星に牙、魔に祈り

種田遠雷

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6、デェラトモウン

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 腰から下がぎこちない身体を解すようにして、日が昇る前にもう一度水浴びしてから、森へと足を踏み入れる。東から日が差し始め、薄暗がりに光が零れていく森は美しく、自然と和やかになる。
 泉の水の怜悧を肌が忘れぬ内にと、程良い場所を選んで跪く。
 ゆるく握った拳を額に当て、詠唱において基礎の基礎ともいえる森への感謝と祈りを捧げながら、身の深く、世界と繋がる場所に意識を集めて研ぎ澄ましていく。
 森の精霊の守護、全てを内包する世界、エルフに生まれた己の存在。3つが描く円環を思い描き、その力の欠片が更に小さく円を描いて凝縮していくイメージ。
 力の形を変えるという、魔術の根幹。
「――…」
 伏せていた瞼を開き、掌の中に握っているものを見て、思わず苦笑いした。

「つまり?」
 掌に載せてやった結晶をマジマジと見つめるアギレオの隣、寝台に腰掛け。指を伸ばして、細長い三角形を集めたような緑色を転がす。
「精霊の守護と自分の霊力をり合わせて作るもので、魔石ませきと呼ばれている。エルフが子供の頃によく魔術の練習で作るんだが、熟練になれば色々応用が利くものだそうだ」
 ふゥン?と、アギレオがそれを光にかざすように持ち上げるのに、指を離し。
「森だから緑で、矢尻の形か?」
 それとも目の色か、と、面白がるように顔の横に並べられるのに、少し目を逸らしてしまう。
「…魔術の才がある者だと、自在に色や形を変えられるそうだが。…残念ながら、それが一番自然に現れる色と形というか…」
 子供の頃にいくつも作ったものと、まるで代わり映えしない。ため息は腹の内に隠し。
 ああ~と、合点したように笑う声に、顔はそちらに戻さない。
「お前のエルフ汁の塊だな」
「体液ではな…ぃ!?」
 口に近づけている手を、思わず反射的に掴んで離させる。瞬く間に耳が熱くなり。
「な、舐めるやつを初めて見たぞ…」
「どんな味がするかと思って」
「体液ではないというのに…」
 ひょいと抱き寄せられ、ぶれるバランスを慌てて保ちながら、ひとまずその腕と胸に身を預ける。魔石を持たない方の手で腿を撫でられるのに、手を重ね。
「特に際立った魔力を持つものではないのだが、自分の霊力を結晶させることもあって、親しい者にはお守り代わりに贈ることがある」
「ああ。へえ。――なるほど、律儀なやつだな」
 ありがとな。と、こめかみに寄せられる唇に、己の拙さが少し気恥ずかしく、頬を擦らせて返して。
 どこに着けっかな、と、ためつすがめつしている首元に鼻筋を埋めて淡く匂いを嗅ぐ。
「お前は? 何か欲しいモンとかねえのか。…っても、エルフってあんま欲がなさそうではあるか」
 顔を上げ、意外な評価に瞬く。ン?と振り向く顔と、顔を見合わせてから笑ってしまい。
「まさか。エルフというのは中々贅沢だぞ」
 へえ、と眉を上げるのを見ながら、とはいえ、と考えを巡らせる。必要なものは適宜準備をして手に入れてしまうものだから、欲しいものと改めて考えるとすぐには思いつかない。
 その中にふと、随分昔に見たものを思い出し。
「――そうだな例えば、私が以前から欲しいものといえば、竜の鱗がある」
「竜って…、…いやおい、ドラゴンの鱗かよ…」
 げえ、と声を潰すのを笑いながら、目を伏せて思い浮かべる。
「王都から出て東側の警邏けいらに巡っていた時、白い竜が飛ぶのを見たことがあるんだ」
「へえ。見かけんのは確かに珍しいな」
「ああ。ドラゴンを見るといえば、もう攻撃される時ということが多いだろうからな」
 だがそうではなく。
 大陸から海を隔てた島にあるという、ねぐらに帰るところだったのだろう。雲一つない真っ青な空の高くを、青色を裂いて滑るよう、去りゆく竜の姿。
「ワイバーン型ではない大蛇おろち型――翼がなく長い身体をした竜で、空を泳いで身体が波打つたび、白い鱗が虹色に光を照り返していた」
 時を忘れるように見上げていた、その光景を思い出せば声は自然と陶然とうぜんとなり。
「そりゃまあ、絶景にゃ違いねえだろうけどよ…」
 そうして返される声の、呆れた色に笑いながら頷く。
「あまりにも美しかったから、王都に帰ってすぐに、どこのなんという竜なのか調べたほどだ」
 筋肉を解すように姿勢を変えるついでめいて抱き直され、改めてその胸に背を預け。腹に回る腕を撫でて。
「へえ、どこのどいつか判ったのかよ」
「ああ。東の海の向こうにある島をねぐらとする、白飛龍はくひりゅう――デェラトモウン」
 ヒェなどと小さく声を上げて、わざとする身震いが背に伝わって、笑う。
「ドラゴンの鱗が欲しいなんざ、確かに可愛いおねだりとは言えねえ」
「欲しいといっても、手に入れたいというわけではない。私はそこまで無闇ではないな」
「そりゃそうだ、ドラゴン倒すにゃ国一つ潰すんだろ。俺でも知ってるぜ」
 かの巨大な知的生物の恐ろしさを示すのに、あらゆる場所で似たような言い回しが使われるらしい。だが、そのドラゴンも昔よりは随分数を減らし、伝わらなくなっているようだ、と頭を振ってみせる。
「3つだ」
「…あン?」
「竜を怒らせれば国が一つ滅び、これを倒さんとすれば三国が焼け落ちると云われている」
「…もう、おとぎ話の世界だな…」
 まさしく、と、区切りにするよう少し手足を伸ばし。
「あの竜を倒しに行ったりするなよ。一番近いのは私の国だ、巻き添えを食ってはたまらない」
「行くわきゃねーだろ…」
 つられるように背後で伸びをしている気配に、腕を取って背負うようにして、戯れにそれを手伝ってやる。
「で。欲しいのは、そのとんでもねえ鱗だけなのか」
 うん?と、首を反らして頭を逆さにするよう、アギレオの顔を探す。見つける前に耳の先を囓られ、痛い、と笑いながら不平を訴えて。
「そうだな…」
 欲しいもの。否、物よりも。
 よく伸ばしてやった腕を離し、囓られた耳の方から振り返るようにして、異国の色の混色の瞳を見つめた。
「もっと、お前と二人でいたい」
「――…」
 虚を突かれたように浅く目を瞠るのを見て、浮かべる笑みが少し苦みを帯びる。
 エルフという種族に清らかな印象を持たれているようだが、腹の内はひどい我が侭ばかりだ。
「…っても、四六時中一緒に、……ああ、いや、…そうか」
 そうだな、と、肩口の辺りにこめかみを預けながら、目を伏せ。
「お前にも私にも務めがある。…欲しいものなどというのはきっと、手に入らないから欲しいと思うのだろう」
 過ぎた願いなどきりがない。
 隠すように鼻で息を抜く顎を指に掬い取られ、目を開く。唇を重ねられ、開いた目をまた伏せて味わい。
「いや、考えてみるさ。期待せずに待っとけ」
 できない、とただ切り捨てられないことが嬉しく、分かったと頷く頬が緩んだ。

 さて、と頭を切り替え、砦の中を歩く。
 夜が明けた砦には春の陽射しが満ち、畑仕事や家畜の世話に精を出す人間達もどことなし寛いで見える。川に掛かったささやかな橋を渡って厩舎に向かい、馬たちの面倒を見ながらあれこれと考えを巡らせる。
 砦の昼を担う人間達には、基本的には戦闘を想定してはいない。
 クリッペンヴァルトを転覆する機を窺い、繰り返し領土へ侵入する谷のエルフ、隣国ベスシャッテテスタルの斥候を追い払い、転覆する機が訪れないことを示すのが第一義であるこの国境守備において、後方支援の人間達を駆り出したり、或いは隠した砦まで侵入されるようでは、その意義が揺らぐ。
 だがもちろん、彼ら自身の身を守るために手段は持つべきであるし、この砦の立地が国の端である限り、ヒトの領域からは締め出されている魔物達の襲撃を受ける危険は、より内部の集落よりもずっと高い。
 その全てが元は野盗であったことで、ここで暮らす全員が武器を帯びることは承知しているが。
「――まずは、もう少し詳しく把握しなくてはな」
 目についた者に声を掛け、手を空けられる者達には集まってもらって、昨日アギレオ達とした話の要点を説明する。
「谷のエルフと一戦交えてもらうことはないかもしれないが、状況をかんがみれば鍛えておいて損はない。砦の生活を担ってもらっていてそれぞれ忙しいとは思うが、手が空いたら各々の武器の腕を確かめておくようにしてもらいたい」
 お頭から聞いてるぜ、と頷く声が返るのに、目を向ける。
「元々、砦に加わるって時に言われんだ、何があるか分かんねから、手前ェの身だけは手前ェで守れるようになれって。だから、戦闘があるって聞くたび用意もするし、考えちゃいるんだ」
 彼らがそれぞれに顔を見合わせ頷き合うのに、なるほどと相槌を打って次を待つ。
「獣人らみてえに、ガキの頃から縄張り争いだ、狩りだって鍛えられるわけじゃねえし、武器の扱いに慣れてる連中ばかりでもねえ。腕ぇつけてもらえんなら歓迎だよ」
 アギレオの根回しもあるだろうが、嫌がられないのなら随分やりやすい。もう一度頷いて彼らを見回し。
「協力してくれてありがたい。各々の得意な武器や戦い方があればそれを伸ばすのもいいし、やってみたいことがあれば、遠慮なく言って欲しい。一応、と言わざるを得なくて申し訳ないんだが、一通りの武器の扱いは教えられる」
 剣や弓、槍の他にも、と例を挙げるのに、砦内の簡単な鍛冶を請け負うベッカーという男が「つちは?」と冗談めかして言うのに笑いが起こる。
「まさに戦鎚せんついというものがある。歴史を紐解けば…」
「おい、話が長くなるぞ!」
 茶々を入れられ、戦鎚の成り立ちを説明しようと上げかけていた手を思わず止め、苦笑しながら降参を示すよう両手を上げる。
「戦闘において剣や槍、弓は使い勝手がよく攻撃力も高いが、考え方を変えれば、それは打って出る場合だ。相手からの攻撃を防いで無力化するなら、使い慣れた道具を咄嗟に武器にできればそれはそれで強みになる」
 すきは?くわは?と声が続くのに、ひとつひとつ頷いて肯定し。
「鍋でもフライパンでも十分に攻撃を防げる。が、想像してみてくれ。相手が剣を持って斬りかかってきたとすると、フライパンでは守れる範囲が小さい。相手の太刀筋を読む技術が必要になる。農具であれば柄の部分では切られてしまう可能性があるから、鉄の部分で受けるように、同じく技術がいるだろう」
 思い浮かべた道具を持つことを想像するのだろう、何人かは宙で手を動かし、隣と顔を見合わせたり相談したりしている。
「そこで、今度は剣を持っていると想像してみてくれ。長さがあり、半分以上が鋼の刃だ。さっきよりも防ぎやすいのではないだろうか」
 ああー…と、納得の声が上がるのに、眦を少し緩め。
「ただ実際には、持ち慣れない武器は咄嗟に取り回しにくい。苦手なものなら無理に固執せず、別の手段に変えることは十分可能だという話だ」
 前説に納得と了承を得、作業に戻る者と、早速訓練をしてみたいと武器を取りに行く者に分かれるのを見送る。
「ハル、」
 自分も砦の武器庫から何か見繕おうと足を向けるところへ声を掛けられ、肩越しに振り返った。
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