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01 無垢なる額
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王宮の寝室で、ふたりの男女がじゃれ合っていた。
ひとりはフランク王太子。
もうひとりは、その婚約者で子爵家の娘エミリー。
ふたりは幼いころからの許嫁で、もうすぐ結婚を控えている。
「ねえフランク、私たちの婚礼もついに来月まで迫ったわね。
あなたのお嫁さんになれるだなんて、いまから胸が高鳴りっぱなしよ」
「そうかい?
ぼくはなんだか、もう子どもでいられない寂しい気分だよ」
「もう、あなたはちっとも子どもじゃないくせに」
エミリーがいたずらっぽく笑うと、フランクはその鼻先を指でピンと弾いた。
「あいたっ。
大事なお嫁さんになんてことするの?
キズモノになったら大変じゃない」
「キズモノにはもう、しちゃったけど――あ、ごめん、ごめんってば」
枕でばふばふとエミリーが叩く。
こんなものは喧嘩でもなく、いつものじゃれ合いだ。
でも今夜は、やっぱりフランクの気分がすこしだけ暗かった。
結婚して一人前として認められると、いろいろな責任が彼の背にのしかかってくる。
誇らしくもあるが、まだ18歳の彼にはどうにも不安が大きいのだ。
と、そこでひとつ、フランクは思い出した。
小さいころよく一緒に遊んだ、エミリーの弟マルクのことを。
別々の学校に通うようになってからはすっかり疎遠になったが、彼は特徴的なおでこをしていたので、そのことだけはやたらと記憶に残っている。
本人に何度訊いても「これは勝負の結果」としか答えず、真相はわからずじまいだった。
子どもでいられなくなる話をしたついでに、子どものころの疑問だったそのおでこを、フランクはふと思い出したのだ。
「あのさ、エミリー。
きみの弟さんのおでこって、あれは結局どういうことだったんだい?」
「ん? おでこって、マルクのおでこ?」
エミリーはさもなんでもないように答える。
「あれはね、私たちがトランプで遊ぶときに罰ゲームをやるから、そのせいね。
マルクは七並べでもポーカーでもなんでもからっきし弱いんだけど、罰ゲームで泣かないことだけは折紙つきだったわ」
「へえ、それが彼の言ってた勝負ってわけか。
で、罰ゲームってのはなんだい?」
「デコピン」
デコピン、とフランクも復唱する。
王宮では聞いたことがない罰ゲームだった。
「そのデコピンってやつをぼくに教えてくれない?」
「えー、デコピン知らないの?
それはすこし驚いたわね」
「いいから、やってみて」
おでこを使うのだろうということだけは想像がつく。
フランクは前髪を上げて、エミリーにおでこを見せた。
「ふふ、マルクとはちがって赤ちゃんみたいなきれいなおでこ。
ほんとにここにデコピンしていいの?」
「ぜひ!」
「私、かなり得意だから、痛いと思うけどな~」
言いながらもエミリーはやる気で、すでに指でカラ弾きをしている。
たしかに得意らしく、指が空を切るたび、
びゅんっ。
びゅんっ。
と、気持ちのいい音が鳴り響く。
「あ、それをおでこで受けるんだね?」
「そうよ、すごく単純に思うでしょ。
でもね、これがじつは奥深いってことに私とマルクは気づいた。
弾くまでの指のこらえかたや弾いてからの軌道で威力がまるで変わってくるし、おでことの距離も、もちろん大事。
さらに、普段からの鍛錬がものをいう点も私たちを夢中にさせたわ」
「鍛錬って、そんな大げさな」
マルクは思わず笑ってしまう。
まさに子どもの遊びといった気分で、楽しくなってきた。
「思えば私もマルクも、本当に真剣だったわ。
なんであんなにまじめに鍛錬していたのか、いまとなっては全然わからない。
私はデコピンでマルクを泣かせたい一心で、利き手の中指と親指の鍛錬だけは欠かさなかった。
子どものころ特有のモチベーションよね」
「そろそろ前置きはいいから、やってくれない?
おでこの用意はできてるよ」
「ええ」
エミリーが黙って、指を構える。
昔を思い出しているのか、真剣な面持ちだ。
受ける側のフランクは、自分がどう構えるべきなのか考える。
マルクはどんな体勢で受けていたのだろう。
「マルクはどう構えていたのか、それだけ教えてくれないか?」
「んー、体勢はオーソドックス・スタイル。
いまのフランクと大差ないやつね」
呼び名があることにフランクは内心驚く。
オーソドックス以外になにがあるのか。
これが終わったら訊いてみよう。
「でもあの子の売りは、構えよりも防御の質よね。
骨って、折れたのが治るとすこし太くなるじゃない?」
聞いたことがある、とフランクは思った。
でも、それがどう関係するのだろう。
骨……?
「それと同じ要領で、あの子はおでこの骨、つまり頭蓋骨がものすごく分厚くなっていた。
わたしに砕かれては治るのを待ち、治ったらそれをまたわたしが砕く。
そうやって何年もつづいたものだから、防御力の面では類を見ないおでこが完成していたわ」
「え、砕く……?」
フランクは当惑した。
子どもの罰ゲームの話を聞いていたはずだ。
なのに、なんだかすごく物騒な単語が……。
冗談かもしれない、笑うところかな、などと考えているうちに、エミリーが本格的に構えに入った。
もう始まるらしい。
ぐっとおでこに力を入れる。
「それじゃ、いくわよ」
言うと、エミリーはベースボールのピッチャーのように、全身を使って振りかぶった。
フランクが思っていたモーションと全然ちがう。
完全に遊びの域を超えた、プロの動き。
「待っ……」
身の危険を悟ったフランクが止めようとするが、もはやエミリーはかつて子どものころに研究を重ねた全力のデコピンモーションに入っている。
止まるわけがない。
フランクの脳裏にはマルクのおでこが浮かんだ。
いたいけな少年のそのおでこは、厚さ5センチの鉄板が入っていそうなくらい、膨らんでいた。
あれが、骨が繰り返し再生した結果というのであれば。
そこまでの骨を作り上げてしまうほどのデコピンの威力とは、はたして――
フランクの意識はそこで終わった。
ひとりはフランク王太子。
もうひとりは、その婚約者で子爵家の娘エミリー。
ふたりは幼いころからの許嫁で、もうすぐ結婚を控えている。
「ねえフランク、私たちの婚礼もついに来月まで迫ったわね。
あなたのお嫁さんになれるだなんて、いまから胸が高鳴りっぱなしよ」
「そうかい?
ぼくはなんだか、もう子どもでいられない寂しい気分だよ」
「もう、あなたはちっとも子どもじゃないくせに」
エミリーがいたずらっぽく笑うと、フランクはその鼻先を指でピンと弾いた。
「あいたっ。
大事なお嫁さんになんてことするの?
キズモノになったら大変じゃない」
「キズモノにはもう、しちゃったけど――あ、ごめん、ごめんってば」
枕でばふばふとエミリーが叩く。
こんなものは喧嘩でもなく、いつものじゃれ合いだ。
でも今夜は、やっぱりフランクの気分がすこしだけ暗かった。
結婚して一人前として認められると、いろいろな責任が彼の背にのしかかってくる。
誇らしくもあるが、まだ18歳の彼にはどうにも不安が大きいのだ。
と、そこでひとつ、フランクは思い出した。
小さいころよく一緒に遊んだ、エミリーの弟マルクのことを。
別々の学校に通うようになってからはすっかり疎遠になったが、彼は特徴的なおでこをしていたので、そのことだけはやたらと記憶に残っている。
本人に何度訊いても「これは勝負の結果」としか答えず、真相はわからずじまいだった。
子どもでいられなくなる話をしたついでに、子どものころの疑問だったそのおでこを、フランクはふと思い出したのだ。
「あのさ、エミリー。
きみの弟さんのおでこって、あれは結局どういうことだったんだい?」
「ん? おでこって、マルクのおでこ?」
エミリーはさもなんでもないように答える。
「あれはね、私たちがトランプで遊ぶときに罰ゲームをやるから、そのせいね。
マルクは七並べでもポーカーでもなんでもからっきし弱いんだけど、罰ゲームで泣かないことだけは折紙つきだったわ」
「へえ、それが彼の言ってた勝負ってわけか。
で、罰ゲームってのはなんだい?」
「デコピン」
デコピン、とフランクも復唱する。
王宮では聞いたことがない罰ゲームだった。
「そのデコピンってやつをぼくに教えてくれない?」
「えー、デコピン知らないの?
それはすこし驚いたわね」
「いいから、やってみて」
おでこを使うのだろうということだけは想像がつく。
フランクは前髪を上げて、エミリーにおでこを見せた。
「ふふ、マルクとはちがって赤ちゃんみたいなきれいなおでこ。
ほんとにここにデコピンしていいの?」
「ぜひ!」
「私、かなり得意だから、痛いと思うけどな~」
言いながらもエミリーはやる気で、すでに指でカラ弾きをしている。
たしかに得意らしく、指が空を切るたび、
びゅんっ。
びゅんっ。
と、気持ちのいい音が鳴り響く。
「あ、それをおでこで受けるんだね?」
「そうよ、すごく単純に思うでしょ。
でもね、これがじつは奥深いってことに私とマルクは気づいた。
弾くまでの指のこらえかたや弾いてからの軌道で威力がまるで変わってくるし、おでことの距離も、もちろん大事。
さらに、普段からの鍛錬がものをいう点も私たちを夢中にさせたわ」
「鍛錬って、そんな大げさな」
マルクは思わず笑ってしまう。
まさに子どもの遊びといった気分で、楽しくなってきた。
「思えば私もマルクも、本当に真剣だったわ。
なんであんなにまじめに鍛錬していたのか、いまとなっては全然わからない。
私はデコピンでマルクを泣かせたい一心で、利き手の中指と親指の鍛錬だけは欠かさなかった。
子どものころ特有のモチベーションよね」
「そろそろ前置きはいいから、やってくれない?
おでこの用意はできてるよ」
「ええ」
エミリーが黙って、指を構える。
昔を思い出しているのか、真剣な面持ちだ。
受ける側のフランクは、自分がどう構えるべきなのか考える。
マルクはどんな体勢で受けていたのだろう。
「マルクはどう構えていたのか、それだけ教えてくれないか?」
「んー、体勢はオーソドックス・スタイル。
いまのフランクと大差ないやつね」
呼び名があることにフランクは内心驚く。
オーソドックス以外になにがあるのか。
これが終わったら訊いてみよう。
「でもあの子の売りは、構えよりも防御の質よね。
骨って、折れたのが治るとすこし太くなるじゃない?」
聞いたことがある、とフランクは思った。
でも、それがどう関係するのだろう。
骨……?
「それと同じ要領で、あの子はおでこの骨、つまり頭蓋骨がものすごく分厚くなっていた。
わたしに砕かれては治るのを待ち、治ったらそれをまたわたしが砕く。
そうやって何年もつづいたものだから、防御力の面では類を見ないおでこが完成していたわ」
「え、砕く……?」
フランクは当惑した。
子どもの罰ゲームの話を聞いていたはずだ。
なのに、なんだかすごく物騒な単語が……。
冗談かもしれない、笑うところかな、などと考えているうちに、エミリーが本格的に構えに入った。
もう始まるらしい。
ぐっとおでこに力を入れる。
「それじゃ、いくわよ」
言うと、エミリーはベースボールのピッチャーのように、全身を使って振りかぶった。
フランクが思っていたモーションと全然ちがう。
完全に遊びの域を超えた、プロの動き。
「待っ……」
身の危険を悟ったフランクが止めようとするが、もはやエミリーはかつて子どものころに研究を重ねた全力のデコピンモーションに入っている。
止まるわけがない。
フランクの脳裏にはマルクのおでこが浮かんだ。
いたいけな少年のそのおでこは、厚さ5センチの鉄板が入っていそうなくらい、膨らんでいた。
あれが、骨が繰り返し再生した結果というのであれば。
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フランクの意識はそこで終わった。
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