ループ中の不遇令嬢は三分間で荷造りをする

矢口愛留

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第2話 想定外の出会い

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 義母と義姉が屋敷に来てから、ベルモンド侯爵はすっかり変わってしまった。いや、こちらが本当の姿だったのかもしれない。
 妊娠中の義母をいたわり、マリアンヌには偽りのない笑顔を見せる。義母やマリアンヌがおねだりすれば高価な物でも迷わず買い与えた。

 アンリエッタも上質なドレスを何着も持っていたが、それは王太子エドワードの婚約者として失礼のないようにするため、侯爵家の予算に組み込まれていた分から購入していた。
 それ以外に欲しいものがなかったわけではないが、お願いをしてもいつも却下されていたため、アンリエッタは父親の変わりように心底驚き、悲しくなった。

 アンリエッタも、アンリエッタの母親も、最初からベルモンド侯爵に愛されてなどいなかったのだ。

 そんな中でも、事情を知る使用人たちだけは、アンリエッタを可愛がってくれた。
 しかし、無情にも、屋敷の使用人は徐々に入れ替わってゆくことになる。義母と義姉と――もしかしたら侯爵自身も関わっていたのかもしれない。

 アンリエッタの味方をしてくれていた使用人は、一人、また一人と屋敷を去って行った。
 去って行った使用人たちは、みな悔しそうな表情をしていたのが、アンリエッタには印象的だった。


 一方で、婚約者であるエドワードとの関係は、全く変わる気配がない。

 婚約して二年の月日が経っていたが、いつも当たり障りのない話をして、形式上定められた婚約者以上のことは、一度もなかった。
 指を乗せるだけのエスコートや、婚約者としての気遣いは見せてくれるものの、手を繋いで歩いたり、手の甲にキスをしたり、そういった愛情表現は一切ない。
 とはいえ二人はまだ十二歳。これから少しずつ親睦が深まっていけば良いと、アンリエッタは思っていた。

 けれど、エドワードとの関係が変わることは、その後もなかった。互いに笑顔の仮面を被り、本心をさらけ出すこともない。
 仲は悪くもなかったけれど、良いとも言えない関係が続いていた。そう、あの時までは――。



 ベルモンド侯爵家からの脱出に成功したアンリエッタは、市街地の方へと向かって歩き出す。

 一度目の時は、侯爵家の門前で泣き崩れ動けずにいたら、義母に指示された使用人に馬に乗せられ、知らない森の中に捨てられてループした。
 二度目の時は水を求めて河原に行ったところでごろつきに絡まれ、着衣のまま川へ飛び込み、ループ。
 三度目は、荷物を回収しようと屋敷の周囲をうろついていたら、不審者と間違われて衛兵に捕まり、腕から無理やり抜け出したところに、ちょうど運悪く馬が通りかかってループした。

 だからアンリエッタは、不審な態度を取らないように堂々と歩き、一秒でも早く人の多い市街地へと入るつもりである。
 市街地に着けば、持っているお金で一日ぐらいは宿に泊まれるだろう。朝になったら住み込みで働ける仕事を探す予定だった。
 形見の指輪は、できれば手元に残しておきたいが、どうしても困った時に質入れするつもりだ。

 アンリエッタは、今度こそ無事に市街地へ辿り着くことができた。
 しかし、まだ気を緩めることはできなかった。彼女は宿の場所も、泊まり方も知らなかったのだ。

「どうしましょう、困ったわ」

 アンリエッタは途方に暮れた。閉店準備を始めたブティックの、ショーウィンドウの横にトランクを置き、その上に腰掛ける。
 ここで休んでいてもどうにもならないのはわかっていたが、どの道へ行けば宿屋があるのか、わからない。

 そうしてため息をついているアンリエッタに、声をかけてきた者がいた。

「お姉さん、いくら?」
「え?」

 アンリエッタは、男が何と言ったのか、うまく聞き取れなかった。
 中年で、腹の出た男だ。アンリエッタが男を見つめながら首を傾げると、男は下卑た笑みを浮かべる。

「なあ、俺と宿へ行かねえか?」
「まあ、あなたは宿屋の場所を知っているのね! 案内して下さるの?」
「おう。良いとこ知ってるから、ついてきな」

 世間知らずのアンリエッタは、男の言葉の意味も知らず、「悩みすぎて声に出ていたかしら」などと首を傾げつつ立ち上がった。

 ――その時。
 横から突然、中年男とアンリエッタの間に立ちはだかる者があった。

「――おい。彼女は私の連れだ。ちょっかいを出すな」

 月を背に立つその者の顔は、街灯の陰に隠れて、アンリエッタからはよく見えない。声からしたら、若い男のようだ。
 アンリエッタは一瞬、聞いたことのある声だと思ったが、彼がこんな所にいるわけがないと自ら否定した。

「あ? 俺が先に――」
「先程はぐれてしまったんだ。すまない、待たせたな」
「え、えっと」

 アンリエッタは、若い男の顔をよく見ようと覗き込む。そしてその瞬間、若い男に手を取られて、驚きのあまり声を失った。

「――!」

 エスコートとも違う、ぎゅっと手を握られる感触。
 アンリエッタはこうして手を繋がれるのは初めてだったが、包み込むような大きな手と、その力が存外優しいことに、ますます驚いた。

「さあ、行くぞ。――アン」
「え――」

 男が体の向きを変えたことで、アンリエッタはようやくその顔を確かめることができた。そこには幸か不幸か、アンリエッタの予想した通りの顔があり、彼女はますます混乱する。
 アンリエッタをアンと呼んだ男は、空いている右手で、彼女のトランクを持ち上げた。

「そ、それ、私が持ちますわ」
「いいから。早く行くぞ」

 男はアンリエッタを連れて、早足で歩き出した。早歩きだが、アンリエッタがなんとかついて行ける速度だし、手を握る力も強めない。
 後ろから、「ちっ、なんだよ」という声が聞こえてきたが、中年男は早々に諦めたのだろう、追ってくる気配もなさそうだ。

 周りに人がいないところまで来て、ようやく男は足を止め、手を解いた。アンリエッタが逃げないようにだろう、右手には相変わらずトランクが握られている。
 アンリエッタは、また荷物を失って路頭に迷うことになるのではないかとヒヤヒヤしていた。

 男は、ゆったりと、しかし鋭さを含んだ声で、アンリエッタに問いかけた。

「――で、アンリエッタは、どうしてあんな所にいたのかな? それも、こんな大荷物に、土で汚れたワンピースで」
「……みっともない所をお見せしてしまい、申し訳ございません。エドワード殿下」

 アンリエッタは片足を下げ腰を落として、冷たく見下ろす婚約者に、優雅なカーテシーをしたのだった。
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