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1巻
1-3
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「は、はいっ……!」
『もしもし? こんばんは』
「こっ…………こんばんは。田中、です」
わかってるよと言われそうだと思いながら名乗ったところ、彼はくすくすと笑いながら『岩泉です』と言った。
『声が聞きたくて。今、大丈夫?』
初っ端から甘く気障なことを言われて、私は固まる。
声が聞きたいって、そんなにさらりと言えてしまうのですか!?
「きょっ、今日は早めに仕事が終わったから、もう家で……」
慌てふためいて返答をする。
ドキドキと胸が高鳴って、スマホを握る自分の手に力が入った。
岩泉さんは、『本当は昨日も一昨日も電話したかったけど、遅くまで休日出勤してたからかけなかった』と言う。
「お仕事、お疲れ様です」
そんなありきたりな言葉しかかけられない、自分の語彙の少なさに落ち込む。けれど、そんな私の返答を気にする様子もなく、彼は『ありがとう』と電話口で笑っているようだった。
『できるなら、毎日でも電話して声を聞きたいけど、夜遅くにかけるのは迷惑だと思って』
いや、時間の問題じゃない。いちいち甘すぎるセリフをささやかれることに困っているんだけどっ!
「毎日なんて……絶対に無理です!!」
そんなことされたら、心臓が破裂する。
『ふーん……じゃあ、毎日じゃなきゃ、いいってこと?』
「いえ、その、あぅ……」
電話しながら、ふと部屋の隅に置かれているドレッサーの鏡が目に入った。両手でスマホを握って必死で耳に押し当てている私が映っている。顔は真っ赤だ。
ますますいたたまれなくなり、うまく言葉を紡げなくなっていく。
そんな私の様子を察知しているらしい彼は、終始笑いながらも、しどろもどろで話す私を優しく待ってくれた。
『――また電話する』
「はい。おやすみなさい」
そう言って、電話は切れた。
時計を見ると、八時十五分。十分ほどの短い時間の会話。
だけど、私は彼の声を聞いている間中ドキドキして、緊張して、胸がキューッとなるような感覚を味わっていた。
ぼすんとクッションに顔を埋め、独り言をつぶやく。
「毎日は、死ぬ……」
◇ ◆ ◇
翌日から、私の希望通り、毎日の電話は免れた。ただし、まったくないというわけではなく、二、三日に一度は電話があり、それ以外の日はメールがくる。私の要望を聞き入れつつも、連絡は欠かさない。マメな人だなあと思う。
ここ二週間ほどは、そんなペースで連絡を取っていた。
そんなに何度も電話で話していれば、さすがに少しは慣れる。今日かかってきた電話で、すでに五回目だ。
『それで、取引先の相手の名前間違えてさ――』
ちょうど今は、仕事でのドジな失敗談を聞かせてくれていた。私はそれを、クスクスと笑いながら聞いている。
岩泉さんは営業さんらしく、話題が豊富だ。彼の話はいつも面白くて、自然と自分がリラックスできているのを感じる。
「岩泉さんでもそんな失敗するんですね。祐子も、康司さんが――」
そう言った時、突然彼が『あ!』と大きな声を上げた。
「どうしたんですか?」
『康司のことは名前呼びなのに、俺のことはなんで隼って呼んでくれないの?』
……なにを言い出すかと思えば。
「祐子が同じ名字になるからですよ……」
二人とも岸谷さんだ。名前呼びになるのは仕方がない。
『なんで。ズルいだろ!? 俺も隼って呼ばれたい。それに、敬語もやめてほしいし』
「む、無理です」
こうやって電話をしていることに慣れたのも、自分的には快挙だと思う。なのに、さらに名前呼びとタメ口だなんて。
その返答が、彼は気に入らなかったようで――
『だったら、康司のことも岸谷さんって呼んで。康司に嫉妬するから』
と、拗ねたように言われた。
その口調がなんだか可愛くて、私は思わず子供を宥めるような気持ちになって了承してしまった。
「ふふっ。わかりました。……えと、隼、さんの希望に沿えるように、頑張……」
……やっぱ無理!
言っている途中で恥ずかしさが湧き上がってきて、前言撤回しようとしたら――
『可愛いいぃ!』
嬉しそうな叫び声が聞こえてくる。私は羞恥に耐えられなくなり、「おやすみなさいっ」と言ってすぐさま電話を切った。
3
夕夏との電話を切った俺――岩泉隼は、座っていたベッドへと仰向けに倒れた。
「ああ~、うまくいかねぇ」
つい、そんな言葉が口をつく。
康司の結婚を祝う食事会で初めて会ってから二週間。毎日欠かさず連絡し、必死で口説いているのに、まったく手応えがない。ハッキリ言って、こんなことは生まれて初めての経験。もっとも、最初の頃に比べれば、大分距離が縮まったと思うが。
――こんなにハマるなんて想定外だ。
そもそも、最初に『紹介したい子がいる』と言われた時には、嫌悪感すら抱いていたほどである。
「どうしたら、俺の本気が伝わるんだ……」
ぼんやりと天井を見つめ、康司に誘いを受けた日のことを思い出す――
年度始めの忙しさもようやく落ち着いてきた頃。
仕事が終わって机で伸びをしている時に、一人の男が近づいてきた。
「隼、飯食いに行かね?」
そう言ったのは、岸谷康司――俺たちが働いているKISHITANI総合商社の創業者一族であり、社長令息だ。今時、同族経営でもないので、将来的に奴が必ず社長になるとは決まっていない。しかし康司は、その席がほしいと努力を続けている。そして、徐々にではあるが康司はその手腕を認められつつあった。
将来有望な御曹司と俺が、なぜこんな気安い関係かというと、幼馴染だから。親同士の仲が良く、小学校から大学まで、ずっと同じだった。
俺たちは折に触れ、この巨大な企業を我が手で動かしていきたいと語り合ってきた。そして今は康司が営業一課課長、俺は係長という役割を得ている。
そんな康司は、つい最近、総務課の田中祐子ちゃんとの結婚が決まったばかり。こいつのほうがベタ惚れで、彼女と付き合い始めてからは、まったく誘いもなかった。突然、食事に誘ってくるなんて珍しい。俺は不思議に思いながら視線を上げた。
「今からか?」
もう帰り支度ができるから俺は大丈夫だが、康司のほうは結婚式の準備などで忙しいと聞いている。
「ああ、違う。今日じゃなくて、近いうちに。結婚前に祐子が、お前と一緒に食事に行きたいって言い出して」
彼氏の友達と食事に行って、なにが楽しいんだ?
「で、祐子がお前に紹介したい子がいるんだと」
――その言葉を聞いた瞬間、自分の顔が歪んだのがわかった。
誰かの紹介で、女と会うのは大嫌いだ。
こっちにその気がなくても、俺の情報はダダ漏れで、いつの間にか自宅まで知られて待ち伏せされたこともある。
そんな恐ろしい目に遭うくらいなら、街で声を掛けてきた子と遊ぶほうが楽だ。
「そんな顔すんなって。すっげ、いい子だよ。俺の彼女の太鼓判」
祐子ちゃんはいい子だと思うが、その友達もそうとは限らない。
どうせ、祐子ちゃんが康司と結婚して玉の輿に乗ると知り、自分にも誰か紹介しろと言ってきたんだろ?
この上なく面倒くさい。
そんな女が、いい子なわけない。
「絶対嫌だ」
そう言われるのがわかっていたというように、康司は苦笑いしている。
「俺も何度か会ったことある子で、お前と合うと思ったんだけどな」
そんなことをつぶやく康司を放って、俺はさっさとオフィスを出た。
だからそこで、その話は終わった――はずだった。
「隼、悪い。一昨日の話は忘れてくれ」
昼休み、休憩室にいたら康司が現れた。わざわざ缶コーヒーを持ってきて、それを俺に渡してくる。お詫びの品だとでも言いたいのか。
「あ?」
「紹介したい子がいるって話だよ」
康司は申し訳なさそうにしているが、別に構わない。そもそも俺は、最初から会いたくなかった。
「断っただろ」
眉をひそめて言うと、康司は残念そうにため息を吐いた。
「……なら、いいか。実は向こうからも断られて」
――はあ? 向こうが紹介しろって言ってきたんじゃないのか。
康司にそう尋ねると、このカップルの独断だったことが判明した。
それで、向こうにも話したら、相手も断ってきたのだという。
勝手に俺がフラれたみたいな状態になり、釈然としない。大きな不満を抱きつつ、康司が持ってきたコーヒーのプルタブを開ける。
「だから、紹介の席ではなく、二人に結婚のお祝いをしてもらう席になった」
缶に口を付けようとした時に驚きの言葉を告げられ、横に突っ立っている康司を見る。
「はああぁ?」
俺の声が大きくて、他の休憩している社員が振り返った。
――確かに、幼馴染とはいえ、仮にも上司に使う言葉じゃない。
だが、今は言わせてもらいたい。それ、ただの屁理屈じゃね!? 結局、会うことに変わりないのだから。
……もしかしたら、紹介という形で会うより、共通の友人の祝いの席としたほうが体裁がいいとかなんとか、相手の女と祐子ちゃんが画策したのかも。
――この時の俺は、これまで散々、女の面倒事に巻き込まれてきたため、警戒心の塊だった。
しかし、そんな俺の心情など、どこ吹く風な康司は、呑気に話を続ける。
「というわけで、来週の金曜日、食事に付き合ってくれ」
言われて、天を仰いだ。
ダメだ。康司はもう、恋人に惚れすぎて頭のネジが緩みきってるからあてにならない。
深いため息を一つ吐いて、仕方がないからOKの返事をした。
そして迎えた金曜日。当日は、仕事帰りにそのまま店に向かうことに。康司が車を出してくれると言うから、ありがたく同乗させてもらった。祐子ちゃんは先に行っているらしい。
『今日は祐子が呑むから、俺は車係なんだ』と、嬉しそうに話す康司。女のために、あれこれしたいなんて気持ち、俺には理解できない。
レストランに着くと、店の前に二人組の女性が立っていた。
祐子ちゃんの横にいた彼女は、緊張した様子だ。
淡い色のすっきりしたワンピースが、白く柔らかそうな肌を際立たせていた。
派手さはないけれど、抱き心地がよさそうで悪い感じはしない……なんて、つい不埒なことを考えてしまう。
男を紹介してほしいとごり押しするような感じではないが、見た目じゃわからないからな。
――自分の見た目とか、環境だとかが女受けすることは知っている。父親が大手総合商社のそれなりのポストに就いていることもあり、裕福な家庭で育ったという自覚もある。その辺りの事情も、祐子ちゃんから聞いて知っているのかもしれない。
嫌悪感も露わに不躾な視線を向ける。彼女は不思議そうに俺を見上げていた。こんな無邪気そうな顔をして、内心ではあざとく計算しているかと思うと、さらに厄介な女だ。
――近くで見た彼女は、うん、まあ、好みだったけれど。
俺は、そんな気持ちなどおくびにも出さず、ますます不機嫌さを丸出しにした態度を取った。
しかし次の瞬間――彼女は、ふふっと、笑い声をこぼした。
ホッとして、思わず笑ってしまったという様子だ。
――なぜだ? 意味がわからない。
ビックリしていると、彼女は慌てたように自己紹介してきた。
――やばい、可愛い。
そう、彼女は俺の好みのタイプだ。地味で優しそうな雰囲気で、柔らかそうな子が好きなのである。
しかし、大体、自分の好みの子は、俺のことを好きにはならない。軽くモーションをかけても、この見た目が緊張すると言って敬遠されてしまう。寄ってくるのは、ステータス大好きな派手好きの女ばかりで、好みの子と付き合ったことはなかった。
だからもしかすると、この出会いは俺にとってもチャンスかもしれない。
――う~~ん、この子になら、ちょっとくらい近寄られてもいいかな~。
高飛車にも、そう考えていた俺は、この後、非常に苦労することになるのだった。
食事を始めて、早一時間。
……本気で、結婚祝いの席だった。
席こそ隣同士で座っているが、俺たちの間に会話はほぼない。彼女は、康司と祐子ちゃんのなれそめを聞きたがり、新居の話などで盛り上がっている。話の流れ上、俺のことが出てくる場合もあるが、そこから会話を広げて探りを入れてくる、ということは皆無だった。最初は、恥ずかしがって自分からは話せないのかとも思ったが、祐子ちゃんも俺たちの仲を取り持とうという雰囲気じゃない。
考えていたような状況ではない上に、康司が社長令息だということさえ初めて知ったようで、非常に驚いていた。
そして、家柄の良い家に嫁ぐことになった友人を羨むのではなく、苦労しないのかと心配していた。
祐子ちゃんが玉の輿に乗ったことは、二人にとって重要ではないらしい。
――いや、俺が想像していたのとは別の理由では重要そうだった。
もし嫁いびりなどに遭い、辛い時にはいつでも助けると盛り上がっている。いざとなったら、二人でどこかへ逃げようとかなんとか話して、康司を敵に回していた。
そんな二人の様子を見て、康司は必死で祐子ちゃんの手を握って引き留めている。うろたえる康司の姿に、笑いが止まらなかった。
こうして、思った以上に楽しい食事が終わり、会計の時。
俺はすっかり彼女を見直し、もっと話してみたい気持ちになっていた。康司たちと別れたら、この後どこかに誘って……と考えていると、横からつんと服を引っ張られる。
「あの紙、取ってください」
こちらに体を寄せてきた彼女が、俺の向かいの席に座る康司が手に取ろうとしている伝票がほしいと言ってきた。
彼女との距離が急に近くなったことにドキドキして、なにも考えないままに伝票を渡す。
なんと彼女は、ここの食事代を自分で払うつもりだった。しかも、祐子ちゃんの分も。
今、彼女が社長令息に嫁ぐという話を聞いたばかりだというのに。奢ってもらおうとか、そういう発想はないのか。
――――ああ。
今まで会ってきた女性とは、まったく違う。俺は、嬉しそうに財布を握りしめる彼女に見惚れた。
その後、俺が全員分払うとも申し出たが、彼女は譲らず、お互いにそれぞれの友人の分を持つことに。
この頃には、すっかり彼女のことが気になっていたので、むしろ払わせてほしいと思っていたのだが、『初対面の人にご馳走してもらうなんて、できません』と他人行儀に断られ、秘かに落ち込んだくらいだった。
こうして支払いを済ませて店の外に出たところで、車を示しながら康司が言った。
「夕夏ちゃん、送っていくよ」
――おい、やめろ。お前は祐子ちゃんと二人で、さっさと帰れ。
怨念を込めて睨み付ける。そんな俺をおもしろそうに眺めながら、康司は帰っていった。
レストランで、祐子ちゃんにあしらわれている康司を見て、ずっと笑っていた仕返しか!
俺が彼女を気に入ったとわかっていて、嫌がらせしたに違いない。これから口説こうと思っているのに、帰られたらたまらない。勝負はこれからだ。
そんな俺の想いなど露知らず、彼女は康司たちを見送った後、明らかに自分も帰ろうとしていた。
――いやいやいや。
自分でも驚くほど内心慌てていた。
「送っていくよ」
そう言うのに、彼女は一人でタクシーで帰ると言う。
――もうわかった。
いや、もうずいぶん前からわかっていたけれど、彼女が紹介を断ったというのはマジだ。
今日、この場に来たのは、祐子ちゃんにおめでとうを言いたかっただけ。
さらには、俺にはまったく興味がございません。
……思った以上にショックだった。
一緒に食事して、それなりに楽しくて、二人きりになれば、もう少し一緒にいたいとかさぁ、あるだろ?
それなのに彼女は『私は本当に一人で平気です。だからどうぞ、お気になさらず』なんて言い、口説いていることにすら気づかない。経験したことのない情けない状況に陥り、涙が出てきそうだった。
――その後は、半分意地になって、呑み直そうと言って一緒のタクシーに乗り込み、次のお店へと誘った。
二軒目のバーでの様子も予想外のもので、俺はますます彼女にハマり、必死で口説いて口説いて……いつの間にか本気になっていて。
毎日のようにメールや電話をするようになったけど、彼女はなかなか自分の言葉を信じてくれない。
こうして俺の、夕夏に常時愛をささやく日々は始まったのだった。
◇ ◆ ◇
夕夏と出会って一か月半が経った頃。
昼休憩に入り、呑気に自分のデスクで弁当を開けようとしていた康司に声をかける。
俺はかなり苛立っていた。
「おい」
「あ、これ? もちろん、愛妻べんと……」
「聞いてねえよ!」
というか、何度も聞いたからもういいよ!
『「料理はあまり得意じゃないけど、旦那様にお弁当を作るのが夢だったから頑張る」とか言うんだ。段々上手になってきて、最近はもう、すっげ、うまいんだよ。俺って幸せだろ!』ってとこまで、何度も!
「イラついてんな。飯でも食えよ。俺の弁当はやらんが」
「いらねえよ。――――会ってくれないんだよ」
「夕夏ちゃんがか? ……嫌われてんじゃね?」
――ぶっとばす。
俺の本気のイラつきを感じたのか、康司は気を取り直した様子で、ようやく弁当から視線を離してこっちを向いた。
「あー……、彼女とは、あれから会ったの?」
ようやく話を聞いてくれる気になった友人に、ため息を吐きながら首を横に振って応えた。
結婚祝いの食事会の翌週は、自分でも機嫌がよかったと思う。月曜に康司に会った時には、いい子だった、上手くいきそうかも、なんて話していた。恥ずかしがってはいたけれど、嫌がられている様子はなかったから。
――一緒にいて、あんなに安らげる子は初めてだった。もっと一緒にいたいと思ったのだ。
次の日もメールをしたし、その後も、早めに帰れた日には夜に電話で話したりもしている。
電話はあまり得意ではないようで、かけるといつもあたふたしているのが声から伝わってくる。それを可愛いと言うと、『もう無理です!』とすぐに、切られてしまうのだけど。
彼女はまったく男慣れしていない様子だったので、徐々に距離を縮めていけば、いつかは振り向かせられる……そう思っていた。
しかし、休日に一緒に出かけようと誘うと、決まって断られるのだ。
電話の声は嫌がっていないし、楽しそうにしているように思える。
三日に一度のペースでかけているので、段々慣れて、彼女が自分から話すことも増えてきた。
メールをすれば、返信までの時間にばらつきはあるものの、必ず返事はくる。遅くなった時は、『気づかなかった。ごめんね』という、可愛い一言入りで。
――だというのに、だ。
いつ誘っても断られる。
休みの日は都合が悪いのかと、平日の夕食にも誘った。
それも断られた。
しかも毎回、嫌そうにというより、申し訳なさそうに断るので、なんとなく理由を聞けない。こうして俺は、会ってもらえない理由を聞くこともできないヘタレと化していたのだ。
「聞けよ」
康司が突っ込んでくるが無視する。
「お前が誰かと、そんな頻繁に連絡を取るなんて、珍しいな。というか、お前ってプライベートでメール使うのか!?」
康司が不思議そうに聞いてくるが、これも無視をする。
――自分でも驚いているのだ。
しかし、康司が驚くのも無理はない。俺は仕事以外でメールを、ほぼ使わない。打つのが面倒だからだ。用事があるなら電話で言えばいい。そのほうが早い。
ついでに、用事もないのに電話するなんてこともしたことがなかった。
いや、俺的には今も、用事もなく電話しているつもりはない。夕夏の声を聞く、という用事があってかけているのだから。だが、そんな理由、ひと月半前の自分が聞いたら「そんなの用事じゃねーよ」と一蹴したことだろう。
――こんな風に、すっかり俺は変わってしまった。自分でも信じられないくらいである。
夕夏の声が聞きたい。顔が見たい。会いたい。
そう思って今週も誘ったが、また断られたのだ。
「なぜだと思う?」
「俺に聞いても知らねえよ。直接夕夏ちゃんに聞けばいいだろ?」
康司が呆れ顔で弁当を食べようとした時、背後から声がかかった。
「あの、岩泉係長」
振り向くと、書類を持った女性社員が顔を赤くして立っていた。
「これ、企画書です。私、係長に見ていただきたくって……」
「わかった。机に置いておいて。わざわざ持ってこなくていいから」
女性社員の言葉を遮って、俺の机を指さした。
彼女は一瞬、残念そうな顔をして、さらになにか言おうとする。俺は手を振って止めた。
「今は昼休みだよね? 食事時間削って仕事するのは立派だけど、効率を考えて。それにこれは、急ぎの案件でもなかっただろ?」
彼女はぐっと言葉に詰まった後、小さく返事をして離れていった。
――今みたいに、俺と康司が雑談していると、大体誰かが話しかけてくるのだ。俺たちの雑談に入れてもらおうと考えるかのように。
さっきの女性が持ってきた企画書も、本来は直接俺に提出するのではなく、チーフを通して上がってくるべきものだ。
本当に鬱陶しい。
「ああ、これが本来の隼だよなあ」
妙に感心したように康司が言ったが、そんなことに構っている場合じゃない。
「会いたいんだ」
俺が言うと、康司は首を傾げる。
「会ってくれないんだろ?」
「だからお前に、どうにかしてくれと頼んでいるんだ! 紹介した者の責任として、最後まで面倒見てくれ!」
うわあ……、という顔をされたが、気にしていられない。
「こんだけ誘って、会ってくれないとか、あとどうすればいいんだ。待ち伏せか? ストーカーか?」
「待て待て待て。わかった。祐子に探りを入れてもらう。犯罪はやめてくれ。会社の評判に関わる」
もちろん、俺としてもストーカーをしたいわけじゃない。
友人に仲を取り持ってもらうなんて格好悪いにもほどがあるが、背に腹は替えられない。
『もしもし? こんばんは』
「こっ…………こんばんは。田中、です」
わかってるよと言われそうだと思いながら名乗ったところ、彼はくすくすと笑いながら『岩泉です』と言った。
『声が聞きたくて。今、大丈夫?』
初っ端から甘く気障なことを言われて、私は固まる。
声が聞きたいって、そんなにさらりと言えてしまうのですか!?
「きょっ、今日は早めに仕事が終わったから、もう家で……」
慌てふためいて返答をする。
ドキドキと胸が高鳴って、スマホを握る自分の手に力が入った。
岩泉さんは、『本当は昨日も一昨日も電話したかったけど、遅くまで休日出勤してたからかけなかった』と言う。
「お仕事、お疲れ様です」
そんなありきたりな言葉しかかけられない、自分の語彙の少なさに落ち込む。けれど、そんな私の返答を気にする様子もなく、彼は『ありがとう』と電話口で笑っているようだった。
『できるなら、毎日でも電話して声を聞きたいけど、夜遅くにかけるのは迷惑だと思って』
いや、時間の問題じゃない。いちいち甘すぎるセリフをささやかれることに困っているんだけどっ!
「毎日なんて……絶対に無理です!!」
そんなことされたら、心臓が破裂する。
『ふーん……じゃあ、毎日じゃなきゃ、いいってこと?』
「いえ、その、あぅ……」
電話しながら、ふと部屋の隅に置かれているドレッサーの鏡が目に入った。両手でスマホを握って必死で耳に押し当てている私が映っている。顔は真っ赤だ。
ますますいたたまれなくなり、うまく言葉を紡げなくなっていく。
そんな私の様子を察知しているらしい彼は、終始笑いながらも、しどろもどろで話す私を優しく待ってくれた。
『――また電話する』
「はい。おやすみなさい」
そう言って、電話は切れた。
時計を見ると、八時十五分。十分ほどの短い時間の会話。
だけど、私は彼の声を聞いている間中ドキドキして、緊張して、胸がキューッとなるような感覚を味わっていた。
ぼすんとクッションに顔を埋め、独り言をつぶやく。
「毎日は、死ぬ……」
◇ ◆ ◇
翌日から、私の希望通り、毎日の電話は免れた。ただし、まったくないというわけではなく、二、三日に一度は電話があり、それ以外の日はメールがくる。私の要望を聞き入れつつも、連絡は欠かさない。マメな人だなあと思う。
ここ二週間ほどは、そんなペースで連絡を取っていた。
そんなに何度も電話で話していれば、さすがに少しは慣れる。今日かかってきた電話で、すでに五回目だ。
『それで、取引先の相手の名前間違えてさ――』
ちょうど今は、仕事でのドジな失敗談を聞かせてくれていた。私はそれを、クスクスと笑いながら聞いている。
岩泉さんは営業さんらしく、話題が豊富だ。彼の話はいつも面白くて、自然と自分がリラックスできているのを感じる。
「岩泉さんでもそんな失敗するんですね。祐子も、康司さんが――」
そう言った時、突然彼が『あ!』と大きな声を上げた。
「どうしたんですか?」
『康司のことは名前呼びなのに、俺のことはなんで隼って呼んでくれないの?』
……なにを言い出すかと思えば。
「祐子が同じ名字になるからですよ……」
二人とも岸谷さんだ。名前呼びになるのは仕方がない。
『なんで。ズルいだろ!? 俺も隼って呼ばれたい。それに、敬語もやめてほしいし』
「む、無理です」
こうやって電話をしていることに慣れたのも、自分的には快挙だと思う。なのに、さらに名前呼びとタメ口だなんて。
その返答が、彼は気に入らなかったようで――
『だったら、康司のことも岸谷さんって呼んで。康司に嫉妬するから』
と、拗ねたように言われた。
その口調がなんだか可愛くて、私は思わず子供を宥めるような気持ちになって了承してしまった。
「ふふっ。わかりました。……えと、隼、さんの希望に沿えるように、頑張……」
……やっぱ無理!
言っている途中で恥ずかしさが湧き上がってきて、前言撤回しようとしたら――
『可愛いいぃ!』
嬉しそうな叫び声が聞こえてくる。私は羞恥に耐えられなくなり、「おやすみなさいっ」と言ってすぐさま電話を切った。
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夕夏との電話を切った俺――岩泉隼は、座っていたベッドへと仰向けに倒れた。
「ああ~、うまくいかねぇ」
つい、そんな言葉が口をつく。
康司の結婚を祝う食事会で初めて会ってから二週間。毎日欠かさず連絡し、必死で口説いているのに、まったく手応えがない。ハッキリ言って、こんなことは生まれて初めての経験。もっとも、最初の頃に比べれば、大分距離が縮まったと思うが。
――こんなにハマるなんて想定外だ。
そもそも、最初に『紹介したい子がいる』と言われた時には、嫌悪感すら抱いていたほどである。
「どうしたら、俺の本気が伝わるんだ……」
ぼんやりと天井を見つめ、康司に誘いを受けた日のことを思い出す――
年度始めの忙しさもようやく落ち着いてきた頃。
仕事が終わって机で伸びをしている時に、一人の男が近づいてきた。
「隼、飯食いに行かね?」
そう言ったのは、岸谷康司――俺たちが働いているKISHITANI総合商社の創業者一族であり、社長令息だ。今時、同族経営でもないので、将来的に奴が必ず社長になるとは決まっていない。しかし康司は、その席がほしいと努力を続けている。そして、徐々にではあるが康司はその手腕を認められつつあった。
将来有望な御曹司と俺が、なぜこんな気安い関係かというと、幼馴染だから。親同士の仲が良く、小学校から大学まで、ずっと同じだった。
俺たちは折に触れ、この巨大な企業を我が手で動かしていきたいと語り合ってきた。そして今は康司が営業一課課長、俺は係長という役割を得ている。
そんな康司は、つい最近、総務課の田中祐子ちゃんとの結婚が決まったばかり。こいつのほうがベタ惚れで、彼女と付き合い始めてからは、まったく誘いもなかった。突然、食事に誘ってくるなんて珍しい。俺は不思議に思いながら視線を上げた。
「今からか?」
もう帰り支度ができるから俺は大丈夫だが、康司のほうは結婚式の準備などで忙しいと聞いている。
「ああ、違う。今日じゃなくて、近いうちに。結婚前に祐子が、お前と一緒に食事に行きたいって言い出して」
彼氏の友達と食事に行って、なにが楽しいんだ?
「で、祐子がお前に紹介したい子がいるんだと」
――その言葉を聞いた瞬間、自分の顔が歪んだのがわかった。
誰かの紹介で、女と会うのは大嫌いだ。
こっちにその気がなくても、俺の情報はダダ漏れで、いつの間にか自宅まで知られて待ち伏せされたこともある。
そんな恐ろしい目に遭うくらいなら、街で声を掛けてきた子と遊ぶほうが楽だ。
「そんな顔すんなって。すっげ、いい子だよ。俺の彼女の太鼓判」
祐子ちゃんはいい子だと思うが、その友達もそうとは限らない。
どうせ、祐子ちゃんが康司と結婚して玉の輿に乗ると知り、自分にも誰か紹介しろと言ってきたんだろ?
この上なく面倒くさい。
そんな女が、いい子なわけない。
「絶対嫌だ」
そう言われるのがわかっていたというように、康司は苦笑いしている。
「俺も何度か会ったことある子で、お前と合うと思ったんだけどな」
そんなことをつぶやく康司を放って、俺はさっさとオフィスを出た。
だからそこで、その話は終わった――はずだった。
「隼、悪い。一昨日の話は忘れてくれ」
昼休み、休憩室にいたら康司が現れた。わざわざ缶コーヒーを持ってきて、それを俺に渡してくる。お詫びの品だとでも言いたいのか。
「あ?」
「紹介したい子がいるって話だよ」
康司は申し訳なさそうにしているが、別に構わない。そもそも俺は、最初から会いたくなかった。
「断っただろ」
眉をひそめて言うと、康司は残念そうにため息を吐いた。
「……なら、いいか。実は向こうからも断られて」
――はあ? 向こうが紹介しろって言ってきたんじゃないのか。
康司にそう尋ねると、このカップルの独断だったことが判明した。
それで、向こうにも話したら、相手も断ってきたのだという。
勝手に俺がフラれたみたいな状態になり、釈然としない。大きな不満を抱きつつ、康司が持ってきたコーヒーのプルタブを開ける。
「だから、紹介の席ではなく、二人に結婚のお祝いをしてもらう席になった」
缶に口を付けようとした時に驚きの言葉を告げられ、横に突っ立っている康司を見る。
「はああぁ?」
俺の声が大きくて、他の休憩している社員が振り返った。
――確かに、幼馴染とはいえ、仮にも上司に使う言葉じゃない。
だが、今は言わせてもらいたい。それ、ただの屁理屈じゃね!? 結局、会うことに変わりないのだから。
……もしかしたら、紹介という形で会うより、共通の友人の祝いの席としたほうが体裁がいいとかなんとか、相手の女と祐子ちゃんが画策したのかも。
――この時の俺は、これまで散々、女の面倒事に巻き込まれてきたため、警戒心の塊だった。
しかし、そんな俺の心情など、どこ吹く風な康司は、呑気に話を続ける。
「というわけで、来週の金曜日、食事に付き合ってくれ」
言われて、天を仰いだ。
ダメだ。康司はもう、恋人に惚れすぎて頭のネジが緩みきってるからあてにならない。
深いため息を一つ吐いて、仕方がないからOKの返事をした。
そして迎えた金曜日。当日は、仕事帰りにそのまま店に向かうことに。康司が車を出してくれると言うから、ありがたく同乗させてもらった。祐子ちゃんは先に行っているらしい。
『今日は祐子が呑むから、俺は車係なんだ』と、嬉しそうに話す康司。女のために、あれこれしたいなんて気持ち、俺には理解できない。
レストランに着くと、店の前に二人組の女性が立っていた。
祐子ちゃんの横にいた彼女は、緊張した様子だ。
淡い色のすっきりしたワンピースが、白く柔らかそうな肌を際立たせていた。
派手さはないけれど、抱き心地がよさそうで悪い感じはしない……なんて、つい不埒なことを考えてしまう。
男を紹介してほしいとごり押しするような感じではないが、見た目じゃわからないからな。
――自分の見た目とか、環境だとかが女受けすることは知っている。父親が大手総合商社のそれなりのポストに就いていることもあり、裕福な家庭で育ったという自覚もある。その辺りの事情も、祐子ちゃんから聞いて知っているのかもしれない。
嫌悪感も露わに不躾な視線を向ける。彼女は不思議そうに俺を見上げていた。こんな無邪気そうな顔をして、内心ではあざとく計算しているかと思うと、さらに厄介な女だ。
――近くで見た彼女は、うん、まあ、好みだったけれど。
俺は、そんな気持ちなどおくびにも出さず、ますます不機嫌さを丸出しにした態度を取った。
しかし次の瞬間――彼女は、ふふっと、笑い声をこぼした。
ホッとして、思わず笑ってしまったという様子だ。
――なぜだ? 意味がわからない。
ビックリしていると、彼女は慌てたように自己紹介してきた。
――やばい、可愛い。
そう、彼女は俺の好みのタイプだ。地味で優しそうな雰囲気で、柔らかそうな子が好きなのである。
しかし、大体、自分の好みの子は、俺のことを好きにはならない。軽くモーションをかけても、この見た目が緊張すると言って敬遠されてしまう。寄ってくるのは、ステータス大好きな派手好きの女ばかりで、好みの子と付き合ったことはなかった。
だからもしかすると、この出会いは俺にとってもチャンスかもしれない。
――う~~ん、この子になら、ちょっとくらい近寄られてもいいかな~。
高飛車にも、そう考えていた俺は、この後、非常に苦労することになるのだった。
食事を始めて、早一時間。
……本気で、結婚祝いの席だった。
席こそ隣同士で座っているが、俺たちの間に会話はほぼない。彼女は、康司と祐子ちゃんのなれそめを聞きたがり、新居の話などで盛り上がっている。話の流れ上、俺のことが出てくる場合もあるが、そこから会話を広げて探りを入れてくる、ということは皆無だった。最初は、恥ずかしがって自分からは話せないのかとも思ったが、祐子ちゃんも俺たちの仲を取り持とうという雰囲気じゃない。
考えていたような状況ではない上に、康司が社長令息だということさえ初めて知ったようで、非常に驚いていた。
そして、家柄の良い家に嫁ぐことになった友人を羨むのではなく、苦労しないのかと心配していた。
祐子ちゃんが玉の輿に乗ったことは、二人にとって重要ではないらしい。
――いや、俺が想像していたのとは別の理由では重要そうだった。
もし嫁いびりなどに遭い、辛い時にはいつでも助けると盛り上がっている。いざとなったら、二人でどこかへ逃げようとかなんとか話して、康司を敵に回していた。
そんな二人の様子を見て、康司は必死で祐子ちゃんの手を握って引き留めている。うろたえる康司の姿に、笑いが止まらなかった。
こうして、思った以上に楽しい食事が終わり、会計の時。
俺はすっかり彼女を見直し、もっと話してみたい気持ちになっていた。康司たちと別れたら、この後どこかに誘って……と考えていると、横からつんと服を引っ張られる。
「あの紙、取ってください」
こちらに体を寄せてきた彼女が、俺の向かいの席に座る康司が手に取ろうとしている伝票がほしいと言ってきた。
彼女との距離が急に近くなったことにドキドキして、なにも考えないままに伝票を渡す。
なんと彼女は、ここの食事代を自分で払うつもりだった。しかも、祐子ちゃんの分も。
今、彼女が社長令息に嫁ぐという話を聞いたばかりだというのに。奢ってもらおうとか、そういう発想はないのか。
――――ああ。
今まで会ってきた女性とは、まったく違う。俺は、嬉しそうに財布を握りしめる彼女に見惚れた。
その後、俺が全員分払うとも申し出たが、彼女は譲らず、お互いにそれぞれの友人の分を持つことに。
この頃には、すっかり彼女のことが気になっていたので、むしろ払わせてほしいと思っていたのだが、『初対面の人にご馳走してもらうなんて、できません』と他人行儀に断られ、秘かに落ち込んだくらいだった。
こうして支払いを済ませて店の外に出たところで、車を示しながら康司が言った。
「夕夏ちゃん、送っていくよ」
――おい、やめろ。お前は祐子ちゃんと二人で、さっさと帰れ。
怨念を込めて睨み付ける。そんな俺をおもしろそうに眺めながら、康司は帰っていった。
レストランで、祐子ちゃんにあしらわれている康司を見て、ずっと笑っていた仕返しか!
俺が彼女を気に入ったとわかっていて、嫌がらせしたに違いない。これから口説こうと思っているのに、帰られたらたまらない。勝負はこれからだ。
そんな俺の想いなど露知らず、彼女は康司たちを見送った後、明らかに自分も帰ろうとしていた。
――いやいやいや。
自分でも驚くほど内心慌てていた。
「送っていくよ」
そう言うのに、彼女は一人でタクシーで帰ると言う。
――もうわかった。
いや、もうずいぶん前からわかっていたけれど、彼女が紹介を断ったというのはマジだ。
今日、この場に来たのは、祐子ちゃんにおめでとうを言いたかっただけ。
さらには、俺にはまったく興味がございません。
……思った以上にショックだった。
一緒に食事して、それなりに楽しくて、二人きりになれば、もう少し一緒にいたいとかさぁ、あるだろ?
それなのに彼女は『私は本当に一人で平気です。だからどうぞ、お気になさらず』なんて言い、口説いていることにすら気づかない。経験したことのない情けない状況に陥り、涙が出てきそうだった。
――その後は、半分意地になって、呑み直そうと言って一緒のタクシーに乗り込み、次のお店へと誘った。
二軒目のバーでの様子も予想外のもので、俺はますます彼女にハマり、必死で口説いて口説いて……いつの間にか本気になっていて。
毎日のようにメールや電話をするようになったけど、彼女はなかなか自分の言葉を信じてくれない。
こうして俺の、夕夏に常時愛をささやく日々は始まったのだった。
◇ ◆ ◇
夕夏と出会って一か月半が経った頃。
昼休憩に入り、呑気に自分のデスクで弁当を開けようとしていた康司に声をかける。
俺はかなり苛立っていた。
「おい」
「あ、これ? もちろん、愛妻べんと……」
「聞いてねえよ!」
というか、何度も聞いたからもういいよ!
『「料理はあまり得意じゃないけど、旦那様にお弁当を作るのが夢だったから頑張る」とか言うんだ。段々上手になってきて、最近はもう、すっげ、うまいんだよ。俺って幸せだろ!』ってとこまで、何度も!
「イラついてんな。飯でも食えよ。俺の弁当はやらんが」
「いらねえよ。――――会ってくれないんだよ」
「夕夏ちゃんがか? ……嫌われてんじゃね?」
――ぶっとばす。
俺の本気のイラつきを感じたのか、康司は気を取り直した様子で、ようやく弁当から視線を離してこっちを向いた。
「あー……、彼女とは、あれから会ったの?」
ようやく話を聞いてくれる気になった友人に、ため息を吐きながら首を横に振って応えた。
結婚祝いの食事会の翌週は、自分でも機嫌がよかったと思う。月曜に康司に会った時には、いい子だった、上手くいきそうかも、なんて話していた。恥ずかしがってはいたけれど、嫌がられている様子はなかったから。
――一緒にいて、あんなに安らげる子は初めてだった。もっと一緒にいたいと思ったのだ。
次の日もメールをしたし、その後も、早めに帰れた日には夜に電話で話したりもしている。
電話はあまり得意ではないようで、かけるといつもあたふたしているのが声から伝わってくる。それを可愛いと言うと、『もう無理です!』とすぐに、切られてしまうのだけど。
彼女はまったく男慣れしていない様子だったので、徐々に距離を縮めていけば、いつかは振り向かせられる……そう思っていた。
しかし、休日に一緒に出かけようと誘うと、決まって断られるのだ。
電話の声は嫌がっていないし、楽しそうにしているように思える。
三日に一度のペースでかけているので、段々慣れて、彼女が自分から話すことも増えてきた。
メールをすれば、返信までの時間にばらつきはあるものの、必ず返事はくる。遅くなった時は、『気づかなかった。ごめんね』という、可愛い一言入りで。
――だというのに、だ。
いつ誘っても断られる。
休みの日は都合が悪いのかと、平日の夕食にも誘った。
それも断られた。
しかも毎回、嫌そうにというより、申し訳なさそうに断るので、なんとなく理由を聞けない。こうして俺は、会ってもらえない理由を聞くこともできないヘタレと化していたのだ。
「聞けよ」
康司が突っ込んでくるが無視する。
「お前が誰かと、そんな頻繁に連絡を取るなんて、珍しいな。というか、お前ってプライベートでメール使うのか!?」
康司が不思議そうに聞いてくるが、これも無視をする。
――自分でも驚いているのだ。
しかし、康司が驚くのも無理はない。俺は仕事以外でメールを、ほぼ使わない。打つのが面倒だからだ。用事があるなら電話で言えばいい。そのほうが早い。
ついでに、用事もないのに電話するなんてこともしたことがなかった。
いや、俺的には今も、用事もなく電話しているつもりはない。夕夏の声を聞く、という用事があってかけているのだから。だが、そんな理由、ひと月半前の自分が聞いたら「そんなの用事じゃねーよ」と一蹴したことだろう。
――こんな風に、すっかり俺は変わってしまった。自分でも信じられないくらいである。
夕夏の声が聞きたい。顔が見たい。会いたい。
そう思って今週も誘ったが、また断られたのだ。
「なぜだと思う?」
「俺に聞いても知らねえよ。直接夕夏ちゃんに聞けばいいだろ?」
康司が呆れ顔で弁当を食べようとした時、背後から声がかかった。
「あの、岩泉係長」
振り向くと、書類を持った女性社員が顔を赤くして立っていた。
「これ、企画書です。私、係長に見ていただきたくって……」
「わかった。机に置いておいて。わざわざ持ってこなくていいから」
女性社員の言葉を遮って、俺の机を指さした。
彼女は一瞬、残念そうな顔をして、さらになにか言おうとする。俺は手を振って止めた。
「今は昼休みだよね? 食事時間削って仕事するのは立派だけど、効率を考えて。それにこれは、急ぎの案件でもなかっただろ?」
彼女はぐっと言葉に詰まった後、小さく返事をして離れていった。
――今みたいに、俺と康司が雑談していると、大体誰かが話しかけてくるのだ。俺たちの雑談に入れてもらおうと考えるかのように。
さっきの女性が持ってきた企画書も、本来は直接俺に提出するのではなく、チーフを通して上がってくるべきものだ。
本当に鬱陶しい。
「ああ、これが本来の隼だよなあ」
妙に感心したように康司が言ったが、そんなことに構っている場合じゃない。
「会いたいんだ」
俺が言うと、康司は首を傾げる。
「会ってくれないんだろ?」
「だからお前に、どうにかしてくれと頼んでいるんだ! 紹介した者の責任として、最後まで面倒見てくれ!」
うわあ……、という顔をされたが、気にしていられない。
「こんだけ誘って、会ってくれないとか、あとどうすればいいんだ。待ち伏せか? ストーカーか?」
「待て待て待て。わかった。祐子に探りを入れてもらう。犯罪はやめてくれ。会社の評判に関わる」
もちろん、俺としてもストーカーをしたいわけじゃない。
友人に仲を取り持ってもらうなんて格好悪いにもほどがあるが、背に腹は替えられない。
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