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ストーカーと冤罪令嬢
矜持(1)
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「ん…」
目が開いた時、初めに映り込んだのは光。おそらくそれは人工的なもので、温かさは感じられない。
次に見えたのは、見覚えのある天井。その景色にはっとした。
「…!」
勢いをつけて起き上がる。
その時に金属の擦れる音がして、息を呑んだ。
慌てて髪に触れる。そこで雨に濡れて軋んだ様子などかけらもないことに気づく。
自分のすぐ下を見れば着ている服が違う。膝も、よく見れば肘も腕も、擦りむいたと思われる場所には包帯がしてあって、治療がされたことなど明白で。
——手首にはまた、手錠がかけられていた。
「…あ、あぁ…」
言葉もでない、出せるわけがない。
強い後悔が、脳をめぐる。
どうして、自分はここに。
(こんな、はずでは)
「!」
不意に入ってきた扉の開く音に目が向いて、そして眺めたそれは静かに閉まった。こちらに歩いてくる革靴の音が静かに、部屋の中に響く。
「あぁ、起きたんだね」
“彼”の声がする。
革靴の音がやけに大きくて、息ができない。
心臓が今にも止まりそうになっている。
背筋が凍って、手が。
手の震えが、止まらない。
「…」
彼がベッドの淵に腰掛ける姿を見開いた目が追っている。そのまま彼はこちらを向いて、滞ることなく口を開いた。
「どうして?」
最初に彼からそう言葉が出る。
「僕がわからないって思ったの?」
だけど自分は声が出ない。
「どうして離れたりしたの?」
答えられないのに、
「答えてよ、リリーナ」
彼の目が、自分を見ている。
「わ、私、は…」
震える唇を動かす頬に、彼の手が触れた。
その振動で髪が一束肩から落ちる。
「私は…」
こんなはずでは、なかったはずで。
ここにはもう帰ってこないと決めていたのに、ここにいては意味がないのに。
どうして、自分は今ここにいる?
ここにいたら結局は迷惑になってしまう。ここにいたら彼を傷つけたことが明らかになってしまうのに。いっそ死んでしまおうと、確かに思って出て行って、それなのにどうして。
(どうしてまた、貴方が私を見ているの?)
「ごめ、ん…なさ…」
なんとか絞り出した言葉は謝罪だった。
こんな思いはしたことがない。罪を被せられたあの日でさえ、こんな感情を抱いたことはなかった。
それなのに目の前の相手を傷つけた後悔が、罪悪感が、胸を締め付け駆け巡る。
「どうして謝るの?」
「…え?」
言葉の意味が理解できなかった。
「貴方がそれを、訊くというの…?」
自分がしたことは明白で、相手を傷つけるもので、責められるはずのことなのに。
(質問にする意味なんて)
触れたままになっていた頬の手が降りて、相手が視線を逸らす。そこからまた伏せ目に自分を見た。
「だって、リリーナは悪いことだって思わなかったから、僕を一人にしたんだよね?」
「…!」
「僕の辛さも、痛みも、喪失感も、恐怖でさえ、君には伝わらなかった」
「違う、そんな…」
「どこが違うの?」
「そ、んな…」
いつからだろう、“彼”の目が酷く虚なのは。
こんなに自分を見ている。瞳は絶対にこちらを向いているのに、見られている気がしない。目があっているのに視線が絡まないのは、いつから?
「君を自由にしても、それでもそばにいてくれるって信じてたのに」
「!」
「君が自由に飛び立てるとしても、もうここにしか場所はないって、わかってくれてると思ってた僕が浅はかだったよ」
「それは」
そして彼は、そっと彼女の両手を取る。
「でもね、僕は逃してあげない。もう翼はもいでしまおうね、ずぅっとここにリリーナがいてくれるように」
「そんな、そんなことは!」
虚な目は微笑う。何も見ていないのに自分に向かって。
「わかってほしいなんて無いものねだりなのはわかってるから、わからないままでいいよ。誰より“君”が好きだから、どこにも行かないでほしいだけなんだ」
「だめ…」
あまりの恐怖に震えた。
そんなこと、認めたくない、と。
「だめですわ…貴方がそんなことをしては…!」
それは確かに温もりだった。何ものにも代え難い、どこにも行かないでほしい記憶。
だから壊さないで、冷たいものにしてしまわないで。
私を好きな貴方でいて。
どれだけ傲慢だと罵られてもいいから、“どこにもいない”私を捕まえようとしないでほしい。
「…リリーナ、リリーナ」
「…?」
「リリーナ、僕は何度だって君の名前を呼ぶから、それに一度返して。一度でいい、ずっと大事にするよ」
「いや…いや…!」
一度だけなんて言わなくていい、そんな悲しいことを言わないで。
名前くらい、何度だって呼ぶから。
「それくらいじゃ飽きられちゃうかもって思うの? ずっと愛してるよ。君が心配する必要なんて何もない、君はずっと僕の光なんだから」
「そうではなくて…」
「君はね、こうやっているだけだって輝かしいんだ。今生きてくれることが素晴らしいんだよ。だからずっとここにいて」
「できない、できないの…っ」
“彼”と自分は対等になれない。それはこのままいつまでも平行線で、そんな中では愛も慈愛も全ては綺麗事でしかなくて。勿論、このまま飼い殺されるなら死んだほうがましだとも思いはするけれど、それ以上に自分のような存在のことをお気楽に考えられるほど馬鹿じゃないから、だからこんなごっこ遊びは終わりにしなければいけないというのに。
愛してない。
まだ愛してないから、浮かれてなんていられないということをわかって欲しいだけ。
早く目を覚まして。全てが手遅れになる前に、自分のようになる前に。
愛してない、貴方のことを愛してないはずだから。
「リリーナ、大丈夫?」
今にも泣いてしまいそうで、俯いてしまいそうで、それでもまだ耐えられる。
そんなに言葉が通じないなら、もうはっきり言うしかないと、彼女は心に決めた。今にもつぐんでしまいそうでも、固い決意で震える唇をまた動かす。
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