光の果ての君へ~天使の落ちる罠

ノエル

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「式典の三日間、僕をひとりにしてほしい」
その朝、セドリックはルシファーにそう告げていた。

「……理由を聞いてもいいか?」

「建国祭の前後三日間は、王族の血が高まる。竜の力が強くなる日なんだ。
光の存在であるルーには、たぶん……近くにいるだけで苦しいと思う」

ルシファーは眉を寄せる。
その声音に、少年の理屈を超えた“本能の警告”があった。

(――竜の血……)

彼は以前、王子の血に何か危険なものを感じ、ミカエルに相談したことがある。
だから、竜の作用とやらの話は信憑性があった。

その上、ここ最近の王子の心と身体の成長には、目を見張るものがある。身体を鍛え、剣の腕を磨き、勉学に励み、言うべきことはきちんと言う。
多少の不安を覚えつつも、王子の決意を尊重する方がよいと判断した。


「わかった。お前の判断を信じよう」

セドリックの唇が、わずかに緩む。

「だが、お前は私の光でプロテクトしておく」

そう言い残し、セドリックを紫の光で包んだ後、ルシファーの姿は淡い光の粒となって消えた。





午後になり、セドリックは王妃と約束したお茶に出向いた。
人払いされた王妃の部屋。
彼がそこに呼ばれたのは初めてだった。
取り巻きも、侍女も部屋の中に見当たらない。
いたのは王妃とカディスだけ。
あとは、静寂だけが重たく満ちていた。

窓の外では祭りの喧騒が遠く響いているが、部屋の中には一切の喧騒が届かない。
王妃は薄絹の手袋をした手をテーブルの上で組み、微笑みながらセドリックを見据える。
弟のカディスは腕を組み、抜け目のない雰囲気で座っていた。
これから起こることを知っている―――そんな目をしていた。

「このお茶はね、あなたのお母さまが大好きだったお茶なのよ」

そう言って、王妃はグラスの中に、冷えたお茶を注ぎ込んだ。

「飲んでみて。とてもおいしいから」

セドリックは、目の前に置かれたグラスを手に取った。
その目つきには、いつもの弱々しさなどなかったが、二人は気づかない。
いつまでも、この王子は気が弱く自分たちの思い通りになる、と思っているらしい。

彼は一度だけ、部屋の中に視線を巡らす──紫の光を纏うあの小さな玉は、どこにも見えない。ルシファーは約束通り、来ていない。
セドリックは、心の中でうなずいた。ルシファーに自分の苛烈な姿は見せたくない。
舞台は整っている。

「どうしたの? さあ、どうぞ。それとも私を信用していないなんて言わないわよね」

「僕は冷たいお茶はあまり好きではありません」

「そう……飲まないなら国王にいいつけなきゃ。誇り高い竜王の血を持つ陛下ですもの。自分の妃が息子に反抗されたなんて聞いたらどう思うかしら……」


圧をかけるように王妃はいう。
セドリックは口の端を持ち上げた。


「竜の血? 笑わせるな。あの男のどこに竜の気概がある。薄まった竜の血を持っているだけの空っぽな器だろう」

冷たく言い放つセドリックに、アマーリエは一瞬呆然としてしまった。

「は?」

「カディス。僕はいらないから、君が飲んでよ」

セドリックの声は打って変わって柔らかくなった。グラスを持ち、カディスに差し出す。

一瞬、空気が止まった。
兄の声が、あまりに穏やかだったからだ。

「え?」

カディスは困惑して、差し出されたグラスを前にして、母を見た。
セドリックは鼻で笑い、グラスを床に叩き落とした。
ジャリッ。
ガラスが割れる音とともに、破片が宙に浮かぶように飛び散った。
床に落ちるまで、破片のひとつひとつが光を反射し、冷たいガラス音を立てる。


次の瞬間、微笑は溶け、表情が──氷のように変わった。
彼は足元にある割れたグラスの破片をつかむ。そして、王妃の背後にまわり、頬にそれを押し当てた。

「ひっ」

「……僕はね。弱者の振りをすることも、……あなたの顔を、切り裂くこともできるんだ。こんな風に」

破片の先端が柔らかな皮膚を裂く。

「キャーーーーー!」

王妃は耳を聾するような叫び声を上げたが、その声は人払いされた室内の空気に呑み込まれた。

カディスはへたり込み、目を白黒させる。
王妃の頬はざっくり切れて、鮮やかな赤が噴出した──ためらいも遠慮もない、王子の攻撃。
恐怖が王妃の顔を引きつらせる。


セドリックはゆっくりと、震えのとまらない王妃のもとを離れた。
その歩みは優雅で、だが氷のように冷たい。舞台の上で演じられる冷酷な貴族そのものだ。
血に染まったガラスをちらりと見やり、つま先で軽く蹴って視界の外へ弾き飛ばす。
彼は壁をじっと見据え、首をかすかに傾げた。

「いいものを見つけた」

低く呟く声に、玩具を扱うような淡い軽さが混ざる。
儀礼用の剣を無造作に掴むと、刃先を弟カディスへ向けた。
光を受けて刃は細く煌き、椅子に座ったままのカディスの身体が震える。
兄の目に見詰められるとなぜ動けなくなるのか、カディスはわからなかった。

「そう、僕は弟を殺すこともできる。……やってみようか?」

声は低く、顔には感情がない。
部屋の空気が一気に凍りつき、呼吸音さえ遠ざかる。

(――そして、僕は、僕の美しい天使を愛することもできる)

王妃の手が震えた。

「やめてーーーーーーー!」

声が嗄れるほど悲鳴を上げるが、扉の外では祭りの歓声。救いはない。
あまりの恐怖で、カディスは震えながら歯をガチガチ鳴らしていた。

「今、殺すのは得策じゃないか。明日の儀式を潰すわけにはいかないからね」

弟に刃を向けたまま、セドリックはゆっくりと振り向く。
その瞳が陽光を受けて一瞬、金色に輝いた。唇の端に冷たい嘲りが差す。

「ところで、アマーリエ、その頬の傷はどうしたの?」

アマーリエは短く悲鳴を上げた。

「ねえ、答えてよ。その傷はどうしたの?」

「わ、わ、私が……割れたグラスの上で……こ、転んでしまって……」

「だよね? か弱い僕があなたに攻撃するなんて、そんなはずがないよね? たとえ僕がいつもあなたに虐げられていたとしても」

「……そ、その……とおりです」

「カディス。君は、母親がこけて怪我したところを見た?」

「み、み、み、見た」

「そう。じゃあ、いいか」

セドリックは刀の先を緩め、カディスを解放した。
剣を壁に戻すその所作は、あえて余裕を見せつけるような残酷さだった。

「で、さっき勧めたお茶はまだあるの? 今からあなたが飲む? 喉が渇いたでしょう」

遂に、アマーリエが泣き出した。顔の裂けた傷から血が滴る。

彼女の声は届かない。
誰もここに駆けつけはしない。
彼らを助ける者はいないのだ。
王妃自らがそういう状況を作ったのだから。


セドリックは一瞥して、扉へと歩き出した。
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