辞令:高飛車令嬢。妃候補の任を解き、宰相室勤務を命ずる

花雨宮琵

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第35話 君の嘘くらいは見抜ける

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「それはそうと、ごめんねソフィー。あと3か月、我慢してちょうだい。そうしたら、庶民街に部屋を借りるから」
「はい。お待ちしております」

 宰相室勤務が決まってからというもの、私は王宮内にある文官用の宿舎に寝泊まりすることになった。本当はソフィーと一緒に暮らしたかったのだけれど、家族用宿舎には空きがなかったのだ。
 お給料が出るのは1か月先なので、ソフィーは私付の侍女職を一時的に離れ、王宮侍女として働いている。

 これまでソフィーへの俸給は侯爵家から出ていたけれど、今は私が雇い主だ。人を雇うって大変なことなんだというのも、今回のことで身に染みてよく分かった。

 こうして、社会人デビューとともに雑用係として先輩にこき使われる日々が始まった。
 
 そんなある日。

「フィーヌ。こっちの既決書類、なるはやでリシャール殿下の執務室へ持って行ってくれ」
「はい。――これって、戦争遺児への寄付金ですか?」
「そ。王太子殿下に支給される日常費から天引きされてんだ。立太子される前からだから、もう何年になるかな」
「……」
「別に王族が戦争を始めたわけじゃないのにな。罪悪感ってやつ? ずっと続けていらっしゃるんだ。だからさ、寄付金の支払手続だけは遅れないように俺たちも気を付けて見てるんだ。フィーヌも覚えといてくれ」
「分かりました」

――王太子の執務室。

「宰相室のデルフィーヌです。決裁済みの書類をお持ちしました」
「どうぞ」

 殿下の執務室では、中央に書類を片手に難しい顔をした殿下が座っていて、その両脇には優秀そうな文官がサラサラとペンを走らせている。
 あ、このお手本みたいな筆跡。私宛に文を書いていたのは、彼だったのか。

「書類、お預かりします」
「お願いします。それでは、失礼いたします」

「――待ってくれ」
「?」
「ちょうど一息入れるところだったんだ。付き合ってくれないか?」
「ですが、私はもうそれが許される立場では――」
「俺の茶飲み仲間なんだろう? パスカルにそう豪語してたじゃないか」

 殿下は私を隣接された応接間に案内すると、ローテーブルの上に茶菓子とお茶を出してくれた。

「いちじくを乾燥させたものらしい。良い糖分補給になるぞ?」
「……」
「どうした?」
「すみません、持ち帰らせてもらっても良いですか?」
「それはもちろんいいが。食べないのか?」
「ちょっと、食欲がなくて」
「……らしくないな」
「?」
「2年も妃候補だったんだ。デルフィーヌの嘘くらいは見抜ける。――何があった?」

 殿下がじっと私の表情を伺っているのが分かったけれど、どうしても顔を上げることができなかった。
 黙っていれば、いずれ解放される。そう思っていたのに。予想に反して、殿下は私が語り始めるのを粘り強く待つつもりらしい。
 
 忙しいはずなのに、じっと待ってくれる殿下の優しさが痛いほど伝わってくる。
 殿下に、心配されている。
 それなのに、うまく応えられない自分が情けなくて、申し訳なくて、大粒の涙がポロリポロリと零れては、両膝に揃えて置いた手の甲へ落ちていった。
 
 人前で涙を見せるべきじゃない。職場でそんなことをするのは、プロ意識の低い未熟な人間だけだ。自分の心も管理できない人間が、複雑で流動的な事案を扱う宰相室でやっていけるはずがない。

 なのに、涙が溢れて止まらない。
 殿下が、いつかのように「遠慮するな」と言いながら手にハンカチを握らせてくるものだから、我慢していた感情の蓋が外れてしまいそうになる。

「我慢するな。ここの壁は厚いから、泣き声を聞かれる心配もない」
 そんなふうに気遣われたらいよいよコントロールが効かなくなって、声を押し殺すようにして泣いた。
 
「………口が、うまく開かないんです。顎が痛くて、硬いものも食べられなくて」
「症状が出始めたのは、宰相室に勤務し始めてからか?」
「はい」
「……最近、ソフィーとは会って話してるか?」
「いいえ。仕事の時間が合わなくて」
「そうか。だったら、そうだな――明日から毎日、決裁済みの書類を持って執務室へ来てくれ」
「?」
「デルフィーヌを、ここと宰相室との連絡係に任命する。兼務というやつだ」
「……何をすればいいんですか?」
「普通に、今日あったことを話して聞かせてくれ。もちろん、俺の話も聴いてもらう。忖度そんたく斟酌しんしゃく顧慮こりょもいらない。仕事の話でもそれ以外のことでもいい」
「……分かりました」
「じゃあ今日は、俺の話を聴いてくれ」

 殿下は最近の出来事をユーモアを含めながら話してくれた。私はただそれを、相槌を打ちながら聞いていた。

「――そろそろ戻ります」
「顔を洗っていくといい」
「ありがとうございます」

 洗面所を借りて顔を洗って戻ると、なぜか女官長様がいて、冷たい布を手渡してくれた。

「女官長様……ありがとうございます」
「デルフィーヌ様。週末、よかったら家へ泊まりにいらっしゃいませんか?」
「え?」
「離宮もあれからいろいろありまして。事情を分かってくださる方にお話を聴いてもらいたいのです。それに、うちの旦那の作る夕飯は絶品なんですよ? ぜひ。ね?」
「……ありがとうございます。ご迷惑じゃなければ、ぜひ」

 そんなこんなで、金曜日の夜から日曜日まで、女官長様の自宅に滞在させてもらうことになった。
 一人娘のお嬢さんは昨年お嫁にいき、今はご主人と2人暮らしだという女官長の自宅は家庭的な温もりに満ちていて、私をまるで娘のように迎え入れてくれた。

「レンズ豆のスープ、すごく美味しいです」
「ありがとう。……懐かしいな」
「?」
「リシャール殿下も昔、美味しいと言って食べてくれたんだよ」
「……殿下も?」
「もう時効だから許してくれると思うんだけど、5年程前かな。王妃様を亡くされてから暫く経った頃、女房が殿下を連れて帰ってこう言ったんだよ。『柔らかい食事を作って殿下に出せ』って。驚いたのなんのって」
「それって……」
「あの頃の殿下、今のデルフィーヌと同じような顔をしてたなぁ。奥歯を噛みしめながら、踏ん張ってるような」
「……ぐすんっ」
「こんなに若いのに、頑張ってるなぁ、えらいなぁ。たいしたもんだよ、うん。えらい、よく頑張ってる」
「ううっ……」
「おじさんはね、デルフィーヌがすごく頑張り屋さんだってこと、知ってるよ。ちゃんと知ってる。だから分かるんだ。大丈夫だよ。何も心配いらない。美味しく食べられるところまで食べたら、ゆっくり眠ろう」
「……はい」

 その夜は、お嬢さんが昔使っていたという部屋でお日様の匂いのする掛け布に包まれながら眠りについた。
 不思議なことに、女官長様のお家の手料理は実母の味を思い出させた。
 だからかもしれない。
 何となく、日曜日の夕方がやってくるのを億劫に感じてしまった。
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