光の果ての君へ~天使の落ちる罠

ノエル

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部屋に帰り、セドリックは窓の外を見ていた。
王宮の庭も明日の建国祭を祝って、色とりどりの飾り付けがなされている。

彼の瞳に、ふと幼い日の記憶がよぎる。
母を早くに失い、愛情の薄い乳母に育てられたあの頃。

白いカーテンが風に揺れ、静まり返った部屋に、乳母の叱責が響く。
建国祭の飾りを近くで見たいと言って、激しく叱られたのだ。

泣くことも、反抗することもできなかった。
ただ目を伏せ、黙った――また、いつもと同じようにすればいい。
何も考えず、やりすごすのだ。
怒りも悲しみも、やがて風のように消える。
誰も、他人の痛みに興味など持たない。


セドリック・ルキウス・ダルヴィア。
この小さな少年の瞳には、幼い頃から静かな諦めが宿っていた。
世界の醜さを、あまりに早く知ってしまった者の目。
彼にとっての「優しさ」は、誰にでも向けられるものではない。
それは――選ばれた者だけに向けられる、独占欲に近い愛情だった。





その日、彼は寝室で“光”を見た。
カーテンのはためく窓、月光の中に立つ一人の天使。
艶やかな黒髪が風を捉え、白い翼が光を散らしている。

息を呑んだ。
胸の奥が、熱に焼かれるように乾いた。
六歳の心が、本能で叫んだ。
――この存在を、自分以外の誰にも触れさせない。

その瞬間、彼の中で、龍神の血が静かに目を覚ました。
彼の祖先に刻まれた“守護”と“支配”の本能が、目覚めの音を立てたのだ。

ルシファー。
純粋で、気高く、壊れそうなほど危うい天使。
無防備に微笑むその姿が、少年の胸を灼いた。

(この天使だけは、僕のものだ)

言葉にはならなかった。
けれど、その決意は、祈りよりも深く、呪いよりも強く刻まれた。
ルシファーが隣に立つだけで、世界が完結した。

――この世界で、僕からルーを奪おうとする者はすべて排除する。
――ルーだけは、絶対に僕の手から離さない。

少年はまだ、愛の名を知らなかった。
けれど、彼の中に流れる龍神の血は、すでにその名を知っていた。





建国三百年の式典を境に、王妃アマーリエの様子が変わった。

「頬に傷を負ったらしい」「いや、王子に関係があるとか……」

――宮廷の廊下では、囁きが絶えなかった。

式典前夜、お茶の席で王妃は頬を切り、医師が呼ばれた。
「自分の不注意です」と言い張り、傷跡を隠すように部屋に閉じこもる。
それ以来、王妃は広間に姿を見せず、息子カディスと二人きりで食事を取るようになった。

誰もが気づいていた。
あの夜、何かが起きたのだ。
だが、誰も確かめようとはしなかった。
王妃が恐れているのが――“誰”なのか、全員が理解していたからだ。


建国祭の儀式はつつがなく執り行われた。
天蓋の影の中で、国王は無表情のまま玉座に腰掛けていた。
窓辺の光が金糸の衣を照らし、その手には一本の杖。
だが、杖は象徴でしかない。
この王の眼差しには、もはや国を支配する者の意志は宿っていなかった。

セドリックは静かにその姿を見つめていた。
父の頬に刻まれた深い皺。何も映さない瞳。
それは、権力の座に座ったものの、無能さを気取られないように細心の注意を払っている者の顔だった。

(父上は……何も見ていない)
(王妃が怯え、弟が泣き叫んでも、一つの言葉も発しなかった)


国王のアマーリエへの寵愛は、実を言うと見せかけだった。
それは、予期せぬ妊娠によって、与えるしかなかった地位を、正当化するためだけのものだった。
王妃や王子がどうなろうと、かまわない。彼にとって最優先は自分自身の安全と安定だった。

アマーリエの実家とその一族の強欲さと狡猾さに多少の不安があり、未だアマーリエに王妃の地位を与えていない。
もちろん、その血を引くカディスを後継者にする気などさらさらない。


セドリックはそういう父王の内心を正確に見抜いていた。


少年の胸に、冷たい決意があった。

――この国は、僕が浄化しなければならない。いつまでもこの無能を国王の座に置いておかない。

彼は今、誰にも気づかれぬように、自分の手で駒を並べているのだ。





王妃アマーリエは、夜ごと眠れぬ日々を過ごしていた。

銀の鏡に映る自分の顔を見て、頬の傷に触れるたび、あの夜の金色の瞳が蘇る。
あれは、夢ではない――確かに、見たのだ。
十三歳の少年が、龍のような眼で自分を見下ろす姿を。

(あの子は、王族の血の中でも特別……龍神の力を受け継いでいる)

胸の奥で、鈍い痛みが走る。
王妃としての野望など、とうに砕け散っていた。
ただの女として、恐怖に震えているだけだった。

「……誰も、助けてくれない」

囁いた声が、虚しく寝室の中で溶けていく。
豪奢なドレスも、宝石も、もはや助けにはならない。
第一王子が力の片鱗を見せ始めた途端、取り巻きたちは笑顔の裏で距離を取り、誰一人手を差し伸べようとはしなくなった。

自らの立場を守るための権力の盾は張りぼてで、肝心の味方や支えは存在しないことにようやく気付いた。

ここにきて、初めて王宮の恐ろしさを知ってしまった。
同時に王族の恐ろしさも。




カディスは母の命令で荷をまとめていた。
建国祭が終わり次第、母の生家の子爵家へ避難することが決まっていた。

衣装箱を閉じながら、兄の笑みを思い出して手が震える。
「僕は弟を殺せる」と囁いた声。
あのときの兄の目は、光ではなく、冷たい炎だった。

(兄上は……恐ろしい。あの人なら、ためらいなく国王も殺せる)
(逃げなきゃ)

あんな男と王位を争うなど真っ平ごめんだ。
自分を守るため、早く兄のセドリックから離れたかった。





こうして、王宮の空気は張り詰め、
王子セドリックの隠された苛烈さと、王妃の恐怖、国王の無関心という三者の関係が、さらに緊張を高めていった。
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