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雪鳴月彦

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第三章:罪人の記し

罪人の記し 11

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 八月三日。木曜日。午前三時十五分。

「はぁ……はぁ……くそっ」

 額に汗が滲むのがわかる。

 腹部に走る激痛に耐えながら足を動かし、廊下へ逃れようとするもそれを阻止するように肩を掴まれ、背中を切りつけられた。

「ぐぅ……っ!」

 更に増える痛みから逃れるように、入口の横にあるトイレへ逃げ込み鍵をかける。

「畜生……」

 いくら大口を叩いていても、犯人が自分を襲いにくる可能性は配慮せずにいたわけではなかった。

 しかし、油断があったのも事実だろう。

 いつの間にか眠ってしまっていたせいで、微かな物音に目を開いたときには犯人の侵入を許してしまっていた。

 ベッドの上で横になる自分の側に立ち、おそらくは調理場から持ち出してきたものであろう、柳包丁を振り上げる人物。

 それに驚き、咄嗟に身をかわそうとしたが一瞬遅かった。

 脇腹に刃が突き刺さり、苦悶の声と共に身を捩った。

 さらに襲いかかる犯人を押しのけ、どうにか個室に逃れはしたが。

 ――あいつが犯人か……くそっ……!

 ガチャガチャと、ドアノブを回す音が背後で鳴った。

 昨夜使われたらしい斧でも持ち出されれば別だが、このままでいればある程度の時間は稼げる。

 今のうちに、打開策を考えないなくては。

 ――どの道、このまま閉じこもっていれば命はもたない。せめて……何かできることは。

 眠るつもりも無かったため、服装は日中のままだ。

 何か使えそうな物はないかとポケットを探るも、出てきたのは三色ボールペンと以前何かの仕事で使った記憶のある黄色い付箋、そしてハンカチ。

「…………」

 これで何ができるかを思案するすぐ背後で、ドアノブを回すのとは違う別の音が聞こえた。

 訝しく思いもう一度振り向くと、ちょうどカチンという鍵が開くような音が鳴り、身体が固まる。

 ――まさか……。

 マスターキーは全てのドアに対応していると、日中に聞いた。

 ――各部屋の個室にまで、対応しているのか……?

 無理矢理でも、廊下へ飛び出し助けを求めるべきだったかもしれない。

 追い詰められ余裕が無かったとはいえ、己の誤った判断を呪いたくなりつつ口元を歪める。

 カチャッ……という、焦らすような音を立てながら、ドアノブが静かに回りだす。

 ――どうする? このままでは……。

 持っているペンで応戦するかと一瞬考えたが、無理だ。

 この体勢から振り返り相手の身体にペンを突き出すより先に、犯人がドアを開けて自分へ包丁を刺してくるだろう。

 ドアノブが回りきり、ゆっくりと扉が開きだす。

「――っ!」

 もはやどうしようもないかと思われた瞬間、一つあることを思いついた。

 手に持つペンと付箋。

 ――そうだ……確かこいつは。

 一か八かだった。誰かが気がついてくれれば。

 ――あの白髪頭の小僧なら、これに気づくかもしれん。

 確証はないが、期待するしかない。

 とは言え、もうまともに文字を書いている時間はない。

 付箋の一枚をペンで乱雑に塗りつぶし、足下に捨てた。

 それからすぐに、ペンと付箋の残りをポケットへしまい――。

「ぐぅ……!?」

 背中に走った激痛に、身体を硬直させた。

 位置にすれば、右の肺がある辺りか。

 体重を乗せたように深く突き刺された包丁が、呼吸をする余地すら奪い去る。

 襟首を掴まれ、引きずり出されるようにして個室から出る。

 そのまま部屋の中央付近に倒れこみ、どうにか相手を見上げ睨み付けた。

 既に三人を殺している殺人鬼。

 ここへ来てから、何度も側で顔を見てきた相手。

 こんな奴に、自分が殺されなくてはならないとは。

 理由も何もわからないが、今更問い質せるほどの余裕もない。

 幸い、こちらの残したメッセージに気がついた様子はなく。

 ――こいつの正体を伝えられれば……。

 せめて、一矢報いてやる。

「ぐぁ!?」

 再び背中に激痛が走り、刺されていた包丁が抜き取られたと悟る。

 言い表しようのない痛みと熱が背中を駆け回り、身体の中から溢れ出る血液が、倒れた自分の服をジワジワと染め上げていく。

 冷たい視線で、言葉を発することもないまま、こちらを見下ろす殺人鬼。

 ――くそ…………。

 こんな奴にどうしてという疑問を抱きながらも徐々に視界が霞みはじめて、やがてその両目には闇以外のものを映し出すことはできなくなった。
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