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第一部 無能聖女編
18. 詮索は御法度です
ギルバート様に普段より多めに琥珀珈琲を渡した後、私は相変わらず母屋の清掃作業を進めていた。
母屋は離れに比べて広いというだけでなく、価値のある美術品や工芸品も多い。作業には格段に気を使うし、時間もかかる。
まだまだ手を付けていない場所も多いが、ギルバート様からもジェーンさんからもゆっくりでいいと言われているので、焦る必要はない。
「おはよう、アンディ」
「おう、ティーナ。おはよ」
昼食を摂るために離れに戻ろうとしたところで、庭のオブジェを磨いていたアンディと会った。
初めてここを訪れた時には伸びきった雑草ばかりが目立っていて気がつかなかったのだが、前庭には立派な観賞用の庭園跡があったのだ。現在家庭菜園になっている場所はそのごく一部で、ひとまずその部分だけが最低限整えられていたらしい。
「これからメシ?」
「うん。アンディも一緒にどう?」
「あー、そうするよ。錆び落としって、けっこう疲れるんだよな」
アンディはそう言って、手首をぶんぶん振っている。確かに、目の前のオブジェはずっと雨ざらしになっていたからか、かなり錆び付いていた。
「このオブジェ、王家の紋章に描かれてる……ドラゴン?」
「みたいだな。ここには元々噴水があって、このオブジェの口の中から水が出る機構になってたっぽいんだけど……なんでこんな錆びるまで放置しちゃったんだよ、全く」
「噴水?」
言われてみれば確かに、排水用の細い溝が周りに掘られており、その近くには壊れて風化してしまったらしい石の欠片が、複数転がっていた。
「オレ、前々から気になってたんだけど……この屋敷、ところどころ、自然にじゃなく、何者かが壊したみたいな跡が残ってるんだよな」
「壊した跡……うーん」
「まあ、最近の話じゃなさそうだけど。ほら、この噴水も壊れてから随分経つみたいだし」
「そうだよね」
確かに、アンディの言うとおり、疑問に思う点はいくつもあった。
屋敷の外観だけではなく、母屋の中にも謎の焼け焦げや、固い物がぶつかったような痕跡、さらには刃物で斬りつけられたような傷などが残っていたのだ。
それらはタペストリーや家具、絨毯などで隠されていたが、ギルバート様やジェーンさんに聞くこともできず、いつ付いた傷なのかも不明のままである。
「なあ、ティーナ。オレ、この屋敷のこと、こないだ、街の奴らとちょっと話したんだ。立派な屋敷なのに手入れも行き届いてなくて、雇い主も正体不明って、怪しすぎるだろ?」
「えっ、街の人に話したの? アンディが、自分から?」
「ん? そうだけど」
「それは……」
アンディは、何を思ってそんなことを喋ったのだろうか。
私がギルバート様と面会する前……それこそ初日から、どう考えても今回の依頼は訳ありだろうと私が感づいたように、アンディも不審に思っていなかったか。
「それでさ、聞いた話によると、なんとここ、幽霊屋敷って呼ばれてて、昔から街の人は誰も近づかないって――」
「――ねえ、アンディ。そんなことして、大丈夫なの?」
「へ? 何が?」
「私が、神殿で育ってきたのは知ってるよね?」
「え、ああ、うん」
アンディは、私が何を言わんとしているのかわからないようで、眉をひそめながらも頷いた。
「神殿には、隠し事がたくさんあったの。私ってほら、どこにいても気にも留められないような存在だったから……神官様や聖女様がひそひそ声で何かを話しているのを、何度も何度も見かけたわ」
掃除や洗濯で、神殿の隅々まで歩き回っていることが多かった私は、『秘密』らしきものに何度も遭遇した。
なんなら、掃除しようと思って思い切り扉を開けた部屋で、妻子ある神官様が聖女様と密通をしていたところだって見たことがある。
あのときは肝が冷えたが、それは向こうも同じだったようだ。その後ちらちらと顔色をうかがわれるだけで、何も言われることはなかった。
けれど――もちろん、私に危害を加えようとしたり、実際に加えた者がいなかったわけではない。
ただ、私は成人するまで神殿から自由に出られなかったし、話す人もいなかった。ひとたび冷静になれば、私が影響力を持たないことぐらい、すぐに気がつく事実である。
そうして彼らが振り上げた手は、最終的には全て下ろされたのだ――私に対する嘲りや、憐れみと引き換えに。
だから私は、アンディのことが心配だった。
「私ね、誰かの秘密に出会ったら、触れないように、顔に出さないようにって気をつけてたの。そうしないと、後々睨まれて、嫌な目にあうから」
先ほどのギルバート様のように、何かの目的を持って調べていることに回答するというのなら、構わないだろう。
答えるのも答えないのも自分の意思だし、正しいことを伝えるか否かも勝手だ。
真偽を判断するのは尋ねた側だし、情報を得ようとすることは同時に相手に情報を与えることにもなる。
――ギルバート様は、それも承知で私に神殿の内部事情を尋ねたのだろう。
おそらく彼は、私が神殿の関係者に接触することはないと信じているから。
「だからね、アンディ。何か尋ねられた時に答える分にはいいと思うんだけど……その……隠したいことがあるって明らかなのに、自分から噂を立てるようなことをするのは、あんまり……ね?」
秘密が白日の下にさらされたとき、当事者たちはもちろん、噂を流した人も傷つくことになる。
それも、今回の当事者はギルバート様とジェーンさん。私は、せっかく出会えた、優しく信頼のおける三人が傷ついてしまうのは、嫌だった。
「……そっか、そうだよな。オレ、浅はかだったな」
アンディはそう言ってうつむいた。
「……ううん。私も責めるようなこと言っちゃって、ごめん」
「いや、ティーナは悪くないよ。雇ってもらってる身なのに、オレ、色々考え足らずだった。自分から信頼を裏切るようなことをしてたってことだよな」
彼の気持ちも、わからないでもない。彼は、不安だったのだ。それは、ギルバート様があまりにも情報を開示しないからという理由もあるだろう。
私は顔を上げ、空中の一点をじっと見る。『視線さん』の気配は、先ほどから私たちを見守るように漂っていた。
「――視線さん、アンディを責めないでくださいね。彼、雇い主がどんな方かわからなくて、不安だったんだと思います」
「……え? ティーナ、誰と話してんの……?」
「私からはアンディに話すことができません。だから、あなたの方から、少し歩み寄ってはいただけませんか? ほんの少しだけでいいんです……考えてみてください」
視線さんは、気配だけで肯定を示してみせた。前々から思っていたが、何とも器用な魔法である。
「さて。これで、あと何日かしたら沙汰があるはずだから、街で詮索するのは――、えっと、アンディ?」
「も、も、もしかして、もしかしなくても、ティーナ、幽霊と話してた……? やっぱりここ、幽霊屋敷――」
「え? 幽霊なんかじゃないよ。今、そこにいたでしょ?」
「ひぃーっ」
アンディはガタガタと震え始めてしまい、私はそれをなだめるのに、かなりの時間を要することになったのだった。
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