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番外編 エルマン・モレノは無知を知る

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 俺は騎士の家系に生まれ、騎士になる。
 それは当たり前のことで、それ以外の道があるなんて考えたこともなかった。

 多くの優秀な騎士を輩出するモレノ家で、成長するにつれて俺も騎士になるに相応しい体格を得た。
 両親も、兄も、俺がどれほど素晴らしい騎士になるかと期待してくれたほどだ。
 家族の期待が俺にはとても、とても誇らしかった。

 俺には婚約者がいなかったが、特に気にすることもなかった。
 同い年のアベリアン殿下の、将来はその護衛騎士になれるようにと言われた時には『当然のことだ』と当たり前のようにその言葉を受け取った。
 側近候補・・たちと共に、学園に通う日々はなかなかに楽しかった。

 生徒会に選出されたことも、俺は当然のことだと思っていた。
 だって俺は、元々選ばれた人間だから。
 
  同じように側近候補も、殿下も、当たり前のように生徒会として学園を運営側になった。
 それはまるで、未来への予行演習のようだと思った。
 
 イザークはどこか冷たい雰囲気でなんでもそつなくこなすやつだ。
 ウーゴはどこか神経質だが勉強がよくできて、物知りなやつだ。
 アベリアン殿下は将来国を背負って立つに相応しい、美しく誇り高い方だ。

 将来この方が国王となった際に、イザークとウーゴが支え、俺が守る。
 ああ、なんと誇らしいことか!

 だが俺は、アベリアン殿下の婚約者であるロレッタ嬢はあまり好きになれなかった。
 いつだって微笑みを称えた口元は何をするにも余裕綽々といった風情で、本来ならば頭を下げて一歩後ろにいるべきアベリアン殿下に対しても堂々と意見を述べる、いけ好かない女だ。
 殿下もあの女のことは好ましくないらしく、しかし婚約は王家が決めたものだから……と悲しげな表情を浮かべていたものだ。

 だがそれも、カリナ・アトキンス嬢と出会って変わった。
 殿下はよく笑われるようになった。
 俺たちも、まるで自分たちとは違う……貴族の視点ではないものを持つカリナの言葉に、一挙手一投足に、虜になってしまった。

 彼女の貴族令嬢とは思えない素直さに、率直さに、自分たちは何かが物足りなかったのだと気づいた時にはもう彼女は手放せなくて。
 三年生が卒業を前に引退していった生徒会に、彼女を特別席として参加させた。
 教員たちからは厳しいことも言われたが、俺たちは説得して回った。

 カリナはその俺たちの努力に応えるように、一生懸命運営に携わってくれた。
 確かにこれまで生徒会に所属していた高位貴族の令嬢・子息に比べれば拙いものだが、元来こういった人間こそ我々が守るべき存在なのだと再確認させてくれた。

 そんな彼女が言うのだ。

『わたし、いやがらせをうけていて……』

 涙に濡れる彼女を見て、我々は思った。
 守ってやらなければと。

 それどころか暴漢にまで襲われた彼女に、俺は騎士として怒りを覚えたものだ。

(高位貴族だからといって何もかも好きにしていいことなんて、ないんだ!)

 義憤に駆られた俺たちは、その犯人が誰であるかを考えて一つの結論に至る。
 ロレッタ・ワーデンシュタイン。
 これまでも、王太子であるアベリアン殿下にも意見をし、カリナにも高飛車な物言いをしていたあの女。
 あの女が、嫉妬に駆られてやったに違いない。
 だから俺たちは断罪することに決めたのだ。逃げられないように。
 あの、卒業式の日に。

 だがそれは、全ての誤りだった。
 俺たちの調査とも呼べない調査は大人たちの前に一笑に付されるだけで、嫌がらせの真実は序列を守らないカリナに、他の令嬢たちがそっぽを向いて誰からも相手をされなくなっただけのお粗末なものだった。
 そして暴漢に関しては、全く以て関係ない、アトキンス男爵家にまつわるものであったと……つまり、ロレッタ・ワーデンシュタイン公爵令嬢は一切関係無かったのだ!

「愚か者め」

 父上が、そう言った。
 睨むように俺を見据え、だけれどその目には涙がたまっていた。

 ああ、俺は……高位貴族ならばなんでもしていいことなんてないと思っていたが、それは自分にも当てはまるのだと、ようやくそこから外されて知った。
 俺はなんと無知だったのだろうか。

「おい、エルマン! 昼飯に行こうぜ!」

「ああ」

 名も知れぬ一兵卒、今の俺はそこまで落ちた。
 だがそれが、妙に心地良く感じ始めたのはつい最近だ。

 読み書きができて、剣が使えて、俺にとって当たり前がこの地域ではまるで違った。
 野盗を追い払った際に、幼い兄弟に礼を言われて胸のあたりが温かくなった。

 俺をまるで知らない人々は、俺が努力すれば感謝してくれて……ああ、俺が守るべきは、こういう人たちだったのだと、ようやく知った。

 そしてそんな日々の中、一人の女性と懇ろな関係になった。
 例の幼い兄弟の、姉だった。

 彼女は俺が仕出かした愚かな出来事も聞いて、呆れ、そして公爵令嬢にはいつまでも詫びの気持ちを持たないといけないと叱ってくれた。
 俺は考えが足らず、傲慢だったのだと言われてぐうの音も出なかった。

「……叱ってくれる人がいてくれるというのは、ありがたいことなんだな」

「そうよ、知らなかったの?」

 呆れたように笑う彼女に、俺は何も言えなかった。

 俺はこれまで、正しいと思ったことを突き進んできた。
 父上や兄上に何か言われた時も、腹を立てたこともある。
 だがそれを正しいと思ったのは、相手が格上の人間・・・・・だったからであって、俺自身が納得したからかと言われたらそうじゃなかったと思う。

 そう、騎士の誇りだと思っていたそれは、俺には驕り高ぶりでしかなかったのだ。

(殿下に対して、ワーデンシュタイン公爵令嬢が必死に訴えていたあれは、今にして思えば)

 俺は幼い頃から殿下の傍にいた。
 だから、知っていたはずだったのに。

 本来ならば、俺は殿下と一緒になって彼女を馬鹿にして約束をすっぽかさせるのではなく……注意するべきだったのだ。
 どうしてわからなかったのか。

「……これから反省して、理解して、そのうち生まれる我が子にそれを教えてあげようよ」

「そうだな。……そうしなければ、な」

 得がたき妻のその言葉に、俺は頷くしかできない。
 愚かな俺は、全てを失わなければ何も得ることができなかったのだ。

 だがいつか、この得た幸いを……俺の失敗を、我が子に知ってもらいたい。
 そう思ったのだった。
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