婚約者候補

ざっく

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成立

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静かに馬車が停まる。
コンフィール伯爵家は、公爵令嬢などと共に婚約者候補に選ばれるだけあって、同格の家の中でも領地経営がうまくいっている。
ゆえに、屋敷がでかい。
ベルトは、マリアを執務室に待たせている間に、マリアの父であるコンフィール伯爵には先ぶれを出したらしい。
しかも、その伝令役は同僚――つまり、近衛にやらせていた。
――なんてことをさせているのだ。
近衛が伝令として来るなど、王族からの緊急呼び出しだ。慌てふためいていた使用人たちを想像して、心の中で謝っておく。
馬車が停まっても、ベルトはしばらくマリアを抱きしめたまま微動だにしない。
いつもだったらすぐに声をかけてくる馭者も、ベルトが同乗していることを知っているため、外で待機しているようだ。
「あの……?」
しかし、あまり待たせると、それはそれで、いらない想像をされてしまう。
マリアが声を出すと、ベルトは大きく息を吸って、吐き出しながら、ゆっくりと体を起こした。
背筋を伸ばしたかと思うと、袖口や襟を確認して、馬車のドアを自分で開けた。
先に馬車を降りてから、マリアに手を差し伸べてくれる。
動きとしてはおかしくないが、ベルトの視線が、定まっていないように見える。
まさかと思いながら、マリアは問いかける。
「緊張されていますか?」
「当たり前だ」
即答だ。
当たり前というが、今の彼を見るまでは、ベルトが緊張をするところなんて想像できなかった。
今だって無表情だし。
大きな屋敷を見上げても、特に何の表情も浮かばない。
マリアが馬車を下りるのを見届けて、ベルトは門へと歩き始める。
玄関ドアの前には、家令がニコニコしながら待っていた。
先ぶれを出したと聞いたときから、マリアはほとんど予想していた。
ベルトは緊張してくれているようだが、コンフィール伯爵家当主夫妻は、緊張してやるのがバカらしくなるほど、ざっくばらんな人たちだ。
「お待ちしておりました!ええ、本当に!」
声をかけるのが早すぎるほどの距離で、家令が手放しで喜んでいる。
普段は穏やかにこの家の使用人を取り仕切っている初老の彼が、無茶苦茶嬉しそうだ。
マリアは、無茶苦茶恥ずかしい。
「エリック、ご案内を」
「もちろんですとも。主人がお待ちでございます」
屋敷の中には、使用人たちが並んでおり、一斉に頭を下げられる。
こんな歓待、未だかつて受けたことが無い。
絶対にベルトを見るために集まったのだ。
笑顔がひきつりそうになりながらも、ベルトを見上げると、丁寧に礼をして何も言わずに家令についていっている。
……なるほど。緊張しているようだ。
初めての場所に行くと、ベルトは大体周囲を見渡して、人の顔を見て様子を探っているところがある。
職務から離れているせいもあるだろうが、彼は、真っ直ぐを見たまま、歩くだけしかしていない。
応接室まで行って、家令が扉を開ける。
そこには、満面の笑みの両親が揃っていた。
「おかえり!待っていたぞ!」
父が、ベルトを見て、本当に安心したようにうんうんと一人頷いている。
父は、マリアが王から提示された結婚相手のリストを見ることも無く全員断った時、真っ青な顔をしていたのだ。
王から提示された相手が全員不満だと言ったようなもので、不敬だと取られても仕方がない行為だ。
例え王が許しても、周囲がどう思うかによって商売に影が差すと説得された。
もっと、娘の今後を心配だとかいう理由を先に述べて欲しい。
「そうか、ロベール伯爵令息か。なかなかいい商売相手を連れてくるじゃないか。ああ、どうぞ座ってくれ」
商売相手は連れてきていない。
娘の相手を見て無意識にその言葉が出てくるからこそ、コンフィール伯爵家は金持ちなのだろうが。
「ベルト・ロベールと申します。騎士爵を賜り、王太子殿下の近衛の任に当たっております」
ベルトはゆっくりと腰を折り、勧められるがままにソファーに座る。
自然な流れで、マリアもその隣に座った。というか、エスコートされたまま、手を離してもらえてないのだ。
母のニマニマした視線が嫌だ。
「ロラン・コンフィールだ。お父上と呼んでくれ」
「ちょ……」
「かしこまりました。お父上」
マリアが止める間もなく、ベルトはあっさりと父を呼ぶ。そのふざけた呼び方はいいのか。
父は、さらに嬉しかったようで、ぱあっと笑顔を深める。
「サラ・コンフィールよ。では、私はお母様がいいわ」
「かしこまりました。お母様」
そのちぐはぐな感じはいいのか。
もう、マリアの意見は取り入れる気はないようだ。
ベルトは背筋をピンと伸ばしてマリアの手を取ったまま座った姿勢から動く気配がない。
侍女が微笑みながらお茶を出してくれる時に、繋がれたてを見て口元がぐにゃりと歪んだのを見てしまった。
『お嬢様ったらやりましたね!こんっっないい男連れてくるなんて!もう、おとなしそうな顔して、このこのお!』
普段だったら、こんなことを言われていたに違いない。
マリアが睨み付けると、目くばせで謝ってくるが、大笑い寸前の表情を取り繕えていない。
この家の使用人は、一度再教育を施す必要がある。
「この度は、急な訪問で申し訳ありません。マリア様と結婚させてください」
その周りの生温い視線に気が付きもせずに、ベルトは本題を告げる。
手に力が入ったのに気が付いて、ちらりと見上げても、表情は変わっていない。
彼が緊張真っ盛りだということは、マリアだけが分かっていて、こんなに一生懸命、結婚の許可を貰おうとしている彼にときめいてしまう。
「ああ。もちろんだ。こちらこそ、よろしくお願いする。こんなに良い縁に恵まれて嬉しいよ」
父は鷹揚に頷き、隣に座る母も微笑みながら頷いた。
ほっ……と、小さな吐息が漏れた。
隣に座るマリアだからこそ分かるほどの、小さな嘆息。
マリアが彼を見上げて微笑むと、それに気が付いたベルトもマリアを見下ろして、そっと目元を和らげる。
ほのぼのした空間に、母の声が割り込む。
「それにしても、よかったわ。陛下からの候補の方で。マリアったら、城に上がっている人じゃなかったら誰でもいいって、リストを見もしなかったのだもの」
それは、ベルトに恋をしていたからで。
好きな人がいる場所に誰かの妻として行くのが嫌だったのだ。
「でも、将来的には、困るでしょう?陛下からの覚えも悪いし。無理矢理でも結婚させようとしたら、この子ったら、家出しようとして!」
びくりと体がこわばった。
まさか、この場面でその話題を持ち出されると思わなかった。
婚約が成立したら口止めしようとしていた最たることだ。
「家出?」
ベルトが聞き返す。
それが嬉しかったのか、母の口は滑らかに動き出す。マリアが表情だけで止めようとしても全くこちらを見ていない。
「そうそう。そこらへん歩いているそれなりの身なりの人捕まえて、既成事実を作ろうとしたのよ」
……という、計画を立ててみただけだ。実行していない。
握られている手が、先ほどとは異なる強さで握られた。
これは、安心感よりも不安感を高める強さだ。
「そのようなことを?」
いろいろと言い訳をしたい。母の言い方には語弊がある。
「そうなの。この子ったらとりあえず咥えこんでしまったら、文句も言えなくなるでしょうって――」
「そこまで慎みのない言い方はしてないわ!」
「でも、似たようなことは言ったと?」
思わず反論したら、横から氷点下の風が吹いてきた。
母と話していたのに、横から返事が来るとは、マナー違反ではないだろうか。
この空気を無視して、そんな話のそらし方をしてみたくなる。
しかし。
チラリと見上げてたベルトは、全く冗談が通じない冷たい目でマリアを見下ろしていた。
「そ、そんな、はしたないこと、考えたこともな……無い、はずよ」
誤魔化したいという思いと、後ろめたさが絶妙に中途半端な語尾を作り上げてしまった。
「……他人事のような言い方だ」
自分だってそう思うけれど、ベルトの視線があまりに冷たくて、怖い。
手は握られたままびくともしない。
マリアは震えながらも、離されない手を握り返してベルトを見上げた。
「ああ、これで安心したわ!ねえ、あなた!」
母が変に大きな声で言いながら立ち上がった。
「そうだな」
父も返事をしながら立ち会がる。
しかし、母は父が立ち上がったのを見て、さらに早足で部屋を出て行こうとしている。
今の自分の発言を叱られるのが分かって逃げようとしている。
もちろん、父が許すはずもなく、ゆったりとベルトを見返して微笑んだ。
「ベルト殿。すまないね。妻は叱っておくよ」
「えええ!?叱られるの!?」
母はにっこりと笑った父に肩を抱きかかえられて、部屋を出て行く。
ベルトはさっと立ち上がって、綺麗に頭を下げた。
左手は胸に添えているのに、右手はマリアの手の中に残ったままだ。
マリアは立ち上がれずに、彼を見上げる。
両親は、マリアがあんな下品と言える発言をした事をばらして、否定もせずに出て行った。
折角、好きだと言ってもらえて、婚約までいけると思っていたのに、どうして母は考えなしで娘の恥をばらしてしまうのか。
マリアが小さくなっていることに気が付いていないのか、ベルトは再度マリアの隣に座り、冷めたお茶を飲み干すと、彼女を呼ぶ。
「マリア」
見上げると、いつも通りの無表情。
特に今は何を考えているのか分からない。
「俺は今から仕事に戻る。婚約は俺の両親にも話をしてから、具体的な話になるだろう。また連絡する」
そうして、ずっと握っていた手を離した。
急に温かなぬくもりが消えて、小さく震えた。
さっきまでの怒りの雰囲気は見えない。
王太子にも言ってきてしまったし、両親に挨拶に来てしまったから、嫌になっても言い出せないのかもしれない。
婚約をやめるなんて、マリアからは言えないけど、弁明はさせて欲しい。
ベルトを愛することが出来ない状態で彼を見るのは辛かった。
だから、貴族から離れたかったのだ。
決して、平気で誰でも誘うような身持ちの悪い女ではない。
「ベルト様」
彼の名を呼ぶ自分の声がなんとも頼りなげなか細い声で、情けなくなる。
ベルトはマリアを見て首をかしげる。
「すまない。シュヴァリエ公爵令嬢が帰る前には職務に戻ると言って出てきているのだ。あまり長くは居られない」
ベルトはマリアの頬を両手で包んで、そっと優しいキスをする。
――!?
「べ、ベルト様!?」
思わぬところで甘い雰囲気になり、マリアは目を白黒させる。
ベルトは、頬を真っ赤に染めて慌てるマリアを微笑ましそうに見て、名残惜しそうに手を離す。
「可及的速やかに婚約を整え、結婚まで最速で行うから、他のところに嫁ぐことなど考えずに待っているように」
鋭い視線で捕らえられて、反射的にマリアは何度もうなずいた。
「は、はい!もちろんです。はい」
「いいか?そこらへん歩いているそれなりの身なりの人と話すことはもちろん、考えることもするな」
それは、母の表現であって、マリアが言った言葉ではない。特定の誰かを表す言葉ではないのに。
だが、まあ……誰でもいいから、平民と結婚したいと言っていたことは事実なので、訂正はせずに、こくこくと頷く。
ベルトはマリアを見て目を細める。
「よし。ではまた、連絡する」
そう言って、ベルトはマリアの額にキスを落として帰っていった。
マリアはぽーっとその背中を見送り……玄関まで!と思ったときには、ベルトはすでに騎馬で帰ってしまった後だった。
とりあえず、婚約はできるようだ。
怒った様子だったのは……だったのは。嫉妬、していたのかもしれない。
マリアはしばらく幸せに身もだえして立ち上がれなかった。

後日――というか、翌日には、正式に婚約が結ばれた。



どうやったのか……早すぎる。
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