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しおりを挟む奴隷だった子どもが突然貴族令嬢として生きるのは、大変な苦労だっただろう。まだまだ未熟と言える部分も多いが、ニーナから秘密を聞かされなければ、ヘンリーは彼女にそんな事情があることなど見抜けなかった。生まれながらの貴族令嬢に見えるよう、ニセモノだとバレないよう、違和感を抱かせないようにするのは難しいことだ。それだけニーナが努力してきたという証だった。
「私がもっとがんばらないと、お父さまにお花も受け取ってもらえない。私がもっとがんばらないと、あのお花みたいに、きっといつかもういらないって私も捨てられちゃうんだわ。私がもっとがんばらないと、……私がっ、…………いっぱいがんばってるのに……っ」
うるっ、と金色の大きな瞳が濡れる。
透明な雫はあっという間にまろい頬を伝い落ちていった。
ヘンリーはその瞬間、自分だけ時が止まったかのような錯覚に陥った。
ニーナは鼻の頭を真っ赤にして顔をぐしゃぐしゃにしながらも、嗚咽を堪えて泣いている。
ニーナのその泣き顔を見た途端、ヘンリーの胸に得も言われぬ感情がこみ上げた。胸元をぎゅっと掴むと、ドクンドクン、と聞いたこともないくらい心臓が早鐘を打っている。
――なんだこれは。
(すごく……すごく……かわいい!)
パーティーのときはあんなに不遜な態度だったくせに、本当は父親に少し冷たくされただけで泣いてしまうような打たれ弱い少女。ニセモノの両親に愛されたくてたまらないのだろう。なんて健気で、哀れで、かわいそうで、かわいい。
女の子の泣き顔に興奮しているだなんて、我ながら最低だと思うけれど、ヘンリーはニーナのギャップのある姿に胸をがっしりつかまれてしまったようだった。
ニーナを今すぐに、自分だけのものにしてしまいたい。
ヘンリーは、自分の中にも人並みの感情があったことに驚いていた。これまで何に対しても執着を持てず、興味を惹かれる事柄もほとんどなかったというのに、心臓が破裂してしまいそうなほどときめくものに出会えただなんて運命としか言いようがない。
感動に打ち震える心を隠したまま、ヘンリーはおそるおそる手を伸ばしてニーナの頭を撫でた。慰めのつもりだったが、ニーナに強い力で振り払われる。「もっとがんばらないといけない」と自分に言い聞かせているような子だから、同情されることも、弱いところを他人に見せることも嫌なのだろう。
でも、ずっとそんなふうではいつか心が壊れてしまう。
今度はそっと抱き締めてみると、胸をドンドンと殴りつけられた。遠慮のない拳は少し痛かったけれど、ニーナの心の痛みを分かち合ってあげられているようで悪くない気分だ。
(ああ、そうか。僕が全部受け止めてあげればいいんだ。ハイデル公爵家以外で僕だけが、ニーナの秘密を知っている。だから僕だけが彼女の拠り所になれるはずだ。弱音を打ち明けられる相手もおらず、誰からも認められない、誰からも愛されない彼女は今、とてつもない孤独を感じているだろう。そんな環境で唯一、僕だけが、彼女の秘密や弱さを知っても尚、それでもすべて受け入れたとしたら、ニーナはきっと僕という沼にずぶずぶとはまっていき、いずれは抜け出せなくなるんじゃないだろうか。ハイデル公爵は彼女を皇后にしようと画策しているようだが、それは僕が裏から手を回せばどうとでもなる)
ヘンリーは、ニーナを抱き締めて離さなかった。胸を叩く力がだんだん弱くなっていく。
「君はとてもがんばってる。君はすごいよ。えらいえらい。誰もわかってくれなくても、誰も認めてくれなくても、僕が見ていてあげるからね。つらいことや悲しいことがあっても、悔しい思いや、むしゃくしゃする気持ちも、僕が全部受け止めてあげる」
ニーナはやがて、うわーんと声を上げて泣き出した。ずっと我慢していたのか、しばらく泣きやまなかったが、ヘンリーはニーナの涙が枯れるまでずっと抱き締めていたのだった。
◇◇◇
そうして、ことあるごとに「僕が全部受け止めてあげるよ」と甘やかしてきた結果が今である。試し行動のように、ニーナがヘンリーへぶつける行為はエスカレートしていった。しかしヘンリーは、ニーナから散々な扱いをされればされるほど、得られる満足感が増していった。
どんどんニーナが素を見せてくれるようになっていく。ヘンリーだけしか知らない表情が増えていく。何かあればヘンリーのもとに憂さ晴らしにやってくるようになり、ニーナが自分だけに弱みを晒してくれることが、とてもうれしかった。
最初は、ニーナの気持ちの受け皿になってあげることだけで満足していた。だがヘンリーはいつしか、ニーナが他人に泣かされることはおろか、他人に感情を動かされること自体に不満が募っていった。独占欲が育っていった、と言い換えてもいい。
はじめの思惑どおり、ニーナはすべてを受け入れるヘンリーにずぶずぶとはまっていった。しかしヘンリーのことは、いつまでも都合のいいオモチャ扱いだ。
どうしたらニーナも同じ気持ちになってくれるだろうか。
ニーナはずっと誰かから愛されたがっているのに、どうしてこんなにも彼女を愛しているヘンリーには「愛して」と言わないのだろうか。
それがヘンリーには不思議でならなかった。
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