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第46話 ただの男として *
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あれから、話は気味が悪いくらいトントン拍子に進んだ。
ちょうど研究所で欠員が出たばかりだったらしく、募集の手間が省けたと喜ばれたそうだ。先生が先方に送ってくださった私の経歴も、文句なしだったという。
だが、最終的には一度会ってみないと、との事で、先生が同伴してくださり、先方まで伺う事になった。
様々な質問に答えた後は、具体的な業務内容を聞かされたりと、思ったより長い時間がかかり、部屋を出た時には、身も心もすっかり疲弊して、先生に苦笑されたほどだ。
数日後には、採用したいとの連絡をもらい、住まいに関しても、なんとあちらで用意してくれるという。あまりにも順調に進みすぎて、嬉しいとは思うものの、むしろ怖いくらいだった。
でも私は、ひとつ大きなミスを犯していた。その事をこの後、嫌というほど思い知らされる事になるとは、この時の私は知る由もなかった……。
***
採用の連絡をもらい、安堵した日の夜。入浴まで済ませて部屋でくつろいでいた私は、慌てた様子の執事から来客を告げられ、首をかしげる。
「こんな夜に……一体どなた?」
「それが……変装なさったフォールス様が……」
「フォールスが!?わ、わかったわ、応接室よね?すぐ行くわ」
私は、慌てて寝巻きから普段着に着替え、応接室まで向かった。扉を開けた私は、座らずに待つフォールスの姿が目に入った。
「フォールス!まさかあなたが来てくれるなんて……びっくりしたわ」
フォールスは何も答えず、私に近寄ると、思い切り抱きしめてきた。
「……会いたかった」
「ええ、私もよ。でも、だからって、変装までして?ふふ、すごいわあなた……私には思いもつかなかった」
配達人そのものといった格好で、これがこの地の領主だとは誰も思わないだろう。
フォールスは何分も、ただ黙ったまま私を抱き締め続ける。
「……ねえ……どうしたのフォールス……何か言ってちょうだい」
流石に何分もこのままなのは……私はそう思い、フォールスに声をかけた。すると彼は、私に腕を回したまま、体だけを少し離し、私の顔を覗き込んでくる。そんな彼の顔は、何だか拗ねているように見えた。
「……悲しんでると思って、こっちから連絡をしないようにしていたんだ」
「……ええ」
「僕は会いたくて仕方なかったけど、必死で我慢していたんだ。でも、君からは一向に連絡が来ない」
「ご、ごめんなさい……」
落ち着いたら連絡すると執事から伝えてもらったのは私だ。それなのに私は、手紙のひとつ出さなかった。フォールスが機嫌を悪くするのも当然だ。
「痺れを切らして会いに行こうと思えば、ゴシップ紙にあんな記事が載って、家の前は記者がずっとうろついてる。君の家の者からは、詫びと、君の事をしばらくそっとしておいてほしいと言われたから、会いに行くのを泣く泣く諦めたんだ。それなのに……」
その瞬間、フォールスの感情が爆発した。
「よりによって、この家を出て、魔王城で働くだと!?何で君はそんな大事な事を、僕に一言の相談もなく決めるんだ!!」
「あなた、何でその事を知っているの!?」
私以外に、その件でフォールスと接点のあるひとはいないはず。それなのに、彼はなぜそこまで知っているのだ。混乱する私に、フォールスは怒りと悲しみが混ざったような顔で言った。
「ご親切にも、魔王様から連絡がきたんだよ。お前の嫁が魔王城の研究所で働く事になったって……。それを聞いた瞬間、僕は気絶するかと思ったよ!だって僕は、君から何も聞かされてなかったんだから!」
「ご……ごめんなさい、色々とバタバタしてしまって。それに、あなたに迷惑をかけたくなかったし……むしろ、あなたの手を煩わせずに済んでよかった、そう思っていたのよ……」
ゴシップ紙の件で、どうあってもフォールスに迷惑をかけてはいけないという気持ちが先走り、私は、彼に話すという選択肢を最初から抹消していたのだ。全てが落ち着いたら、当然話すつもりだった。でもそれは、言い訳にしか聞こえないだろう。
「僕の手なんて、いくらでも煩わせていいんだよ!まったく……馬鹿正直に待たないで、もっと早く会いにくればよかった……」
「でも!私のせいであなたが嫌な思いをするのは嫌なの。私だけが我慢するなら構わないわ、でも、あなたがあれこれ言われてしまうのは、私、絶対に耐えられない!」
「そんなの知らないよ!僕は、君がいないとだめなのに……」
「それは……私も同じよ……」
私がそう言うと、フォールスは性急に口付けをしてくる。何度も繰り返し、息つく暇も与えてくれない。
触れるだけだったのはほんの数回、そのあとは深く口付けられ、彼の舌が私の唇をなぞり出し、背筋がゾクゾクと震える。思わず開けた口から、彼の舌が侵入する。それは、私の口内のありとあらゆるところを、まるで味わうように蹂躙していく。
「んんっ……ん……」
その行為に耐えきれず、声が出てしまう。でも、初めての時と何か違う感覚を自覚し、私の体が震える。
ようやく口付けが止まり、彼が離れると同時に、私は力を失いその場にへたり込んでしまう。そして膝立ちの姿勢になる。
彼はそんな私に目線を合わせるように、自らも床に座り込むと、再び口付けを再開した。
気づけば、彼の手が、服の上から私の胸に触れてくる。私は驚きで、体が強張る。服の上だった手は、いつの間にか服の下に入り込み、私のブラジャーを外してしまう。
彼が唇を離した瞬間、私は叫ぶように言った。
「やめて、なにするの……!」
「もう、待てない……」
答えになっていない、そう言おうとした私の口は、フォールスからの口付けで塞がれてしまう。
彼の右手は私の後頭部を押さえ、口付けから逃れられないようにされ、左手は私の胸を直接やわやわと揉む。
「ん!んんー!!!」
私は、訳のわからない感覚に身を捩る。彼の手は、私の胸の先を摘みだし、さらに強い刺激が私を襲う。今までに感じたことのないその刺激に、私の心臓の鼓動はどんどん激しくなっていく。目眩にも似た感覚に、気を失ってしまいそうになる。
彼がようやく口付けをやめ、ほっとしたのも束の間、彼は私の胸に口付けをし、胸の先を口に含んでしまう。
「や、やめて!!」
私の問いにフォールスは答えないまま、口に含んでいない方の胸を手で揉み始める。
「あ……いや……ああ……」
頭が混乱してうまく考えられない。目が霞んだように、視界がぼんやりする。
誰にも触られたことがない場所を、フォールスが触っている。口に含み、強く吸い付かれ、私はあまりの衝撃と混乱で、まともに考えられなくなる。
「や……やめて……フォールス……いやよ……怖い……」
私はいつの間にか、涙をボロボロとこぼしてしまう。フォールスがそれに気づき、動きを止め、私の顔を見た。
「ご……ごめん!」
途端に慌て出すフォールス。私の涙を手で拭うも、次から次と流れるそれに手では到底足りず、ハンカチを取り出して拭き始める。
「……なんで……こんなことするの……?分からないのに……教えてもくれない……ひどい……」
言いながら、まるで子供のように泣いてしまう。
母が亡くなってから、凍っていた心が、急な炎で溶かされてしまったように、たまりにたまっていたものが次から次と涙となって溢れだしていく。
そうやって、まるで叫ぶように泣き出す私を、フォールスは強く抱き締める。
「ごめん……本当にごめん!君を泣かせたかったわけじゃないんだ!焦りすぎた僕が全部悪い……ごめんアステ……だから泣かないで……」
私の頭を何度も、必死に撫でるフォールス。今の私には、その優しささえも、涙を誘うものにしかならない。
私は号泣し続けて、上手に呼吸もできなくなり、そしていつの間にか、意識を失ってしまった。
***
頭を撫でる感覚に目を覚ますと、私を心配そうに見つめるフォールスの顔が見えた。どうやら私は、どこかで彼にひざまくらをされているようだ。
「やっとお目覚め?お姫さま」
「……フォールス」
泣いてしょぼつく目を何度も瞬きながら、私は彼の名を呼ぶ。さっきまでの切羽詰まったような表情、それが消えたフォールスに、私は安堵した。
「泣き疲れて気を失ったから……心配した」
「ごめんなさい……泣きすぎて……頭が痛いわ……」
両手で自分の目を覆う。あまりにも泣いたからか、目の奥がズキズキする。
「大丈夫かい?君が謝る必要なんてない……泣かせるような事をした僕が悪い」
「いいえ……違うわ。ずっと、色々と我慢していたのが、一気に出てしまっただけ。あなたの顔を見たら、我慢強い私が消えて、ただの弱虫になるって分かってたから、ずっとあなたに会うのが怖かったの……だから、あなただけのせいじゃない……」
そうだ。母が亡くなった時から、私は感情を無くしたようになっていた。でもそれは、ただ奥へ奥へと押し込んだだけで、何も感じてないわけではなかったのだ。それが、彼といる事と、さっきのショックでとうとう溢れ出してしまった。
「それでも……ごめん。君は、僕の事なんてどうでも良くなったのかと思って、少し頭に血がのぼってた」
「どうでも良いだなんて、一度でも思った事ない……。でも、私のやった事は全部、あなたを蔑ろにしているようにしか見えないわよね……ごめんなさい」
私がそう謝ると、フォールスは意地悪そうな顔で私の鼻を軽く摘んだ。
「そうだよ。君はもう僕の妻なんだから。これからは、何でも言ってほしい」
私は、眉間に皺を寄せて、鼻を摘む彼の手をどけた。
「まだ、正式な妻じゃないでしょう?届けだって出してないわ」
「立会人に誓っただろ?届けとかそんなもの関係ない。もう君は、僕の妻だ」
そう言うと、フォールスは私の額にそっと口付けを落とした。
「ふふ……強引ね」
彼の口付けが、私の心に妙にくすぐったくて、思わずクスッと笑ってしまう。
彼もつられて笑ったけれど、なぜかすぐに、真剣な表情に変わってしまった。
「ねえアステ……僕、君に、ずっと言えなかった事があるんだ」
「なに……?もしかして、何か良くない話?」
私は不安を感じ、胸がズキンと痛む。
「違う……前、僕に地位がなくても結婚したいと思うかって、君に聞いた事があるだろ?」
「ええ、聞かれたわ……それが?」
私が彼に愛を告げた日の別れ際、彼がそう私に聞いたのを思い出す。あの時は、絶対叶わない夢物語なのだとしか思っていなかった。でも。
「あと二年、待ってほしい」
「二年……?待つと、何があるの?」
「領主をやめる」
フォールスの言葉に、私は瞬きも忘れて、彼を見た。彼は何を言っているのだ。やめるなど、あり得ない。彼以外に、一体誰が領主になるというのだ。
「やめるって……どういう事!?」
「僕から兄に、領主の座を戻す」
「でも……お兄さんは、他にやりたい事があるから家を継ぎたくないのだって、あなた言っていたじゃない!」
だから、私は完全に諦めていたのだ。彼と結婚などできないと。だが彼は、今まで隠していた事を話し出した。
「三年だけ僕が継ぐ、そういう約束だったんだ」
「それ……本当なの?」
「うん。でも、どうしても言えなかった。ミスオーガンザは、僕が領主だからこそ、君との結婚に前向きだった。でも、僕が期間限定の領主だと知ったら、きっと君との結婚を止めただろう。どこで漏れるか分からないから、決して誰にも言えなかった。君が不安な顔をするたび、言ってしまいたくなった。でも、君を安心させられたとしても、結婚できなくなったら何の意味もない。だから……」
「そう、だったの……」
そうか。母は、地位のある男との結婚を望んでいた。フォールスだからではなく、領主であったからフォールスを選んだにすぎない。それが分かっているから、フォールスは言うに言えなかったのだ。
そして、母と同じで、私も地位にこだわっているのではないか、それをフォールスは疑っていたのだろう。だから私に、地位がなくても結婚したいかと聞いたのか。
「もし、もしよ?地位のないあなたは嫌だって、私が言ったら?そうしたら、あなたは領主をやめないで続けるつもりだったの?」
「そうだよ……そのつもりだった。君の話を聞かないで勝手に決めるわけにいかないだろ。……やっぱり、領主でも何でもない男は、嫌?」
フォールスに悲しそうに聞かれて、私は慌てて首を横に振る。
「いいえ、違う!そんな事ない!でも、本当に……?嘘じゃない……?冗談を言って、私をぬか喜びさせようっていうつもりじゃ、ない……?」
まだ信じられない。だから、いくつもの疑いの言葉を彼に投げつけてしまう。
「疑り深いな……本当に本当だ。兄に書かせた誓約書もある」
「……偽造じゃ、ないわよね?」
私の言葉に、とうとう彼は吹き出してしまった。
「もう、まったく!君ってやつは!」
「だって、信じられないわ……叶わない夢だと思っていたのに……ねえフォールス、私の頬をつねってくれない?」
そう頼む私に、フォールスは苦笑して、私の右の頬をしっかりとつまむと、思い切りぎゅううとつねってきた。
「……ほら、痛いだろ?」
「痛い……それに、あなたの加減のなさに驚きよ」
私は自分の右頬を何度もさする。きっと赤くなっているだろう。
「中途半端だと、信じてもらえないかと思って」
「もう……分かったわ、信じる。どうせ、あなた以外に私を貰ってくれるようなひとなんていないもの。死ぬまで待ったって、きっと平気だわ」
観念した気分でそう言うと、フォールスは安心したように笑う。そして、よくできたと言わんばかりに、私の頭を何度も撫でた。
「でも、本音を言えば、もっと早く聞かせてほしかった。そうしたら、あんなに悩んだりしなかった。いいえ……分かってるの。そんな事したら、母に絶対気づかれる。あなただって、したくてした事じゃない。でも、本当に、ずっと苦しかった……」
「ごめん。これからは、それ以上に君の事を幸せにする。たくさんわがままを聞くよ……」
「うん……」
でもきっと私は、わがままなど聞いてもらわなくても、彼の側にいられるだけで幸せだと思う。
私は、彼が頭を撫でる心地よさと幸福感に、うっとりと目を閉じた。
「……兄には、もう少し早くできないか聞きに行こうと思う。そうして、領主の座を兄に戻したら、その時は、本当に結婚してくれる?」
「…………分からないわ。今の私がよくても、未来の私がどう思うかなんて」
フォールスは、私の額を指で軽く弾いてきたので、私は目を開ける。
「こら。それで意地悪してるつもり?君は悪い子だな」
「……私、今やっと反抗期が来たのよ」
額をさすりながら、私は少し拗ねたように言った。
「あなたと再会してから、私、人生をやり直しているような気がするわ。きっといつか、わがままだったり、あまのじゃくな事もたくさん言ってしまうようになるわ。それでも……いいの?」
「……いいよ」
フォールスはそう言うと、それを更に肯定するように、私にそっと口付けてきた。
私たちは顔を見合わせて、少し照れくさそうに笑い合った。
「ならいいわ。あなたが、ただの男として迎えに来てくれる日を待ってる……いつまでも」
ちょうど研究所で欠員が出たばかりだったらしく、募集の手間が省けたと喜ばれたそうだ。先生が先方に送ってくださった私の経歴も、文句なしだったという。
だが、最終的には一度会ってみないと、との事で、先生が同伴してくださり、先方まで伺う事になった。
様々な質問に答えた後は、具体的な業務内容を聞かされたりと、思ったより長い時間がかかり、部屋を出た時には、身も心もすっかり疲弊して、先生に苦笑されたほどだ。
数日後には、採用したいとの連絡をもらい、住まいに関しても、なんとあちらで用意してくれるという。あまりにも順調に進みすぎて、嬉しいとは思うものの、むしろ怖いくらいだった。
でも私は、ひとつ大きなミスを犯していた。その事をこの後、嫌というほど思い知らされる事になるとは、この時の私は知る由もなかった……。
***
採用の連絡をもらい、安堵した日の夜。入浴まで済ませて部屋でくつろいでいた私は、慌てた様子の執事から来客を告げられ、首をかしげる。
「こんな夜に……一体どなた?」
「それが……変装なさったフォールス様が……」
「フォールスが!?わ、わかったわ、応接室よね?すぐ行くわ」
私は、慌てて寝巻きから普段着に着替え、応接室まで向かった。扉を開けた私は、座らずに待つフォールスの姿が目に入った。
「フォールス!まさかあなたが来てくれるなんて……びっくりしたわ」
フォールスは何も答えず、私に近寄ると、思い切り抱きしめてきた。
「……会いたかった」
「ええ、私もよ。でも、だからって、変装までして?ふふ、すごいわあなた……私には思いもつかなかった」
配達人そのものといった格好で、これがこの地の領主だとは誰も思わないだろう。
フォールスは何分も、ただ黙ったまま私を抱き締め続ける。
「……ねえ……どうしたのフォールス……何か言ってちょうだい」
流石に何分もこのままなのは……私はそう思い、フォールスに声をかけた。すると彼は、私に腕を回したまま、体だけを少し離し、私の顔を覗き込んでくる。そんな彼の顔は、何だか拗ねているように見えた。
「……悲しんでると思って、こっちから連絡をしないようにしていたんだ」
「……ええ」
「僕は会いたくて仕方なかったけど、必死で我慢していたんだ。でも、君からは一向に連絡が来ない」
「ご、ごめんなさい……」
落ち着いたら連絡すると執事から伝えてもらったのは私だ。それなのに私は、手紙のひとつ出さなかった。フォールスが機嫌を悪くするのも当然だ。
「痺れを切らして会いに行こうと思えば、ゴシップ紙にあんな記事が載って、家の前は記者がずっとうろついてる。君の家の者からは、詫びと、君の事をしばらくそっとしておいてほしいと言われたから、会いに行くのを泣く泣く諦めたんだ。それなのに……」
その瞬間、フォールスの感情が爆発した。
「よりによって、この家を出て、魔王城で働くだと!?何で君はそんな大事な事を、僕に一言の相談もなく決めるんだ!!」
「あなた、何でその事を知っているの!?」
私以外に、その件でフォールスと接点のあるひとはいないはず。それなのに、彼はなぜそこまで知っているのだ。混乱する私に、フォールスは怒りと悲しみが混ざったような顔で言った。
「ご親切にも、魔王様から連絡がきたんだよ。お前の嫁が魔王城の研究所で働く事になったって……。それを聞いた瞬間、僕は気絶するかと思ったよ!だって僕は、君から何も聞かされてなかったんだから!」
「ご……ごめんなさい、色々とバタバタしてしまって。それに、あなたに迷惑をかけたくなかったし……むしろ、あなたの手を煩わせずに済んでよかった、そう思っていたのよ……」
ゴシップ紙の件で、どうあってもフォールスに迷惑をかけてはいけないという気持ちが先走り、私は、彼に話すという選択肢を最初から抹消していたのだ。全てが落ち着いたら、当然話すつもりだった。でもそれは、言い訳にしか聞こえないだろう。
「僕の手なんて、いくらでも煩わせていいんだよ!まったく……馬鹿正直に待たないで、もっと早く会いにくればよかった……」
「でも!私のせいであなたが嫌な思いをするのは嫌なの。私だけが我慢するなら構わないわ、でも、あなたがあれこれ言われてしまうのは、私、絶対に耐えられない!」
「そんなの知らないよ!僕は、君がいないとだめなのに……」
「それは……私も同じよ……」
私がそう言うと、フォールスは性急に口付けをしてくる。何度も繰り返し、息つく暇も与えてくれない。
触れるだけだったのはほんの数回、そのあとは深く口付けられ、彼の舌が私の唇をなぞり出し、背筋がゾクゾクと震える。思わず開けた口から、彼の舌が侵入する。それは、私の口内のありとあらゆるところを、まるで味わうように蹂躙していく。
「んんっ……ん……」
その行為に耐えきれず、声が出てしまう。でも、初めての時と何か違う感覚を自覚し、私の体が震える。
ようやく口付けが止まり、彼が離れると同時に、私は力を失いその場にへたり込んでしまう。そして膝立ちの姿勢になる。
彼はそんな私に目線を合わせるように、自らも床に座り込むと、再び口付けを再開した。
気づけば、彼の手が、服の上から私の胸に触れてくる。私は驚きで、体が強張る。服の上だった手は、いつの間にか服の下に入り込み、私のブラジャーを外してしまう。
彼が唇を離した瞬間、私は叫ぶように言った。
「やめて、なにするの……!」
「もう、待てない……」
答えになっていない、そう言おうとした私の口は、フォールスからの口付けで塞がれてしまう。
彼の右手は私の後頭部を押さえ、口付けから逃れられないようにされ、左手は私の胸を直接やわやわと揉む。
「ん!んんー!!!」
私は、訳のわからない感覚に身を捩る。彼の手は、私の胸の先を摘みだし、さらに強い刺激が私を襲う。今までに感じたことのないその刺激に、私の心臓の鼓動はどんどん激しくなっていく。目眩にも似た感覚に、気を失ってしまいそうになる。
彼がようやく口付けをやめ、ほっとしたのも束の間、彼は私の胸に口付けをし、胸の先を口に含んでしまう。
「や、やめて!!」
私の問いにフォールスは答えないまま、口に含んでいない方の胸を手で揉み始める。
「あ……いや……ああ……」
頭が混乱してうまく考えられない。目が霞んだように、視界がぼんやりする。
誰にも触られたことがない場所を、フォールスが触っている。口に含み、強く吸い付かれ、私はあまりの衝撃と混乱で、まともに考えられなくなる。
「や……やめて……フォールス……いやよ……怖い……」
私はいつの間にか、涙をボロボロとこぼしてしまう。フォールスがそれに気づき、動きを止め、私の顔を見た。
「ご……ごめん!」
途端に慌て出すフォールス。私の涙を手で拭うも、次から次と流れるそれに手では到底足りず、ハンカチを取り出して拭き始める。
「……なんで……こんなことするの……?分からないのに……教えてもくれない……ひどい……」
言いながら、まるで子供のように泣いてしまう。
母が亡くなってから、凍っていた心が、急な炎で溶かされてしまったように、たまりにたまっていたものが次から次と涙となって溢れだしていく。
そうやって、まるで叫ぶように泣き出す私を、フォールスは強く抱き締める。
「ごめん……本当にごめん!君を泣かせたかったわけじゃないんだ!焦りすぎた僕が全部悪い……ごめんアステ……だから泣かないで……」
私の頭を何度も、必死に撫でるフォールス。今の私には、その優しささえも、涙を誘うものにしかならない。
私は号泣し続けて、上手に呼吸もできなくなり、そしていつの間にか、意識を失ってしまった。
***
頭を撫でる感覚に目を覚ますと、私を心配そうに見つめるフォールスの顔が見えた。どうやら私は、どこかで彼にひざまくらをされているようだ。
「やっとお目覚め?お姫さま」
「……フォールス」
泣いてしょぼつく目を何度も瞬きながら、私は彼の名を呼ぶ。さっきまでの切羽詰まったような表情、それが消えたフォールスに、私は安堵した。
「泣き疲れて気を失ったから……心配した」
「ごめんなさい……泣きすぎて……頭が痛いわ……」
両手で自分の目を覆う。あまりにも泣いたからか、目の奥がズキズキする。
「大丈夫かい?君が謝る必要なんてない……泣かせるような事をした僕が悪い」
「いいえ……違うわ。ずっと、色々と我慢していたのが、一気に出てしまっただけ。あなたの顔を見たら、我慢強い私が消えて、ただの弱虫になるって分かってたから、ずっとあなたに会うのが怖かったの……だから、あなただけのせいじゃない……」
そうだ。母が亡くなった時から、私は感情を無くしたようになっていた。でもそれは、ただ奥へ奥へと押し込んだだけで、何も感じてないわけではなかったのだ。それが、彼といる事と、さっきのショックでとうとう溢れ出してしまった。
「それでも……ごめん。君は、僕の事なんてどうでも良くなったのかと思って、少し頭に血がのぼってた」
「どうでも良いだなんて、一度でも思った事ない……。でも、私のやった事は全部、あなたを蔑ろにしているようにしか見えないわよね……ごめんなさい」
私がそう謝ると、フォールスは意地悪そうな顔で私の鼻を軽く摘んだ。
「そうだよ。君はもう僕の妻なんだから。これからは、何でも言ってほしい」
私は、眉間に皺を寄せて、鼻を摘む彼の手をどけた。
「まだ、正式な妻じゃないでしょう?届けだって出してないわ」
「立会人に誓っただろ?届けとかそんなもの関係ない。もう君は、僕の妻だ」
そう言うと、フォールスは私の額にそっと口付けを落とした。
「ふふ……強引ね」
彼の口付けが、私の心に妙にくすぐったくて、思わずクスッと笑ってしまう。
彼もつられて笑ったけれど、なぜかすぐに、真剣な表情に変わってしまった。
「ねえアステ……僕、君に、ずっと言えなかった事があるんだ」
「なに……?もしかして、何か良くない話?」
私は不安を感じ、胸がズキンと痛む。
「違う……前、僕に地位がなくても結婚したいと思うかって、君に聞いた事があるだろ?」
「ええ、聞かれたわ……それが?」
私が彼に愛を告げた日の別れ際、彼がそう私に聞いたのを思い出す。あの時は、絶対叶わない夢物語なのだとしか思っていなかった。でも。
「あと二年、待ってほしい」
「二年……?待つと、何があるの?」
「領主をやめる」
フォールスの言葉に、私は瞬きも忘れて、彼を見た。彼は何を言っているのだ。やめるなど、あり得ない。彼以外に、一体誰が領主になるというのだ。
「やめるって……どういう事!?」
「僕から兄に、領主の座を戻す」
「でも……お兄さんは、他にやりたい事があるから家を継ぎたくないのだって、あなた言っていたじゃない!」
だから、私は完全に諦めていたのだ。彼と結婚などできないと。だが彼は、今まで隠していた事を話し出した。
「三年だけ僕が継ぐ、そういう約束だったんだ」
「それ……本当なの?」
「うん。でも、どうしても言えなかった。ミスオーガンザは、僕が領主だからこそ、君との結婚に前向きだった。でも、僕が期間限定の領主だと知ったら、きっと君との結婚を止めただろう。どこで漏れるか分からないから、決して誰にも言えなかった。君が不安な顔をするたび、言ってしまいたくなった。でも、君を安心させられたとしても、結婚できなくなったら何の意味もない。だから……」
「そう、だったの……」
そうか。母は、地位のある男との結婚を望んでいた。フォールスだからではなく、領主であったからフォールスを選んだにすぎない。それが分かっているから、フォールスは言うに言えなかったのだ。
そして、母と同じで、私も地位にこだわっているのではないか、それをフォールスは疑っていたのだろう。だから私に、地位がなくても結婚したいかと聞いたのか。
「もし、もしよ?地位のないあなたは嫌だって、私が言ったら?そうしたら、あなたは領主をやめないで続けるつもりだったの?」
「そうだよ……そのつもりだった。君の話を聞かないで勝手に決めるわけにいかないだろ。……やっぱり、領主でも何でもない男は、嫌?」
フォールスに悲しそうに聞かれて、私は慌てて首を横に振る。
「いいえ、違う!そんな事ない!でも、本当に……?嘘じゃない……?冗談を言って、私をぬか喜びさせようっていうつもりじゃ、ない……?」
まだ信じられない。だから、いくつもの疑いの言葉を彼に投げつけてしまう。
「疑り深いな……本当に本当だ。兄に書かせた誓約書もある」
「……偽造じゃ、ないわよね?」
私の言葉に、とうとう彼は吹き出してしまった。
「もう、まったく!君ってやつは!」
「だって、信じられないわ……叶わない夢だと思っていたのに……ねえフォールス、私の頬をつねってくれない?」
そう頼む私に、フォールスは苦笑して、私の右の頬をしっかりとつまむと、思い切りぎゅううとつねってきた。
「……ほら、痛いだろ?」
「痛い……それに、あなたの加減のなさに驚きよ」
私は自分の右頬を何度もさする。きっと赤くなっているだろう。
「中途半端だと、信じてもらえないかと思って」
「もう……分かったわ、信じる。どうせ、あなた以外に私を貰ってくれるようなひとなんていないもの。死ぬまで待ったって、きっと平気だわ」
観念した気分でそう言うと、フォールスは安心したように笑う。そして、よくできたと言わんばかりに、私の頭を何度も撫でた。
「でも、本音を言えば、もっと早く聞かせてほしかった。そうしたら、あんなに悩んだりしなかった。いいえ……分かってるの。そんな事したら、母に絶対気づかれる。あなただって、したくてした事じゃない。でも、本当に、ずっと苦しかった……」
「ごめん。これからは、それ以上に君の事を幸せにする。たくさんわがままを聞くよ……」
「うん……」
でもきっと私は、わがままなど聞いてもらわなくても、彼の側にいられるだけで幸せだと思う。
私は、彼が頭を撫でる心地よさと幸福感に、うっとりと目を閉じた。
「……兄には、もう少し早くできないか聞きに行こうと思う。そうして、領主の座を兄に戻したら、その時は、本当に結婚してくれる?」
「…………分からないわ。今の私がよくても、未来の私がどう思うかなんて」
フォールスは、私の額を指で軽く弾いてきたので、私は目を開ける。
「こら。それで意地悪してるつもり?君は悪い子だな」
「……私、今やっと反抗期が来たのよ」
額をさすりながら、私は少し拗ねたように言った。
「あなたと再会してから、私、人生をやり直しているような気がするわ。きっといつか、わがままだったり、あまのじゃくな事もたくさん言ってしまうようになるわ。それでも……いいの?」
「……いいよ」
フォールスはそう言うと、それを更に肯定するように、私にそっと口付けてきた。
私たちは顔を見合わせて、少し照れくさそうに笑い合った。
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