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夕食
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買い物を済ませて桐野のおすすめの店に向かう。パン屋からは歩いていける距離だった。
大通りから一本奥に入った静かな通りにあったのは、暖簾のかかった静かな佇まいの門構えだった。料亭か何かなのだろう。高級感の漂う門の前まで来て、こんな店には入ったことがない真山は二の足を踏む。
「俺、この格好で平気?」
一応ジャケットは着ているが、割とカジュアルな格好をしてきてしまった。桐野はスーツ姿だが、いかにも大学生な格好で真山は少し心配だった。
「個室だし、それくらいなら大丈夫だよ」
「こ、個室?」
真山の心臓が跳ねた。緊張で喉奥がきゅうっと締まるようだった。
桐野に続いて暖簾をくぐると、小石の敷き詰められ通路があり、その先に引き戸の入り口があった。
桐野が引き戸を開ける。
そこは落ち着いた金色の光に包まれたエントランスで、制服姿の男性スタッフが出迎えてくれた。
「桐野様、お待ちしておりました」
真山と桐野が通されたのは個室のテーブル席だった。部屋の奥の窓からはライトアップされた日本庭園が見える。部屋は照明が落とされ、柔らかな光に包まれている。
二人でかけるには広く感じる席に、真山は桐野と向かい合って座る。
「懐石もいいんだけど、ここは親子丼が美味しいんだ。親子丼なら慎くんも食べやすいだろう?」
桐野の表情が柔らかく綻ぶのを見て、真山もつられて頬を緩め、頷いた。
きっと桐野はここの親子丼が好きなのだろう。声も心なしか柔らかい。
懐石なんて食べたことがない真山だったが、親子丼なら、緊張せずに食べられそうだった。
「じゃあ親子丼にしようか。慎くん、天ぷらは? 天ぷらもおすすめなんだ」
「ふふ、天ぷらも食べる」
「わかった」
桐野の声はいつもよりも明るい。真山に絡まっていた緊張もだいぶ解けて、先程までうるさかった心臓も今は穏やかだ。
桐野はお茶を持ってやってきたスタッフに注文を伝えた。
真山はまだ桐野のことを何も知らない。恋人になったものの、名前と職業以外のことはまだ知らないことばかりだ。
一緒に食事をして、他愛のない話をする。少しずつ相手を知って、自分を知ってもらって。
今まで、したくてもずっとできなかったことだ。
真山がモン・プレシューで出会ってきた誰かとは、いつだってセックスありきの関係だった。もちろん、気持ちいいことは好きだ。好きだけど、それだけでは寂しいと気がついていた。
真山がアルファだと知ってなお、愛してくれるアルファがいることも知らなかった。
真山はずっと、恋愛がしたかった。
今まで取りこぼしていた分を取り返すように、真山は桐野にのめり込んでいる自覚があった。
真山の中で、桐野の存在は随分と大きなものになっていた。
目の前の柔らかな笑みが、ずっとそこにあってほしい。自分だけを見て、自分だけに微笑んでほしいと思った。
注文してしばらくすると、漆塗りの上品などんぶりが運ばれてきた。お吸い物の椀と、香のものもセットだ。
蓋を開けると出汁の効いた割下の匂いが食欲をそそる。炭火で炙った鶏肉には色の濃いとろけるような卵が絡んでいる。
「美味しそう……」
「温かいうちに食べようか」
「うん」
割下の匂いに誘われるように、真山は手を合わせる。
「いただきます」
真山に倣って、桐野も手を合わせた。
「いただきます」
二人で手を合わせてから、箸を取る。
一口食べると上品な出汁の味がした。鶏肉も弾力があって、噛むと肉汁が溢れる。卵に埋もれた玉ねぎはとろけるようで甘い。ちょうどいい水加減で炊かれた米は甘味があってそれだけでも美味しかった。
チェーン店の親子丼しか知らない真山には新鮮だった。あれも十分美味しいが、目の前のこれは別の食べ物のようだった。
別に持ってこられた皿には天ぷらが載っていた。海老、たらの芽、こごみ、ふきのとう、そら豆、さつまいもに白身魚のキスと定番の具材に春の食材が程よく混ざっている。さっくりと揚げられた軽やかな衣は、軽やかな歯応えで食材を包んでいた。
「そーいちさん、おいしい」
「よかった」
「俺の知ってる天ぷらと違う」
真山の知っている天ぷらとは別物だった。思わず漏らした感嘆の声に、桐野は笑みを深めた。
大通りから一本奥に入った静かな通りにあったのは、暖簾のかかった静かな佇まいの門構えだった。料亭か何かなのだろう。高級感の漂う門の前まで来て、こんな店には入ったことがない真山は二の足を踏む。
「俺、この格好で平気?」
一応ジャケットは着ているが、割とカジュアルな格好をしてきてしまった。桐野はスーツ姿だが、いかにも大学生な格好で真山は少し心配だった。
「個室だし、それくらいなら大丈夫だよ」
「こ、個室?」
真山の心臓が跳ねた。緊張で喉奥がきゅうっと締まるようだった。
桐野に続いて暖簾をくぐると、小石の敷き詰められ通路があり、その先に引き戸の入り口があった。
桐野が引き戸を開ける。
そこは落ち着いた金色の光に包まれたエントランスで、制服姿の男性スタッフが出迎えてくれた。
「桐野様、お待ちしておりました」
真山と桐野が通されたのは個室のテーブル席だった。部屋の奥の窓からはライトアップされた日本庭園が見える。部屋は照明が落とされ、柔らかな光に包まれている。
二人でかけるには広く感じる席に、真山は桐野と向かい合って座る。
「懐石もいいんだけど、ここは親子丼が美味しいんだ。親子丼なら慎くんも食べやすいだろう?」
桐野の表情が柔らかく綻ぶのを見て、真山もつられて頬を緩め、頷いた。
きっと桐野はここの親子丼が好きなのだろう。声も心なしか柔らかい。
懐石なんて食べたことがない真山だったが、親子丼なら、緊張せずに食べられそうだった。
「じゃあ親子丼にしようか。慎くん、天ぷらは? 天ぷらもおすすめなんだ」
「ふふ、天ぷらも食べる」
「わかった」
桐野の声はいつもよりも明るい。真山に絡まっていた緊張もだいぶ解けて、先程までうるさかった心臓も今は穏やかだ。
桐野はお茶を持ってやってきたスタッフに注文を伝えた。
真山はまだ桐野のことを何も知らない。恋人になったものの、名前と職業以外のことはまだ知らないことばかりだ。
一緒に食事をして、他愛のない話をする。少しずつ相手を知って、自分を知ってもらって。
今まで、したくてもずっとできなかったことだ。
真山がモン・プレシューで出会ってきた誰かとは、いつだってセックスありきの関係だった。もちろん、気持ちいいことは好きだ。好きだけど、それだけでは寂しいと気がついていた。
真山がアルファだと知ってなお、愛してくれるアルファがいることも知らなかった。
真山はずっと、恋愛がしたかった。
今まで取りこぼしていた分を取り返すように、真山は桐野にのめり込んでいる自覚があった。
真山の中で、桐野の存在は随分と大きなものになっていた。
目の前の柔らかな笑みが、ずっとそこにあってほしい。自分だけを見て、自分だけに微笑んでほしいと思った。
注文してしばらくすると、漆塗りの上品などんぶりが運ばれてきた。お吸い物の椀と、香のものもセットだ。
蓋を開けると出汁の効いた割下の匂いが食欲をそそる。炭火で炙った鶏肉には色の濃いとろけるような卵が絡んでいる。
「美味しそう……」
「温かいうちに食べようか」
「うん」
割下の匂いに誘われるように、真山は手を合わせる。
「いただきます」
真山に倣って、桐野も手を合わせた。
「いただきます」
二人で手を合わせてから、箸を取る。
一口食べると上品な出汁の味がした。鶏肉も弾力があって、噛むと肉汁が溢れる。卵に埋もれた玉ねぎはとろけるようで甘い。ちょうどいい水加減で炊かれた米は甘味があってそれだけでも美味しかった。
チェーン店の親子丼しか知らない真山には新鮮だった。あれも十分美味しいが、目の前のこれは別の食べ物のようだった。
別に持ってこられた皿には天ぷらが載っていた。海老、たらの芽、こごみ、ふきのとう、そら豆、さつまいもに白身魚のキスと定番の具材に春の食材が程よく混ざっている。さっくりと揚げられた軽やかな衣は、軽やかな歯応えで食材を包んでいた。
「そーいちさん、おいしい」
「よかった」
「俺の知ってる天ぷらと違う」
真山の知っている天ぷらとは別物だった。思わず漏らした感嘆の声に、桐野は笑みを深めた。
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