春、かすみ咲く空の下

緑野 和寿

文字の大きさ
上 下
8 / 14

#8   二人の旅行

しおりを挟む
「旅行、行こうか。二人で。たまには音楽から離れて」
 旅行パンフレットを惜しげもなくカフェで広げる春仁。
「うん、行く。どこに連れてってくれるの?」
 春仁のパンフレットを手に考える姿。やはり横顔が堪らない。吸いこまれそう。もちろん正面も好きだけれど。
「どうしようか。草津、伊豆、箱根、伊香保……」
「……温泉ばっかり」
 冷たい視線が向けられる。
「えっ、そう? 偶然だなぁ、あはは」
 春仁は、どうでもいいようなウソを簡単につけるほど器用ではない。音楽とは違って。
「またぁ、知ったかぶりして。変なこと考えてるんじゃない?」
「そ、そんなことないよ。ん~じゃあ、どこがいいかな~っと」
 再度探そうと試みる。
「そうだっ!」
 奏澄がひらめく。
「浜松がいい! 案内して」

 春仁の地元が浜松ということは奏澄も知っている。俊介共々育ててくれた楽器の街。世界にも通ずるそうそうたる楽器メーカーが集う。春仁と俊介は小学校からの付き合いで、よく二人していたずらをしては先生に怒られを繰り返していた。奏澄の知っている二人からは想像もできない。
「あぁ、そこでいいなら」
 どこか面食らった様子。
「じゃ、決定。浜松にも温泉あるでしょ」
「えっ、温泉? 何か変なこと考えてるんじゃないの~?」
 春仁の反撃。その表情は笑みを堪えることに全精力を費やしているかのようで、はちきれんばかりの喜びを全くといっていいくらい我慢しきれていない。音楽をやっている時は格好いいけど、こういう時はかわいい。抱きしめてあげたくなる。
「あっ、そう。ふ~ん、え~っと高尾山もいいな~」
 わざとらしくパンフレットを漁る。
「あぁ~っ。ご、ごめんなさい。浜松でお願いします」
「しょうがないわねぇ、ハルちゃんは」
 互いに顔を見合わせ、笑い合う。
「じゃあ、今度の3連休は? 俺、仕事休みだけど、どう?」
「私も大丈夫」
「よし、決定」
 彼となら何をしていても楽しい。唯一、心を預けられ、甘えられる存在。

 3月の浜松は、まだ寒さを感じる。
「うわぁ~」
 ピンクに染まった城郭に寒さを忘れるほど二人ともうっとりする。この時期の浜松城は桜で覆われ春の訪れを知らせる。大小様々な石垣の上に整然と構える天守閣。決して大きくはない分、親しみが滲んでいる。中に入ると浜松市内が一望でき、東からは富士山、南からは遠州灘がこちらを望む。
「ねぇ、出世城だって」
「何が?」
「浜松城って出世城って言われてるらしいよ」
「へぇ~、何で?」
「城主から幕府の要職に就いた人が多いんだって」
「俺らもあやかって出世できるかな?」
「お願いしとかなきゃね」
「目指せ、ステージマネージャー?」
「どうしようかしらねぇ」
「ハルは?」
「現状維持」
「ぷっ。どうだか、本当は何考えてるのかなぁ。あんまり教えてくれないからなぁ」
「写真撮ろうか」
 ……そこは無視なのね。
 春仁がポケットからデジカメを取り出す。
 寄り添う二人。
 桜と共に背景には果てのない空。
「よく撮れてるね」
 と奏澄。
「もう一枚、今度は私の携帯で撮る」
 香り立つ城郭。
「こっちもよく撮れてるよ。どう? ハル、いいでしょ?」
 嬉々として写真を見せる。
「そうそう、モデルがいいからね」
「いや~ん、正直なんだからぁ」
「はい、下りますよ」
「ちょっとぉ~。照れ屋さんなんだから、もぉ~」

 天守閣を背にする。もぉもぉと隣では、まだぶつぶつ言っている。
 静かに笑みを浮かべながら下りていく春仁。
 桜のひとひらが前をよぎる。奏澄はそれを両の手のひらで大事に包む。
 木を見上げる。
 静穏に包まれる。
「カスミ?」
 満開の桜。
 散るその時までみんなを元気にしてくれる。
 花の涼やかさと葉の若々しさが恵みを与える。
「カスミ?」
「ん? あ~ごめん、何でもないよ。行こう」

 あの時、奏澄は何を思っていたのだろう。
「次はバスで一回浜松駅に戻って、電車で弁天島駅に行こう。今日はそこの旅館に泊まるよ」
「弁天島? 島に行くの?」
 春仁は答えず先を行く。
「こらこら、待ちなさいってば」

 弁天島駅のホームに一歩踏み入る。
「……すごい」
 浜名湖が見える。
「でしょ?」
 浜名湖の弁天島に浮かぶこの駅。物語に出てくる湖中の駅と言ったら言い過ぎかもしれないが情緒がある。駅を出て数分歩くと湖が無限に広がっているかのよう。浜名湖は汽水湖なので遠州灘に通じている。ウナギ、アイナメ、メバル、スッポン、カキなど多種が生息している。
「ねぇ、鳥居があるよ。あそこ。何であんなところに」
「確かに、でもきれいだね」
「ハルは来たことあるんでしょ? ここ」
「地元だからね」
「ハルから見た浜松ってどんな場所?」
 故郷がある人がうらやましく思える。実家暮らしの奏澄にとっては特に。
「浜松、俺にとって」
 迷う春仁の前髪を冷たい風が揺らす。
 しばらくの沈黙の後、口を開く。
「自分を見つめ直す場所かな」
「どういう意味?」
「浜松に戻ると必ず過去を思い出すんだよね。小学校も中学校も、家族も友達も」
「うん」
「東京で今仕事してて何か行き詰まると特に思うんだけど昔はこうだったなとか、あの時は楽しかったなとか。結局それって過去に生きてるってことなのかなって感じる。だから、これからの時代を生きるには、その殻を破って新しく道を創らなきゃいけないんだって」
「どうやって?」
「それがまだ分からないんだよ」
「そっか……」
 こういう時って何て声かければいいのだろう。私だったら何て言ってほしい?
「あと、天草も同じ存在」
「あまくさ?」
「そう、熊本の天草。おじいちゃんおばあちゃんの家」
 春仁のおじいさんおばあさん。会ってみたいな。
「行ってみたい。じゃあ、今度は天草に連れてってね」
「了解」
「約束だよ」
「覚えとくよ。あっ!」
 何かを思い出した春仁。
「どうしたの?」
「がねあげ」
「ん?」
「がねあげ、食べたくなったな」
「食べ物?」
「天草の郷土料理。地区によって多少違うかもしれないけど、拍子木切りにしたさつまいもにしょうがを加えて、かき揚げみたいにしたものだよ」
「"がね"って何?」
「カニのこと。天草の方言」
「カニも入ってるの?」
「いや、ないよ。さつまいもを揚げた形がカニっぽいからそう言われてるだけ」
「食べてみた~い」
「天草に行った時に食べよう」
「そうね!」
 待ち遠しいな。明日にでも行ってみたい。

「あっち行こう」
「いいけど、見るようなものないよ? 普通の住宅街だから」
「それもいいの」
 春仁の育った地元なら何でも見たい、聞きたい、感じたい。天草も大切だけれど。
住宅街に流れる浜名湖から通じる川。川縁に小さな船がいくつも繋がれている。二人で街を歩き、奏澄は新鮮な浜松を、春仁は懐かしい浜松を想う。
「カスミ、寒くない? 風も冷たいし」
「うん、ちょっとね」
 吐息で手を温める奏澄。
「とは言っても、こういう寒さもいいんだよね。地元に帰ってきたなぁって心底実感する」
 自分の居場所があるっていいね。彼ったら、本当にうれしそう。
「そろそろ旅館行こうか。明日はもっとすごいところ案内するよ」
「本当? 期待してま~す」

 夜が怖い。一人でいるとそう思うことがある。考えなくていいことまで考えてしまう。光が欲しい。怖さを忘れさせてくれるような光が。これってわがままなのか。誰かに打ち明けようか。そんな勇気、自分にある? 話せば楽になる? それで救われる? 事実は変わらない。
 誰かに相談しようとする時は多くの場合、相手の答えを聞く前に自分でもう答えを見出しているのではないかと思うことがある。少なくとも自分はそう勘繰ってしまう。優しい言葉を欲しているだけ。私を捨てないで、冷たくしないでと乞うているだけに聞こえる。
 なんだ、自分は救われたいのか。
 過去は振り返るもの、一旦覗いたらいつかは現実に戻らなければいけない。
 分かってる、痛いほど。

「おっはよう!」
 明るい声がふんだんに春仁へ降り注ぐ。
「おはよ……ぅ」
 寝ぼけ眼の様子。
「さっ、顔洗って着替えてご飯にするよ」
 母親か。ツッコミたくなるが眠たさによってその気が失せる。奏澄は準備万端。着替えも化粧も終わっている。
「何時に……起きたの?」
 目をこすりながら春仁が聞く。
「さて何時でしょう?」
「う~ん。日本の……国名の由来、知ってる~?」
「え? 知らないけど。急に何?」
「へ~、知らないんだぁ~」
「何よ。じゃあ、どんな由来なの?」
「ん~? 知らな~い。俺がぁ……教えてほしいくらいだよ」
「知らないんかいっ! というか話を逸らさないでよ、もぉ」
「あぁ……3時間前でしょ、起きたの。ふぁ~」
 大あくび。こんな顔、初めて見たな。普段は見せないから。
「ちょっとハルくん、そんな厚化粧に見えて?」
「ふっ」
「あっ、鼻で笑った」
 春仁の学生時代からのクセ、今までに何度浴びせられたか。寝ぼけていてもやるのね。専用の傘でも用意しとく?
「早く早くっ」
「はいはい、分かってますよ~」
「隣の部屋にいるから5分で着替えてね」
「は~い」

 昨日の桜、感動したな。
 今日はどこに行くんだろう? 楽しみ。
 まぁ、二人ならどこへでもいいんだけれどね。

 もう5分経ったかな。まだ早いか。でも何だか嫌な予感。耳を澄ます。
 まさか、まさかとは思うけれどあの子は……念のために確認しよう。
「ハル~? 入るよ~」
 ドアの前に立つ。
 応答がない。
 世話の焼ける子なんだから。
 ノブに手を伸ばす。
 そして、手前にゆっくり引こうと……
 ゴンッ!
「痛っ」
 もろに頭を強打。
「呼んだ?」
 奏澄が頭を抱えて部屋に敷かれたカーペットを見つめている。
「あれ、コンタクト落とした?」
 コントか。コテコテの。この子って子は。
「もぉ~、頭打ったぁ~」
 涙目で犯人に訴える。
「もしかして、今ので?」
「そうだよっ!」
「ふっ、ごめんよ。よしよし」
 奏澄を抱き寄せ撫でる春仁。
 春仁の胸に顔を預ける奏澄。全くこういうところが憎めない。あっ、けれどまた鼻で笑ったよね? はい、逮捕。

 朝食は大広間での和食。きのこの炊き込みご飯に焼き鮭、マグロやイカなどの刺身、煮込み豆腐、だし巻き玉子、辛子れんこん、ひじき煮、お新香、海苔、茶碗蒸し、味噌汁。日本人に生まれてよかったなと感じる丹精の尽くされた一品一品。
「ふ~、何か落ち着く。和食って」
 春仁が幸せそうに言った。
「うん、確かにそうね。今時の子は洋食ばっかりだからねぇ」
「あなたもね」
「いや~ん、若いだなんてぇ。そんなハルくんにはお姉さんから玉子あげちゃう」
「いいよ、まだあるし」
「いいから、いいから。ほら、あ~ん」
「いやいや、周りの目が」
「ひどい、私の料理が食べられないのね。しくしく」
 奏澄が目尻に手を添える。
 はい、先生。奏澄さんは料理を作っていないと思います。はいは~い、僕もそう思いま~す。私も~。じゃあ、賛成多数というわけで……
「分かりましたよ。あ~ん」
 しょうがない、惚れた自分が悪い。
「最初から素直になりなさいって、こんな若くて美人のお姉さんが食べさせてあげるんだから」
 おや? 何か一つ増えたよな。美人……まぁ、否定はしないけど。
「おいしい?」
「とても」
 プロが作ったんだから当然。なぜ、もじもじしている? しかも得意げに顔を赤くして。
「それで、今日はどこに連れてってくれるの?」
「内緒」
「え~、教えなさいよぉ」
「ダメです」
「ケチ、ケチハルぅ」
「一人で行こうかな~」
「はいはい、行けばいいんでしょ」
「いや、そんな嫌そうな言い方するなら」
「行きますよぉ、連れてってください」
「どうしようかね~」
「僕からもぉ~、お願いしますぅ~」
 聞き慣れない奇妙な声。
 テーブル上にあった黒いくまのぬいぐるみが話し出す。
「かわいそうだよぉ~。おしゃれでお肌がピッチピチで性格も控えめでお上品で文句なしのカスミちゃんがかわいそうだよぉ~。連れてってあげてよぉ~」
「そうだそうだぁ」
 すかさず合いの手を入れる奏澄。
「腹話術かよ。たっぷりと詰めこんだな」
 春仁に手を合わせて乞う。
「ね? ハル様」
 ご機嫌とるのは上手いんだよな。
「よし、行こう」
しおりを挟む
1 / 4

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!

アゲイン~儚き夢の先へ~

恋愛 / 完結 24h.ポイント:7pt お気に入り:2

あなたの涙、いただきます。〜美食家の舌鼓〜

現代文学 / 完結 24h.ポイント:49pt お気に入り:3

ヒメとツミビト。

恋愛 / 連載中 24h.ポイント:7pt お気に入り:4

婚約者たちはオオカミさん

恋愛 / 連載中 24h.ポイント:7pt お気に入り:13

俺の幼なじみが天然すぎて辛いんだが。

恋愛 / 連載中 24h.ポイント:7pt お気に入り:8

SEXから始まる恋

恋愛 / 連載中 24h.ポイント:7pt お気に入り:4

ぽっちゃり娘、惚れ薬でイケメンに溺愛される

恋愛 / 完結 24h.ポイント:7pt お気に入り:130

処理中です...