パーティーを追放された落ちこぼれ死霊術士だけど、五百年前に死んだ最強の女勇者(18)に憑依されて最強になった件

九葉ユーキ

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第一章

第29話 死霊術士、忖度する

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「はぁ、はぁ、だいぶ走ったな」

 いくらリリスが憑依しているとはいえ、これだけ走るとさすがに息が切れる。所詮運動不足の俺の身体だからな。

 俺は担いでいたエレナを下ろした。

『でもこれで兵士たちを撒けたんじゃないですか?』

 確かにな。
 入り組んだ敷地内を駆けまわるのは大変だったが、ここまで来ればしばらく大丈夫だろう。

 エレナの案内でやって来たのは、敷地の一番隅にある古びた倉庫だった。

 豪華絢爛な本館とは違い年季の入ったあばら屋だが、それでもよくよく見ると細かな装飾が散見される。
 貴族の作る建物ってのはただの倉庫でさえ凝っているんだな。

「ここは、わたくしが十歳まで住んでいた家なのですわ」

「え」

「あ、クラウス様……さては倉庫か何かだと勘違いなさっていたのでは?」

 その通り。

『倉庫……? 結構悪くないお家ですよね、クラウスさん』

「ふふ。誤魔化さなくても良いですわ。誰もここに人が住んでいたとは思わないでしょうから」

 俺の動揺を見抜かれたのか、エレナは笑ってそう言った。
 だがその横顔はどこか寂しそうだった。

「いつ追手が来るかもわかりません。ひとまず中に入りませんか?」

 エレナに促され、俺たちは小屋の中へ入った。

 中は二部屋だけの至って簡素な造りで、奥に台所と食卓があり、手前の部屋にはベッドが二つ並んで置いてあるのみだ。
 奥の部屋へ進み、俺とエレナはテーブルに向かい合って座った。

 質素ではあるが、どこか優しい雰囲気のする家だ。

「でも、貴族の娘である君がどうしてこんな小さな離れに?」

「グラッドレイが言っていましたわよね。わたくしは本妻の子ではないのですわ」

「ああ、言っていたな……」

「わたくしの母は町の酒場で女給をしておりました。その母を見初めたグラッドレイが、妻としてこの家に迎えたのです」

 エレナは続けた。

「けれど父は世間体を気にする人間でした。わたくしの母がこの家に入った少し後に、父は王都から王族の女性を本妻として迎えました。そして母は賤しい身分だということで側妻へと追いやられることになってしまったのです」

 いわゆる政略結婚ってやつか。
 王族側は地方領主とのパイプを作る為に、グラッドレイとしては結婚を機に王族に取り入る為に。

「格上である王族から妻を迎えることになった以上、その機嫌を取る為にも平民の母をそのまま置いておくことはできなかったのでしょう。そうして母はこの小屋で暮らすことになったのです」

「それで、エレナも……」

「はい。グラッドレイと母の間に産まれたわたくしも、同じように邪魔者として扱われました」

『エレナさん、可哀想です……』

 酷い話だな。
 自分の妻と子を、王族の機嫌を取るためにこんな小屋へ追いやるなんて。 

「でもわたくしは幸せでしたわ。母は優しい人でしたし、わたくしを大事に育ててくれました。ご飯だって豪華ではありませんでしたがしっかり食べられましたし、母はわたくしに女性としてのマナーを一生懸命教えてくれました。父に頼み込んで専属の家庭教師まで付けていただけました。きっと母は、わたくしには少しでも貴族の子らしい育ち方をしてほしかったのでしょう。お母さんのようになっちゃ駄目だからねというのが母の口癖でしたわ……」

「お母さんはこの家を出ようとは思わなかったのか?」

「母もきっと最初はそう考えたのだと思いますわ。けれど、それは父が許しませんでした。領主が一度娶った女性を捨てるような人間だと民に思われたらどうするのだ、と言われたようです。何よりわたくしを育てるにはこの家に留まるべきだと母は考えたのでしょう。女手一つで子供を一人育てるのは大変でしょうから」

『わたしの父も男手一つでわたしを育てるのは大変だったと言っていました』

 貴族の子といえば、温かい環境でぬくぬくと育つことができるものだと思っていたが……エレナのような子もいるんだな。

「俺は昨日エレナに初めて会ったときから、凄く上品な子だなと思っていたよ。貴族だと知って合点が行ったほどだからな」

『わたしもです!』

「ありがとうございます。それはきっと、母のお陰だと思いますわ。言葉遣いや所作に関しては厳しく躾けられましたから……」

「そうか。良いお母さんだな」

 俺が言うと、エレナはとても嬉しそうに笑った。
 貴族としての上品な笑みとは違う、母を想う娘の柔和な笑みだ。

「お母さんは今どうしてるんだ?」

「……母は、わたくしが十歳のときに病で亡くなりました。母はその一年前から病に苦しんでいたのですが……グラッドレイは母を見捨てたのです」

「見捨てた?」

「はい。申し訳程度の薬草を寄こすばかりで、魔術医さえ呼んでくれませんでした。ちゃんと治療をしていれば母は治ったかもしれないのに……」

『そんな、ひどい……』

「あの男にとってわたくしたち母娘は目の上のたんこぶでしかなかったのでしょう。母が病魔に侵されたのをこれ幸いと傍観していたのです」

 あの悪辣領主のやりそうなことだ。

「わたくしは、父に……あの男に復讐することを誓いました。そして四年前の十二歳のとき、あの男の汚職の証拠を掴んだのです」

 父への復讐……。
 それがエレナがグラッドレイの汚職を突き止める原動力だったというのか。
 悲しい理由だ。

「わたくしは証拠を盾にあの男に要求しました。一つはわたくしが魔術学校に通うための費用を出すことと、もう一つはわたくしに手を出さないことを」

「証拠を見つけた時点で公表しなかったのは何故だ?」

「理由は色々ありますわ。当時のわたくしは十二歳とまだ幼かったからというのが一つです。子供の言うことなんて大人は聞く耳を持ちませんでしょう?」

「……そうかもしれないな」

「それに、もし父が汚職を糾弾されてしまえば、この家は窮地に陥ってしまいます。あんな人間でも一応は家長です。父には本妻との子供……つまりわたくしから見れば腹違いの弟と妹もいるのです。彼らには罪はありませんから」

『エレナさん、優しいんですね……』

 何ということだ。
 十二歳の少女がそこまで考えていたなんて。
 当時のエレナのことを考えると、胸が詰まる思いだ。

「そして、これが一番の理由なのですが……わたくしは父のようにはなりたくなかったからですわ」

「どういうことだ?」

「汚職の証拠を公表すれば、父の煌びやかな人生は終わります。そうするのは簡単ですけれど、それではわたくしは母を見殺しにした父と同じになってしまいます」

 エレナは続けた。

「わたくし自身が一人の人間として力をつけ、いつか父の立場を正当な力を持って脅かす……それがわたくしの考えた復讐でした。その為にわたくしは魔術学校を卒業し、冒険者になったのです」

「え、冒険者?」

「クラウス様には言ってませんでしたわね……わたくしはこれでもれっきとしたA級冒険者なのですわ。ゼフィとは魔術学校で知り合ったのです」

『魔術学校……何だか楽しそうな響きですね』

 なるほど、そういうことだったのか。
 それにしてもこの子もこの歳でA級冒険者とは……俺の立つ瀬がないな。

「でも、これからグラッドレイの汚職を公表するんだろう? いいのか?」

「ええ。こうなってしまった以上、仕方ありませんわ。わたくしのせいでクラウス様にもご迷惑をおかけしてしまい……申し訳ございません」

 そう言うと、エレナは俺に向かって頭を下げた。

「気にしないでくれよ。まさかこんなことになるなんて誰にも予想できないさ」

「そうおっしゃっていただけると、わたくしも救われますわ……。クラウス様はお優しいのですね」

 エレナは顔を傾けて笑った。
 空色の髪がふわりと揺れる。

 それは、ずっと見ていたいほど爽やかで心が安らぐ笑顔だった。

「エレナ、そろそろ追手の兵士たちがここにも来るかもしれない。証拠を回収してここを出よう」

「……そうですわね。クラウス様とこうして二人きりでお話するのはとても楽しいですけれど、こうしてのんびりもしていられませんわね」

 エレナは寂しげな横顔を俺に向けると、椅子から立ち上がり、すぐ脇の台所へ向かった。

 そして調理台の下の棚を開けると、屈んで中へ上体を入れた。

「エレナ?」

 俺も立ち上がり、エレナの後ろから棚を覗き込む。

 エレナは棚の底のある一点に爪を当てた。
 そこには目を凝らさないとわからないくらいの細い線が入っていた。

 エレナがその線へ爪をゆっくり刺し入れると、何とその線は薄い板の一辺で、蓋の役割をしていることがわかった。
 取り外された板の下には空洞があり、エレナはそこから長方形の木箱を取り出した。
 箱を手にエレナは上体を棚から出し、俺の方へ向き直った。

「この中に、グラッドレイの汚職を示す証拠が入っていますわ。内容は収賄や税の着服など、挙げたらきりがないほどです」

「これが……でも、今までよく見つからなかったな」

 グラッドレイが証拠の隠し場所を考えるとき、恐らく真っ先に浮かぶのがエレナとその母が住んでいたこの小屋だろう。
 この小屋はグラッドレイによって徹底的に調べられていてもおかしくないのだが。

「この隠し穴は、実は母が作ったものなのですわ。酒場の女給をしていたときの貯金を、何かあったときの為にと母はずっと取っておいてくれたのです。それを隠すために作ったようです」

 それなら納得だ。
 そこに穴があると知らない人間がいくら探しても見つからないだろうな。

「病の床に臥していたときにも使わず……わたくしの為にお金を残してくれたのです。隠し穴のことは、わたくしも母の遺書を読んで初めて知りました」

「そうか。素晴らしいお母さんだな」

「ええ。自慢の母ですわ」

 誇らしげに言うエレナを見て、俺は率直に羨ましいと思った。
 俺の両親は俺が物心つく前に他界しているから、俺は親というものを知らないのだ。

「さて、問題はそれをどうやって公表するかだが……」

「それは決めてありますわ。ゼフィのお父様に頼むのです」

「ゼフィのお父さん?」

「ええ。ゼフィのお父様は王都の商人ギルドの会長様で――王都新聞の責任者です」

『ゼフィさんのお父さん、凄い人なんですね!』

「なるほどな。その新聞で汚職を公表してもらえば……」

「国王の耳にも入り、グラッドレイは爵位を剥奪されるはずですわ。税の着服は国王としても看過できないでしょうから」

「でも、君の復讐は……本当に良いのか?」

 冒険者として力をつけて、いつか正当な手段でグラッドレイを倒すというエレナの復讐は果たせなくなってしまう。

「良いのですわ。復讐はわたくし個人の我儘ですけれど、父の収賄や税の着服はこの町に暮らす民全体の問題ですもの。父の汚職を公表しないことは、同時にこの町の人たちを裏切ることになるのですから。今まで公表しなかったわたくしが悪いのです」

「わかった。君がそう言うのなら、俺はもう何も言わない」

「ご配慮、感謝致しますわ。クラウス様」

 恭しく頭を下げるエレナ。
 母を見殺しにした父への復讐の為に魔術学校に入り、貴族の身でありながら冒険者になった十六歳の少女。
 彼女はこう言っているが、きっと本心では悔いがあるに違いない。
 だが、俺としてはやはり汚職の事実は公表すべきだと思うのも確かだ。
 部外者の俺が、彼女の家族の問題にどうこう言うべきではないかもしれない。

「では、クラウス様。追手が来る前に敷地の外へ……」

「待て、エレナ」

 木箱を持って小屋の出口へ向かおうとするエレナを俺は呼び止めた。

「クラウス様……?」

 きょとんとした顔でエレナが俺の顔を見つめる。

『クラウスさん? 急にどうしたんですか?』

 わずかに逡巡し、俺は言った。

「一つ聞きたい。君はこれからまたここに戻ってくることがあるだろうか?」

「それはどういう意味でしょうか……?」

「そのままの意味だ。君はまたこの小屋に帰ってくることはあるか? お願いだ、答えてほしい」

 きっとエレナにとって俺の質問は理解不能だろう。
 だが、俺の声色に込められた切実さが伝わったのか、数秒の間の後エレナは口を開いた。

「もう帰ってくることはないと思いますわ。父が汚職を咎められ貴族でなくなれば、本妻との子である弟が家督を継ぐことになるでしょう。そうなれば、この家にはわたくしの居場所は完全になくなりますから」

「そうか――」

 この小屋に入ったときから、ずっと迷っていたことがあった。

 彼女に言うべきか、そっとしておくべきか――。

 だが、やはり言うべきだ。
 エレナにはまだ迷いがある。
 気丈に振る舞ってはいるが、彼女はまだ十六歳の少女だ。彼女には救いが必要なのだ。

 何より――このまま永遠の別れが来ていいはずがない。

 俺には大したことはできないが、彼女にを作ってあげることはできる。
 彼女にとっては救いになるかもしれないを――。

「クラウス様? 早くここを出なければ……」

『そうですよ、クラウスさん。いつ兵士たちが来るか』

「エレナ。君は亡くなったお母さんと話したいと思ったことはないか?」

 意を決して、俺は問うた。

「え……?」

「すまない。無礼な質問であることは承知している。それでも俺は君に訊かなきゃならない。答えてくれないか?」

「……もちろん、思ったことはありますわ。いえ、今でも毎日思っています。大好きな母と話ができたらどんなに心が安らぐだろうと……!」

 声を震わせてエレナは言った。

「そうか。それが聞きたかったんだ」

『まさか、クラウスさん!』

 リリスは俺が何をしようとしているか感づいたようだ。

「エレナ。少しだけ待っていてくれ」

 エレナは戸惑う様子を見せながらも、俺の言葉に黙って頷いた。

 この小屋に入ったときから俺はずっと感じていたのだ。
 エレナを見つめる、優しくて温かい霊魂の存在を。

 の為にも、俺は死霊術を使うべきだ。

「霊魂よ。彷徨い留まりし霊魂よ。我が魔力を介し、汝に実体を与えん」

 黒い蟲のようなものがどこからともなく大量に現れ、霊魂が宿る実体を形作ってゆく。

「クラウス様……これは……?」

 悍ましい闇の力が人の形に集まり――やがて一瞬光が瞬くと、そこには一人の女性が立っていた。

 白いワンピースを着た、空色の長い髪が特徴的な――エレナに瓜二つの美しい女性だ。

「エレナ……ふふ、久しぶりね」

 女性はエレナに向かって微笑んだ。とても柔らかくて温かい、午後の陽だまりのような笑み。

「お……おかあ……さん……」

 声にならない声でそれだけ言うと、エレナは女性の胸に飛び込んで――小さな子供のように泣き出したのだった。

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