星に牙、魔に祈り

種田遠雷

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31、伏兵

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《――…山犬……死…》
 彼ら自身が望まぬ限り、樹人の姿は木々と見分けがつかない。
 それ故に、森から恵みを得ようと下手に踏み込めば、知らぬ内に彼らや彼らのものを傷つけて怒りを買いかねないのだ。
 およそ自分の知る限り、樹人の森にあえて踏み込む者はなく、その名や存在を知らぬ人間たちでも、かの森が近くにあれば禁域として伝えられている。
《――……犬……死んで…う…》
《――…食べ物……東……》
 食べ物?と、見えぬと知りながら思わず声を振り返ろうとした顔を「アレだ」と、ベルがひそめる声に留めて目を向けた。
 まだ多くの木々が遮るその隙間から、わずかな灯りが見える。
「あの光は、谷のエルフが点けてんだ。あそこになんか小さい城みたいなのがある」
 見つからないようにしろよ、と、声をかけ、足の向きを変えるベルの後に従っていく。
「ナハトー、まだ生きてっかー?」
《――……黒い山犬……もう死ぬ…》
 ベルの軽い調子と、重々しい樹人たちの声が、かなり奇妙な感じだ。
 獣人達は顔を見合わせ、首をひねってひそめた声を交わしている。
 そうして、疎らになっていく茂みを掻き分けた先、何もないところにベルが突然しゃがんだように見え。
 夜目の利く獣人達が早足にそこに近づくのに続くよう、足を寄せる先で、突然、見覚えのある顔が身を起こした。
「黒い山犬ぅぅ、もう死ぬぅぅ」
 ィヒ、と、ふざけたように笑う声をひそめ、低く身を屈めたままのナハトが、獣に変じていた姿を解いたのだと、遅れて理解する。
「今度は何取りに行けって?」
「食い物ぉぉ。っても、また草か木の実だろぉぉ」
 ハァァ、などと、わざとらしく肩を落とすナハトは、だが、身を屈めたまま動かず。それだけ言葉を交わせば、傍の木の幹に身を預けてしまう。
《――……滋養……東の…》
 ちょっと行ってくる、と、声の出所を探るように辺りを見回しながら、ベルが駆け去るのに、文字通り置いていかれた格好になって。
 状況を報告してくれ、と、リーがナハトの傍に身を屈め、みなでそこへと低く集まる。
「ベルが言ってたな。アレか」
 リーが目線で示す先には、先ほど木々の間に見た灯りが、先よりはもう少し近くに見えている。
「そぉぉ。あんくれえの建物だからなぁ、ここに隠れてても中の声がなんとなくは聞こえんだよぉ」
「ああ。……思ったよりも、エルフは少なそうだが。昼でもそうか?」
 リーとナハトが、灯りの方に目を据えたまま状況を確認しているのに、驚く。
 木々の間から覗くように見えている灯りは、決して目の前ではない。おそらく、もう少し先で森が途切れ、さらにその先に建物があるのだ。
 己にはその程度の距離感が掴める程度であるのに、ナハトとリー、様子を見る限り、メルとリューにも建物の中の音が捉えられている。耳を澄ませても、やはり、樹人達の曖昧なささやきと、せいぜい虫や夜鳥の声が聞こえるばかりで。
 夜が明ける前に始められれば有利にならないか、と、思案に唇を擦るところへ、耳に入るやりとりで、何を考えていたのか吹き飛んでしまう。
「…アギレオの声は?」
「丸一日聞こえてねえ」
 ざわめき、揺らぐ胸の内を握り潰して押さえるよう、奥歯を食い締め。
「大体どこにいるか分かるか?」
「どこまでかはなぁぁ。多分、下なんだよなぁぁ」
「下?」
 熱くなりすぎぬよう、集中しなければ。
 身を投げ出すようにしてレビの手当を受けているナハトと、その傍で話しているリーに足を寄せ、ひそめる声を閉じ込めるように近づき輪を作って。
「地面より下の部屋のはずなんだよぉ。それで余計聞きにくくってさぁぁ」
 声の聞こえ方で中の様子を把握しているということか、と、目を剥いてしまう。
 だが、と、その先へ頭を巡らせ。
「大体で構わないのだが、建物の大きさや、内部の構造も分かるだろうか」
 んー…、と、首をかしげて思案するナハトの、傷の手当をしているレビに少し目が向く。
 銀の眉を薄く詰め、水で洗ったり、薬を塗ったりして縛る傷は、治り始めてはいるが、だからこそ、元の深さがうかがわれる。
「ずっと聞いてっからぁ、大体見当はついてんだがぁ…。エルフが歩き回ってねえとこがあったらぁ、そこが建物ん中か外かまではなぁぁ」
 木の枝を拾い、土に何かを書いてくれているのに目を落とすが、暗くて見えない。
 レビから寄越され、懐に隠していた光球を取り出し、その枝先に近づけてみる。
「向こう側にゃ出入り口がねえみてえでなぁ、行き来してんのは南側でぇ」
「なるほど、向こうに入り口があれば、そこから出入りするよな」
「そうだな。だが、南側を往来しているからといって、例えば北側に出入り口がないとも限らない」
 どうだろう?と、ナハトに目を向ければ、知らねえよぉぉ、と首をかしげるのに、頷いて返す。
 建物を把握したいところだが、地形を考えると、樹人の森を出てしまえば、ベスシャッテテスタルの領域までは身を隠す場所も乏しいかもしれない。
 さて、と、顎に手をやるところでふとリーと目が合い。どう攻めるか、と、互いに考えを巡らせるのが分かって、浅く頷いた。

 反響する音に耳を澄ませて推測するらしい、ナハトが枝で地面に描いた建物の見取り図を検討する間、森に隠れていられるギリギリまでリューとメルが行き来して、補足していく。
 描かれた構造と獣人達からの報告を受け、唇を擦る。
「塔を備え、地上階は壁で防備している。小さいが、城になるはずのものだったのだろう。…だが、おそらく建設中に計画が変更されたか、早い段階で放棄されている」
 へえ、と声を上げるリーに、レビが相槌を打ち。
「城にしては弱そうだし、屋敷にしては物々しいな」
 場所が悪かったんだろ、と、辺りを見回すレビに、今度はこちらで頷く。
「以前、もう少し北に人間の王がいたはずだ。それに関わりがあるのだろうが、ここは避けるべきだったな。ベスシャッテテスタルと樹人の森の間に余所者よそものが砦を築いても、身動きが取れまい」
 北の王国から離れても、もっと南に下れば開けた場所がある。そちらに下るのを惜しんだのか、それとも作りかけで、同じように考え直したのか。
「おぃぃ、歴史の勉強はいらねえぜぇぇ」
 身動きも取りたくないといった様子ながら、呆れた声を上げるナハトに、眉を上げ。そうだな、と頷き直して、その攻め方について提案する。
「北側にも出入り口があるとみて間違いないだろう。侵入したら南北の出入り口は塞いでおくにしても、時間稼ぎだ。目と鼻の先にベスシャッテテスタル本国があるここで、籠城するわけにはいかない」
「そりゃそうだな」
 頷く面々の顔を確認してから、ナハトの描いた見取り図に侵入と奪還の経路を記していく。どちらにせよ、闇に紛れて忍び込み、手近の敵を片っ端から倒していくつもりでなければならない。
「…ほとんど単なる正面突破ってわけか。建物の中に森はないだろうし…」
 広間だろうが階段だろうが、魔術の放ち放題になるのは目に見えている。リーの懸念に、背に二つ負った矢筒のひとつを下ろし、赤鉄のつけられた矢を示す。
「踏み込む前に、結界を張る。城を囲むように矢を打ち込めば、森の精霊の守護が薄まり、特に魔術師は形無しにできる可能性が高い」
 へえ、と獣人達から上がる声と、不愉快そうに眉を詰めてレビが怪訝に矢を見つめる。リーが、ああ、と小さく声を上げ。
「見つけたのか」
 そうだ、と頷き。
「だが、借り物だ。持ち主に、必ず全て返すと約束した。――そこで、ナハトには、全ての矢を把握し、城に入らず、この矢が奪われないよう見張っていてもらいたい」
 何本あるんだぁぁ?と、覗き込むナハトに、20、と、矢筒を傾けて見せ。
 返さねば、と、彼らに説明したのとは別に、これを、ベスシャッテテスタルに奪われるどころか、知られるわけにもいかない。
 こんなものが知られ出回るようになれば、世界の均衡すら崩しかねない。
 使うべきではない、と、囁く危機感が、己を詰る。あの男のために何人なら死んでもいいのかと。
「絶対にだ、ナハト、」
 仲間すら欺き隠しながら、心は冷えて、頭は冴える。
 ナハトが何か応じようとした、声を遮るタイミングで、ザッと草をかき分け現れる一匹の山犬に、みなが一斉に振り返る。
 鼻先だけがくちばしのように白い、黒茶の毛色。
 集める視線の先で、山犬が見る間にヒトの姿を取って立ち上がり、目線など気に掛けぬ風でナハトへ駆け寄る。
「木の実だった」
《――……滋養…らねば……死ぬ……山犬…》
《――…死ぬ……》
「はいはいぃ、死ぬ死ぬぅぅぅ」
 渋々といった様子でベルから木の実を受け取り、無造作に口に放り込んで頬張るナハトに、瞬き。ナハトとベルへ交互に目をやる。
「……樹人と会話しているのか?」
 まさか、と、肩を竦めるベルに、ナハトがおおげさに頭を振り。
「ずぅぅっと死ぬ死ぬ言ってんだよぉ。あの薬草食わねぇと死ぬ、これを塗らねぇと死ぬってぇ。助かっちゃいるが、こっちの言うことにゃ耳は貸さねぇし、うるさくってたまんねぇぇ」
 わざとのように、げんなりしてみせるナハトに、ベルが相槌をうつ。
「言う通りにすると、しばらく黙っててくれるし、効き目はあるみたいだから、伝言に来たらみんなでついでに聞いてやることにしてんだ。…けど、ずっとここにいて、ずっと死ぬ死ぬ言われてるなんて、よくやるよ…」
「しょうがねぇだろぉぉ。別に好きでいるんじゃねぇよぉぉ」
 なるほど、と、おおよその話を理解し。それから、樹人がヒトを助けるという、初めて耳にする話に少なからず驚く。
「お前も中に入らず残れよぉ、ベルぅぅ。20は怪我人にゃ多いからよぉぉ」
 え、なんで。と、目を丸くしているベルに、放った矢の見張りについてナハトが説明しているのを耳に入れながら、他の面々と突入の算段について確認し直し。
「魔術が使えなくなんのか…」
 思案げに口許を覆っているレビに、頷きながら短剣を差し出す。
「森の精霊の守護を断つ。身体も人間並みには重くなるし、魔術に至ってはほとんど発揮できないだろう」
「分かった。剣は持ってる。いらない」
 彼が普段から携えている杖を上げ、握りの部分を引き抜くようにして、仕込まれた細剣を示してみせるのに、短剣を退いて。
「レビを残してベルを連れてくか?」
 リーの声に、行く?と、顔を上げるベルに、レビがあっさりと首を横に振り。
「ベルはまだ怪我が治ってないし、ずっと砦とここを往復して消耗してる。俺の方がマシ」
 どうかなあ、と首をひねるベルに、レビがもう一度頭を振るのを見てから、リーと顔を見合わせ。
「ベルはナハトの補佐を頼む。ハルもレビも人間並みになるが、俺達で補おう」
 目を向けられるリューとメルがそれぞれに頷くのを見て、今度はレビへと、己から目を向け。
「私もケレブシアもひどく鈍くなる。が、それは谷のエルフも同じで、私達の様子を見て油断させられるかもしれない。変わらず動けるリー達で、そこを突こう」
 おう。よし。と、返る声に意気が上がる。
 まだ明けぬ闇に沈む城の、遠い小さな灯りを、睨むように振り返った。
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