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第一話 開幕

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「ひぃぃぃぃぃぃぃぃぃっ! や、止めてぇぇぇぇぇぇっ!」


  走る。とにかく走る。


  俺は風になった気持ちで、颯爽と前だけを向いて……いや、顔は恐怖で歪んでるし泣きそうだし、全然爽やかじゃないけどな。


  だってしょうがないでしょ。後ろから鬼のような形相をした一人の少女が追っかけてきてるんだし。
  捕まったら、今までの経験上どうなるか嫌ってほど理解してるしな。


 「こぉぉらぁぁぁっ! 待てって言ってるでしょうがぁぁっ!」
 「だ、だったら竹刀をふりかざしながら追っかけてくんなよぉぉぉっ!」


  俺と少女が走っているのは通っている高校の廊下。当然普通は走ったらダメなのだが、そんなことは後ろの少女に言ってもらいたい。


  俺だって疲れるだけだし走りたくなんてない。


  少女の見た目は、黒に近い紺の髪色をしており、それをポニーテールに結っているので、走っている間も馬の尻尾のように揺れまくっていく。
  同時に彼女のふくよかな双丘もまたプリュンプリュン揺れているので、眼福眼福と口に出してゆっくりと眺めていたいが、そんな状況ではない。


  普通にしていたら間違いなく美少女な見た目の、可愛いというよりは美人タイプの彼女なのだが、怒ると般若かと思うほど怖い顔になる。


  もうね、本当に怖いのよ。幼稚園からの腐れ縁だけど、いつもいつも俺が何かする度に口を出してくるし、ちょっとしたことで怒る。もうわけが分からん。


  本人は乙女心がどうのこうのって言うけど、俺は男だし分かるわけがない。分かりたいとも思わない。
  このままでは捕まって折檻されるのは目に見えている。その細腕から繰り出される斬撃は、大男を吹き飛ばす威力があるんだから、俺なんてくらったらあの世に逝きかねない。


  どうにか彼女を撒かなければならないのだが……。


  ――すると曲がり角を曲がった時。


  俺の手が引っ張られ、一つの部屋へと引っ張り込まれてしまった。


 「あっぶっ!?」


  叫ぼうとしたが、不意に口を押さえられる。後ろから羽交い絞めだ。


  だが「しー」と静かにしろという声が聞こえ、ゆっくりと顔を後ろへ向けて俺はホッと息を吐いた。
  そのまま息を潜めていると、閉められた扉の前を物凄い速度で少女が通過していく。


  あのスピードで体当たりしたら軽トラックくらいの衝撃になりそうだよなぁ。


  そんなことを言えば、当然怒られるので決して言わないが。
  静かになったところで、羽交い絞めから解放される。
  俺は大きく息を吐き出して、


 「ふぅぅぅぅ~、助かったわぁ~。あんがとな、京夜《きょうや》」


  振り返ると、そこには親友の爽やか笑顔があった。
  彼も少女と同じく、幼稚園からの幼馴染である十七歳の少年だ。


  スポーツ万能、頭脳明晰、品行方正、やることなすこと女子の黄色い声援とは切っても切れない絆で結ばれた、超絶イケメン――紅池《あかいけ》京夜。
  俺が爆発してほしい存在ランキング、堂々の殿堂入りを果たしている奴である。


  少し異国の血が入ったクォーターで、茶髪に碧眼と、元々整っている顔をさらに魅力的にしているのだ。もう女性たちはウハウハトロトロの表情をしながら彼をいつも見る。


  ちなみに俺は白桐望太《しらきりぼうた》。変わった名前だけど、別に自慢するようなものは何もない。強いていえば手先が器用なことだけかな。両親も至って一般的な夫婦だし、一人っ子で何の面白味もなく普通に育てられてきた。 


  極貧で話題にできそうなものがある、というような何かがあるわけでもない。貧乏でも裕福でもない、これまた普通の家庭だ。
  出来過ぎた幼馴染と違って、見た目は平々凡々などこにでもいる男である。


  まったくもって神は平等じゃない。本当に。


 「ハハハ、ギリギリだったけどね。でも間に合って良かったよ。織花《おりか》もそのうちクールダウンすると思うし」
 「はぁ……まったく、アイツは何でああも直情的なんだか。女なんだしもう少しこうお淑やかにならんもんかね」
 「それが彼女の良いとこでもあるさ。ところで聞いたけど、また人助けかい?」
 「人助けって……。たまたま気になったから手を……口を出しただけだしな。……? 何で知ってんだ?」


  俺のこの状況を詳しく知ってそうだが、現場にいなかったコイツが知り様も……。


 「……あれ? 何でいんの?」


  彼の後ろを見ると、そこには結果的に助けてしまうことになった生徒がいる。
  今年入学してきた一年下の後輩らしい。ピカピカの一年生。可愛らしい女の子だ。


  実は彼女が剣道部に所属している幼馴染の少女――名は仙堂《せんどう》織花に部活の勧誘をされていたらしい。俺はそれを階段下から覗き見るようにして見ていた。
  何でも剣道部に新入部員がまったく集まらないようで、織花も必死だったのは分かる。


  しかし見るからにひ弱そうで困っている彼女に詰め寄っていた幼馴染を見て、さすがに放置しては可哀相だって思ったのが運の尽きだった。
  俺は勧誘中の織花に近づき、説得を開始。


  ならば彼女を諦めるから代わりに俺に入れと言ってくる始末。
  この流れはマズイと思った俺は、織花に気づかれないように後輩にさっさと向こうへ行けと手を振って指示したあと――。


 『なあ織花、そんなことよりも大事な話があるんだ』


  と言って、話を逸らす。
  すると彼女は、


 『だ、大事な話……ですって? な、何なのよ急に……』


  と言いながら、照れ臭そうに髪を指で巻きながらチラチラと俺を見始める。


 『実はな……』
 『う、うん。じ、実は……?』
 『…………どう考えても、高二にもなってクマパンはどうかと思うぞ?』
 『…………へ?』


  幽霊でも見たかのように時を止めた感じで固まってしまう織花。
  実は階段下から見ていた時、彼女のスカートの中が垣間見えたのだ。


  役得役得~。そんなふうに思えれば良かったが……。


  織花は俺の言葉を理解すると、すぐにハッとして顔を赤らめ、次いで怖いほどの目つきで睨んできた。


 「だから逃げたってわけだね」
 「そういうこと」
 「もっと他に織花を説得する方法はあったと思うんだけど……」
 「アイツは昔っから感情が爆発したあとは、ほとんどのことを忘れてるからな。単純バカだし。今頃はそのまま部活に向かって、そこの後輩ちゃんのことも忘れてると思うぞ。次はちゃんと逃げろよ」
 「あ、はい。その、ありがとうございました、先輩! それと……」


  後輩は恐縮したように礼を言うと、少し赤らめた顔でチラチラと京夜の顔を見てから、彼にも挨拶をしてその場を離れていった。


  あーやっぱ、京夜に心を持っていかれたかぁ。これだからイケメンは……!


  こんなことはいつも通りなので気にしても仕方ないのだが……。


 「……まあ、いつもの二人過ぎて何も言えないけどね。被害者は決まって望太だけだし」


  そう、いつもこんな感じで俺は彼女を諫める。……諫めてはないけども。


  ただ扱い方は分かってるし、酷いことにはなら……まあ、なる時もあるけど、そこそこ覚悟してるからなぁ。


 「……? ところでお前が知ってるっつうことは、たまたまあの近くを通りかかって、後輩ちゃんに話を聞いたってことでいいか?」
 「うん、よく分かったね。家に帰ろうと思ってた矢先に、さ」
 「ふぅん、まあいい。俺はさっさと帰ってプリンでも十個食べて寝よ」
 「アハハ、相変わらず甘いの好きだね、望太は。ちょうどいいから一緒に帰っていいかい?」
 「えぇ~、イケメンと一緒に帰ると女子どもの視線が鬱陶しいんだけど」
 「そんなことないと思うけど」
 「もういいし、その鈍感発言とか」
 「?」


  すべてにおいて高レベルに成してしまう彼だが、一つ欠点をいえばラブコメの主人公かって思うほど鈍感だってことだ。物語の主役になるために生まれてきたような存在である。


  ああくそ、別に主役になりたくはねぇけど、せめて顔だけは俺もイケてたら良かったのに……。


 「それにお前と一緒に帰ってみろ。腐った女子どもの餌食にもなるしな」
 「こらこら、女の子に腐ったなんて言ったらダメだろ?」
 「腐女子だっての」
 「?」


  ……ああ、もう一つ欠点あった。オタク文化をほとんど知らないことだ。俺が勧めたゲームなどはするが、自分の意志で買うようなことはしない奴である。


 「まいっか。とにかく三メートルくらいの距離を開けて歩けよな」
 「アハハ、バカだな望太は。それじゃ一緒に帰るって言わないよ?」


  その冗談面白いね、的な感じで笑いやがる。いやいや、そこそこマジに言ったんだけどな。


  くそぉ、イケメンなのに鈍感ってのは、こうも腹が立つもんなのか……!


  とはいってもそんなことは幼稚園からなので、ほぼ諦めてはいるが。
  そうして仕方なく、京夜と帰ることに。


  だがその時、後ろからダダダダダと地面を叩く音が聞こえる。
  誰か走ってきたのかなと何気無く振り返ると、俺の襟首を何者かがギュッと掴む。


 「望ぉぉぉぉ太ぁぁぁぁ~っ!」


  そこにいたのは、まだ熱が冷めやらぬ様子の織花であった。


 「お、おおおお織花!? な、何で!? 部活は!?」
 「今日は部活休みだったこと忘れてたのよ!」
 「お前な、忘れっぽいにもほどがあるぞ!」
 「うっさいわね! ……ってあれ? 何でアタシ怒ってるんだっけ? 何かアンタの後ろ姿を見てイラッとしたんだけど」
 「……お前は本当に忘れっぽいな」


  病院行った方が良いレベルじゃねぇの?


  というよりもよく後ろ姿だけで俺だって気づいたもんだ。背中から俺オーラでも出てるんだろうか。
  織花は掴んだ手を放し、首を傾げて自身の感情の根幹について思案している。どうか思い出さないでくれ。


 「やあ、織花。放課後になっても元気だね」
 「あ、京夜? 珍しいわね、一緒に帰ってるの?」
 「そうなんだよ。いつも望太には断られるからね。今日ようやく一緒になれたんだ。望太と帰ることができて凄く嬉しいよ」
 「だ~か~ら! その腐女子どもの餌になるような危ない発言を止めろっちゅうに!」


  俺をホモにするんじゃねぇ! 普通に女が好きな思春期の男子なんだからよ!


  心の中でやっぱりコイツとはさらなら距離を開けて……と思っていた時。
  突如として地面が輝き出し、それがゲームなどで見る魔法陣だと瞬時に判断する。


 「うわっ!?」
 「な、何よこれぇ!?」


  京夜と織花が、ほとんど同時に足元を見ながら驚き慌てている。
  魔法陣の上に乗っている二人を見ながら俺は比較的冷静だった。


 「あ、あれ! 動けないんだけど!?」
 「ほ、本当だわ! ちょっ、どういうことよぉ!」


  どうやら二人は魔法陣から出られないようだ。


  だが俺は……ひょいっと軽い調子で魔法陣から出られた。うん、どうやら俺はお呼びじゃないようだ。良かった良かった。


 「……よし」
 「よし、じゃないわよぉ! さっさと助けてよ望太ぁ!」
 「そうだよ! 何とかしてよ望太!」


  困惑する二人に、俺は満面の笑みで答える。


 「うん、無理。だってそれ、多分あれだぞ。異世界からの招待状」
 「い、異世界? 何言ってるのさ……?」
 「ちょっ、異世界ってまさかアンタに前に貸してもらったラノベに書いてあった、異世界召喚ってやつじゃないわよね!」
 「おお、ラノベの内容を記憶してるとはな、ちょっと見直したぞ織花」
 「へ? あ、そう? 何だか褒められると照れるわね……って、違う! これがそうなの!? ていうかあれって現実の話だったの!?」


  そんなわけがないだろ、織花。すべては作家の妄想フィクションだぞ。


  と口に出したいが、どうにも現実に起こっているのもまた事実。


  いやぁ、まさか本当にこんな場面に立ち会えるとは、老後の笑い話にでもしよう。


 「ていうか京夜は物語の主人公、織花はヒロインっぽい奴らだなって思ってたけど、まさか本当に異世界に行くとは。きっと魔法とかスキルとかが溢れた素晴らしい世界なんだぜ。よーし頑張ってこいよ、二人とも~」


  俺はにこやかに手を振る。


 「う、嘘よねっ! 助けてよ!」
 「そうだよ望太! 大好きな親友が困ってるよ!」
 「イケメン主人公と美少女ヒロインが異世界に旅立つ……か。あ、帰ってきたらどんなことをしてきたのか教えてくれよ。暇があったら内容をWEB小説にでもして流すから」


  二人ならどんな世界だろうと何だかんだで無事に帰ってくるだろうと思い、俺はそのまま離れようとした――が、


 「…………へ?」


  前のめりに倒れ込んできた二人の幼馴染が、俺の両足を掴みやがった。


 「ちょ、おい! 放せ! 俺は一般人だぞ!」
 「うっさい! こうなったらアンタもとことん一緒よ!」
 「そうだよ! 親友だろ!」
 「親友だからって何でもかんでも許せるって思うんじゃねぇ! ていうか呼ばれたのはお前ら二人だけだろ絶対! 一般市民を巻き込むんじゃねぇ、この将来が約束された連中どもめ!」
 「何よそれ! よく分かんないけどぜ~ったいに放さないからぁ!」
 「僕には望太が必要なんだよ! だから一緒だよいつも!」
 「だあもう! 放せぇぇぇっ! つうか京夜! 男にそんなこと言われても嬉しかねぇんだよっ!」


  つうか、コイツらものすげえ力で握ってやがる! 全然ビクともしねぇし! 必死か!


  瞬く間に魔法陣が一層の輝きを放ち、そして――光が俺たち三人を包み込んでいく。


 「マジかぁぁぁぁぁぁぁぁっ!?」


  俺の悲痛な叫びだけが、現場に響き渡ったという。
  こうして俺は、平凡な日常から痛烈な異常へと足を踏み込んでしまった――。

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