくやってると思ったんだが……」

「おおむねは、な。誰が治めたって、国のどこかでは火種がくすぶる。今の皇帝がどうこうってより、胡朝に変わったの自体がつい最近だろ。そんなときは前の朝にくみする奴らとか、ただ現状に不満な奴らとかも動きやすいもんだ」

「……政治まつりごとがどれほど大変か、知りもしないんだろうにな」

「……そうだな」

 雪華の暗い声に、静かな笑みを浮かべた航悠が紫煙を吐き出す。それを目で追っていると、突然くしゃりと髪をかき乱された。

「……っ。……おい、やめろ」

「あんま怖い顔すんなよ。眉間に小じわができるぜ」

「馬鹿、髪がからむだろ…! というか煙管、危ない!」

「お、悪ぃ」

 危うく火種が触れそうになり、雪華は慌てて航悠から離れた。睨みつけると、悪びれずにニッと笑われる。

「私に小じわができたら、その大半の原因はお前だ」

「俺に苦労させられてるってことね。いやー、男冥利に尽きるな」

「……馬鹿か」

 いつもの調子で笑う航悠を一瞥いちべつすると、雪華は自室へと引き上げた。


 斎とシルキアの関係は、悪化の一途をたどっているように思える。それをどうこうするすべも、何かを言う権利も自分にはないが――どこか、非常に嫌な予感がする。

 得体のしれない不安を抱きながらも、日々は進み。任務をこなしているうちに陽連は祭りの日を迎えた。



「姐御! 行ってきやすね! 土産買ってきますんで待ってて下さいね!」

「うるっせえぞ梅猿! 行くならとっとと来やがれ。てめえが場所分かんねーとか言うから、わざわざ連れていってやるんだろうが。ったく、なんで俺が……」

「お前こそうるせーよ竹ギツネ! 藍良の姐御にフラれたのをオレのせいにするんじゃねー!」

「フラれてねぇよ。向こうが稼ぎ時だってんだから仕方ねぇだろ。てめえと一緒にすんな」

「それって、ただの断り文句じゃねーの? けけっ」

「てめえ……」

 ぎゃあぎゃあとわめきながら、梅林と青竹が酒楼から出ていった。梅林が異国の美女による曲芸だが何だかの催し物を見たいと言って、青竹を付き合わせたのだ。
 普段は犬猿の仲の二人だが、さすがに祭りの夜に男一人で街を歩くのは切ないものがあるのだろう。外に出てもうるさいその後姿を、雪華は酒楼の中から見送る。

「やっと静かになったな。これでくつろげる」

「あんた、本当にひどいな……。もう夜だけど、あんたはいつ出かけるんだ?」

「そうだな、もう少し落ち着いてからでも――」

「落ち着いた頃には日付が変わって、お前のお目当てはなくなってると思うぞ。ちょっと見てきたが、結構な勢いで屋台に人が集まってる」

「頭領」

 のっそりと酒楼に戻ってきた航悠が、だるそうな眼差しで通りを見やる。読んでいた草紙を閉じると、雪華と飛路も同じく外を眺めた。人々がさざめきながら、街の中心に向かって歩いていくのが見える。

「屋台が出てんのはもう少し先だ。俺も金取りにきただけだから、一緒に行くか?」

「そうだな……」



※次話から4人それぞれとの祭りの話に分岐します。

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