あのときのわたしへ

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声が聞こえる

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便箋を閉じたあとも、
しばらく、わたしは動けなかった。

時計の針の音が、
ふだんよりも大きく響いてくる。

それが、
この部屋にわたししかいないことを、静かに告げている。

なのに、どうしてだろう。
誰かに、見られているような気がした。

いや、ちがう――

見ているんじゃなくて、
ずっと、待っていたような。

そのとき、ふっと、
胸の奥に、風のようなものが通った。

それは音でもなく、声でもなく、
たとえば、まぶたの裏に触れる光のような。
あるいは、深い水の底から響く音のような。

やわらかくて、でも確かに、
“わたし”に向けられていた。

「――聞こえる?」

誰かが、そう言った。
耳ではなく、内側で。

けれど、わたしは、こたえられなかった。
呼吸が、ほんの少し乱れて、
その隙間に、声はもういなかった。

でも、たしかに聞こえた。

誰の声だったかは、分からない。
女の人のような、でも、わたしの声にも似ていた。

いや――
もしかしたら、ほんとうに、
あれは、わたし自身だったのかもしれない。

ずっと閉じ込めていた
泣き声みたいなものが、
すこしだけ、音になっただけ。

「もう、泣かなくていいんだよ」

声が、もう一度、ふれた。

今度は、
背中をそっとなでるように、やさしく。

わたしは、目を閉じた。

涙はこぼれなかったけれど、
胸のなかで、すこしだけ水面がゆれた。

ほんの少しだけ、
笑ってみた。

そうしたら、
わたしのなかで、なにかが静かにひらいていく気がした。

――わたしは、もう一度
この手紙に、出会うために
いま、ここに帰ってきたのかもしれない。
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