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目が眩むのは 後編
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「あった、という事は、もう解決してしまった?」
「ええ、ついさっき」
「さっき?」
いつの間にそんな事になっていたのだろう。驚く僕に、妻はまだ泣いた余韻を顔に残しつつも、どこかすっきりとしたような表情になっていた。そして彼女は、僕の胸の中に顔を埋める。
「あなたが屋敷にいた時、わたくし、あなたの事を兄のように思っていたわ。だから、お付き合いをしたいとか、そういう男女の関係なんて考えもしなかったの。でもね」
妻は顔を上げて、少し恥ずかしそうに続けた。
「本当はずうっと、あなたに惹かれていた。でも、わたくしはその気持ちをずっと誤魔化して、認めないようにして、胸の奥に、無理やり押し込んでいたの」
僕は、返事の代わりに、優しく妻の頭を撫でる。今はただ黙って、彼女の話を聞くべきだと思ったから。
「だって、あなたに恋をしても、その先がないのを分かっていたから。一度婚約を破棄されたのに、これ以上わがままを言って、家や父に迷惑をかけるわけにはいかなかった。だから、あなたが王子だと知って、私はその手を取った」
そう、執事見習いとご令嬢、その身分はあまりにもかけ離れている。性別が逆ならまだ可能性はあるが、男の方が低い身分というのは、まずありえない。
愛が身分によって引き裂かれる事を、悲劇とする物語などいくらでもある。けれど、僕らはあまりにも多くを背負っていて、それを無視する事などできない。
「今更ね、思ったの。なんて現金な女だろうって。わたくし、そんな自分がすごく嫌になってしまったの」
(そうか……)
その瞬間、僕は、爺の言葉を思い出す。
『姪が、偶然元婚約者と顔を合わせましてな。あの男、姪に心がちいともこもっていない結婚祝いの言葉を口にしてから、こんな事を言ったのです。君みたいな女でも地位に目が眩むんだな、一体どうやって王子をたらしこんだんだ?……と』
妻が、心配そうな顔で僕を覗き込んでいるのに気づく。
「……幻滅、した?」
「いや、してないよ」
「本当?あなた、困った顔しているわ」
「違うよ、これは……」
まさか素直に、爺から聞かされた事を説明する訳にもいかず、僕は悩んで、とりあえず今は、僕の素直な気持ちを伝えよう、そう決めた。
「悔しいんだ」
「……悔しい?」
「うん。言われて初めて君の悩みを知った事が、悔しくて仕方ない」
僕がそう言った途端。妻が顔を歪めて、今にも泣きそうになる。
「……こんなに自分勝手な悩みなのに?」
「僕の大切な人の悩みだろう?」
「……もう……なんで……あなたっていつもそう……」
妻は再び、僕の胸の中に顔を埋めて、悔しそうに言う。
「僕、怒られてる?」
「違うわ……でも怒った方がいいわ……わたくしを甘やかしすぎないでって……」
それを聞いて、僕は吹き出してしまう。可愛らしくて仕方なくて、妻の体をぎゅうと抱きしめる。
「困ったな。怒られてもやめられる自信がない」
「……もう」
それきり妻は何も言わない。もしかしたら、呆れてしまったのかもしれない。
「そういえば、君の悩みはもう解決してしまったんだよね?」
「したわ」
「一体どうやって?」
「知りたい?」
「知りたいとも」
すると、妻はしばらく黙りこんでしまう。僕はただ黙って、彼女の次の言葉を待つ。
「……わたくし、気づいたの。あなたのどこが好きなのかって」
「僕の、好きなところ?」
「ええ。あなたは、王子としてどうあるべきなのか、そういう事をきちんと考えて、それに相応しくあろうと努力しているわ。それは、わたくしがあなたに出会うずっとずっと前から。そんなあなたに、わたくしは惹かれた」
妻が、顔を上げる。少し涙で潤んだ瞳が、僕をまっすぐ見ている。
「あなたが王子という地位にいたから、今のあなたがあって、そんなあなたを、わたくしはどうしようもなく愛してしまった」
妻の目尻から、一筋の涙が流れる。僕は、それを指で撫でるように掬う。
「駄目ね……きっとうまく言えてないわ。意味がわからないでしょう?」
「ううん。大丈夫。伝わってると思う」
「本当に?」
僕は、頷く。
「華やかな兄と違って地味な男は、せめて王子としての地位に恥ずかしくないように努力しないと、と足掻いた。そんな男だから、君は僕を好きになってくれたって事だろう?」
「……そうよ。でも、地味というのは同意しかねるわ。あなたの涼しげな顔つき……わたくし……本当に……好き、だもの」
照れながらそう言う妻に、僕は胸が高鳴る。
「つまりわたくしは、努力家のあなたが好きで、努力家なのはあなたが王子という地位だから育まれたもので……だからわたくしは、王子様と結婚するしか選択肢はなかったの」
妻はそう言うと、首をすくめ、困ったように笑う。
「それに気づいたから、悩みが消えたのかな?」
「そう。ずっと真剣に悩んでた自分が笑えちゃうくらいに」
そう言って笑い出す妻。晴れ晴れとした笑顔が、彼女には本当に似合うなと、そしてそんな彼女がますます愛おしく感じて、僕も笑顔になる。
でも妻は、笑うのを止めて、また少し、悲しそうな表情を見せる。
「……私、そんなあなたに釣り合う女でいられてる?」
まさかそんな事を聞かれるとは思わず、僕はぽかんとしてしまう。釣り合う?そんな、馬鹿な。
「それは僕の台詞だよ。君に相応しい男でいられてるのか、日々不安だっていうのに」
「何言ってるの……そ、それはわたくしの台詞よ?」
「いいや、僕のだね」
「わ、わたくしのよ!」
そうやって言い争うも、すぐに妻と僕は肩を震わせて笑い出してしまう。
「もう……ふふ……やっぱりわたくし……あなたじゃないと駄目よ……あなたしかいないわ……」
目に涙を溜めて、子供のような笑顔で言う妻に、僕も心からの笑顔になる。
「はは!うん、僕も、君じゃないと駄目だよ」
妻の、かすかに土で汚れた指先をそっと撫でて、僕はようやく心の底から笑った。
「ええ、ついさっき」
「さっき?」
いつの間にそんな事になっていたのだろう。驚く僕に、妻はまだ泣いた余韻を顔に残しつつも、どこかすっきりとしたような表情になっていた。そして彼女は、僕の胸の中に顔を埋める。
「あなたが屋敷にいた時、わたくし、あなたの事を兄のように思っていたわ。だから、お付き合いをしたいとか、そういう男女の関係なんて考えもしなかったの。でもね」
妻は顔を上げて、少し恥ずかしそうに続けた。
「本当はずうっと、あなたに惹かれていた。でも、わたくしはその気持ちをずっと誤魔化して、認めないようにして、胸の奥に、無理やり押し込んでいたの」
僕は、返事の代わりに、優しく妻の頭を撫でる。今はただ黙って、彼女の話を聞くべきだと思ったから。
「だって、あなたに恋をしても、その先がないのを分かっていたから。一度婚約を破棄されたのに、これ以上わがままを言って、家や父に迷惑をかけるわけにはいかなかった。だから、あなたが王子だと知って、私はその手を取った」
そう、執事見習いとご令嬢、その身分はあまりにもかけ離れている。性別が逆ならまだ可能性はあるが、男の方が低い身分というのは、まずありえない。
愛が身分によって引き裂かれる事を、悲劇とする物語などいくらでもある。けれど、僕らはあまりにも多くを背負っていて、それを無視する事などできない。
「今更ね、思ったの。なんて現金な女だろうって。わたくし、そんな自分がすごく嫌になってしまったの」
(そうか……)
その瞬間、僕は、爺の言葉を思い出す。
『姪が、偶然元婚約者と顔を合わせましてな。あの男、姪に心がちいともこもっていない結婚祝いの言葉を口にしてから、こんな事を言ったのです。君みたいな女でも地位に目が眩むんだな、一体どうやって王子をたらしこんだんだ?……と』
妻が、心配そうな顔で僕を覗き込んでいるのに気づく。
「……幻滅、した?」
「いや、してないよ」
「本当?あなた、困った顔しているわ」
「違うよ、これは……」
まさか素直に、爺から聞かされた事を説明する訳にもいかず、僕は悩んで、とりあえず今は、僕の素直な気持ちを伝えよう、そう決めた。
「悔しいんだ」
「……悔しい?」
「うん。言われて初めて君の悩みを知った事が、悔しくて仕方ない」
僕がそう言った途端。妻が顔を歪めて、今にも泣きそうになる。
「……こんなに自分勝手な悩みなのに?」
「僕の大切な人の悩みだろう?」
「……もう……なんで……あなたっていつもそう……」
妻は再び、僕の胸の中に顔を埋めて、悔しそうに言う。
「僕、怒られてる?」
「違うわ……でも怒った方がいいわ……わたくしを甘やかしすぎないでって……」
それを聞いて、僕は吹き出してしまう。可愛らしくて仕方なくて、妻の体をぎゅうと抱きしめる。
「困ったな。怒られてもやめられる自信がない」
「……もう」
それきり妻は何も言わない。もしかしたら、呆れてしまったのかもしれない。
「そういえば、君の悩みはもう解決してしまったんだよね?」
「したわ」
「一体どうやって?」
「知りたい?」
「知りたいとも」
すると、妻はしばらく黙りこんでしまう。僕はただ黙って、彼女の次の言葉を待つ。
「……わたくし、気づいたの。あなたのどこが好きなのかって」
「僕の、好きなところ?」
「ええ。あなたは、王子としてどうあるべきなのか、そういう事をきちんと考えて、それに相応しくあろうと努力しているわ。それは、わたくしがあなたに出会うずっとずっと前から。そんなあなたに、わたくしは惹かれた」
妻が、顔を上げる。少し涙で潤んだ瞳が、僕をまっすぐ見ている。
「あなたが王子という地位にいたから、今のあなたがあって、そんなあなたを、わたくしはどうしようもなく愛してしまった」
妻の目尻から、一筋の涙が流れる。僕は、それを指で撫でるように掬う。
「駄目ね……きっとうまく言えてないわ。意味がわからないでしょう?」
「ううん。大丈夫。伝わってると思う」
「本当に?」
僕は、頷く。
「華やかな兄と違って地味な男は、せめて王子としての地位に恥ずかしくないように努力しないと、と足掻いた。そんな男だから、君は僕を好きになってくれたって事だろう?」
「……そうよ。でも、地味というのは同意しかねるわ。あなたの涼しげな顔つき……わたくし……本当に……好き、だもの」
照れながらそう言う妻に、僕は胸が高鳴る。
「つまりわたくしは、努力家のあなたが好きで、努力家なのはあなたが王子という地位だから育まれたもので……だからわたくしは、王子様と結婚するしか選択肢はなかったの」
妻はそう言うと、首をすくめ、困ったように笑う。
「それに気づいたから、悩みが消えたのかな?」
「そう。ずっと真剣に悩んでた自分が笑えちゃうくらいに」
そう言って笑い出す妻。晴れ晴れとした笑顔が、彼女には本当に似合うなと、そしてそんな彼女がますます愛おしく感じて、僕も笑顔になる。
でも妻は、笑うのを止めて、また少し、悲しそうな表情を見せる。
「……私、そんなあなたに釣り合う女でいられてる?」
まさかそんな事を聞かれるとは思わず、僕はぽかんとしてしまう。釣り合う?そんな、馬鹿な。
「それは僕の台詞だよ。君に相応しい男でいられてるのか、日々不安だっていうのに」
「何言ってるの……そ、それはわたくしの台詞よ?」
「いいや、僕のだね」
「わ、わたくしのよ!」
そうやって言い争うも、すぐに妻と僕は肩を震わせて笑い出してしまう。
「もう……ふふ……やっぱりわたくし……あなたじゃないと駄目よ……あなたしかいないわ……」
目に涙を溜めて、子供のような笑顔で言う妻に、僕も心からの笑顔になる。
「はは!うん、僕も、君じゃないと駄目だよ」
妻の、かすかに土で汚れた指先をそっと撫でて、僕はようやく心の底から笑った。
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