光の果ての君へ~天使の落ちる罠

ノエル

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数日後。王宮訓練場。
陽の光が地面に短い影を落としていた。
木剣を手に並ぶ貴族少年たち。時折吹く風が枯れ葉を落とし、踏めば足の下でかさかさと鳴る。
今日は、騎士志望の貴族子息たちの練習試合に、セドリックも参加するように言われていた。彼は王妃の妨害で、一度も剣の練習をつけてもらったことがない。

「見ろよ、王子の手。剣を持ったことがなさそうだな」

「練習試合で泣き出しちゃったらどうする?」

「王妃様に叱られるんじゃない?」

その声を、セドリックは聞いていても、反応しなかった。
いつものことだった。
国王の寵愛を受ける王妃の息子――カディスを中心に、誰もが彼を見下していた。

―――いつも、やられっぱなしだな。それでいいのか?

セドリックの頭の中で声がした。

―――よくない。これからは、ちゃんと力を示していかないと。
ルーに守られてばっかりなんて、情けない。

ルーが見てるなら、みっともない姿は見せたくない。
男らしくて、強い自分でいたい。
誰にもバカにされないようになりたい。
大天使が守ってくれるにふさわしい人間になるんだ。

それに、力をつけなきゃ――ルシファーを、誰かに奪われるかもしれない。


教師が命じる。

「では一組目、セドリック殿下と……レオン卿の子息、カイル!」

ざわっ、と空気が動く。

少年たちの間にざわめきが起こった。
「よりによって、カイルかよ」
「教師も無茶するなあ」

カイル・テオハルト・レオン。
剣術家の家系。十二歳にして師範代を超えると言われる天才。
彼が木剣を軽く回すと、ブンッと空気が鳴った。


「お手柔らかに」

セドリックの声は穏やかだった。
その柔らかさに、カイルは鼻で笑う。

「お言葉ですが、王子。剣は――遊びではありませんよ」

号令とともに、砂が弾けた。
カイルが踏み込み、木剣が唸りを上げて振り下ろされる。
遠慮も会釈もない一撃。
その速度に、見学していた少年たちは思わず息を呑む。

ガンッ。

衝撃音とともに、空気が震え、土埃が舞い上がる。
次の瞬間、木剣はカイルの手から離れ、まるで見えない力で操られるように宙を舞い、青空を背景に回転していく。
その軌道は、物理の常識を超え、空気の抵抗すら感じさせない。

セドリックは動かず、木剣を握り直す。
その手に伝わる熱と振動に、砂塵までもが跳ね上がる。指先に疼く感覚――血の奥底からうねる力。
龍の血が、少年の身体を震わせていた。

「……え?」

カイルの口から漏れた声は、風にかき消された。

セドリックは一歩下がり、軽く息を整えた。
そして、小さく微笑む。

「ごめん。……練習なのに、やりすぎた。これじゃ、弱い者いじめみたいだね」

すまなそうに微笑んだ瞬間、陽光が彼の瞳を照らした。
一瞬だけ金色の光が、瞳の奥で燃えるように揺れた。
まるで――伝説の龍が人の姿を借りて、そこに立っているようだった。

沈黙。
その場にいた全員―――鳥の声さえ、止まった。

「殿下……今のは……」

教師の声が震える。

セドリックは小さく首を振った。

「王族に宿る力です。……では、僕はこれで」

(ルー……君が見守ってくれるなら、僕はもっと強くなる。
そして、いつか僕が龍の力で君を守ってあげるんだ。
――君に誇れる自分にならなくちゃ)

ルシファーと再会した日以来、セドリックは自分の中で、強い力が目覚めたのを感じていた。
それは、うねるような熱を伴ったものだった。
血統に眠る龍の血であろうと、セドリックは予想した。そして、それは当たっていたようだ。
先ほど、カイルの攻撃がコマ送りのようにゆっくりと見え、そしてその力も羽毛のように軽く感じたのだ。

木剣を手放すと、地に落ち、カランと澄んだ音がした。
彼は踵を返し、誰にも目を向けずに歩き出す。
護衛たちが慌てて後を追う。

その姿を、カディスが黙って見送っていた。
彼の掌には汗がにじんでいた。

(あれは……何だったんだ。王族に宿る力なんて、僕にはないぞ)

胸の奥に生まれた思いは、言葉にはならなかった。


見守る教師の目にも、いつもと違う光景が映っていた。

「……王子殿下は急に成長された。この脅威的な強さはなんだ? これが龍の血統というものなのか?」

一方、周囲の貴族少年たちは、言葉を失ったままだった。
しばらくして、小さく囁き始めた。

「……あんな力が、王子にあったのか」

「……力を隠し持っていたんだな」

彼らは、歩み去っていく王子の背中を眺めた。それは、かつてないほど堂々としていた。
その姿に、誰もが、静かに息を呑んだ。





王宮の晩餐の間には、たくさんの貴族が集まっていた。
長いテーブルの上で燭台の炎が揺れ、銀器が淡く反射している。
笑い声。音楽。グラスが触れ合う乾いた音。

その一角で、少年たちの間で囁かれている話題が上がった。
「セドリック王子が今日、剣の授業で“剣術の天才”と言われている貴族の子息を打ち負かした」というものだ。

「おほほ、子供の遊びでしょう? 私の弟も、昔は木剣を振り回していましたわ。筋がいいって教師に褒められていたものよ」

王妃が笑いながらワインを傾ける。その声音には、軽蔑とも侮蔑ともつかぬ響きがあった。
家臣の一人が恐る恐る言う。

「しかし、教師の話では……殿下の腕は、天才といわれる“レオン卿の子息をはるかに上回る天賦の才”とか」

王妃はワインを回しながら、愉快そうに目を細めた。

「まあ、教師のゴマすりでしょうね。子供を持ち上げるのが得意な方々だこと」

笑いが起こる。
だが、カディスだけは黙っていた。
あの午後の空気の重さ――
瞳が金色に光った――
それを思い出すたび、胸の奥が冷たくなる。

「セドリック、お前はどう思う?」

黙って聞いていた国王が低く問う。

離れた席に座っていたセドリックは顔を向けず、淡々と答えた。

「噂になるほどのことではありません。おっしゃるとおり、教師のゴマすりでしょう」

声にも表情にも、何の揺らぎもない。
誇らしげな様子もなく、かといって、気を悪くした様子もなく、興味すらないようだ。なんの感情の欠片も浮かべない。
国王は興醒めした顔つきで、話題を変えた。周囲の人々はすぐに新しい話題に飛びついた。王妃が何か言い、途端に笑い声が上がる。

セドリックはその様子を横目でチラリと見た。
それでいい。僕に興味など持たないでくれ。
あんなくだらない連中に認めてもらう必要などないのだから。

強くなろう。
欲しいものを、確実に手に入れるために。

その横顔を――天井の高み、誰にも見えぬ場所から、ルシファーが光の玉となり見つめていた。 彼を守るために。


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