久遠の呪祓師―― 怪異探偵犬神零の大正帝都アヤカシ奇譚

山岸マロニィ

文字の大きさ
18 / 92
第参話──九十九ノ段

【壱】竜睡楼

 ――大正十年、桃の頃。

 犬神零いぬがみ れいは、斜面に横たわるように連なる建物を見上げていた。

 ――料亭・竜睡楼りゅうすいろう

 著名な歌人が、「竜の微睡み」とたとえた事から、その名が付いたとされる。
 こんもりと茂る山肌に埋まるように、点々と建つ和風建築。
 それらを繋ぐ階段はつづら折れとなり、起伏のある斜面に貼り付いていた。

 『九十九段つくもだん』。
 文字通り九十九段あるとされる、竜睡楼名物の階段である。瓦葺きに洒落た窓を配した壁に覆われ、その内部は窺い知れない。

 時は、夕刻。

 薄らいだ初春の日差しが、瓦屋根を黒々と鱗のように照らす。
 だがそれは、犬神零にとって、風雅な竜の姿には見えなかった。

 ――蛇。

 開け放たれた玄関から、九十九段の入口が覗き見える。
 それが、牙を剥いて口を開く大蛇の、喉奥に並ぶ肋骨のように、彼には見えた。
 獲物を待ち構え、虎視眈々こしたんたんと睨み下ろす大蛇。
 その中へ飛び入らねばならないというのは、つくづく己の運命さだめが嫌になる。

 かと言って、「逃げる」という選択肢は、彼には残されていなかった。

 ――彼の『主』は、それを決して許さない。

 玄関に明かりが灯る。前庭の灯篭に灯が入り、咲き誇る桃の花をあでやかに照らした。
 打ち水のされた石畳に明かりが反射し、刻がなまめかしく彼を導く。

「……さて、行きますか」

 零が独り言を呟くと、隣で声がした。
「そうね」

 その返事に目を丸くしてそちらを見れば、クロッシェ帽を目深に被った椎葉桜子しいば さくらこが軽く微笑み、数寄屋すきや門へと足を踏み出した。

 ――長い夜の、はじまりである。


 ◇


 そもそも、犬神零のような万年金欠の男が、竜睡楼のような高級料亭に向かう理由は、当然、仕事である。

 ――『犬神怪異探偵社いぬがみかいいたんていしゃ』。

 神田明神を臨む裏路地。下町風情漂う中で異彩を放つ、煉瓦造りの洋館。
 その外階段を上がった二階の一室を、彼は探偵事務所として間借りしている。

 そこへ依頼人がやって来たのは、三日前だった。
 応接の長椅子に座るなり、彼女はこう訴えた。

「主人を探して欲しいんです」

 彼女は、おえいと名乗った。結髪に銀細工のかんざし、大きな柄の小紋を洒脱に着こなすさまは、水商売をしているのではなかろうかと、零は思った。

 彼は向かいの長椅子に腰を下ろし、悩ましい表情の依頼人と顔を合わせた。
「それは、ご主人が失踪なさった、という意味ですか?」
「えぇ。主人の知り合いや警察にも相談したんですけど、らちが明かなくて」
 お榮は疲れ果てた表情で目を伏せる。

「それはお気の毒に。……どうぞ」
 事務所の雑用係をしている椎葉桜子が、応接テーブルに湯呑と茶菓子を置く。
 断髪ボブに、春らしい若草色のワンピースという姿。モダンガールも大分板に付いてきた。

 お榮は気分を落ち着けるように湯呑に口を付けた。
「ご主人は、どんな方なんです?」
 桜子の問いに、お榮は顔を上げた。
鱒三ますぞうといいます。絵描きの卵です。……籍にはまだ入ってませんけど。彼の絵、売れなくて。私が養ってました」
「それで、失踪されたのはいつ?」
「十日前です。……赤ちゃんができたと伝えた日の夜の事だから、よく覚えてます」
 言いながら、お榮は腹を撫でる。
「彼も喜んでいました。これからもっと頑張らなきゃ、って。なのに、行きずりの女と消えるなんて、有り得ません」
 せきを切ったように、お榮は嗚咽おえつした。桜子はハンカチを渡しながら、背をさすりなだめる。

 その様子を見ながら、零は気まずい顔で首に手を置いた。

 ――子供を育てられる覚悟が持てずに逃げた、と考えるのが妥当だろう。警察が身を入れないのにも得心がいく。
 だからといって、もらい泣きしながらお榮に寄り添う桜子が、それを納得するとは思えない。

「弱りましたね……」
 ボソッと呟き、零は腕組みした。

「それで、ご主人が失踪された時の様子は?」
 もみくちゃにしたハンカチで顔を拭き、お榮は泣き腫らした目を零に向ける。
「画壇のお仲間に誘われたとかで、目黒の料亭に行きました。それっきり、帰って来なくて」
「……ご主人は、確かに、その料亭へ行かれたのですか?」

 その質問に反応したのは桜子だった。
「あなたね、もう少しものの言い方があるでしょ? それじゃまるで、ご主人が自分からいなくなったみたいじゃない」
 予想通りではあるが、食って掛かる桜子を宥めようと、零は愛想笑いを浮かべた。
「いや、そうは言ってませんよ。ご主人がどこで失踪されたのか、その確認ですので」

 するとお榮は、幾分か落ち着きを取り戻した口調で答えた。
「竜睡楼のお座敷までは、確かに、主人は他の皆様と一緒でした。同席された画家の方々や、料亭の仲居にも聞きましたから」
「それから、ご主人はどうされたのです?」
「絵の批評を、画壇の重鎮である篠山栴檀しのやま せんだん画伯からされたようで。……あの方、厳しい事で有名なんです。主人は酷評されたようで、いたたまれなくなって席を立ったとか」
「それから、お座敷に戻られなかったと」
 お榮は鼻をすすりながら、口元をハンカチで押さえる。
「気の弱い人ですから。でも私には、あの人がそのままいなくなるなんて、考えられません」
「…………」
「主人は私の反対を押し切って、竜睡楼に向かったんです。お腹の子のために、画伯に取り入って仕事を貰ってくるって。それなのに……」

 すると、今度は桜子が同情めいた目をお榮に向ける。
「信じたい気持ちは分かるけど、彼の事は忘れて、新しい人生を探すって手もあるわ。まだお若いんだし」
「桜子さん、冷たい人ですね。そう思い切れないから、ご相談に来られたんですよ」
 零がとがめると、桜子は口を尖らせた。
「だって……」
 そう言う零も、桜子に言い返したかっただけで、彼女の言い分は至極真っ当に思えた。状況から、期待の持てる案件ではないと思う。

 しかし、ひとつ気になった。
 零は身を乗り出して、項垂うなだれるお榮に尋ねた。

「――なぜ、ご主人が竜睡楼に行かれるのを、反対されたのですか?」
感想 8

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

初夜に暴言を吐いた夫は後悔し続ける──10年後の償い【完結】

星森 永羽(ほしもりとわ)
恋愛
王命により、辺境伯ロキアのもとへ嫁いだのは、金髪翠眼の美しき公爵令嬢スフィア。 だが、初夜に彼が告げたのは、愛も権限も与えないという冷酷な宣言だった。噂に踊らされ、彼女を「穢れた花嫁」と罵ったロキア。 しかし、わずか一日でスフィアは姿を消し、教会から届いたのは婚姻無効と慰謝料請求の書状──。 王と公爵の怒りを買ったロキアは、爵位も領地も名誉も奪われ、ただの補佐官として生きることに。 そして十年後、運命のいたずらか、彼は被災地で再びスフィアと出会う。 地位も捨て、娘を抱えて生きる彼女の姿に、ロキアの胸に去来するのは、悔恨と赦しを乞う想い──。 ⚠️本作はAIの生成した文章を一部に使用しています。

結婚式の翌朝、夫に「皇太子の愛人だろう」と捨てられました――ですが私は、亡き国王の娘です

柴田はつみ
恋愛
母の遺した薬草店を守りながら、慎ましく暮らしていたアンリ。 そんな彼女に求婚してきたのは、国内でも名高い騎士にして公爵家当主、アルファだった。 真っすぐな想いを向けられ、彼を信じて結婚したアンリ。 けれど幸せなはずの結婚式の翌朝、夫は冷たく言い放つ。 「君を愛していると本気で思っていたのかい? 」 彼はアンリが第一皇太子と深い仲にあり、自分との結婚は身を隠すための偽装だと誤解していたのだ。 アンリは実は、亡き国王の婚外子。 皇太子にとっては、隠して守らなければならない妹だったのである。

【完結】20年後の真実

ゴールデンフィッシュメダル
恋愛
公爵令息のマリウスがが婚約者タチアナに婚約破棄を言い渡した。 マリウスは子爵令嬢のゾフィーとの恋に溺れ、婚約者を蔑ろにしていた。 それから20年。 マリウスはゾフィーと結婚し、タチアナは伯爵夫人となっていた。 そして、娘の恋愛を機にマリウスは婚約破棄騒動の真実を知る。 おじさんが昔を思い出しながらもだもだするだけのお話です。 全4話書き上げ済み。

公爵令嬢は結婚式当日に死んだ

白雲八鈴
恋愛
 今日はとある公爵令嬢の結婚式だ。幸せいっぱいの公爵令嬢の前に婚約者のレイモンドが現れる。 「今日の結婚式は俺と番であるナタリーの結婚式に変更だ!そのドレスをナタリーに渡せ!」  突然のことに公爵令嬢は何を言われたのか理解できなかった。いや、したくなかった。 婚約者のレイモンドは番という運命に出逢ってしまったという。  そして、真っ白な花嫁衣装を脱がされ、そのドレスは番だという女性に着させられる。周りの者達はめでたいと大喜びだ。  その場所に居ることが出来ず公爵令嬢は外に飛び出し……  生まれ変わった令嬢は復讐を誓ったのだった。  婚約者とその番という女性に 『一発ぐらい思いっきり殴ってもいいですわね?』 そして、つがいという者に囚われた者の存在が現れる。 *タグ注意 *不快であれば閉じてください。

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか? そのほかに外伝も綴りました。

娼館で元夫と再会しました

無味無臭(不定期更新)
恋愛
公爵家に嫁いですぐ、寡黙な夫と厳格な義父母との関係に悩みホームシックにもなった私は、ついに耐えきれず離縁状を机に置いて嫁ぎ先から逃げ出した。 しかし実家に帰っても、そこに私の居場所はない。 連れ戻されてしまうと危惧した私は、自らの体を売って生計を立てることにした。 「シーク様…」 どうして貴方がここに? 元夫と娼館で再会してしまうなんて、なんという不運なの!

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。