年上の夫と私

ハチ助

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10.婚約者との再会

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 翌日、手紙に記載してあったとおり、東の隣国に行っていたノティスが護衛三名と補佐役二名と共に昼過ぎ頃、ホースミント邸に帰って来た。

 そんな予定より二週間も早く帰国してきた婚約者にブローディアと邸内の使用人達は笑顔で出迎える。ただし、ロイドだけは昨日酷い目に遭った為、一人だけ引きつった笑顔を貼り付けていた。

「ブローディア嬢、来て頂いて早々に婚約者である私が、長期不在をしてしまい、大変申し訳ございませんでした……。またその間に邸内の事だけでなく、色々と無理難題を依頼してしまったのに迅速に対応して頂き、大変助かりました」

 そう言ってノティスが、おもむろにブローディアの両手を取り感謝の言葉を告げると、今度はその後ろに勢ぞろいしている使用人達にも声をかける。

「皆も彼女と共にこの邸を守ってくれて感謝する。一カ月半にも及ぶ長期不在は久しぶりな為、さぞ大変だっただろう」

 すると、ロイドが不満しかないような表情をしながら、スッと前に出る。

「いや、不在時は全く問題なく皆、過ごせておりましたよ? ですが、急遽若旦那様の帰国の知らせを受けたこの二日間は、使用人全員が甚大な苦労をさせられたのですが? そもそも……もう少し早くこちらに帰国の知らせを頂く事は出来なかったのでしょうか!?」

 ロイドの訴えにノティスが、すまなそうに苦笑を浮かべる。

「すまなかった……。私としても、まさかこんなにもスムーズに事が進むとは思ってもいなかったんだ」
「ならば当初の予定通り、隣国でゆっくりなされば良かったではないですか……」
「17年間も放置するような形になってしまった婚約者殿を自身の邸に待たせているというのに、そういう訳にもいかないだろう」
「何を今更! そもそもその状況が、おかしいのです! 顔合わせくらいならブローディア様がお年頃になられた13歳頃になさるべきだったのではないのですか!?」
「仕方がないだろう。その時期は東の隣国の外交官が代わったばかりで私しか対応が出来ず、両国を行き来していた為、時間が得られなかったのだから……」

 更に困り顔になったノティスがロイドを宥めに掛かるが、ロイドの怒りは一向におさまらず、更に不満を口にしようとした。しかし、そんなロイドの頭を後ろに立っていたミランダの夫ダリオンが、景気よくはたく。

「痛っ!! いきなり何するんですか!! ダリオンさん!!」
「ロイド、いい加減にしろ! 旦那様は長期にわたる隣国での滞在でお疲れなんだぞ!? 大体、何故婚約者のブローディア様を差し置いて、お前が若旦那様と長々と話しをしているのだ!!」
「だって……」
「ロイドは、久しぶりに私が長期間不在だった為、寂しかったのだろう。ダリオン、許してあげてくれないか?」
「それだけは、絶っっっっっ対にないですからっ!!」

 そんな三人のやり取りを見守るように眺めていた使用人達の間で笑いが起こる。
 その状況下でブローディアは、少々複雑な気持ちを抱いていた。

 早くに両親を亡くし僅か14歳で家督を継いだノティスは、年長の使用人達にとっては、大切に守っていかなければならない自分の子供や弟のような存在として映っているのだろう。そんな年長者達のノティスに対する想いは、若い使用人達にも広がっていき、その結果このようなアットホームな主従関係が出来上がっている。

 この一カ月間、ノティスが不在の状態しか知らないブローディアからすると、今ノティスが戻って来たこの状態が本来のホースミント家の雰囲気なのだ。ノティスを中心として使用人達の中に安堵感が広がっていく様は、この邸に来てまだ間もないブローディアだからこそ、よく分かる。

 だが、同時に思ってしまう事もある。
 一カ月半前まで、あの中心にいたのは自分だったという事を……。
 たった一カ月半しか使用人達と過ごしていない自分が、何十年も共に過ごしているノティスと比べても仕方のない事だと頭では理解している。それでもその期間はブローディアを中心として、この邸は動いていたのだ。

 だが、本来の主であるノティスが戻った事で、使用人達が抱く自分とノティスへの信頼や忠誠心の差を見せつけられているような感覚になってしまう。
 使用人達は、けしてブローディアを邪険になど扱っていない。
 むしろこの一カ月間、一等大切な存在として皆、接してくれていたと思う。
 しかし、それはあくまでも『ノティスの婚約者』という肩書があったからだ。
 ノティスの後ろ盾があったからこそ、ブローディアは常に丁重に扱われていた。

 その考えが自分の被害妄想であり、ノティスを羨む気持ちから来ているだけと言う事は、ブローディア自身も重々自覚している。それでも……少し前まであの中心にいて皆を笑顔にさせていたのは、自分だったはずだという考えが何故か消えない。

 その為、どうしても苦笑しているような笑みしか浮かべられなくなる。
 そんなブローディアの様子に気付いたのか、ノティスがニッコリと笑みを向けて来た。

「ブローディア嬢、本日はすでに昼食はとられましたか? もしまだであれば是非、私とご一緒して頂きたいのですが……いかがでしょうか?」
「ええ。喜んでお受けいたしますわ」

 今、自分が浮かべられる精一杯の作り笑顔をノティスに披露すると、何故かノティスが口元に手を持って行き笑いを堪えるような仕草をした。その反応にブローディアが怪訝そうな表情を浮かべる。

「失礼……。二週間後には夫婦となっている間柄なのに、あまりにも他人行儀な話し方を私達はしているなと思ってしまいまして」
「確かに……」
「よろしければ、あなたの事はお父上であるガーデニア伯が使われていた『ディア』とお呼びしても?」
「もちろん。呼び方だけでなく、口調ももっと砕けたものにして頂いて構いませんわ」
「それは、ありがたい! 私は職業柄、常に丁寧な口調を心掛けなければならないので、自宅で過ごす時ぐらいは気を休めたいので助かります」

 そう言って、目を細め柔らかい笑みを浮かべて来たノティスにブローディアも同じような笑みで返す。 
 すると執事のアルファスが二人に声をかけて来た。

「それでは昼食のご用意をさせて頂きます。ですが、若旦那様は長旅のお疲れと汚れを落とす為、まず湯浴ゆあみをお願いいたします。ブローディア様は恐れ入りますが、若旦那様のお支度が整うまでサロンでお待ち頂けますか?」
「ええ。分かったわ」
「それではディア、後ほど」

 そう言ってノティスが、今回隣国へ同行させた家臣達と共に邸内に入って行くのを見届けた後、ブローディアもサロンへと向かった。

 その間ブローディアは、どうしても不安に感じてしまう部分について考え出す。
 正直な所、これから先ノティスとはどのように接すればよいか、よく分からくなっているのだ。
 それは10歳も年の差があるという事も関係しているが、一番の悩みどころがノティスとの適切な距離感が掴めないと言う部分だ。
 しかも使用人達とは、すでに距離が縮まっている状態なので尚更、掴みづらくなっている可能性がある。

 そんな不安を抱き始めたブローディアはふと思い立ち、後ろを歩いている自分よりも一つ年下のエルマにそっと話しかける。

「エルマ、あなたから見てノティス様って、どんな方なの?」
「若旦那様ですか? そうですね……。若旦那様は、とてもお優しい方だと思います! まだ私がこのお邸に来たばかりだった13歳の頃、緊張し過ぎてお皿をたくさん割ってしまい、厨房裏で泣いていたのですが……。その時、とっても甘いキャンディーを一つくださったのです! それがすごく美味しくて! それ以降、若旦那様は私が落ち込んでいると、その甘いキャンディーを一つだけくださるようになって。私は今日この日まで、メイドとして頑張る事が出来ました!」

 鼻息を荒げてそう語るエルマの話を聞いたブローディアは「それは餌付けでは?」と思ったが、敢えて口には出さなかった……。

「もちろん私だけでなく、他の入ったばかりの子達の事も若旦那様は、凄く気遣ってくださいます。何か悩みがありそうな雰囲気の子がいれば、すぐにお声掛けしてくださるのです! ですから私達のような若い使用人達は皆、旦那様の事を面倒見の良いお兄様のような存在として慕っている者が多いと思います!」

 そのエルマの話を聞いたブローディアは、ガクリと肩を落とす。
 自分と年の近いエルマが、ノティスの事をどういう目で見ているのかを聞けば、少しは距離の詰め方の参考になるかと思ったのだが……あまり期待出来そうにない。
 
 ブローディアにとってノティスは『兄のような存在』になる事はないからだ。
 もちろん、近々夫となる相手だという事もある。
 だが、それを抜きにしてもブローディアは、ノティスを『兄的な存在』として感じた事が一度もない……。というよりも、感じる機会を与えて貰えなかったという方が正しい。

 恐らくそうなってしまった経緯は、ノティスと初の対面をした際のやり取りが影響している。その時、ノティスは10歳も年下の小娘であるブローディアを全く子供扱いしなかった。それどころか自分と対等な人間として扱い、接して来たのだ。あの挑発行為もその線引きの一環なのだろう。

 だからこそ、ノティスとの距離感が掴めないのである……。
 兄とは思えない10歳も年上の男性。
 ブローディアには2つ年上の兄ラミウムがいるが、その兄とノティスが全く違うタイプという事も関係しているのだろう。

 ノティスのような男性は騎士団にもいないし、ましてや社交界でもあそこまで言葉巧みに相手を翻弄させる話術を穏やかな雰囲気で行える人間は、そうそういない。
 顔重視のブローディアの母が絶賛する程の美男子でありながら、この17年間、婚約者がいるかどうかも周囲に不明なままだったノティスが、何故か浮いた話が一つもない事もブローディアには不思議で仕方なかった。

 そんなノティスは、今のブローディアにとって『ミステリアスな男性』という表現が一番しっくりくる。何を考えているのか分からない上に、故意に相手にその考えや心情を読ませようとしない姿勢。容姿の良さや人柄等が好印象なのだが、どこか掴みどころがない故、怖いもの見たさのように興味が湧いても来る。

 兄的な感覚を抱く事は出来ない、自分より10歳も年上の男性。
 好奇心で近付けば、あっという間に取り込まれてしまいそうな、そんな危うさを何故かブローディアはノティスに感じてしまう。
 そんな事に考えを巡らせていたら、執事のアルファスがブローディアを呼びに来た。

「ブローディア様、大変お待たせいたしました。昼食の準備が出来ましたので、食堂にお越し頂いてもよろしいでしょうか。若旦那様もお支度を終え、お待ちしておりますので」
「分かった。すぐに向かいます」

 アルファスには、そんな不安な様子を一切読み取らせないよう華やかな笑みを返したブローディアだが……。この後、どのようにノティスと食事中の会話をすればよいか、ブローディアは考えあぐねていた。
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