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本編
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突如始まった、僕とご令嬢だけの舞踏会。でも、いつのまにかあのお節介な人たちや屋敷の者たちまで加わって、踊っているのかただはしゃいでいるのか分からない、それでも、どんな舞踏会よりも楽しい時間が過ぎていった。
緩やかな曲が流れる中、踊り疲れた僕とご令嬢は、壁際の椅子に座って、賑やかな様子を眺めていた。
ふと僕は、ここに来た目的を思い出す。ご令嬢の方を向くと、どうしたの?と微笑んでくれる。
僕は、膝に置いた手をぎゅっと握り込み、ずっと言いたかった事を口にした。
「お嬢様。あなたは許すと言ってくれたけれど、それでも謝らせてほしい。身分を偽って、あなたを試すような事をして……本当に申し訳ありません」
頭を下げる僕に、ご令嬢は少し黙って、それから言った。
「許すわ」
顔を上げた僕に、ご令嬢の迷いのない表情が見える。
「ありがとうございます……それと、もう一つ」
「なあに?まだ何か、秘密にしていた事でもあるの?」
僕は、首を横に振り、ご令嬢の手を取り、深呼吸を一度する。
そして、人生で一番の勇気を振り絞って言った。
「どうか僕と、結婚を前提にお付き合いをしていただけませんか?」
断られる覚悟と、受け入れてもらいたいという渇望。
だが、その答えは、はいでもいいえでもなかった。ご令嬢は真顔になって、目を見開いて、穴が開きそうなくらいに僕を見つめている。
「嘘……でしょう?」
「さっき謝ったばかりなのに、また嘘をついてどうするんですか」
「だって……そんな素振りちっとも……」
「必死で我慢していたんです」
「そうなの?」
「そうですよ」
「わたくし、てっきり妹みたいに思われているのだとばかり……」
「妹だと思っている女性に、交際を求めたりなんかしません」
「そう……ならよかった」
誤解が解けたようだ。ほっと胸を撫で下ろす。
「ねえ、ひとつ聞いていいかしら」
「え、ああ、何でしょうか?」
「あなたがわたくしに望むのは、王子の伴侶として都合がいい女?」
ご令嬢はまだ疑いを捨てきれていないのか。僕は断固として否定する。
「違います」
「じゃあ、何?」
僕の中で明確に言語化されていないものを問われ、僕は深く考える。僕の心の中を漂う、言葉のない感情をつかまえて、それが何かを確かめていく。
僕が求めるもの。それは。
「……僕が見たままのお嬢様と、これからも一緒に生きていきたい」
ご令嬢は、驚き、それから、どこか安堵したような笑顔になる。でもそれはすぐに、悪戯をしかけようとする子供のような表情に変わる。
「本当に?わたくし、カエルを捕まえるような女よ?」
「かまいません」
「剣であなたを打ち負かすような女よ?」
「僕も精進します」
「雪遊びなんかではしゃぐ女よ?」
「いくらでも付き合います」
そうやって押し問答をして、顔を見合わせて、くすくすと笑い合って。やがて、もう出てこなくなってしまったと、悔しそうに笑うご令嬢。それも全て愛おしくてたまらない。
僕は、その気持ちを伝えたくて、たまらなくなる。
「僕は、そんなお嬢様がいい」
「……なら、仕方ないわね」
ご令嬢は、僕の手を握り返し、まっすぐ僕を見て言った。
「喜んで」
その瞬間、辺りからどっと歓声が沸いた。僕とご令嬢は驚いて辺りを見回す。ダンスホールにいた全員がこちらを見て、興奮したように拍手している。中には、抱き合って喜んでいる者さえいる。
見られていたのだ。気づかなかった。恥ずかしさで、顔に血が集まる。
「あなたたち!見せ物じゃないのよ!……もう」
怒るご令嬢に、それでもみんなニコニコと笑顔で、よく見れば爺はおいおいと泣き出している。もう、そんなのを見せられたら、怒る気も失せてしまう。
まるで僕らを祝うように、楽しげな曲が流れ出す。
僕は椅子から立ち上がり、ご令嬢の手を引き寄せる。
「お嬢様。あと一曲、お付き合いいただけますか?」
でも、ご令嬢は少し不機嫌そうな顔で僕を見る。
「ねえ。いつまでその呼び方なのかしら」
「え?」
「わたくし、もうあなたのお嬢様でもなんでもないのよ」
そうだ。もう僕は、ご令嬢に仕える執事見習いではないのだ。
「では、名前でお呼びしても?」
「いいわ」
そして僕は、ずっと知っていたのに、ずっと呼ぶ事ができなかった彼女の名前を呼んだ。
嬉しそうにそれを聞く彼女の笑顔は、どんな花も敵わないくらいに、可憐だった。
緩やかな曲が流れる中、踊り疲れた僕とご令嬢は、壁際の椅子に座って、賑やかな様子を眺めていた。
ふと僕は、ここに来た目的を思い出す。ご令嬢の方を向くと、どうしたの?と微笑んでくれる。
僕は、膝に置いた手をぎゅっと握り込み、ずっと言いたかった事を口にした。
「お嬢様。あなたは許すと言ってくれたけれど、それでも謝らせてほしい。身分を偽って、あなたを試すような事をして……本当に申し訳ありません」
頭を下げる僕に、ご令嬢は少し黙って、それから言った。
「許すわ」
顔を上げた僕に、ご令嬢の迷いのない表情が見える。
「ありがとうございます……それと、もう一つ」
「なあに?まだ何か、秘密にしていた事でもあるの?」
僕は、首を横に振り、ご令嬢の手を取り、深呼吸を一度する。
そして、人生で一番の勇気を振り絞って言った。
「どうか僕と、結婚を前提にお付き合いをしていただけませんか?」
断られる覚悟と、受け入れてもらいたいという渇望。
だが、その答えは、はいでもいいえでもなかった。ご令嬢は真顔になって、目を見開いて、穴が開きそうなくらいに僕を見つめている。
「嘘……でしょう?」
「さっき謝ったばかりなのに、また嘘をついてどうするんですか」
「だって……そんな素振りちっとも……」
「必死で我慢していたんです」
「そうなの?」
「そうですよ」
「わたくし、てっきり妹みたいに思われているのだとばかり……」
「妹だと思っている女性に、交際を求めたりなんかしません」
「そう……ならよかった」
誤解が解けたようだ。ほっと胸を撫で下ろす。
「ねえ、ひとつ聞いていいかしら」
「え、ああ、何でしょうか?」
「あなたがわたくしに望むのは、王子の伴侶として都合がいい女?」
ご令嬢はまだ疑いを捨てきれていないのか。僕は断固として否定する。
「違います」
「じゃあ、何?」
僕の中で明確に言語化されていないものを問われ、僕は深く考える。僕の心の中を漂う、言葉のない感情をつかまえて、それが何かを確かめていく。
僕が求めるもの。それは。
「……僕が見たままのお嬢様と、これからも一緒に生きていきたい」
ご令嬢は、驚き、それから、どこか安堵したような笑顔になる。でもそれはすぐに、悪戯をしかけようとする子供のような表情に変わる。
「本当に?わたくし、カエルを捕まえるような女よ?」
「かまいません」
「剣であなたを打ち負かすような女よ?」
「僕も精進します」
「雪遊びなんかではしゃぐ女よ?」
「いくらでも付き合います」
そうやって押し問答をして、顔を見合わせて、くすくすと笑い合って。やがて、もう出てこなくなってしまったと、悔しそうに笑うご令嬢。それも全て愛おしくてたまらない。
僕は、その気持ちを伝えたくて、たまらなくなる。
「僕は、そんなお嬢様がいい」
「……なら、仕方ないわね」
ご令嬢は、僕の手を握り返し、まっすぐ僕を見て言った。
「喜んで」
その瞬間、辺りからどっと歓声が沸いた。僕とご令嬢は驚いて辺りを見回す。ダンスホールにいた全員がこちらを見て、興奮したように拍手している。中には、抱き合って喜んでいる者さえいる。
見られていたのだ。気づかなかった。恥ずかしさで、顔に血が集まる。
「あなたたち!見せ物じゃないのよ!……もう」
怒るご令嬢に、それでもみんなニコニコと笑顔で、よく見れば爺はおいおいと泣き出している。もう、そんなのを見せられたら、怒る気も失せてしまう。
まるで僕らを祝うように、楽しげな曲が流れ出す。
僕は椅子から立ち上がり、ご令嬢の手を引き寄せる。
「お嬢様。あと一曲、お付き合いいただけますか?」
でも、ご令嬢は少し不機嫌そうな顔で僕を見る。
「ねえ。いつまでその呼び方なのかしら」
「え?」
「わたくし、もうあなたのお嬢様でもなんでもないのよ」
そうだ。もう僕は、ご令嬢に仕える執事見習いではないのだ。
「では、名前でお呼びしても?」
「いいわ」
そして僕は、ずっと知っていたのに、ずっと呼ぶ事ができなかった彼女の名前を呼んだ。
嬉しそうにそれを聞く彼女の笑顔は、どんな花も敵わないくらいに、可憐だった。
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