24 / 74
22、意外な使者
しおりを挟む
再び一晩の楽しい野営を経て、砦を隠す森の端が見えてくれば、馬上の隊列のあちこちから安堵と喜びの声が上がる。
「戻ってきたな」
最後尾で馬を並べるアギレオを目端に振り返り、また森へと目を戻して眦を柔らげ。
「おー、出掛けてウロウロすんのは好きなたちだが、その楽しいっつうのと、我が家ってな、また違えんだよなあ」
平気で手綱を離して伸びなどしているのに、頷く口元も緩み。
「それは分かるな。本当に楽しかったし、名残惜しさすらあるが、やはり住み慣れた場所はいいものだ」
それぞれに荷を積み、馬の負担を減らすために行きよりものんびりと歩ませる足も、心なしか少し軽くなるように見えて。
前をゆく面々も、途端のように賑わい、それぞれに言葉を交わしているのを和やかな心持ちで見守る。
前衛を守る獣人が森を指さし、隣の獣人と顔を見合わせているのを目にして。森の向こう、砦の家を指しているのだろうと穏やかになる気を、だが、指さした彼が振り返り、向けられる声が張り詰めているのに、皆の空気が一変する。
「馬が来るぜ、――走ってる…一頭、一頭だ!」
目と鼻の先に森が近付き、隠された入口も次第に見えてこようというところで、狐の獣人であるフランが声を上げる。
守備を置く砦のある森で、馬が駆けているというのは、気持ちのいいものではない。
だが、音にも目にも見えず、獣人達の感覚の鋭さかと思えど、目を凝らす。前をゆく人馬の影にもなり、フランの声が指し示したものを確かめようと、手綱を持ったまま鞍の上に立ち上がり。
見えぬ、聞こえぬ、が、目の先の森に僅かながら木々のざわめきを感じる。
「――散れ! どっか適当に隠れろ!」
アギレオの声ひとつで隊列は散り、傍の岩陰や木陰を探して各々に馬の鼻先を変え。
「どこから来る…?」
目を凝らしながら立ったまま手綱を操り、ひとまず隣のアギレオに合わせて馬の足を物陰に向けさせる。「砦の方からだ…!」と、今度はひそめた声でフランが伝え、降りろと舌打ち混じりにアギレオが言うのに、馬を岩陰に隠しながらそのまま飛び降りた。
隠れ道はすぐ目の前だ。
森の途切れた道の、今しがた自分たちが歩みを乱した跡は、斥候であればすぐに見つけるかもしれない。何者か、砦の巡回を掻い潜って国境を抜けた谷のエルフ、それとも、と森への入口を見つめながら頭を巡らせる。
――聞こえた。ドド、と蹄を踏み鳴らし、駆ける馬の足音。木々の茂る森を抜けるのは、馬にとって得手ではないが、足音は淀まず駆けているのが分かる。
境の森に通じた者が乗り手か、と、確実に近付く足音に耳を澄ませる、その目先に躍り出る一頭の馬の姿。
「――!?」
乗り手がいない。鞍もつけていないが、走る度に手綱が躍る、真っ黒な青毛に靴下を履いたような白足の。
「スリオンッ!!」
姿を隠したこちらを探るわけもなく、今自分たちが歩いてきた道へとそのまま駆けていく、あっという間に過ぎる黒い風。間違いない。
「スリオンだと!?」
乗り手はいねえのか、落としたのか!?、何があった、と、それぞれに上げている声を背にして、駆けていった馬の方へと向き、口笛を吹く。
振り向きはしなかったが、己の声に足を緩めたのを確かに見た。猛って逃げ出したのではないはずだ。
高く、遠くに響かせるよう口笛の音を伸ばし、少し待って。もう一度試そうと息を吸い込んだところで肩に手を置かれ、息を止める。
「もう少し待て。馬の耳なら今ので聞こえたろう」
スリオンが駆けていった、道の向こうを見ながら声を低くするアギレオに、頷く。
何かあって、何者かが近くにいるなら、明らかに人為的な合図である口笛は、吹き放題とはいかない。
「全員馬に乗れ、どっち向きにでも動けるようにしとけ」
声の揺れで顎をしゃくっているのが分かるが、己は、ひとまず馬を待つ。アギレオもすぐに馬に戻る様子はなく、張り詰めた空気とひそめた声ばかりが背の後ろ。
「――…来た、戻ってる、戻ってくるぞ…!」
相変わらず、フランの声が最も早い。思わず振り返り、また道の先を見ても、過ぎていった砂埃の名残しかまだ見えず。
それでも、数秒で僅かな黒い影を現し、それが見る見る馬の形になり、真っ直ぐにこちらへと駆けてくるのを目にして、胸を撫で下ろす。
先よりは緩い駆け足で、己が見つけるより早いのか、迷わずこちらへと向かってくる馬体に、少し迎え出ながら、手を上げて止まるように促して。
身をかわし、息を荒げながら蹄を踏み鳴らし、しばし止まりきれず傍をまわるが、荒ぶってはいない。自ら抑えようと、上げた腕に顔を突っ込みたがるのを受け止めて、鼻先を腕に抱き、首を撫でてやる。
「おいハル、乗り手はともかく、鞍ァ落としちまうなんてことがあるか?」
少し思案して、だが頭を振る。鞍のつけ方が悪く、乗り手もろともということも考えられるが、確率は低い。
「放したか逃げ出したと考える方が自然なように思う。アギレオ、鞍を移し、スリオンに乗って砦へ戻れ。それが一番速く、確実だ」
唇を噛むような表情で馬のまま集まり始める面々の顔を、今は確かめずアギレオを見る。とてもではないが、いい予兆とは考えにくい。
ふむ、と、思案げにひとつ鼻を鳴らし、アギレオがスリオンの首を撫でる。
「だとよ。振り落として、くれるなよ…!」
慣れたように馬の背に手を掛け、身軽にそのまま飛び乗り跨がる様子に、少し目を瞠る。行け!と、馬に不必要な打撃も与えず声ひとつで駆けさせるのを、声をなくして見送って。
裸馬に乗れるのか、と、場違いに感心してしまう。
「ハル!」
呼ばれて振り返り、カルラが進み出て、馬から飛び降りるのに瞬く。
「荷を載せ替えた、あんたも馬を替えて。あたしの馬が一番疲れてないよ。あんたも行って…!」
今の短い騒ぎの中、どういう判断をしたのかと、だが問うている場合ではなさそうだ。
「うぇぇいィィ、俺らはせいぜい、慌てて荷物ブチまけねえように帰るぜぇぇ」
アギレオが抜けた隊に、ナハトが指揮を執り、揉めることもなく指針が決まって、彼らはすでにそのように馬を動かし始めている。
改めてカルラを見つめ直し、頷く。
「スリオンはたった今、森を抜けてきた。何かあったとしても、そう時間は経っていないはずだ」
大丈夫、と、強く頷くカルラの、けれど引き結んだ唇は微かに震えている。大丈夫、と、同じように再び頷いてから、荷を移して身軽になった馬に飛び乗り。
行こう、皆が心配だ、と、エルフの言葉で馬に呼びかけ、背を打って腿の内で軽く鳴らすように合図してやる。
馬というのはひどく敏感なもので、乗り手達の騒ぎが伝わるのだろう、その身や脚が強張っているのを感じる。行こう、と、もう一度かけてやる声に、勢いつけるように前足を踏み鳴らしてから、心を決めたように馬が駆け出した。
最悪の事態に備える気が抜けてしまいそうになるほど、砦の様子はそれほど乱れてはいない。
だが、人間達は走り、あるいは歩き回って何かを相談し合い、何より、そこここに獣人達が起きてきているのが見える。
アギレオがそこで降りたきりなのだろう、食堂のそばで草を食んでいるスリオンを見つけ、乗っている馬と共に馬小屋の傍に放しておく。
そうして駆け戻る食堂の扉を開いてくぐり、集まった顔ぶれを見れば、もちろん、何事もなかったというわけにはいかないのが分かる。
椅子に座ったアギレオが腕組みする、机を挟んだ正面でリーが話し、その両隣でレビとルーが黙って二人のやりとりに耳を傾け。少し間を置くようにして獣人達と人間達の何人かが腰掛け、やはり中心の二人を見守る表情は固い。
「どうした。一体何があった?」
輪の中心に近付きながら、手前のルーに声を低くして掛ける。振り返って、ルーが琥珀の瞳だけで頷き、アギレオとリーの邪魔をせぬようこちらへと近付いてくれるのに足を止め。
「オークよ。まだ距離はあるけど、まっすぐ砦に向かってるの」
魔物か…!、と、声は立てず腹の内で唸る心地で、頷く。
「ここに砦があることを知るはずはない。森を突っ切ってどこかの集落を襲おうというのだろう。できれば森に入る前に潰してしまいたいな」
「ええ、そうね。ただ…」
その傍へとレビも足を寄せてくれるのに、目をやり。
「数が多いんだ。それで、できれば伝令にも何日も人を割きたくなくて、スリオンだけ行かせた」
「ケレブシアだったか。大胆なことをする」
風の魔法で、買い出しの隊の通る道とぶつかるように誘導をつけて、と、説明してくれるのに、なるほどと深く頷く。複雑な魔術を使いこなすケレブシアと、エルフの馬であるスリオンの組み合わせならではだ。
上手くいったようだ、と、ケレブシアに頷いてみせてから、今度はルーとレビ、二人へと目を配り。
「それで、オークの数はどのくらいだ?」
短い間、ルーとレビが目だけを見合わせるのに、眉が寄る。
「……、200」
「――…」
にひゃく、と、思わず口の中で声にせず繰り返して、歯噛みする。
砦の人数は今どれほどだったか。人間と獣人、年寄りから子供まで合わせて、おそらく50前後のはず。三分の二程度が人間で、彼らはみなが戦士というわけではない。それに比べ、オークは200全てが、人間ならば圧倒するほどの戦力だ。頼みの綱は三分の一の獣人ということになる。
「リーお前、数がかぞえらんねえんだったか?」
被害が出る。それも深刻な、と、思考の沈むところに割って入るようなアギレオの声に、思わず目を向ける。それは明らかに、同じようにして黙る、この場の面々の顔を上げさせるための色で。
「獣人は今、何人だ?」
「…16。…全員でだ」
肩を竦めるアギレオに、鋭い目つきでリーが答える。
獣人達の中には“若手”と呼ばれているものがあり、言葉通り年も若く、戦闘においても年長のものほど熟達しているとはいえない。言外に含まれる意に、だが取り合わぬようアギレオは気怠そうに首を回し。
「獣人一人でオーク10匹殺せ。…いや、けど死なれる余裕はねえからな、二人組で二対一でかかって、二人で20匹、ってとこか」
その声に、頭の中でオークの群れの数が減る。
200の内、16人の獣人が160匹のオークを倒す。
「…ひとり10匹か。…そうだな、合計でその数ならなんとか…」
一人が10体のオークを倒すというのは、充分にとてつもないが。ただ、確かに、一人で10体に取り囲まれろという話ではない。また、彼らは腕に覚えがあるのも事実だ。
自分とレビで同じように、と、考えているところへ、アギレオの一言で、一瞬にして場が静まり返る。
「残りは俺が片付ける。それで終えだよ」
想像していなかった言葉に、思考すら一瞬止まり。それから、ふつ、と笑いが湧いてしまう。さすがに場違いだ、と手で口を覆ってこらえるところで。プッ、と、噴き出す息、クククッと喉で笑うような声があちこちで転がり始め、笑い出す中にアギレオがただ肩を竦める。
ふいに、アギレオはいけ好かないやつだろう、と言ったリーの言葉を思い出し、こらえきれずに肩を揺らしてしまう。
「数が数えられないのはお前の方だろう。俺の分をもう10足してもらう」
笑いながらリーが言い、私達は人狼ですもの、と、ルーが名乗りを上げると、ああ!?と、アギレオがわざと眉をしかめ。
「それじゃ俺の手柄が足りねえだろうが」
「仕方ないな。俺たちは足が速い」
「おう。待てよ、聞き捨てならねえな」
そう、まるで普段のように軽口を叩き合いながら、けれど再び頭を付き合わせて現状を整理するテーブルへと、アギレオの隣に腰を下ろして加わった。
数が多いというのは、それだけで、簡単なことではなくなってしまう。
知らず突っ切るつもりのオーク達の進む方向を、獣人達が可能な限り逸らすにしても、数で劣るため自在にとはいかない。
200の部隊の向きと、説明される距離を考えれば、獣人達に削られながら、本隊はどうしてもどこかで砦の中に突っ込んでくることになる。
獣人達の得手とする、混み入った森の中での戦闘で可能な限りオークを減らし、残りは砦で迎え撃つしかない。
テーブルに広げた地図でその配置と時間を作戦している間に、ナハトの率いる買い出し隊も合流して、砦の総員でオーク軍を迎撃する伝令が行き渡ることとなった。
「戻ってきたな」
最後尾で馬を並べるアギレオを目端に振り返り、また森へと目を戻して眦を柔らげ。
「おー、出掛けてウロウロすんのは好きなたちだが、その楽しいっつうのと、我が家ってな、また違えんだよなあ」
平気で手綱を離して伸びなどしているのに、頷く口元も緩み。
「それは分かるな。本当に楽しかったし、名残惜しさすらあるが、やはり住み慣れた場所はいいものだ」
それぞれに荷を積み、馬の負担を減らすために行きよりものんびりと歩ませる足も、心なしか少し軽くなるように見えて。
前をゆく面々も、途端のように賑わい、それぞれに言葉を交わしているのを和やかな心持ちで見守る。
前衛を守る獣人が森を指さし、隣の獣人と顔を見合わせているのを目にして。森の向こう、砦の家を指しているのだろうと穏やかになる気を、だが、指さした彼が振り返り、向けられる声が張り詰めているのに、皆の空気が一変する。
「馬が来るぜ、――走ってる…一頭、一頭だ!」
目と鼻の先に森が近付き、隠された入口も次第に見えてこようというところで、狐の獣人であるフランが声を上げる。
守備を置く砦のある森で、馬が駆けているというのは、気持ちのいいものではない。
だが、音にも目にも見えず、獣人達の感覚の鋭さかと思えど、目を凝らす。前をゆく人馬の影にもなり、フランの声が指し示したものを確かめようと、手綱を持ったまま鞍の上に立ち上がり。
見えぬ、聞こえぬ、が、目の先の森に僅かながら木々のざわめきを感じる。
「――散れ! どっか適当に隠れろ!」
アギレオの声ひとつで隊列は散り、傍の岩陰や木陰を探して各々に馬の鼻先を変え。
「どこから来る…?」
目を凝らしながら立ったまま手綱を操り、ひとまず隣のアギレオに合わせて馬の足を物陰に向けさせる。「砦の方からだ…!」と、今度はひそめた声でフランが伝え、降りろと舌打ち混じりにアギレオが言うのに、馬を岩陰に隠しながらそのまま飛び降りた。
隠れ道はすぐ目の前だ。
森の途切れた道の、今しがた自分たちが歩みを乱した跡は、斥候であればすぐに見つけるかもしれない。何者か、砦の巡回を掻い潜って国境を抜けた谷のエルフ、それとも、と森への入口を見つめながら頭を巡らせる。
――聞こえた。ドド、と蹄を踏み鳴らし、駆ける馬の足音。木々の茂る森を抜けるのは、馬にとって得手ではないが、足音は淀まず駆けているのが分かる。
境の森に通じた者が乗り手か、と、確実に近付く足音に耳を澄ませる、その目先に躍り出る一頭の馬の姿。
「――!?」
乗り手がいない。鞍もつけていないが、走る度に手綱が躍る、真っ黒な青毛に靴下を履いたような白足の。
「スリオンッ!!」
姿を隠したこちらを探るわけもなく、今自分たちが歩いてきた道へとそのまま駆けていく、あっという間に過ぎる黒い風。間違いない。
「スリオンだと!?」
乗り手はいねえのか、落としたのか!?、何があった、と、それぞれに上げている声を背にして、駆けていった馬の方へと向き、口笛を吹く。
振り向きはしなかったが、己の声に足を緩めたのを確かに見た。猛って逃げ出したのではないはずだ。
高く、遠くに響かせるよう口笛の音を伸ばし、少し待って。もう一度試そうと息を吸い込んだところで肩に手を置かれ、息を止める。
「もう少し待て。馬の耳なら今ので聞こえたろう」
スリオンが駆けていった、道の向こうを見ながら声を低くするアギレオに、頷く。
何かあって、何者かが近くにいるなら、明らかに人為的な合図である口笛は、吹き放題とはいかない。
「全員馬に乗れ、どっち向きにでも動けるようにしとけ」
声の揺れで顎をしゃくっているのが分かるが、己は、ひとまず馬を待つ。アギレオもすぐに馬に戻る様子はなく、張り詰めた空気とひそめた声ばかりが背の後ろ。
「――…来た、戻ってる、戻ってくるぞ…!」
相変わらず、フランの声が最も早い。思わず振り返り、また道の先を見ても、過ぎていった砂埃の名残しかまだ見えず。
それでも、数秒で僅かな黒い影を現し、それが見る見る馬の形になり、真っ直ぐにこちらへと駆けてくるのを目にして、胸を撫で下ろす。
先よりは緩い駆け足で、己が見つけるより早いのか、迷わずこちらへと向かってくる馬体に、少し迎え出ながら、手を上げて止まるように促して。
身をかわし、息を荒げながら蹄を踏み鳴らし、しばし止まりきれず傍をまわるが、荒ぶってはいない。自ら抑えようと、上げた腕に顔を突っ込みたがるのを受け止めて、鼻先を腕に抱き、首を撫でてやる。
「おいハル、乗り手はともかく、鞍ァ落としちまうなんてことがあるか?」
少し思案して、だが頭を振る。鞍のつけ方が悪く、乗り手もろともということも考えられるが、確率は低い。
「放したか逃げ出したと考える方が自然なように思う。アギレオ、鞍を移し、スリオンに乗って砦へ戻れ。それが一番速く、確実だ」
唇を噛むような表情で馬のまま集まり始める面々の顔を、今は確かめずアギレオを見る。とてもではないが、いい予兆とは考えにくい。
ふむ、と、思案げにひとつ鼻を鳴らし、アギレオがスリオンの首を撫でる。
「だとよ。振り落として、くれるなよ…!」
慣れたように馬の背に手を掛け、身軽にそのまま飛び乗り跨がる様子に、少し目を瞠る。行け!と、馬に不必要な打撃も与えず声ひとつで駆けさせるのを、声をなくして見送って。
裸馬に乗れるのか、と、場違いに感心してしまう。
「ハル!」
呼ばれて振り返り、カルラが進み出て、馬から飛び降りるのに瞬く。
「荷を載せ替えた、あんたも馬を替えて。あたしの馬が一番疲れてないよ。あんたも行って…!」
今の短い騒ぎの中、どういう判断をしたのかと、だが問うている場合ではなさそうだ。
「うぇぇいィィ、俺らはせいぜい、慌てて荷物ブチまけねえように帰るぜぇぇ」
アギレオが抜けた隊に、ナハトが指揮を執り、揉めることもなく指針が決まって、彼らはすでにそのように馬を動かし始めている。
改めてカルラを見つめ直し、頷く。
「スリオンはたった今、森を抜けてきた。何かあったとしても、そう時間は経っていないはずだ」
大丈夫、と、強く頷くカルラの、けれど引き結んだ唇は微かに震えている。大丈夫、と、同じように再び頷いてから、荷を移して身軽になった馬に飛び乗り。
行こう、皆が心配だ、と、エルフの言葉で馬に呼びかけ、背を打って腿の内で軽く鳴らすように合図してやる。
馬というのはひどく敏感なもので、乗り手達の騒ぎが伝わるのだろう、その身や脚が強張っているのを感じる。行こう、と、もう一度かけてやる声に、勢いつけるように前足を踏み鳴らしてから、心を決めたように馬が駆け出した。
最悪の事態に備える気が抜けてしまいそうになるほど、砦の様子はそれほど乱れてはいない。
だが、人間達は走り、あるいは歩き回って何かを相談し合い、何より、そこここに獣人達が起きてきているのが見える。
アギレオがそこで降りたきりなのだろう、食堂のそばで草を食んでいるスリオンを見つけ、乗っている馬と共に馬小屋の傍に放しておく。
そうして駆け戻る食堂の扉を開いてくぐり、集まった顔ぶれを見れば、もちろん、何事もなかったというわけにはいかないのが分かる。
椅子に座ったアギレオが腕組みする、机を挟んだ正面でリーが話し、その両隣でレビとルーが黙って二人のやりとりに耳を傾け。少し間を置くようにして獣人達と人間達の何人かが腰掛け、やはり中心の二人を見守る表情は固い。
「どうした。一体何があった?」
輪の中心に近付きながら、手前のルーに声を低くして掛ける。振り返って、ルーが琥珀の瞳だけで頷き、アギレオとリーの邪魔をせぬようこちらへと近付いてくれるのに足を止め。
「オークよ。まだ距離はあるけど、まっすぐ砦に向かってるの」
魔物か…!、と、声は立てず腹の内で唸る心地で、頷く。
「ここに砦があることを知るはずはない。森を突っ切ってどこかの集落を襲おうというのだろう。できれば森に入る前に潰してしまいたいな」
「ええ、そうね。ただ…」
その傍へとレビも足を寄せてくれるのに、目をやり。
「数が多いんだ。それで、できれば伝令にも何日も人を割きたくなくて、スリオンだけ行かせた」
「ケレブシアだったか。大胆なことをする」
風の魔法で、買い出しの隊の通る道とぶつかるように誘導をつけて、と、説明してくれるのに、なるほどと深く頷く。複雑な魔術を使いこなすケレブシアと、エルフの馬であるスリオンの組み合わせならではだ。
上手くいったようだ、と、ケレブシアに頷いてみせてから、今度はルーとレビ、二人へと目を配り。
「それで、オークの数はどのくらいだ?」
短い間、ルーとレビが目だけを見合わせるのに、眉が寄る。
「……、200」
「――…」
にひゃく、と、思わず口の中で声にせず繰り返して、歯噛みする。
砦の人数は今どれほどだったか。人間と獣人、年寄りから子供まで合わせて、おそらく50前後のはず。三分の二程度が人間で、彼らはみなが戦士というわけではない。それに比べ、オークは200全てが、人間ならば圧倒するほどの戦力だ。頼みの綱は三分の一の獣人ということになる。
「リーお前、数がかぞえらんねえんだったか?」
被害が出る。それも深刻な、と、思考の沈むところに割って入るようなアギレオの声に、思わず目を向ける。それは明らかに、同じようにして黙る、この場の面々の顔を上げさせるための色で。
「獣人は今、何人だ?」
「…16。…全員でだ」
肩を竦めるアギレオに、鋭い目つきでリーが答える。
獣人達の中には“若手”と呼ばれているものがあり、言葉通り年も若く、戦闘においても年長のものほど熟達しているとはいえない。言外に含まれる意に、だが取り合わぬようアギレオは気怠そうに首を回し。
「獣人一人でオーク10匹殺せ。…いや、けど死なれる余裕はねえからな、二人組で二対一でかかって、二人で20匹、ってとこか」
その声に、頭の中でオークの群れの数が減る。
200の内、16人の獣人が160匹のオークを倒す。
「…ひとり10匹か。…そうだな、合計でその数ならなんとか…」
一人が10体のオークを倒すというのは、充分にとてつもないが。ただ、確かに、一人で10体に取り囲まれろという話ではない。また、彼らは腕に覚えがあるのも事実だ。
自分とレビで同じように、と、考えているところへ、アギレオの一言で、一瞬にして場が静まり返る。
「残りは俺が片付ける。それで終えだよ」
想像していなかった言葉に、思考すら一瞬止まり。それから、ふつ、と笑いが湧いてしまう。さすがに場違いだ、と手で口を覆ってこらえるところで。プッ、と、噴き出す息、クククッと喉で笑うような声があちこちで転がり始め、笑い出す中にアギレオがただ肩を竦める。
ふいに、アギレオはいけ好かないやつだろう、と言ったリーの言葉を思い出し、こらえきれずに肩を揺らしてしまう。
「数が数えられないのはお前の方だろう。俺の分をもう10足してもらう」
笑いながらリーが言い、私達は人狼ですもの、と、ルーが名乗りを上げると、ああ!?と、アギレオがわざと眉をしかめ。
「それじゃ俺の手柄が足りねえだろうが」
「仕方ないな。俺たちは足が速い」
「おう。待てよ、聞き捨てならねえな」
そう、まるで普段のように軽口を叩き合いながら、けれど再び頭を付き合わせて現状を整理するテーブルへと、アギレオの隣に腰を下ろして加わった。
数が多いというのは、それだけで、簡単なことではなくなってしまう。
知らず突っ切るつもりのオーク達の進む方向を、獣人達が可能な限り逸らすにしても、数で劣るため自在にとはいかない。
200の部隊の向きと、説明される距離を考えれば、獣人達に削られながら、本隊はどうしてもどこかで砦の中に突っ込んでくることになる。
獣人達の得手とする、混み入った森の中での戦闘で可能な限りオークを減らし、残りは砦で迎え撃つしかない。
テーブルに広げた地図でその配置と時間を作戦している間に、ナハトの率いる買い出し隊も合流して、砦の総員でオーク軍を迎撃する伝令が行き渡ることとなった。
0
あなたにおすすめの小説
女子にモテる極上のイケメンな幼馴染(男)は、ずっと俺に片思いしてたらしいです。
山法師
BL
南野奏夜(みなみの そうや)、総合大学の一年生。彼には同じ大学に通う同い年の幼馴染がいる。橘圭介(たちばな けいすけ)というイケメンの権化のような幼馴染は、イケメンの権化ゆえに女子にモテ、いつも彼女がいる……が、なぜか彼女と長続きしない男だった。
彼女ができて、付き合って、数ヶ月しないで彼女と別れて泣く圭介を、奏夜が慰める。そして、モテる幼馴染である圭介なので、彼にはまた彼女ができる。
そんな日々の中で、今日もまた「別れた」と連絡を寄越してきた圭介に会いに行くと、こう言われた。
「そーちゃん、キスさせて」
その日を境に、奏夜と圭介の関係は変化していく。
巳山のお姫様は何を願う。
ありま氷炎
BL
巳山家の深窓のお姫様。
「彼女」には秘密があった。
阿緒の本当の性別は男であった。
幼馴染の多津(たつ)に拒絶され、己の体を呪う阿緒(あお)。
そんな阿緒を見守る従者の寒凪(かんなぎ)。
多津(たつ)は、秘密を抱えた阿緒(あお)の許婚になるが、その態度は告白を受けた日から変わってしまった。
隣国の赤の呪術師が、男を女に変えることができる秘術を使えると聞き、多津、阿緒、寒凪は隣国へ旅に出る。
上司、快楽に沈むまで
赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。
冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。
だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。
入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。
真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。
ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、
篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」
疲労で僅かに緩んだ榊の表情。
その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。
「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」
指先が榊のネクタイを掴む。
引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。
拒むことも、許すこともできないまま、
彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。
言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。
だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。
そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。
「俺、前から思ってたんです。
あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」
支配する側だったはずの男が、
支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。
上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。
秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。
快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。
――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。
売れ残りオメガの従僕なる日々
灰鷹
BL
王弟騎士α(23才)× 地方貴族庶子Ω(18才)
※ 第12回BL大賞では、たくさんの応援をありがとうございました!
ユリウスが暮らすシャマラーン帝国では、平民のオメガは18才になると、宮廷で開かれる選定の儀に参加することが義務付けられている。王族の妾となるオメガを選ぶためのその儀式に参加し、誰にも選ばれずに売れ残ったユリウスは、国王陛下から「第3王弟に謀反の疑いがあるため、身辺を探るように」という密命を受け、オメガ嫌いと噂される第3王弟ラインハルトの従僕になった。
無口で無愛想な彼の優しい一面を知り、任務とは裏腹にラインハルトに惹かれていくユリウスであったが、働き始めて3カ月が過ぎたところで第3王弟殿下が辺境伯令嬢の婿養子になるという噂を聞き、従僕も解雇される。
臣下が王の乳首を吸って服従の意を示す儀式の話
八億児
BL
架空の国と儀式の、真面目騎士×どスケベビッチ王。
古代アイルランドには臣下が王の乳首を吸って服従の意を示す儀式があったそうで、それはよいものだと思いましたので古代アイルランドとは特に関係なく王の乳首を吸ってもらいました。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる