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さぁ・・・(最終話)
歌わない僕の部屋には、隣の部屋の歌声がBGMであるかのように
よく聴こえていた。
僕は結局、粟山さんのせがんだ曲を、今夜も歌ってあげる事が
出来なかった。
イントロをクリアしても、曲のどこかで感情がこみ上げてしまった。
涙が零れないように堪えると、メロディは途切れ途切れになった。
僕は諦めて、ぼんやりと粟山さんと交わした会話を思い出していた。
歌舞伎町のホテルで、彼女は僕に、こんな話をした。
「灰猫さん、『ままならない』って感じたことはありますか?」
「えっ!?」
大きな病気やケガ、もしくは、単純な老い。
それらによって、それまで当たり前に出来ていたことが
『ままならない』になってしまう。
食べたいのに食べられない。歩きたいのに歩けない。
そんな些細なことさえもが困難になっていく。
それは単に体が変わっていったというだけのこと。
だけど、大抵の人はその変化を受け入れられずに、否定したり、
いつかを取り戻した自分を夢見たりして、自らを苦しみの方向
へと向けて行ってしまう。
かけがえのない、大切な『今日』を置き去りにして。
釈迦はその『ままならなさ』を正面から受け入れていく事で、
何にも縛られることのない、自由な心が得られると説いた。
何も悪くなってはいない。壊れてしまったわけでもない。
季節が移ろうように、ただ、体が変化をしただけ。
それは所謂、生への執着からの解放。苦しみと喪失からの解放。
それが叶うと。
「いつか、灰猫さんにも『ままならなさ』を感じて、辛くなって
しまう日が訪れたとしたら・・・」
「はい?」
「今の私の話を思い出して下さい」
「あ、はい」
「きっと、灰猫さんの気持ちを軽くすると思うから」
「あ、はい。心得ておきます」
「ん?ちょっと今・・・私、セミナーの講師モードでした!?」
「えっ・・・いや、別に(笑)」
「飲み過ぎた?楽し過ぎた?やだ!なんか恥ずかしい!」
そう言って、俯いた粟山さん。
まるで、修学旅行の夜に、好きな人の名前を友達に告白して、
枕を抱えた中学生の女の子みたいだった。
その仕草も可愛かった。
( トゥルルルルルゥ・・・ )
部屋のインターフォンが鳴った。
予定時間の終了10分前のアナウンスだった。
僕は延長の意志が無いことを伝え、退出の準備をした。
空のジョッキをテーブルの中央に集め、スマホを鞄にしまった。
それから、はす向かいの空のソファに目を向けた。
この部屋に来てからずっと・・・
そこに粟山さんが座っているような気がしていた。
僕はそちらに体を向けて、独り言つように言った。
『ままならない』事。
それを受け入れられたとしても・・・
『死』は怖くなかったですか?
その刹那、寂しくはなかったですか?
そして・・・
あなたとはもう、逢えないという『ままならなさ』。
どれだけの時間が経ったなら、僕はそれを正面から受け入れ、
あなたに縛られることのない、自由な心が得られますか?
なんちゃって!!(笑)
僕はあなたから自由になりたいなんて、思ってはいませんよ。
「さぁ・・・いきましょう」
そう言うと、優しい匂いを纏った風が、僕の頬を撫でた。
「瞳孔」(完)
よく聴こえていた。
僕は結局、粟山さんのせがんだ曲を、今夜も歌ってあげる事が
出来なかった。
イントロをクリアしても、曲のどこかで感情がこみ上げてしまった。
涙が零れないように堪えると、メロディは途切れ途切れになった。
僕は諦めて、ぼんやりと粟山さんと交わした会話を思い出していた。
歌舞伎町のホテルで、彼女は僕に、こんな話をした。
「灰猫さん、『ままならない』って感じたことはありますか?」
「えっ!?」
大きな病気やケガ、もしくは、単純な老い。
それらによって、それまで当たり前に出来ていたことが
『ままならない』になってしまう。
食べたいのに食べられない。歩きたいのに歩けない。
そんな些細なことさえもが困難になっていく。
それは単に体が変わっていったというだけのこと。
だけど、大抵の人はその変化を受け入れられずに、否定したり、
いつかを取り戻した自分を夢見たりして、自らを苦しみの方向
へと向けて行ってしまう。
かけがえのない、大切な『今日』を置き去りにして。
釈迦はその『ままならなさ』を正面から受け入れていく事で、
何にも縛られることのない、自由な心が得られると説いた。
何も悪くなってはいない。壊れてしまったわけでもない。
季節が移ろうように、ただ、体が変化をしただけ。
それは所謂、生への執着からの解放。苦しみと喪失からの解放。
それが叶うと。
「いつか、灰猫さんにも『ままならなさ』を感じて、辛くなって
しまう日が訪れたとしたら・・・」
「はい?」
「今の私の話を思い出して下さい」
「あ、はい」
「きっと、灰猫さんの気持ちを軽くすると思うから」
「あ、はい。心得ておきます」
「ん?ちょっと今・・・私、セミナーの講師モードでした!?」
「えっ・・・いや、別に(笑)」
「飲み過ぎた?楽し過ぎた?やだ!なんか恥ずかしい!」
そう言って、俯いた粟山さん。
まるで、修学旅行の夜に、好きな人の名前を友達に告白して、
枕を抱えた中学生の女の子みたいだった。
その仕草も可愛かった。
( トゥルルルルルゥ・・・ )
部屋のインターフォンが鳴った。
予定時間の終了10分前のアナウンスだった。
僕は延長の意志が無いことを伝え、退出の準備をした。
空のジョッキをテーブルの中央に集め、スマホを鞄にしまった。
それから、はす向かいの空のソファに目を向けた。
この部屋に来てからずっと・・・
そこに粟山さんが座っているような気がしていた。
僕はそちらに体を向けて、独り言つように言った。
『ままならない』事。
それを受け入れられたとしても・・・
『死』は怖くなかったですか?
その刹那、寂しくはなかったですか?
そして・・・
あなたとはもう、逢えないという『ままならなさ』。
どれだけの時間が経ったなら、僕はそれを正面から受け入れ、
あなたに縛られることのない、自由な心が得られますか?
なんちゃって!!(笑)
僕はあなたから自由になりたいなんて、思ってはいませんよ。
「さぁ・・・いきましょう」
そう言うと、優しい匂いを纏った風が、僕の頬を撫でた。
「瞳孔」(完)
感想
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