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王太子と辺境伯
狩猟会にて(2)
しおりを挟む「これを貴女に」
この一言に周囲は騒然とした。
これこそまさに“愛の捧げ”であって間違いない。
そしてキジを差し出したその男は、正にこのグレンツェ領の領主であるラインハート・グレンツェであった。
正直言ってリリーナとしては突然のことに驚いているのを顔に出したい気持ちでいっぱいだ。しかしここで揺らいではいられない。嫉妬深い彼のことだ、揺れてしまったらまた心配をかける。
なので、リリーナは即座に、表情を変えず、
「お断りします」
とだけ返した。
その隙のない言葉にラインハートは「残念」とだけ述べて肩をすくめながら立ち上がる。
「キジでは足りませんでしたか?」
「いいえ。そういったことではありません」
「では丸く太った七面鳥では如何でしょう?」
「…貴方の望みは何かしら」
先の見えないやりとりにリリーナは眉を顰めると、ラインハートは不敵に笑う。
「俺は貴女が欲しい」
「…」
意図の読めない言葉だ。かと言って好意的に返すつもりもない。
周囲は酷くざわついている。無理もないだろう、リリーナはすでにディードリヒとの婚約を済ませた仲なのだから。それを公衆の面前で奪い取ろうなどと、とても正気の沙汰ではない。
「貴様! 何を言うか!」
ディードリヒが耐えきれず前に出る。その形相はとても人のそれとは思えず、強い怒りに満ちてやまない。
だが、リリーナは見た。そんなディードリヒを見たラインハートが、不敵に笑ったのを。
「はい、殿下。ですが俺は彼女に一目惚れをしてしまいました」
ラインハートは敢えて熱を持たせたような視線でリリーナを見る。その視線を見たディードリヒが一歩前へ踏み出して、
「お待ちになって」
リリーナの一声がこの場を黙らせた。
声に反応した観衆とも言える人々の全員がリリーナを見つめる。
「私の意見を無視しないでくださる?」
リリーナはディードリヒの腕に手を添え、ラインハートを見た。
「私がディードリヒ殿下以外を選ぶことはありません。お断りしますわ」
射抜くような金の瞳がラインハートの銀の瞳を押し返す。それに負けたと言わんばかりにラインハートは再び肩をすくめた。
「残念だ。ただ俺は諦めません、必ずや貴女をいただきましょう」
「…首を落とされたいようだな」
強く睨みつけるディードリヒに対して、ラインハートはやや余裕の表情を見せる。
「他国との国境を代々守ってきたグレンツェ家をそう簡単に潰すことはできないように思いますが」
「やり方などいくらでもある」
「ではやって見せればいい。その前に俺は彼女を奪いましょう」
「貴様…」
感情だけならばもう殴りかかってもおかしくないディードリヒが耐えてるのは、立場もあることにはあるがリリーナがいるからである。この場で暴れれば彼女に危険が及びかねない。いくらミソラがついているとはいえ、何かがあってからでは遅いのだから。
そんな感情と理性の板挟みになっているディードリヒの袖をそっと引くものがいた。ディードリヒがそちらに視線を向けるとそこにはリリーナがいて、彼女は“大丈夫だ”と言いたげに真っ直ぐな視線を向ける。
「殿下、このような輩に構っている暇などありませんわ。狩猟会も殿方のお帰りで晩餐のみとなりますし、一度テントに戻りましょう」
リリーナはそうディードリヒに優しく語りかけながらラインハートを強く睨んだ。ただでさえリリーナが関わると不安定なディードリヒの神経を安易に逆撫でしてくるなど、正直に言って勘弁してほしい。
ディードリヒを誘導するようにして侍女二人とテントに向かうリリーナがラインハートにちらりと視線を向けると、彼は不敵に微笑みこちらに頭を下げていた。こちらを弄ぶような態度の彼の胸ぐらを掴んでやりたい気持ちを抑えつつ、リリーナは視線を背ける。
***
テントに戻ってもディードリヒの機嫌は収まらなかった。
テント内の椅子に腰掛け、脚を組む彼の表情が強い怒りに歪んでなければ、それはそれで優雅な光景だったのだが。
「…」
相変わらずディードリヒの機嫌は怒りと不安、焦りと憎しみに覆われている。男性があからさまにリリーナに関わった時の彼はいつもこう、といえばそうだが、彼女の故郷を含め今までリリーナに直接アプローチをかけてきた人間はいなかったので、どこかで油断していたのかも知れないと彼の内心は自身を責めているようにも見えた。
「…殿下ってリリーナ様が男の人と会うといつもこうなの?」
ファリカがリリーナに耳打ちする。リリーナはやや不安そうな顔でそれに返した。
「えぇ、まぁ…」
リリーナの歯切れの悪い返事には理由がある。それと同じことを、ミソラも感じていた。
それはディードリヒが大人しいということ。
あそこまであからさまにリリーナへアプローチする男が現れて、本来のディードリヒであれば癇癪を起こさないわけがない。リリーナに詰め寄って、不安と焦りを露わにして、場合によっては城に帰った瞬間にも部屋から出られなくなるだろう。
しかし今のディードリヒはどうだ。怒りに満ちた表情から顔色を変え、真っ青になりつつあるがそれでも弱音ひとつ吐かない。正直言って現状は青天の霹靂とも言える。
「ディードリヒ様」
リリーナが彼を無闇に刺激しないようそっと声をかける。その言葉に顔が青いままのディードリヒはぎこちなく笑った。
「…大丈夫だよ、リリーナ」
「…」
いつもと同じ彼であれば、この状況はもはや不安と恐怖に苛まれ、震えも何も止まらないであろうに、リリーナがどこかへ行ってしまわないかどうしようもなく恐ろしいであろうに、それはもう顔色にすら出てしまっているのに、彼は必死に耐えている。リリーナを不安にさせまいと耐えているのだ。
その姿にリリーナはむしろ不安を煽られるわけではあるが、それでも彼女は気丈な態度でディードリヒの手を取る。
「大丈夫ですわ。私は貴方のおそばにおります」
「うん…ありがとう」
リリーナに向けられる笑顔は相変わらず硬い。その心境は“怖い”と“信じたい”が半々といったところか。
「ミソラ」
未だ震える声がミソラを呼ぶ。
「はい、ディードリヒ様」
「今日帰ろうっていうのは、難しいよね?」
「もう日が暮れますので、安易に馬車を出すのはよろしくないかと」
「…わかった。リリーナも、行きたいところがあるって言ってたよね?」
「そうではありますが…お顔が真っ青ですわ、あまりご無理は…」
「僕も、頑張らないとだから」
「…!」
リリーナが触れていた彼の手が、彼女の手をしっかりと握り返す。
「リリーナと飛ぶために、僕も」
ディードリヒは握った手を優しく離すと、ゆっくりと立ち上がった。
「狩猟会そのものは終わった。テントの片付けが終わる頃には晩餐会だから、全員準備をしよう」
まだ少し震えている手がリリーナに差し出される。それはディードリヒがリリーナをエスコートをしようと差し出した手。
リリーナはその手に己を預けていいものか少しばかり悩んで、相手の努力に報いろうとその手を取った。
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