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日も沈み、すっかり暗くなった頃、俺とロニカは街灯が照らす街中を二人並んで歩いていた。
俺の手には香ばしいニオイが漂う幾つものパンが詰め込まれた大きな袋が二つある。
「こんなにもらって、メリエールさんには感謝だな」
「んー」
「今日はナポリタンとこのパンたちが夕食だ」
「お、そうだ! ナポリタン! 早く帰ろうクロメ! ナポリタンがロニカを待ってる!」
「はいはい。その前にちょっと寄るとこあるから」
「寄るとこ? ……女のとこ?」
「そんな浮気を問い詰めるような女みてえな声出すなよ」
「別に出してないし」
ツンとしたまま顔を逸らすロニカに、会いに行くのは男だと言うと「なーんだ」と若干機嫌が良くなった。
道のりは近く、すぐに目的地の場所へ辿り着く。
「ええーここぉ?」
「そうだよ。そんな嫌な顔をしない」
彼女が不満を漏らすのには理由があるのだが、すぐに分かるだろう。
そこは教会であり、中からは温かな明かりとともに子供たちの無邪気が声が聞こえてくる。
大きな茶褐色の扉をノックすると、しばらくしてガチャリと鍵が開く音がしてから扉が開く。
中から現れたのは丸眼鏡をした優しげな顔立ちをした神父服姿の男性だった。
「おや、これはこれはクロメくん。お、ロニカさんもいらっしゃるのですね」
聞いているだけで心が落ち着いてくるような声音を持つこの男性こそ、教会の神父で身寄りのない子供たちを引き取って育てている人格者だ。
ロニカに言わせれば、他人を引き取ってわざわざ面倒を見るなんてよくするよ、らしいが俺を引き取っている彼女に言えた義理じゃないと思う。
「こんばんは、テッカ神父。夜分遅くすみません」
頭を下げる俺に、少しも穢れのない瞳と微笑みを向けてくるテッカ神父。見た目は三十代後半のおっちゃんだが、純朴さを感じさせるような身形の整った大人の男だ。密かにこんな大人になれればいいなと憧れてもいるのは俺だけの秘密。
「いえいえ、こんばんは。そんなことないですよ。夜といってもまだ日も沈んで間もないですし。今日はどういった理由でこちらへ?」
「実はこれを」
そう言って、二つあったパンの袋の一つを彼に手渡す。
「これはまた。またこんなに頂いても?」
「はい。神父にはいろいろお世話になっていますので。それに【ふわふわハート】のお得意様でもあるので」
「あはは、子供たちもきっと喜びます。よろしければご夕食など一緒にいかがですか?」
「ありがとうございます。でもすみません。もう家に夕食を用意してありますので」
正確には《スアナ工房》には、だけど。仕込みはしてあるので、あとは軽く調理するだけ。時間もそうかからない。
「そうですか、子供たちも喜ぶと思ったのですが……」
と、苦笑気味に神父が笑った時、
「――あーっ、クロだぁ!」
「えーほんとぉ!」
「わぁ、マジでいるぅ! なんでなんでぇ?」
「クロ~!」
話し声が聞こえて不思議に思ったのか、奥から子供たちが続々と嬉しそうな顔で走って来た。
一人の子供が俺の腰に抱き着き、笑顔いっぱいに口を開く。
「ねえねえ、なにしにきたのクロ?」
「夕飯のおすそ分けだよ。お前もちゃんと良い子にしてるか、ニィル」
この子の頭に生えた獣耳で獣人だと一目で分かる。『犬人族』と呼ばれる種族で、幼い頃に両親が事故で亡くなり、たまたま居合わせた俺が、ここに連れてきて神父に面倒を見てもらっているというわけだ。
当時、まだ五歳だった彼女は、ずっと塞ぎ込み心を閉ざしていたが、神父や他の子供たちの献身的な対応によって、この二年間で警戒心は氷解し、こうして笑顔を見せてくれるようになった。だから神父たちには本当に感謝している。
赤茶色の頭を撫でてやると、嬉しそうに顔を擦りつけてきてフサフサの尻尾をこれでもかというほど振り出す。
俺にとって妹のような存在で、とても可愛い子なのだが一つ問題が……。
「……! あれ、いたんだねロニカ」
「悪い?」
「べっつにぃ。どうせまたわたしのクロにめいわくかけてるんでしょ?」
「残念だったな。ロニカのすることにクロメが迷惑だって思ってることなどないのだ!」
いや、毎日迷惑を被っていますが? どんだけお前の世話が大変だと思っとんだこのガキャ。
まあ、今じゃその迷惑すら楽しみに変えようという境地に達しているけども。
「ふぅん……でもロニカはあれだもんね。おんなとしてミリョクなんてないもんね」
「何急に? つうか七歳の癖してませたこと言うんだね。腹黒いって言われるよ?」
お前以上の腹黒い人物を俺は知りませんが? 毎回毎回あの手この手で仕事をサボろうとしやがって。そんな知恵を使うなら仕事に使え仕事に。
「わたし、はらぐろくなんかないも~ん。ねえ、クロ!」
「そう、だな。そう信じたい」
まだ七歳なのにロニカみたいに計算高くはなってほしくない。真っ直ぐ純粋に育ってほしいもんだ。
「ねえクロ、もうすこしだけまっててね。あとじゅうねんくらいしたらりっぱなレディになるから、そんときはわたしがペットにしたげる!」
あ、そこはお婿さんとかじゃないんですね。どう足掻いても俺の立ち場はペットから揺るがないんですね、分かります。いや、分かりたくありません。
「ははっ、無理無理。クロメはロニカだけのもんだし。誰にもあげる予定なんてないもんね。子供は背伸びしないで、相応の相手を見つければいいよ」
「むむむぅ……ぐうたらエルフ!」
「ませガキ犬」
「「むむむむむむぅっ」」
もう分かるだろう。そう、この二人、顔を合わすとこうしてぶつかり合うのだ。
いつもニィルから突っかかる形になるが、受け流せばいいもののロニカも真正面から迎え撃つからこうなってしまう。
だからロニカもここに来ることをあまり良く思わないのだ。衝突するのは彼女にも分かっているから。
「ほらほら、ニィルもそこまでにしておきなさい」
「お前もだロニカ、大人げない」
神父がニィルを、俺がロニカを後ろから彼女たちの両脇に手を入れて持ち上げ、強制的に距離を取らせる。
これ以上いると収拾がつかなくなりそうなので、
「では神父、また来ますね」
「ええ、パンの差し入れありがとうございました。またのご来訪、お待ちしています」
掴まれている二人がまだギャーギャー言っているが、俺はロニカを連れてその場を離れていった。
そして教会の敷地から出たあとにロニカをそっと下ろす。
「はぁ、お前なぁ、もっと仲良くできないのか? 相手は子供だぞ」
「フン、女には譲れないものがあるんだよ」
「女って……だから相手は子供で」
「子供でも女は女! クロメはもう少し女ってものを分かるべき! まあ無理だろうけど」
最後の言葉いらなくない? 俺だって分かろうと思えば分かる……はず、多分。
「もういい。さっさと帰ってご飯にしてよ。お腹減ったし」
「へいへい、分かりましたよご主人様」
やれやれと肩を竦めると、足早に歩く主を俺は追っていく。
俺たちが住む家はレンガ造りの一軒家で二階建て。屋上は洗濯物が干せるようにテラスのような造りになっている。
だから厳密にいうと屋上を入れると三階建てになるのだろう。
玄関を開けて入ると靴置き場がある。これは元日本人である俺の要望で造った。
基本的に家の中では靴も靴下も脱いで素足になりたいロニカも、この要望はすんなり受けてくれたのである。
何せ他のところは欧米のように靴のまま、家の中で過ごすからだ。俺はその文化に慣れないし、下手に汚れるのも嫌なので和式にしてもらったというわけである。
そんな玄関で、ピタリと止めて一点を見つめるロニカ。
「…………ねえ」
「どうした?」
「…………何か見覚えのないスリッパがあるんだけど?」
チョコンと玄関に履いてくれと言わんばかりに置かれているスリッパ。
「ああそれか」
俺は少し間を取ってから教えてやる。
「お前、スリッパが欲しいとか言ってただろ。だから作っといた」
「あ、そうなんだ。ふぅん……」
口元がひくひくしている。これは彼女が嬉しい時にする癖だ。素直ににんまりと笑えばいいのに。
すると彼女はササッと靴と靴下を脱いで放ると、そのまま小さな足をスリッパに滑り込ませて歩き出した。若干スキップ気味なので、結構気に入ったようだ。
しかし彼女は知らない。
そいつの名前が《ロリッパ》だということを。
後日、教えることになったが、「からかうの禁止!」と言いながら《ロリッパ》を投げてきたが、捨てることも放棄することもせずに履き続けていた。
お気に入りになったんだったらそう言えばいいのに。
ったく、素直じゃない飼い主だ。
俺の手には香ばしいニオイが漂う幾つものパンが詰め込まれた大きな袋が二つある。
「こんなにもらって、メリエールさんには感謝だな」
「んー」
「今日はナポリタンとこのパンたちが夕食だ」
「お、そうだ! ナポリタン! 早く帰ろうクロメ! ナポリタンがロニカを待ってる!」
「はいはい。その前にちょっと寄るとこあるから」
「寄るとこ? ……女のとこ?」
「そんな浮気を問い詰めるような女みてえな声出すなよ」
「別に出してないし」
ツンとしたまま顔を逸らすロニカに、会いに行くのは男だと言うと「なーんだ」と若干機嫌が良くなった。
道のりは近く、すぐに目的地の場所へ辿り着く。
「ええーここぉ?」
「そうだよ。そんな嫌な顔をしない」
彼女が不満を漏らすのには理由があるのだが、すぐに分かるだろう。
そこは教会であり、中からは温かな明かりとともに子供たちの無邪気が声が聞こえてくる。
大きな茶褐色の扉をノックすると、しばらくしてガチャリと鍵が開く音がしてから扉が開く。
中から現れたのは丸眼鏡をした優しげな顔立ちをした神父服姿の男性だった。
「おや、これはこれはクロメくん。お、ロニカさんもいらっしゃるのですね」
聞いているだけで心が落ち着いてくるような声音を持つこの男性こそ、教会の神父で身寄りのない子供たちを引き取って育てている人格者だ。
ロニカに言わせれば、他人を引き取ってわざわざ面倒を見るなんてよくするよ、らしいが俺を引き取っている彼女に言えた義理じゃないと思う。
「こんばんは、テッカ神父。夜分遅くすみません」
頭を下げる俺に、少しも穢れのない瞳と微笑みを向けてくるテッカ神父。見た目は三十代後半のおっちゃんだが、純朴さを感じさせるような身形の整った大人の男だ。密かにこんな大人になれればいいなと憧れてもいるのは俺だけの秘密。
「いえいえ、こんばんは。そんなことないですよ。夜といってもまだ日も沈んで間もないですし。今日はどういった理由でこちらへ?」
「実はこれを」
そう言って、二つあったパンの袋の一つを彼に手渡す。
「これはまた。またこんなに頂いても?」
「はい。神父にはいろいろお世話になっていますので。それに【ふわふわハート】のお得意様でもあるので」
「あはは、子供たちもきっと喜びます。よろしければご夕食など一緒にいかがですか?」
「ありがとうございます。でもすみません。もう家に夕食を用意してありますので」
正確には《スアナ工房》には、だけど。仕込みはしてあるので、あとは軽く調理するだけ。時間もそうかからない。
「そうですか、子供たちも喜ぶと思ったのですが……」
と、苦笑気味に神父が笑った時、
「――あーっ、クロだぁ!」
「えーほんとぉ!」
「わぁ、マジでいるぅ! なんでなんでぇ?」
「クロ~!」
話し声が聞こえて不思議に思ったのか、奥から子供たちが続々と嬉しそうな顔で走って来た。
一人の子供が俺の腰に抱き着き、笑顔いっぱいに口を開く。
「ねえねえ、なにしにきたのクロ?」
「夕飯のおすそ分けだよ。お前もちゃんと良い子にしてるか、ニィル」
この子の頭に生えた獣耳で獣人だと一目で分かる。『犬人族』と呼ばれる種族で、幼い頃に両親が事故で亡くなり、たまたま居合わせた俺が、ここに連れてきて神父に面倒を見てもらっているというわけだ。
当時、まだ五歳だった彼女は、ずっと塞ぎ込み心を閉ざしていたが、神父や他の子供たちの献身的な対応によって、この二年間で警戒心は氷解し、こうして笑顔を見せてくれるようになった。だから神父たちには本当に感謝している。
赤茶色の頭を撫でてやると、嬉しそうに顔を擦りつけてきてフサフサの尻尾をこれでもかというほど振り出す。
俺にとって妹のような存在で、とても可愛い子なのだが一つ問題が……。
「……! あれ、いたんだねロニカ」
「悪い?」
「べっつにぃ。どうせまたわたしのクロにめいわくかけてるんでしょ?」
「残念だったな。ロニカのすることにクロメが迷惑だって思ってることなどないのだ!」
いや、毎日迷惑を被っていますが? どんだけお前の世話が大変だと思っとんだこのガキャ。
まあ、今じゃその迷惑すら楽しみに変えようという境地に達しているけども。
「ふぅん……でもロニカはあれだもんね。おんなとしてミリョクなんてないもんね」
「何急に? つうか七歳の癖してませたこと言うんだね。腹黒いって言われるよ?」
お前以上の腹黒い人物を俺は知りませんが? 毎回毎回あの手この手で仕事をサボろうとしやがって。そんな知恵を使うなら仕事に使え仕事に。
「わたし、はらぐろくなんかないも~ん。ねえ、クロ!」
「そう、だな。そう信じたい」
まだ七歳なのにロニカみたいに計算高くはなってほしくない。真っ直ぐ純粋に育ってほしいもんだ。
「ねえクロ、もうすこしだけまっててね。あとじゅうねんくらいしたらりっぱなレディになるから、そんときはわたしがペットにしたげる!」
あ、そこはお婿さんとかじゃないんですね。どう足掻いても俺の立ち場はペットから揺るがないんですね、分かります。いや、分かりたくありません。
「ははっ、無理無理。クロメはロニカだけのもんだし。誰にもあげる予定なんてないもんね。子供は背伸びしないで、相応の相手を見つければいいよ」
「むむむぅ……ぐうたらエルフ!」
「ませガキ犬」
「「むむむむむむぅっ」」
もう分かるだろう。そう、この二人、顔を合わすとこうしてぶつかり合うのだ。
いつもニィルから突っかかる形になるが、受け流せばいいもののロニカも真正面から迎え撃つからこうなってしまう。
だからロニカもここに来ることをあまり良く思わないのだ。衝突するのは彼女にも分かっているから。
「ほらほら、ニィルもそこまでにしておきなさい」
「お前もだロニカ、大人げない」
神父がニィルを、俺がロニカを後ろから彼女たちの両脇に手を入れて持ち上げ、強制的に距離を取らせる。
これ以上いると収拾がつかなくなりそうなので、
「では神父、また来ますね」
「ええ、パンの差し入れありがとうございました。またのご来訪、お待ちしています」
掴まれている二人がまだギャーギャー言っているが、俺はロニカを連れてその場を離れていった。
そして教会の敷地から出たあとにロニカをそっと下ろす。
「はぁ、お前なぁ、もっと仲良くできないのか? 相手は子供だぞ」
「フン、女には譲れないものがあるんだよ」
「女って……だから相手は子供で」
「子供でも女は女! クロメはもう少し女ってものを分かるべき! まあ無理だろうけど」
最後の言葉いらなくない? 俺だって分かろうと思えば分かる……はず、多分。
「もういい。さっさと帰ってご飯にしてよ。お腹減ったし」
「へいへい、分かりましたよご主人様」
やれやれと肩を竦めると、足早に歩く主を俺は追っていく。
俺たちが住む家はレンガ造りの一軒家で二階建て。屋上は洗濯物が干せるようにテラスのような造りになっている。
だから厳密にいうと屋上を入れると三階建てになるのだろう。
玄関を開けて入ると靴置き場がある。これは元日本人である俺の要望で造った。
基本的に家の中では靴も靴下も脱いで素足になりたいロニカも、この要望はすんなり受けてくれたのである。
何せ他のところは欧米のように靴のまま、家の中で過ごすからだ。俺はその文化に慣れないし、下手に汚れるのも嫌なので和式にしてもらったというわけである。
そんな玄関で、ピタリと止めて一点を見つめるロニカ。
「…………ねえ」
「どうした?」
「…………何か見覚えのないスリッパがあるんだけど?」
チョコンと玄関に履いてくれと言わんばかりに置かれているスリッパ。
「ああそれか」
俺は少し間を取ってから教えてやる。
「お前、スリッパが欲しいとか言ってただろ。だから作っといた」
「あ、そうなんだ。ふぅん……」
口元がひくひくしている。これは彼女が嬉しい時にする癖だ。素直ににんまりと笑えばいいのに。
すると彼女はササッと靴と靴下を脱いで放ると、そのまま小さな足をスリッパに滑り込ませて歩き出した。若干スキップ気味なので、結構気に入ったようだ。
しかし彼女は知らない。
そいつの名前が《ロリッパ》だということを。
後日、教えることになったが、「からかうの禁止!」と言いながら《ロリッパ》を投げてきたが、捨てることも放棄することもせずに履き続けていた。
お気に入りになったんだったらそう言えばいいのに。
ったく、素直じゃない飼い主だ。
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