星に牙、魔に祈り

種田遠雷

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33、奪還

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 もつれそうな足を、先立つ心に引きずられるような心地で、塔の地下へと続く螺旋の階段を下っていく。
 指揮官は几帳面なエルフなのか、急ごしらえとはいえ、どこもきちんとちりはらいがされ。
 魔術ではなく油で点されたランプがいくつか設えられて、足下も照らしている。
 まるで“まともな”エルフのようであるのに、連れ去った捕虜を守護地の外につなぎ、小さな隊で廃墟に留まっているのが、奇妙な感じだ。
「…いる! 一番奥の部屋だ!」
「生きてるか!?」
「分かんねえ、匂いはするけど音は聞こえねえ」
 獣人達とレビの交わしている会話を聞きながら、いくつかの部屋の前を素通りし。はやる気持ちをぶつけるよう、見えてきた最後の扉へと駆け寄り、そのまま蹴破けやぶる。
「うお!?」
 誰かが上げた声など、耳に入らない。
 灯りの乏しい廊下よりも、部屋の奥はなお暗く、戦の跡のような重い匂いが漂い。それに、水音がする。水滴の落ちる音ではない、小さなものだが、水が流れている。
「アギレオ! アギレオいるか!」
 背後から光が満ちて部屋の様子が浮かび上がってから、その前にはレビの詠唱が聞こえていたと気づく。
「……ッ」
「うわ……」
 照らし出された光景に、息を飲む。
 地下室の入り口から正面、奥の壁へと、腕を捕らえる手枷に鎖でつないで、張りつけられた褐色の肌。
 まるで生きたままヒトでも食ったように、口からあふれそのまま垂れ落ちて、こびりついた血の跡は黒くなり始めている。
「アギレオ…」
 ぐったりと項垂れた頭が、己の声にも、駆け寄る仲間達の声音にも持ち上がることはない。
 アギレオの長身のわりに低く留められた拘束の理由も、近づけば見えた。壁際に深く掘られた溝へ、どこからか水が流れて循環しており、腰から下は水中に沈められているのだ。
 鎖を切らねばと剣を抜いて歩み寄り、壁と手枷をつないでいる鎖へと突き立てる。高い金属音が響くばかりで傷つかぬ鎖に苛立ち、もう一突き浴びせようと振り上げた腕が、阻まれる。
「俺がやる」
 腕を掴んだリーに頭を振られて、ようやく、自分で張った赤鉄の結界のせいで、鎖を断てないのだと思い当たった。
 リー達が鎖を切るのに場所を譲りながら、下がった足がゴツリと、何か小石のようなものを踏みつけたのに気づいて。
 それを拾い上げ、血のこびりついた尖った形に、これは何だろうかと眉が寄る。見ている内に、手にしたものが何かを理解して、一気に総毛立った。
 怒りで、目の前が明滅すらする。
 これは、アギレオの歯だ。
「――捕虜を拷問したというのか、エルフともあろうものが…!!」
 涼しい顔をした谷の指揮官の言葉が思い出され、激昂を煽る。
「…なにが、なにが高貴なるエルフ同士の戦いか…!」
 エルフが他より高貴なることは、これをもって彼ら自身が否定したのだ。
 三人がかりで石床に横たえられるアギレオの、やつれ痩けて傷ついた様に、怒りと嘆きが胸の内を掻き回す。
 血を帯びた牙が、まるでそんなところまで几帳面のように、あと3つ、床に転がっていた。
「アギレオ、…アギレオ…」
 アギレオの様子を確かめているレビの傍に膝行いざるようにして足を寄せ、その冷たい身体を撫でる。
「…息はある。……っ、…息は、ある…」
 何かを言いかけ、言い直すように同じ言葉を繰り返したレビに、眉が下がる。
 レビが手を触れて霊力を分けているのを見ながら、力を発揮できないまでも、せめてぬくもりをと、繰り返しその胸を撫で。
 コホ、と、苦しげに小さく咽せる音が聞こえて、顔を上げる。そのまま続けざまに咽せるアギレオに、メルが膝をついて頭を抱え起こし、水を含ませてやって。
 その瞼が持ち上がったのを見た胸の内で、強く打つ鼓動が、耳に響くほど大きい。
 心の臓が脈打つたび、全てが溶け落ち、緩んでこぼれていくような。
「おま、えら……」
 喘鳴の混じる掠れた声に、みながアギレオの名を呼ぶ。
 だが、アギレオの表情は緩むことなく、鋭い。
「…来るな、った、はずだ……、…リュー、…ったえろ、って……」
 どこか覚束なさを孕んだままの混色の瞳が、みなをグルリと見渡し、己で止まる。手負いの獣のような、危うい険しさで目を据えられ、眉を上げる。
「て…めえ、ハル……また、うちの……ぶねえ、目に…」
 だが、そこで一度、目も口も力を抜いて閉じてしまうアギレオに、眉を寄せ。
 混乱してる、と、己を見て小さく首を横に振るレビの声に、頷きかけて。
「…女房持ちに……メルは、ガキが…、……家族、の……」
 続けられたアギレオの声が、言っていることは分かる。分かるのに、次第に、自分でも不可解なほどに怒りが湧いてくる。
「砦の…」
 やっとここまで辿り着いた。
 正しいことだったのかと問われれば、間違いないと答えることなどできないだろう。けれど。
 傷つけられた願いが痛んで、守りたいという怒りが湧く。
 何故。何故お前まで――!
「ハル、」
「砦の! 家族が守られるものだというなら!! 私にもお前を取り戻したいと願う権利があるッ!!」
 瞠られるアギレオの瞳の、瞳孔が大きくなって、こちらに焦点を結ぶのが分かる。
 フ、と、双眸を細めて、片側に深く口角を吊るアギレオの顔から目を外し、額を擦る。声を荒げても仕方あるまいに。
「…かしらってな……例外なん…だよ…バカが……」
 言いたいことも、思いも分かる。けれど。
 ぽんと肩に置かれた手に、開き掛ける口を止め、振り返る。
「いや。俺はハルの言い分を支持するぞ」
「例外の設定として通らねえだろ」
 頷くリーに、レビがふんと鼻を鳴らし。
「お、お、俺たちにだってッ、俺たちのお頭を取り戻すケンリがあるッ」
 唇をわななかせて涙を滲ませるリューに、あるあるぅ、と、茶化すようにメルが肩を竦める。
「……バカども、が…。……んな真似して…一人でも欠けたら……一生言ってやっか、ら……」
 褐色の瞼が再び落ち、脱力してぱたりと手先を床に垂らすのに、心臓が締めつけられる。
 慌てて屈み直し、その首筋にまだ、弱々しいながら脈があるのを確かめ。
「し、死んだ!?」
「ここまできて死なせるかよ…!」
 アギレオの身体を揺すろうとするリューに、やめろ、とレビが低い声で制するのと同じ、けれど別の声が、詠唱を紡いで。
「とりあえず、一時的に傷の悪化だけ防いでみる。担いでくしかねえんだから、せめてどこも裂けない程度には…」
 歯噛みするようなレビに頷き、施術が終わるのを待って、アギレオの脇から腕を入れ。
「私が担いでいこう」
 手伝うぞ、と、手を伸ばすリーに、けれど頭を振った。
「レビ、膂力りょりょく増強の魔術は使えるだろうか。できれば、リーには戦闘に備えてもらって、私一人で運ぶ方がいい」
 わかった、と、頷きひとつで次の詠唱を始めるのを耳にしながら、外套を羽織るような要領で、肩の裏に長身を渡らせて担ぎ上げる。ずしりと身を縮めるような重みも、魔術の助けですぐに軽減され。
 行こう、と、リーに頷けば、首肯が返されて。
「さあ、逃げきるぞ。ここで一人でも欠けたら、ほんとに一生言われるぞ、我らが“お頭”にな」
 嫌だ!と、声を上げるリューと、意外にねちっこいからな、と淡々と答えるメルに、ほんの少し頬を緩め。可能性は低いと見えても、ここは谷から目と鼻の先だ。援軍、追撃、あるいは待ち伏せを警戒しながら、地上への階段を上り始めた。

 階段を上りきる前に、進む先から差し込む光で、夜が明けているのが知れた。
 下りた時と変わらぬ様の広間を見渡しながら、真っ直ぐに南の出入り口へと向かい。赤鉄の矢を回収するようレビに頼めば、気を利かせたリーが、リューとメルに、ナハトとベルに声を掛けて全ての矢を取り戻すようにと指示を出してくれる。
 あっという間に獣に変じて小窓から二人が出ていけば、出入り口に近付く頃には、次々に赤鉄の重みが引き抜かれ、目の前が晴れたようにすら感じられ。
 見通しのいい草原を走って突っ切り、だが、ナハトが身を隠していた森の入口へと踏み込めば、待っていたはずの四人が四人とも、立ち尽くして一方を見ているのに気づく。
 南の方角、ここへ城を築こうとせず、もっと南に下って開けた土地に出るべきだったなどと、論じた方向だ。そちらには、ベスシャッテテスタルからも樹人の森からも、無論クリッペンヴァルトからも離れた低地が広がる。
 森が途切れて低地が始まる、広くなるはずの視界を埋める一面の。
「……まさか」
 遠目にも見慣れた軍旗を見れば、見えぬはずの甲冑すらも、よく知ったものであるのが分かる。
「…せ、……戦争に、なるのか……?」
 あまりにもよく知った騎士隊の一軍が、ここからではどのくらいの数を動員しているのかは測れない。だが、少なくとも少数ではなく、しかも足を止めている。
 王命だと、部下達を置き去りにしてまで呼び戻された谷の指揮官を思い起こせば、ベスシャッテテスタルが知らぬどころか、既に睨み合っている可能性が、高い。
 誰が、何故、と。自身の疑問に、けれど易々と決めつけることなど許されない、思い浮かぶ顔は、一つで。
「リー」
 あ、ああ、と。我に返るように振り返るリーに、担いでいたアギレオを引き渡し。
「皆で砦に戻ってくれ。陛下がおられるなら、お伝えせねばならない事がある」
「お、王様がいるかもしれないのか…」
 戦争か…と、動くリーの唇に声は乗っていない。
 まさか、というこちらの声も咄嗟に出ず、ただ首を横に振る。
 こんなことのために戦を起こすわけがない。けれど、みっともなく、だが心から必死で、陛下に助けを求めたのは自分だ。
 せめて、顛末てんまつをお伝えせねば、と、留めた馬の元へ駆け出した。
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