五人目のご令嬢

じぇいそんむらた

文字の大きさ
32 / 34
Bonus track

目が眩むのは 後編

しおりを挟む
「あった、という事は、もう解決してしまった?」
「ええ、ついさっき」
「さっき?」

 いつの間にそんな事になっていたのだろう。驚く僕に、妻はまだ泣いた余韻を顔に残しつつも、どこかすっきりとしたような表情になっていた。そして彼女は、僕の胸の中に顔を埋める。

「あなたが屋敷にいた時、わたくし、あなたの事を兄のように思っていたわ。だから、お付き合いをしたいとか、そういう男女の関係なんて考えもしなかったの。でもね」

 妻は顔を上げて、少し恥ずかしそうに続けた。

「本当はずうっと、あなたに惹かれていた。でも、わたくしはその気持ちをずっと誤魔化して、認めないようにして、胸の奥に、無理やり押し込んでいたの」

 僕は、返事の代わりに、優しく妻の頭を撫でる。今はただ黙って、彼女の話を聞くべきだと思ったから。

「だって、あなたに恋をしても、その先がないのを分かっていたから。一度婚約を破棄されたのに、これ以上わがままを言って、家や父に迷惑をかけるわけにはいかなかった。だから、あなたが王子だと知って、私はその手を取った」

 そう、執事見習いとご令嬢、その身分はあまりにもかけ離れている。性別が逆ならまだ可能性はあるが、男の方が低い身分というのは、まずありえない。
 愛が身分によって引き裂かれる事を、悲劇とする物語などいくらでもある。けれど、僕らはあまりにも多くを背負っていて、それを無視する事などできない。

「今更ね、思ったの。なんて現金な女だろうって。わたくし、そんな自分がすごく嫌になってしまったの」

(そうか……)

 その瞬間、僕は、爺の言葉を思い出す。

『姪が、偶然元婚約者と顔を合わせましてな。あの男、姪に心がちいともこもっていない結婚祝いの言葉を口にしてから、こんな事を言ったのです。君みたいな女でも地位に目が眩むんだな、一体どうやって王子をたらしこんだんだ?……と』

 妻が、心配そうな顔で僕を覗き込んでいるのに気づく。

「……幻滅、した?」
「いや、してないよ」
「本当?あなた、困った顔しているわ」
「違うよ、これは……」

 まさか素直に、爺から聞かされた事を説明する訳にもいかず、僕は悩んで、とりあえず今は、僕の素直な気持ちを伝えよう、そう決めた。

「悔しいんだ」
「……悔しい?」
「うん。言われて初めて君の悩みを知った事が、悔しくて仕方ない」

 僕がそう言った途端。妻が顔を歪めて、今にも泣きそうになる。

「……こんなに自分勝手な悩みなのに?」
「僕の大切な人の悩みだろう?」
「……もう……なんで……あなたっていつもそう……」

 妻は再び、僕の胸の中に顔を埋めて、悔しそうに言う。

「僕、怒られてる?」
「違うわ……でも怒った方がいいわ……わたくしを甘やかしすぎないでって……」

 それを聞いて、僕は吹き出してしまう。可愛らしくて仕方なくて、妻の体をぎゅうと抱きしめる。

「困ったな。怒られてもやめられる自信がない」
「……もう」

 それきり妻は何も言わない。もしかしたら、呆れてしまったのかもしれない。

「そういえば、君の悩みはもう解決してしまったんだよね?」
「したわ」
「一体どうやって?」
「知りたい?」
「知りたいとも」

 すると、妻はしばらく黙りこんでしまう。僕はただ黙って、彼女の次の言葉を待つ。

「……わたくし、気づいたの。あなたのどこが好きなのかって」
「僕の、好きなところ?」
「ええ。あなたは、王子としてどうあるべきなのか、そういう事をきちんと考えて、それに相応しくあろうと努力しているわ。それは、わたくしがあなたに出会うずっとずっと前から。そんなあなたに、わたくしは惹かれた」

 妻が、顔を上げる。少し涙で潤んだ瞳が、僕をまっすぐ見ている。

「あなたが王子という地位にいたから、今のあなたがあって、そんなあなたを、わたくしはどうしようもなく愛してしまった」

 妻の目尻から、一筋の涙が流れる。僕は、それを指で撫でるように掬う。

「駄目ね……きっとうまく言えてないわ。意味がわからないでしょう?」
「ううん。大丈夫。伝わってると思う」
「本当に?」

 僕は、頷く。

「華やかな兄と違って地味な男は、せめて王子としての地位に恥ずかしくないように努力しないと、と足掻いた。そんな男だから、君は僕を好きになってくれたって事だろう?」
「……そうよ。でも、地味というのは同意しかねるわ。あなたの涼しげな顔つき……わたくし……本当に……好き、だもの」

 照れながらそう言う妻に、僕は胸が高鳴る。

「つまりわたくしは、努力家のあなたが好きで、努力家なのはあなたが王子という地位だから育まれたもので……だからわたくしは、王子様と結婚するしか選択肢はなかったの」

 妻はそう言うと、首をすくめ、困ったように笑う。

「それに気づいたから、悩みが消えたのかな?」
「そう。ずっと真剣に悩んでた自分が笑えちゃうくらいに」

 そう言って笑い出す妻。晴れ晴れとした笑顔が、彼女には本当に似合うなと、そしてそんな彼女がますます愛おしく感じて、僕も笑顔になる。
 でも妻は、笑うのを止めて、また少し、悲しそうな表情を見せる。

「……私、そんなあなたに釣り合う女でいられてる?」

 まさかそんな事を聞かれるとは思わず、僕はぽかんとしてしまう。釣り合う?そんな、馬鹿な。

「それは僕の台詞だよ。君に相応しい男でいられてるのか、日々不安だっていうのに」
「何言ってるの……そ、それはわたくしの台詞よ?」
「いいや、僕のだね」
「わ、わたくしのよ!」

 そうやって言い争うも、すぐに妻と僕は肩を震わせて笑い出してしまう。

「もう……ふふ……やっぱりわたくし……あなたじゃないと駄目よ……あなたしかいないわ……」

 目に涙を溜めて、子供のような笑顔で言う妻に、僕も心からの笑顔になる。

「はは!うん、僕も、君じゃないと駄目だよ」

 妻の、かすかに土で汚れた指先をそっと撫でて、僕はようやく心の底から笑った。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

ヤンデレ王子を闇落ちから救ったら愛執まみれの独占欲に囚われました

大江戸ウメコ
恋愛
幼い頃に精霊の祝福である未来視の力が開花し、「夫である第二王子ナハルドに殺される」という己の運命を知った伯爵令嬢ツィーラ。この悲惨な未来を変えるべく、ツィーラは彼を避けようとしたが、ひょんなことから婚約者に選ばれてしまった! ならば、ナハルドが将来闇落ちしないよう、側で彼を支えることを決意する。そんな努力の甲斐あって、ツィーラへの好意を隠さず伝えてくるほど、ナハルドとの関係は良好になった。だけど、彼の並々ならぬ執着心のすべてを、ツィーラはまだ知らなくて――

うわさの行方

下沢翠花(しもざわすいか)
恋愛
まだ十歳で結婚したセシリア。 すぐに戦場へ行ってしまった夫のニールスは優しい人だった。 戦場から帰るまでは。 三年ぶりにあったニールスは、なぜかセシリアを遠ざける。 ニールスの素っ気ない態度に傷つき疲弊していくセシリアは謂れのない酷い噂に追い詰められて行く。

彼の巨大な体に覆われ、満たされ、貪られた——一晩中

桜井ベアトリクス
恋愛
妹を救出するため、一ヶ月かけて死の山脈を越え、影の沼地を泳ぎ、マンティコアとポーカー勝負までした私、ローズ。 やっと辿り着いた先で見たのは——フェイ王の膝の上で甘える妹の姿。 「助けなんていらないわよ?」 は? しかも運命の光が私と巨漢戦士マキシマスの間で光って、「お前は俺のものだ」宣言。 「片手だけなら……」そう妥協したのに、ワイン一杯で理性が飛んだ。 彼の心臓の音を聞いた瞬間、私から飛びついて、その夜、彼のベッドで戦士のものになった。

公爵令嬢のひとりごと

鬼ヶ咲あちたん
ファンタジー
城下町へ視察にいった王太子シメオンは、食堂の看板娘コレットがひたむきに働く姿に目を奪われる。それ以来、事あるごとに婚約者である公爵令嬢ロザリーを貶すようになった。「君はもっとコレットを見習ったほうがいい」そんな日々にうんざりしたロザリーのひとりごと。

どんなあなたでも愛してる。

piyo
恋愛
遠征から戻った夫の姿が変わっていたーー 騎士である夫ディーノが、半年以上の遠征を終えて帰宅した。心躍らせて迎えたシエラだったが、そのあまりの外見の変わりように失神してしまう。 どうやら魔女の呪いでこうなったらしく、努力しなければ元には戻らないらしい。果たして、シエラはそんな夫を再び愛することができるのか? ※全四話+後日談一話。 ※毎日夜9時頃更新(予約投稿済)&日曜日完結です。 ※なろうにも投稿しています。

夫が運命の番と出会いました

重田いの
恋愛
幼馴染のいいなづけとして育ってきた銀狼族の族長エーリヒと、妻ローゼマリー。 だがエーリヒに運命の番が現れたことにより、二人は離別する。 しかし二年後、修道院に暮らすローゼマリーの元へエーリヒが現れ――!?

女の子がほとんど産まれない国に転生しました。

さくらもち
恋愛
何番煎じかのお話です。 100人に3~5人しか産まれない女の子は大切にされ一妻多夫制の国に産まれたのは前世の記憶、日本で亭主関白の旦那に嫁いびりと男尊女卑な家に嫁いで挙句栄養失調と過労死と言う令和になってもまだ昭和な家庭!でありえない最後を迎えてしまった清水 理央、享年44歳 そんな彼女を不憫に思った女神が自身の世界の女性至上主義な国に転生させたお話。 当面は2日に1話更新予定!

義兄と私と時々弟

みのる
恋愛
全く呑気な義兄である。 弟もある意味呑気かも?

処理中です...