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十一の月

2、【航悠】豊穣祭

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「……まぁいいか。三十路の男が一人で祭り見物というのも物悲しいからな。一緒に行ってやる」

「それ、そっくりそのまま『妙齢の女』に置き換えて返すぜ。……じゃ、行ってくる飛路」

「あ、はい。気を付けて」

 飛路に見送られて蒼月楼をあとにし、雪華と航悠は屋台が多く出ているという通りまで祭りをひやかしながら歩いた。


「さすがに盛況だな……」

 赤い提灯が吊るされた市街地は、夜が深まるにつれて活気を増してきているように見えた。通りは人でごった返し、流れに沿って歩くしかない。
 雪華たちが普段生活している花街も不夜の街だが、やはり祭りで飾り付けた市街地とはだいぶ雰囲気が異なる。行きかう人の顔には今年も実りを得られたという安堵と満足感が、笑みとなって浮かんでいた。

「なかなかここまでの祭りは大陸を旅していたときもなかったよなぁ。俺も豊穣祭は初めてだが、これほどとは思わなかった」

「そうだな……。でも、いいものだな」

 上を見上げながら歩いていると、酒楼の露台ろだいで談笑する人々の姿が目に入る。そこから視線を転じると、煌々こうこうと照らされた城門と陽帝宮の外朝が遠くに見えた。

「……城もこの夜ばかりは明るく見えるな」

「豊穣祭の日と元日は、夜通し松明たいまつを燃やすんだって聞いたぜ。もう少ししたら皇帝の祭祀が始まるらしいが……どうする、行ってみるか?」

「いや……別にいいよ。興味ない」

「そうか」

 昔は自分も、その祭祀に臨席していた。それを航悠に話すことはできないが、気持ち沈んだ声音を航悠は特に気には留めなかったようだ。

「上見ててもいいが、はぐれるなよ。探すのが面倒だ」

「子供じゃないんだ。はぐれたところで、どうということもない」

 からかうような航悠の言葉に、雪華は溜息で返した。だがふと妙な状況に気付き、考える。これだけ混み合っているのに、特に歩きづらさを感じないのだ。
 その理由は、すぐに分かった。……航悠だ。長身の男が人波をかき分けていれば、その背後にいる雪華が歩きやすくなるのも道理だ。

「その図体も、たまには役に立つんだな」

「だろ? 褒めてくれよ。でもはぐれるのはマジで面倒だから、こっち来い」

「うわ…っ。……おい」

 明るく笑った航悠が、雪華の手を強く引いた。はずみで体が傾き、その広い背に顔がぶつかる。

「はい捕獲。……お前なに赤くなってんの。手ぇ繋いだぐらいで赤面するようなタマじゃないだろ」

「痛いぞ。お前が急に引くからぶつかったんだ。なんなんだその背中、柔らかみのかけらもない」

「あったら中年太りの始まりだろ。男の背中なんてこんなもんだ。知ってんだろ」

「それは……まあ、それなりには。いくつだと思ってる」

 ぶつかった額を押さえながら答えると、航悠が鼻で笑う。雪華の手を引いたまま、航悠は目を閉じて笑った。

「ふ……可愛げのない女。そこは嘘でも『知らない』って言っとけよ。そうすりゃモテるぞ」

「もう十分だ」

「はん。そういやお前の昔の男に、闇討ちされそうになったこともあったな。返り討ちにしたけど」

「それを言うなら私だってお前の相手に平手打ちされたことがある。軽めにしかやり返してないけど」

「それでもやり返すのかよ。容赦ねぇな、おい」

 いつものような軽口を叩きながら、航悠がずかずかと道を進んでいく。相変わらず手は握られたままだ。
 男の背中の感触は知っている。手を繋ぐのよりもっと密接に、肌を重ねたりもした。それでも――何か、妙に気恥ずかしい気持ちになるのは歳のせいだろうか。
 この女好きの化身のような男とこんなささいな触れ合いをしていること自体が、何かおかしいような気がする。手を引かれながら、雪華はなんとも言えない気まずさを感じていた。

「んで? 甘味、見に行くのか?」

「いや……よく考えたら夕食もまだだし、あとでいい。とりあえずどこかに入って食事と酒だ」

「了解。んじゃちょっと奮発するかね」


 二人は蒼月楼よりも少々上等な…といっても大したことはないぐらいの酒楼に立ち寄り、食事を済ませた。
 ほろ酔い気分で雑踏に戻り、甘味を物色する。すると道の片隅に出ている露店にふと興味を引かれ、雪華は足を止めて覗き込んだ。

 そこは、宝石商の露店のようだった。大きな台の上に所狭しと耳環じかんやら首飾りやらが並べられ、光を放っている。
 身を飾ることにはそうこだわりのない性質たちだが、自分も一応は女のはしくれだ。こういう装飾品に興味がないわけではない。値段もそう高くないし、一つ買って帰るのもいいかもしれない。雪華が並べられた装飾品を物色していると、店主が目敏く寄ってくる。

「装飾品か。……お、意外にいいモン揃ってんな」

「ええ、もちろんですとも。この時期だけは赤字覚悟です。どうですか、男前な旦那。奥方に一つ買って差し上げては」

「……奥方」

 ……やはり、はたから見ると今の自分たちはそう映るのか。
 雪華は急に、繋いだ手を離したくなった。だが航悠は逆に面白がるようにこちらに身を寄せ、露店を興味深げに覗き込む。

「奥方だって。……じゃ、奥様。店主もこう言ってるし何か買ってやるよ。何がいい?」

「いや、私は……」

「いいから。希望がないなら俺が決めるぞ」

「お手伝いいたしましょう。こちらの紫水晶などいかがでしょう? 奥方の白い肌に映えるかと――」

「いいけど、ちょっと弱いな。もう少し色味の強い奴が――」

「…………」

 惑う雪華をよそに、男二人が勝手に商談を始めてしまう。
 こうなったら、この男を止めることはできない。雪華は諦め半分でぼんやりと雑踏を眺めることにした。


「――お待たせ。行くぞ」

 そして数分後。硬貨の音と航悠の声に、雪華ははっと我に返った。店主から品物を受け取った航悠が再び雑踏へと歩き出す。それに引かれ、雪華も足を踏み出した。

「何を買ったんだ」

「ん。……耳出せ」

「……?」

 人通りの少ない路地で立ち止まると、航悠はおもむろに雪華の髪をかき上げた。長い指がツ…とあらわになった耳たぶをなぞり、その感触に肌が粟立つ。

「……っ。……お前な、触ってから宣言するな」

「お、耳弱かったっけか。悪いな」

 まったく悪いとは思っていなさそうな顔で言い放ち、航悠が器用に雪華の耳環を外す。そのあと片耳に金属が貫き通される感触がして、他人にされたことがない行為に眉をひそめた。

「いったい何なんだ……」

「ん、これ」

 航悠が、もう片方の耳環を雪華に示す。二本の指に挟まれたそれは、細工が施された金の台座に赤い石が乗っていた。それを祭りの明かりに照らしてみて、雪華は思わず目を見開く。

「お前、これ……紅玉ルビーじゃないか…!」

 赤い石は、自分の目が間違っていなければ紅玉のはずだ。……つややかに光る真紅の石。金剛石ダイヤモンドほどではないが、決して安い宝石でもない。

「馬鹿! 私なんかにこんな高価なものを買ってどうする……!」

「どうもしねぇよ。別に、買いたかったから買った。それが一番お前に似合うと思ったし、買い得だった。それだけのことだ」

「それだけって……」

 なんでもないことのように笑うと、航悠がもう片方の髪をかき上げ先ほどと同様に耳環を付け替えた。左右揃った耳を見て、満足げにうなずく。

「これでよし。……気にすんな。無礼講ってことで」

「それ、使い方ちが――」

「――よう、お二人さん! 路地裏でいちゃついちゃって羨ましいねぇ、このぉ」

「……?」

 突然、路地に馬鹿に明るい声が響き渡った。見ると、顔を赤くした男がニヤニヤとこちらを眺めている。

「ホラそこでぐーっとさ。かましちゃいなよ男前の兄ちゃん。なんだったら俺が見ててあげるぜ~」

「…………」

 ……完全に酔っ払いだ。陽気な男はけたけたと笑い、持っていた酒瓶を口に含む。無言でそれを見ていた航悠は雪華に向き直ると苦笑して肩をすくめる。

「期待して見学してくれるみたいだが……どうする。やってくか?」

「何をだ。……行くぞ」

 いまだ耳に触れていた航悠の手を叩き落とすと、酔っぱらいを無視して歩きはじめる。すると、その手を再び航悠が握った。

「……おい」

「いいからいいから。無礼講ってことで」

「…………」

 握られた手、そして触れられた耳たぶが熱い。
 きっと、さっき飲んだ酒のせいだ。自由な方の手で耳に触れると、硬い耳環が先ほどの言葉を思い出させる。

 おそらく本当に、航悠にとっては大した意味もないことなのだろう。付き合いのある女たちに贈り物をするのと同じように、気が向いたから買った。ただそれだけのことなのだろう。
 それでも――似合うと言われれば、嫌な気持ちがするわけはない。値段はどうあれ、自分のために買われたものを無下にもできない。……つまり、嬉しかった。

「……雪華、お礼は? お返しはいらんが、礼もできないような女に育てたつもりはないぞ」

「お前に育てられた覚えはないぞ……」

 手を引いて歩きながら、航悠が小さく笑う。その背に向かい、雪華は溜息とともにつぶやいた。

「……ありがとう」

「どういたしまして。気にすんな」

 肩を揺らして笑った広い背を、雪華はもう一方の手で小突いた。




 その夜――陽連郊外の貴族宅にて、第二の爆発事件が発生した。

 今回もまた威嚇目的だったようで、死者こそ出なかったものの、怪我人が何人も出たとあとから伝え聞いた。
 やはり下手人は分からず、ただその被害者の貴族が皇帝擁護派だったことが、前回の事件との共通点だった。

 これ以降、陽連では「皇帝と親しい貴族が狙われる」という噂がまことしやかに流れ、貴族は表立って皇帝をかばうことを避けるようになる。

 そんな未来を予測することができるはずもなく、その夜雪華は深夜まで続く街の喧騒をものともせずに、深い眠りについていた。

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