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涙、涙の蒲鉾板

帰り道

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 夕暮れどきの江戸の町を、のぶは朔太郎を腕に抱き、家へ向かって歩いている。安心し切ったように肩にもたれかかる餅のような頬と閉じたまつ毛、ずっしりと重いぬくもりにのぶの胸は、目の前の夕日のように熱くなっていた。
 今日一日、朔太郎はよく遊んだ。倉太郎に教えてもらった駒回しを気に入って、うどんを食べたあともやりたがった。うまく回せずベソをかきながら繰り返しやる姿がいじらしくて、のぶの胸はきゅんと跳ねた。
 見かねた倉太郎に助けてもらって成功すると、目を輝かせた。

『おお! 回った』

 こちらを見て得意そうに声をあげるその姿に、のぶも

『すごい、すごい!』

と大きな声を出して手を叩いた。
 そして安居家を出た途端、目をこすり出したのだ。
 くうくうという寝息を立てる柔らかい頬と髪からは、汗と土とお日さまのような匂いがする。ずっしりと重い温もりに、のぶは生まれて初めての思いを抱いている。

 ——親が子を愛しむ気持ちとは、こういうものなのだろうか。

 こうやって一緒にいて、お互い情が湧いた後になって、晃之進の隠し子だと知らされたら、それでも自分は悋気を起こして朔太郎を追い出すのだろうか。
 もちろん、心穏やかではいられないだろうけれど……。
 複雑な思いを抱きながら、のぶは永代橋に差し掛かる。隅田川の向こうの海を夕日が真っ赤に染めている。

「おう、のぶ。ご苦労だったな」

 橋の向こう側から晃之進がやってきた。どうやら今日も早く帰ってきたようだ。家にのぶがいなかったから迎えきたのだろう。毎月五日にのぶが安居家を訪れることを彼は知っている。

「ぼうずは寝ちまったのか」

「ええ、倉太郎ぼっちゃまにたくさん遊んでもらって。駒回しを気に入ったみたいで、ひとついただいたんですよ」

 その駒は、眠る朔太郎の小さな手にしっかりと握られている。

「そうか、そりゃ嬉しかっただろう」

「倉太郎ぼっちゃまもお元気そうでした。背が伸びて」

「もうちびとは言えねえな」

 晃之進がふっと笑ってのぶから朔太郎を抱き取った。のぶの腕には重く感じた朔太郎が、晃之進に抱かれているのを見ると軽そうに思えるのが不思議だった。

「少し急がないと、魚屋さんが鰹の刺身を持って来てくださるんです」

 間に合うように安居家を出たつもりだが、眠る朔太郎を抱いているから、少し遅くなった。

「ああそれならさっき家で受け取ったよ。美味そうな鰹だった」

「そうですか、よかった。今日は店が休みだから、助かりましたよ」

「ああそうか。田楽がねぇのか」

 残念そうに言う晃之進に、のぶは笑みを浮かべた。

「鰹で十分じゃありませんか」

「だが、ぼうずも残念がるぞ」

 そんなことを言いながら、三人は夕焼けの町をゆく。はたから見れば親子に見えるだろう。
 
 晃之進の肩によだれを垂らして眠る朔太郎を見つめながら、のぶは彼が自分がお腹を痛めて生んだ子だったらどんなにいいかと思った。
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