星に牙、魔に祈り

種田遠雷

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61、オソグリス

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 なるほど、目で見れば一目で見るような大草原も、進んでみれば改めて驚くような広さであり。
 馬を歩ませ、そびえる次の山に近付き、小さな森らしきものの手前、話に聞いた泉のそばに辿り着くころには、傾いた陽が草原をだいだい色に染め始めていた。
 いくつも天幕が並ぶ、おそらく住処の境界であろう辺りから、なんだ、誰だとでもいう風な視線がチラチラと集まりはじめ。
「オソグリスはいるかァ!!」
 誰かに尋ねてみるものか、と、辺りを見回すところでアギレオが突然声を張り、えっと思わず肩が跳ねる。
 不躾な…と、呆気に取られ、けれど、ここはエルフの国ではないのだ、とひとまずは黙してアギレオを見守って。馬も止めずにそのまま進む先で、ヴァルグ達が少しバタバタと行き交いはじめるのが知れる。
「オソグリスは俺だ!! どこの命知らずが呼びつけやがる!!」
 姿よりも声を先に見たかと錯覚するほど。
 アギレオに負けず劣らず、よく通る声が先の方から聞こえ、目を丸くする。
 馬を止めながら飛び降りるアギレオに、続きそびれて、その真っ直ぐに進む背の先を凝視してしまう。
 落ちはじめの陽の明るさでは判然としない遠さながら、背格好や体格がどこか通じるように見えるが、それよりも。
 闇の底を抜いて光差すような、不思議に明るい声が、アギレオとほとんどそっくりで。
 ここに辿り着いた、という言葉が、己でも解らぬまま思い浮かび。日暮れの中、両拳を打ち合わせるという乱暴な挨拶を交わして、そして、見えなくともきっと笑い合っているのだと分かる、親子の影を見つめる胸がやたらに熱い。
 なんだかその景色をいつまでも、ただ見ていたいような、不思議に胸の震える心地で。半ば呆然として馬に乗ったままでいたのを、アギレオに呼ばれてようやく地に足を着けた。
 まだ夏だから、と、すぐには意味の分からぬ前置きと共に、見る間に目の前で組み立てられた食卓と椅子に目を瞠り。当然だろう、尽きぬ言葉を交わすオソグリスとアギレオの会話を聞きながら、招かれて椅子の一つに腰を下ろす。
 アマランタが使っていたものと構造が似ているようにも思え、なるほど組み立て式になっているのか、と机の下を覗き込んでみたりと楽しみ。
「まさかお前が生きてたとはな、アギレオ。少なくとも、ここには二度と戻らんだろうと思っていた」
「まあ、戻る気はなかったんだけどよ。こいつが見てえっつうから、えっちらおっちら登ってきちまったわ」
 性懲りもなくな、と、わざとらしく大きなため息などついてみせるアギレオに、なかなかの旅だった、と、楽だったとはいえない日々を思い出して頷き、笑う。
「連れてきてくれてありがとう、ハル。生き別れたと思った息子にもう一度会えるなんてことは、めったにない」
「いや、私のわがままで。連れてきてもらったのは私の方だ」
 素晴らしいところだ、と感嘆の息をついて、色の変わっていく空に星の降る、天幕の群れを見渡し。
 少しクセが強いけど飲めるかしら?と、オソグリスの奥方が勧めてくれる乳酒なるものを、カップに受けて額を下げる。
「そうか。友の望みでこんな山にわざわざ登るなんぞ、アギレオも丸くなったか…」
「、」
「ああ。そうじゃねえよ。友ってんじゃなく、こいつは…」
 オソグリスの言葉にギクリと強張りかけたのを、アギレオが当然のように覆し、カップを運びかけた手と息が止まる。
 血液が逆流するよう、みるみる首から上が熱くなり、妙な汗すら背中を伝いそうで。
「なんだっつったっけ? 結婚じゃなく、アー…」
 水を向けられるのに、息をしなければと飲む唾液が、ゴクリと大きな音を立ててしまう。
 短い間、何の話かと考え、思い当たって。
「……は、…伴侶だと、いっ……」
 言ったことだろうか、と言ったつもりであるのに、声になっていないのが自分でも分かる。
 伸びてくるアギレオの手が、指の背で頬を撫でて。動揺を沈めようと俯く。
「伴侶だ」
「伴侶? 恋人同士だということか?」
 怪訝がるようなオソグリスの声に、顔を上げられない。
「だから伴侶だっつってんだろ。手前ェらの約束だけったら、そうだけどよ」
 なんだお前は…と、呆れるような声に、肩を縮める思いで。
「そんないい加減なこと言ってないで、こんなとこまで連れてくるほどの相手なら、ちゃんと結婚したらどうだ」
 ビクッと、背が勝手に跳ねた。
 自分が今、どういう感情でいるのか分からない。けれど。
 ひどく、深く、急激に安堵が満ちていくのだけは分かる。
「おい、大丈夫か? はじめてにゃ強え酒かもな」
 ようやく目を上げて、覗き込むアギレオの目を見て。
 大丈夫だとでもいうよう、頷いてくれる目配せに、引き結ぶ唇が震える。
 顔を上げ、背を伸ばして。話している二人の顔を交互に見比べ、意識して大きく息を吐き、胸を緩めた。
「ごちゃごちゃ外野が口出さねえでも、いちいちこいつと話して決めてんだよ。ガキじゃあるめえし、大きなお世話だ」
 カップを持ち上げ、味が分からなくなってしまった乳酒を少し口にして。
 ふと、卓上で、アギレオの腕が自分の前に横切るよう置かれているのに気づく。わざとなのか、無意識なのか、彼自身の父からすら、己をかばってくれているのだと、胸にも腹にも沁みて。
 呼吸を整え、腹に力を入れてもう一度顔を上げた。
「ありがとう、アギレオ。――オソグリス、」
 片眉を跳ね上げるアギレオに、大丈夫だと頷き、オソグリスへと真っ直ぐに顔を向ける。
「私の国では婚姻がそれほど頻繁でなく、私自身、あまり馴染みがないからと、アギレオに願いました。互いの伴侶であると思っていたい、それだけでいいのだと」
 ふむ、と、静かに耳を傾けてくれるオソグリスに、少し額を下げ。
「私には親がなく、氏族や家といった感覚も遠い。アギレオと二人で同意していればいいと簡単に考えていた。あなたの息子に、あなたに、失礼なことであったなら、お詫びしなければ」
「うーん…」
 なるほどなあ、と、オソグリスが決して険しくない声で唸るのを聞く耳に、別の軽やかな声が飛び込む。
「いいじゃないの。15で山を下りるのを許した時に、アギレオの跡継ぎはすっぱり諦めたんでしょうが。今更未練がましいと思うわあ」
 ねえ?と、カップを覗く母君に、あ、まだ、と慌ててカップを乾し。
 嬉しそうに乳酒を注いでくれる母君を改めて見上げれば、鼻の形や目許がアギレオと似ている。
 目が合うとニコッと微笑まれ、酒の礼を告げながら、力が抜けていくのが分かった。
「う、ン!? そもそも俺は、ちゃんとした方がいいと言っただけで、何をしろとも、するなとも、だな!?」
 違うぞ、と、慌てるように掌を向けられ。ひとつ瞬いてから、はいと頬を緩め。
 そうして、互いに大きく息をつくのが揃ってしまって、仕方ないように笑い合う。
「ハルは親がないのか。エルフの生は我らとは違うものだろうが、苦労があっただろうな」
「ああ…。あまり、自分ではそう思ったことがなくて」
 へえ、と相槌を打つ声に、戦後の生まれや、戦災孤児たちを育てる施設を王陛下が王子の当時に作った話を語って。
 私もいただこうっと、と、耳にするたびに気分がよくなるような口調で、母君も席につくのに、表情が緩んでしまう。
 いつの間にか日は暮れ、ふと気づくと、炎の灯りが揺れている。
 目を上げてみれば、そこここに篝火かがりびが掲げられて、あたたかで力強い光をもたらしていた。
 食事にしましょうか、と、母君が席を立つのに途切れた会話で、ふとアギレオを振り返る。
「どうかしたか?」
 思案げに腕組みしている様子に、そういえば先から寡黙だなと顎を捻り。
「ハル。お前、ここでこのまま、俺の家族になりてえか?」
「……、」
 文字通り、声を失う。
 何気ない問いのように投げかけられたアギレオの言葉。
 答えられなかったのは、迷ったからではない。
 小さく唇を噛み、頷く。
 ほんとうに今更ながら、己に驚く。
 それほどまでに、自分は、この男のことを。
「……そう思う。私が、私でなかったなら、きっと、“そう思う”ではなく、“そうしよう”と答えただろう…」
 だが、と、続ける必要はないのだろう。笑みは勝手に浮かんでも、苦い色を孕み。言葉にはせず首を横に振る。
「そうだな。そりゃ俺もだ。嫌な訊き方だったら、悪かったな」
 分かっているというよう、頷きながら立ち上がるアギレオを目で追う。
 心は、分かちがたく。せめて身は、と、思いが現れるよう、場を離れようとするアギレオに思わず手を伸ばし。ン?と、眉を上げるアギレオが、すぐ戻る、とその手を撫でてから離れ、息をついた。
「ハル。アギレオはどんな様子だ?」
 掛けられる声に、少し肩が跳ねてしまう。父君の前だというのに、少しアギレオに近寄りすぎているかもしれない、と、また嫌な汗が出る思いで。
「アギレオは、それはそれは手の着けられない悪ガキで……。乱暴者の上に武の才に恵まれたばっかりに、手を焼いてな…」
「えっ」
 続きが知りたい、と、思わずオソグリスの話に食いついてしまう。
「少々力があって居丈高いたけだかになる若いやつは、年長者が思い知らせるのが教えというものだ。ことあるごとに氏族の腕利きやら、俺やらでボッコボコにしたもんだが、これがまた…」
 ブクッと、思わず噴き出しそうになったのをこらえ、カップを口に運んで誤魔化す。
 山中の道で若いヴァルグ達を容赦なく叩きのめし、けれど、何の怒りも悪意もなかったアギレオの様子が腹に落ち。
「叩きのめされたら叩きのめされたで、そこから技を盗んだり覚えたりするのも抜群に上手くてな…。あいつに身の程を教えてやるために、俺の方が腕が上がっちまったってくらいだ」
 めちゃくちゃだ、と、笑いを堪えて口許を押さえ、顎を引き。
「うっかり強くなって名が知れちまって、ついには、腕が人の三倍あるようだと、ついたあだ名が“ろくわんのオソグリス”」
「ああ…!」
 なるほど、腕が多くあるかのごとく強いという意味だったのか、と、文字通り膝を打つ。
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