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飛路編
12、昔日の願い
しおりを挟む夜、飛路は暗い道を暗澹たる想いで一人歩いていた。
日中に聞いた爆音は、やはり組織の仲間たちによるものだった。
現場に駆けつけてもすでに誰もいなかったが、根城の酒楼で「擁護派の馬車をやった」と園来が得意気に話しているのを聞いてしまった。
(……いきすぎてる)
最近の仲間たちの行動には、飛路も眉をひそめるものがある。皇帝擁護派と名のつくものすべてを敵とみなし、無差別に攻撃を仕掛けているような状態だ。
少し前までは、こんなことはなかった。
周到に計画を練って、多くの人に動揺を与えられるものでありながらも人を傷付けることは極力避けた。ゆっくりと胡朝への不信感を煽れればいいと思った。
それが今では、急いているかのように――いや、まるで力に酔っているかのように、襲撃の回数が増えている。
……危険だ。このままでは自滅する。
シルキアと繋がり、資金繰りが整ったことでおごりが生まれたのだろうか。飛路が性急な活動を非難しても、仲間たちはほとんど聞く耳を持たない。
『利用されてるだけだ。餌を与えてるつもりが、いつかは猛獣に踏み込まれて擁護派、反乱軍ともに食い荒らされるぞ』
いつかの雪華の言葉を思い出す。
……分かってる。言われなくとも、分かっている。それがおそらく真実であることを、飛路ももう気付きはじめていた。
迷いが生まれたのは、雪華に組織のことが知られるより前からのことだ。小姓として潜入した宮廷で政治のあり方を間近に見て、飛路の心は揺らいだ。
胡朝にだって、この国のことを真剣に案じている官吏が大勢いる。ましてシルキアとの情勢が非常に切迫している今、自分たちがそれを煽るようなことをして国は本当に良くなるのかと飛路は迷った。
自分たちが今していることは、国の平穏とは逆行することではないのか。もっと他に、できることがあるのではないか――そう思い始めていた。
その想いに拍車をかけたのが、雪華の存在だ。
(あの人は……玉座につくことなんて、望んでない)
当初の目論見はまったくの勝手な推測だったと、いい加減飛路にも分かるようになってきた。
彼女はそれを望んでいると思っていた。けれど実際はこれほども望んでいないのだと、ようやく理解できるようになった。それは、短いながらも同じ時を共有してきたから。
暴動が嫌で、戦が嫌で、国が荒れることを厭う。胡朝のはたらきを、彼女なりに認めている。……それはたぶん、正しい。
民を思うのなら、彼女の考えは至極まっとうなものだ。今の自分たちよりも、よほど。
(でも……)
目を閉じ、思い返す。ならば、長年積み重ねてきた忠義の想いは――どこにやればいいのだろう。
『――父上、父上! 剣のけいこ、してください!』
『またか? 朝もしたじゃないか』
『でもぼく、うんと強くなりたいんです! 父上みたいに、へいかを早く守りたいんです』
『……そうか。だが、主上をお守りするのは私の役目だからな。お前は皇太子や皇女をお守りすることになるだろう。お前の方が少し年は下だが、なに、すぐに気にならなくなる。……お前は自慢の息子だ。いつか、天下一の将軍になるだろうな』
『本当ですか? じゃあぼく、姫さまをお守りしたいです! すっごくかわいいって父上、前に言ってましたよね』
『はは……飛路はずいぶんマセているな。姫のお側に仕えるのは大変だぞ? 有望な幼馴染がすでにいらっしゃるからな』
『う……でも、がんばります。ぼく、姫さまのしょうぐんに絶対なります!』
『そうか、期待しているぞ』
「…………」
父親の大きな手の感触を、今でも覚えている。
……幼い憧憬と、未来への期待。それを捨て切れずに、この歳になってしまった。
だがそれは飛路を生かし、育ててきた思いだ。それを捨てることもまた飛路には難しかった。
彼女に――仕えたかったのだ。だが、彼女はそれを望んでいない。
「オレ……どうしたいんだろう……」
役目と、昔日の願いと、彼女の存在。どれかを選べばどれかを失う。すべてを得ることはできない。
玉座に押し上げることも、不可能ではないかもしれない。そうすれば彼女に仕えることができる。けれどそれは、今の彼女の想いを踏みつぶすことに他ならなかった。
「……ただいま」
「あ? あー、お帰り」
蒼月楼に戻ると、青竹が一人で晩酌をしていた。もともと糸のような目が酔ったことでさらに細まり、それで本当に見えているのかという気になる。
わりと…いやかなり適当な男だが、この同僚のことは嫌いではない。なんだかんだで頭がいいし、何より梅林みたいにうるさくないのがいい。
「またヤケ酒? 藍良さんにフラれたのかよ」
「うっせ。つーかフラれてねーよ。行ったら接客中で会えなかっただけだっつの」
青竹は、薫風楼の妓女である藍良に惚れている。しかも結構本気らしい。
一番人気の妓女のところに通うとなると相当な金がいるものだそうだが、床入りのない昼に挨拶程度に顔を見るだけなら、そうでもないらしい。
ひと月に一度顔を見られればいい方で、一度も抱いたことのない妓女。そんな相手を、青竹はずっと想い続けている。
「こう言っちゃなんだけどさ……あの人、妓女だろ? しかも超人気の。そういう人を想い続けんのって、ちょっとつらくない?」
「あ? どーいう意味だよ」
「ごめん、藍良さんを見下してるわけじゃなくて。いつもそばにはいられない……てか、他の男に抱かれてる人をずっと好きでいつづけるのって、なんかすげーなと思って……」
飛路の言葉に青竹が細い目を開く。酒でわずかに赤らんだ顔で、同僚はにっと笑った。
「分かってねーな、これだからお子チャマはよ。……そりゃ俺だって、あの人のこと抱きてーよ? 金があんだったら妓女やめさせてーよ」
「え。なら――」
「でもな、あの人、なんか生き生きしてんじゃん。ってお前会ったことねーか。まぁいいや。とりあえず、シケた顔とか見せね―ワケよ」
「……そうなんだ」
「でも、女が男に抱かれて稼いでんだ。笑ってても色々参っちまうことだって、そりゃあんだろうよ。それでもそういうの隠して、あの人が頑張ってんの見ると、なんかこう、な。俺もちったぁ頑張んねーと、って気になる。いつの間にか抱きたいとか超越して、あの人の顔見ることが目的になっちまってんだよなぁ。いや本音は抱きてぇのも変わんねーけど」
「…………」
……純愛だ。ひねくれた男の、清々しいばかりの思いのたけにこっちが赤くなった。飛路は青竹をまじまじと見つめ、感嘆した声でつぶやく。
「あんた……すげえ。今初めて尊敬した」
「初めてかよ!」
「うんごめん。いやでも、マジでちょっと感動した」
相手に負の側面があることを重々知っていながら、そのありのままを想い、かつ自分の糧としている。自らの足元すら不安定で、しかも航悠にほの暗い嫉妬まで抱いている自分とは次元が違う気がした。
自分よりも数歩先に進んだ場所にいる青竹に、飛路はごにょごにょと問いかける。
「……あの、さ……、この際だからあんたにちょっと聞いてみたいんだけどさ」
「ンだよ」
「女の人がその、強引に口付けられたりして……でもそのあと、続きをしてもいいって言うのって……どういう意味だと思う?」
「……はぁ?」
飛路の言葉に青竹はぽかんと口を開いた。数拍ののち、呆れたように告げる。
「どういうって……そのままだろ。いつでも来い来い、あはーんって感じ? つーか据え膳だろ。食わなきゃむしろ失礼」
「失礼なのか!?」
「たりめーだろ。俺ならつつしんで頂く」
「その……藍良さんじゃなくても?」
「それとこれとは別。そこで抱かなきゃヘタレだ。……つーかお前、まさか副長に――」
「えっ!? いやオレじゃなくて――」
ふいに険しくなった糸目に飛路は声をひっくり返らせる。だが青竹はへらりと笑うと、ないないと手を振った。
「んなワケねーよなー。無理やり口付けたりなんかしたら、確実に鉄拳制裁だよな。生きて帰れねー」
「はは……。……ん…? なんでそこで、雪華さんが出てくるわけ?」
「あ? だってお前、副長に惚れてんだろ? どっからどう見てもバレバレじゃん」
「…っ!?」
「まー副長には頭領がいっから、攻略はだいぶ厳しいと思うけどさ。あの人の態度見る限り、そこそこ見込みもあると思うぜ? ……ま、頑張れ若造」
さらりと看破され、飛路の頬に今度こそ朱が上った。気にも留めない様子で話を締めた青竹に、飛路はおそるおそる問いかける。
「……やっぱり、厳しいと思う?」
「ま、ぶっちゃけそうだな。副長や頭領本人がって言うよりも、もしくっついたとして、そのあとであの二人の関係を許容できるかって方が問題じゃねぇ? あんだけ自然にベタベタされるとなー」
やはり他の仲間の目から見ても、あの二人の距離感は特殊なのか。飛路が肩を落とすと、青竹はにやりと糸目を笑ませる。
「ま、俺みたいに海のような広い心を持つことだな」
「なんか、すっげえヤだけど……一応忠告として聞いとくよ。ありがと」
階段を上って自室に入ると、同室の梅林は任務中なのか留守だった。もう一人の同室者である青竹は酒楼に残してきたため、しんとした部屋で飛路は寝台に腰掛ける。
「……はぁ。そこそこ見込みもあると思う……かぁ」
『お前はいい男だ。その男に好かれて、たぶん……嬉しかったんだ』
あの雨の小屋での、雪華の冷たい肌と鏡越しの視線。
『お前のことを、受け入れたいとは思っている』
そして組織の暴走に戸惑う自分に向けられた、まっすぐな声。
(……嬉しかったのに。びっくりするぐらい、嬉しかったのに)
素直に喜べない。それは自分が、迷っているから。
……選択しなければいけない。何を選び、何を捨てるのか。
雪華に貰った帯を掴み、飛路はじっと虚空を眺め続けた。
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