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王太子と辺境伯
小旅行(2)
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食休みの紅茶を味わい、一行は目的地である洋梨園へ。
洋梨特有の爽やかな香りに包まれながら、地元の人間に案内されつつ他の果物の果樹園も含めて見学をして周った。
農家からのもてなしとして食べ頃の洋梨がカットされたものを差し出され、農家に失礼ながら間に若干毒見が入ったものの食べることのできた洋梨にリリーナは心を弾ませる。
リリーナから“持って帰れないか”と願うと、農家は「喜んで!」といくつかお土産を持たせてもらえることにもなり、ここまでの数時間で彼女はすでにご満悦であった。
今もリリーナは何やら洋梨園の人間と何やら話し込んでいる。何を話しているのかまではわからないが、リリーナに有事がないようその姿を眺めていたディードリヒに、ラインハートが声をかけた。
「殿下」
「…なんだ」
返事はしつつ、リリーナからは目を離さないディードリヒ。しかしその声音は相変わらずやや不機嫌で、ラインハートは改めて少し驚いた。
「おや、ご機嫌を隠されなくなりましたね」
「これ以上お前がリリーナに触ろうとする方が余程問題だ。冗談でなく首を刎ねるぞ」
「おぉ、それは恐ろしい。こちらとしてはさるご提案をさせていただきたく、お声をおかけしたのですが」
「提案?」
「個人的に気に入っている場所なのですが、リリーナ様をお連れするのによろしいかと」
リリーナの名前を出されたせいかディードリヒがラインハートの言葉に若干反応する。
「場所はこちらに」
それを見逃さなかったラインハートはすかさず一枚の紙を差し出す。ディードリヒはわずかに悩んだものの、差し出された紙を受け取った。
「夕暮れ時が一番美しいかと」
そう一言添えたラインハートはここまでで一番柔らかく笑う。ディードリヒはその笑顔に何かを感じたのか軽く中身を確認して紙を懐にしまい、それから視線を再びリリーナに戻した。
対してラインハートは「お受け取りいただき感謝します」と軽く礼をした後で、もう一度深く頭を下げる。
「この度は誠に申し訳ございませんでした」
「…何がだ」
ディードリヒは視線を変えず、しかし謝罪をするラインハートの言葉に耳を傾けた。短い反応にラインハートは言葉を続ける。
「此度の騒動におきまして、殿下には深い御慈悲をいただき、弁明の余地もないほどの無礼に情けをかけていただいたこと、心より感謝しております」
「…それは産まれた家の幸運に感謝しろ。僕は無意味に議会が騒ぎ立てないようにしただけだ」
「本気を出された殿下との手合わせ、まさしく至福でございました。嘘偽りなく、あの時間は我が生涯の最たる幸せでございます」
「…」
耳に入る言葉に偽りはないように感じた。
おそらく本当にラインハートにとってあの試合は求めていたもので、それが達成されたことに喜びを覚えているのだろう。それだけ彼の言葉は真摯に訴えかけてくる。
「…我ながら厚かましい話ではございますが、俺はリリーナ様が羨ましく思います。ここまで伽藍堂だった貴方の心を、こうも簡単に動かしてしまうとは」
切なげな印象でやや視線を落とすラインハート。しかしディードリヒが動じた様子はない。
「僕の心を動かせるのは、昔も今も彼女だけだ」
ディードリヒは視線の先にリリーナを捉え続けている。それは様子を見る、などという優しいものではなく、脳に焼き付けるような視線。
リリーナは今日も完璧に、令嬢としての振る舞いを続けている。しかし自分と付き合うようになって時が経つほど、少しずつ纏う雰囲気が柔らかくなっているのは明らかであった。
それが嬉しいようで、置いていかれるような気もしてしまう。自分が知らなかった、新しい彼女であるはずなのに。
「…殿下、不躾ながらもう一つ、御慈悲をいただきたいことがございます」
「…」
願うような言葉に返ってきたのは沈黙。否定でないということは、話を聞く姿勢があるのだろう。
ラインハートは静かに頭を上げ、ディードリヒの背中を強く見つめた。
「よろしければ、またお手合わせ願えませんでしょうか」
強く訴える声にも、やはり返事はない。
「殿下の剣はお強い。今回俺はグレンツェというこの国境を守る一人の戦士として、恥じぬ戦いをするために貴方に剣を向けた。しかし過去を覆すこともできず、失礼ですが俺は自らを情けなく思っております」
「…それで」
わずかばかりに関心を示した、短い返答。
確かにディードリヒは“ラインハートの話を聞いている”。
「もうあのような無礼な行いはしないと誓います。ですからどうか、また俺と剣を交えては頂けないでしょうか」
「…」
ディードリヒは少し間をとって、ラインハートのいる背後に振り向いた。
「お前のために作る時間はない」
「…」
「…だが、余裕があれば付き合ってやる」
「!」
他人に向ける無表情で、ディードリヒは言う。
しかしいつもと違ったのは、目の前の存在を一人の人間として見ているということ。
本来ディードリヒがラインハートの願いに応える必要などない。
そも今回の試合の発端は一つの事件だったと言えるだろう。リリーナへ被害が及びかけたことなど特に。
そういった点だけでなく、何事もなかったとしても無礼であること、ディードリヒが試合の勝者であることなど、ラインハートには不利な条件しかない。
それでも彼がディードリヒに願ったことは賭けであった。何もしないまま諦めることだけはできないという、賭け。
他でもない、リリーナ以外に興味がないディードリヒがそれに応えたことは奇跡と言っていいだろう。
だがディードリヒもラインハートが気に入って応えたわけではない。彼からすればこれも“変化”の一歩だ。
変わっていくリリーナの為に、自分も変わらなくては“隣”にはいられない。そのために他人との交流をとってみよう、という程度の話。
「ディードリヒ様!」
すぐリリーナへ視線を戻したディードリヒをリリーナが呼んでいる。彼は今までの無表情が嘘のように柔らかい笑顔を彼女に向けて応えた。
「今行くよリリーナ!」
そしてディードリヒは、ラインハートをその場に残して去っていく。
ラインハートはその後ろ姿に静かに頭を下げ、感謝と共にディードリヒを見送った。
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