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彼女の好きなこと
新しい始まり
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婚約発表からぴったり一週間が経過していた。
今はまだ“Closed”と書かれた札のかけてあるドアの向こうには、この店において錚々たるメンバーが集まっている。
オーナーであるリリーナを始め、職人であるアンムート。それにソフィア、ファリカ、ミソラ…さらに今日はお祝いとしてディードリヒが顔を出していた。
「もう、無理して出席する必要はないと申しましたのに」
困り顔のリリーナにディードリヒは笑顔を向ける。
「そんなわけない。リリーナの努力が実る日なんだからお祝いくらいさせてよ」
リリーナの傍らにある商品棚には大きめの花瓶が飾られていた。それはこの時期には手に入れるのが難しいはずの大きな白百合の花束で、ディードリヒが祝いとして持ってきたもの。
確かにリリーナも店内に花は飾るつもりで花そのものも花瓶も用意していたが、予期せぬ花束に予備の花瓶まで使うことになってしまった。
こういう時、困りはしても“嫌だ”とは思わない自分に、相手に絆されていると感じる。
「まぁその…ありがとうございます」
しかしやや狭い店内なので、照れたように視線を逸らすリリーナと、その姿にご機嫌なディードリヒという二人のやりとりを全員が見ているわけで。
「あの二人っていつもあんな感じなんですか…?」
普段のリリーナからは想像もできない“少女感”にアンムートは驚いてミソラに振り返る。対してソフィアはディードリヒを見て“本物の王子様だ”と目を輝かせていた。
もちろんこの場合のお姫様はリリーナである。
「まぁ、似たようなものです」
たとえリリーナがいつもの調子でディードリヒの変態行為を恐れたところで、側から見ればいちゃついているのには変わりない。
その基準で二人を見てしまうと、形が一般的であるかは別としたところで二人は会えばいちゃついてるようなものである。
「お熱いよね~」
なんて肩を竦めるのはファリカ、何かに遠慮しつつディードリヒに向かって冷たい視線を送る彼女は、やや悔しそうにも見えた。
「なんというか…そうですね」
リリーナの意外な一面を見てしまったよな気になったアンムートは、これ以上考えないようにしようと心を決める。
「やぁ」
そう声をかけられて振り向いた先にいたのはディードリヒ。彼はいつもの通り“仮面の笑顔”でそこにいるが、初めて顔を合わせたアンムートには流石に伝わらない。
(これが本物の王族か…)
アンムートが少し自分より背の高いディードリヒを見ながら、この不思議な出会いに感慨を覚えていると、ディードリヒから差し出された手に少し驚く。
「リリーナがお世話になってるって聞いたから。これからよろしく」
「は、はぁ…」
アンムートはやや気後れしながらも差し出された手に応える。すると少しばかり体を奥に引かれて、ディードリヒが耳元で囁いた。
「リリーナに色目使ってみろ、殺すからな」
そうアンムートの耳に入ってきた言葉を形作る声は、先ほどまでの明るいものと違い氷より余程冷たく感じた。
アンムートは凍りつく背筋に身を固めながら、すぐに耳元から離れて先ほどの笑顔に戻っているディードリヒを目で追うことしかできない。
「リリーナには内緒にしてね」
ディードリヒはそう言って優しく手を離すと、リリーナの方に向かって帰っていった。
アンムートは顔を真っ青にしながら視界に入ったミソラに助けを求め、その姿を見たミソラは大きくため息をつく。
「口がでかいだけなので気にしないでください」
「は、はぁ…」
未だに背中には冷や汗が流れている気がして手が震える。とてもあの声音にミソラの言うような“ただの大口”感は感じなかったが、と。
その後、ディードリヒと挨拶をしてきたのか少し目を輝かせるソフィアに未だ血色の悪い顔色を心配されたが、香水店が始まる緊張感のせいだと慌てて誤魔化した。
妹は“本物の王子様”に目を輝かせている。確かにディードリヒの見た目は物語に出てくる王子のようだと思うと、殊更夢を崩すわけにはいかない。
「さて、開店が近づいていますわね」
そう言ってリリーナは改めて店内を見渡す。
女性だけでなく男性も入りやすいよう意識された店内は清潔感が重視され、しかし華やかさも忘れないよう花も飾られている。
棚に並ぶ商品はリリーナ厳選の逸品ばかり。勿論その中にはリリーナの愛用するお気に入りも含まれているが、やはり目玉はアンムートの作るオリジナル商品だ。こちらは専売商品なので話題性も高いとリリーナは予測している。
リリーナの狙いではアンムートのオリジナル品は季節ごとに入れ替わる期間限定ものや、定番で置かれる商品、両方取り入れ話題に事欠かないようにしたい。
だが実はこの商法を提案したのはファリカであった。
店に置く商品の方向性を談義していた時、「人間は“期間限定”って言葉に弱いのよ」と言ったのはファリカである。
そしてアンムートは王室秘蔵っ子の職人として立場を置かれることになった。
あくまでリリーナのお気に入りなので間違っているようなそうでないような、曖昧なラインだが彼女がディードリヒの婚約者となった今となっては全部が嘘でもないので、この路線で行くことになったのである。
他にも店内にはディアナ直々に描き下ろされた絵画も飾られており、華やかさの助けとなった。
商品は常時二十~三十点をベースに置かれることになる予定で、今後の展開次第では商品数の増加も期待したいところである。
「ここまで長かったですわね…」
リリーナはこの長いようで短い期間を逡巡した。
ディアナの一言で始まったこの騒動は、ある意味リリーナがアンムートの香水と出会った頃には始まっていたと、彼女は思う。
リリーナの熱意の中、ここに含まない者も含めてたくさんの人間が関わることで今日があると思うと、期待と同時に背筋の伸びる思いだ。
「おめでとう、リリーナ」
最初に彼女に声をかけたのはディードリヒ。
「おめでとうございます、リリーナ様」
「おめでとう、リリーナ様!」
二人の侍女からも温かい言葉がかけられる。
「今日から改めてよろしくお願いします」
「今日はパーティにしましょうね!」
アンムートは誠意を新たに、ソフィアは心から喜んでいる様子だ。
「皆さん…ありがとうございます」
微笑むリリーナ。ディードリヒはどこかからか取り出した写真機で彼女を撮るのを忘れない。
「そういえば、工房スペースに不備はなかったかしら?」
リリーナはアンムートを見る。
「今日までに何度も使っていますが、特に問題は感じませんでした。設備が良くて驚きましたけど…」
アンムートは自ら育てたり、仕入れてきたもので精油を作るところから香水を作る職人だ。今までは家で手作りの道具を使っていたが、やはり専用の機械とは明らかな違いが出る。
「それは良いことでしてよ。安心しました」
「私も手伝い頑張りますね!」
不敵に笑うリリーナに向かって張り切った声をかけるのはソフィアだ。リリーナは自分より少し低い彼女の頭を撫でると、今度は優しく微笑む。
「えぇ、期待していますわ。お兄さんをよくお支えしてくださいね」
「はい!」
ソフィアは主にアンムートの助手となる。
元々の話ではソフィア自身販売員をやりたいと言っていたのだが、彼女が一人で表に立つのは危ない、緊急時に対処し切れると言い難い、という理由で別途従業員を雇うこととなった。
貴族が全員善人とは限らないということである。
「リリーナ様、そろそろ本当に時間だよ」
ファリカの声に、リリーナが反応して時計を見ると、もう開店時間まで五分と迫っていた。
「時間は早いですわね」
「もうすでに待機されている方もいます、多少お早い分には問題ないかと」
「雇った方は敢えて遅れてくるよう言ってありますし…では初めはオーナーである私自ら出迎えましょう」
そしてリリーナは高らかに宣言する。
「香水店『ヴァイスリリィ』、開店ですわ!」
続
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