華が閃く

葉城野新八

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第一章 天よ地よ

父の声②

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 そうした酸鼻なる光景を目のあたりにしても、あさ子はつとめて冷静を保とうとした。
 夫から託された使命がある。家族を守らねばならぬ。誹謗された家名をとりもどさねばならぬ。
 そもそも逃げるといってもどこへ逃げるというのか。
 たとえ大川を渡ったとしても会津盆地の底にある若松城下は、八方十六本の街道筋を包囲されているゆえ逃れたさきで敵に捕まってしまう。
 武家ではない身分から大量に徴兵された敵の雑兵は、戦線がひろがるにつれ上官である武家の綱紀粛正がゆきわたらなくなり、野に放たれた獣のようになっている。
 仙台では白昼から良家の娘を辱め、咎められると恥じるどころから手柄として自慢しあい、かたわらで商船の荷を一艘ごと公然と略奪した。
 白河では年ごろの娘をさきだって遠方へ逃がしたが、それでも錦旗の名のもとに男だけでは足りず残った女たちまで人夫や飯炊きにかりだされている。白河小峰城では金目のものを奪いあい、戦場にたおれた会津兵の亡骸から着物と刀をはぎとって商人に売りつける蛮行が横行している。
 末端の兵はまんぞくな兵糧をもたされていないので郷里をまわって味噌と野菜と酒を徴用し、裸にされ肉を切り刻まれた農家の少女や、肝を取りだされた若武者の亡骸もあったという。
 まぎれもなく戦国の世そのままの分捕ぶんどりである。
 そんな者たちが女だからといって見逃してくれるはずもなく、捕まればひどい目にあうのは火を見るよりあきらかだ。
 もはや若松城下の娘子たちに逃れるあてなどない。残された選択肢は、どのように死ぬかだけだ。ならば入城をはたし、武家の女として戦いぬきたいという一念につきる。
 湯川の上流にあたる郭の南を見わたせば、小銃のながれ弾がなく静かなほうだ。兵の屍も流れてこない。ということはまだ戦闘地帯になっていないことをあらわしている。
 ときおり大砲の弾がふってきて、川べりの土手と川面を派手に散らかすが、よく見るとそうそう当たるものでもない。もしかすると湯川ぞいにすすみ、南町口からまわりこめば城へたどりつけるかもしれない。
 そのように高木姉妹と相談していたさなか、予想だにしていなかった事態はおこった。

「お義母さま!」
「ああ、おばさま、なんということを」

 腰をおとして休んでいたはずの菊子が、なんら予告もなく、みずからの喉を懐剣で突いたのである。
 力が弱かったので、切っ先が一寸足らずでとまり傷口は浅かった。急所までとどいていない、これならば助かると安堵したあさ子は、懐剣をぬきとると傷口を掌で出血をふさいだ。
 すでに伊右衛門が挟箱をあけて、刀傷に効く膏薬と包帯をわたしてくれた。

「伊右衛門、堤沢に親戚がありましたね。お義母さまを頼みます」
「は、はい。もちろんです。おまかせください」

 ところが、応急処置をほどこすあさ子の手を菊子が払いのけて喝破した。

「何を言いますか、心得ちがいも甚だしい!」

 日ごろもの静かな菊子が声を荒げるのはとてもめずらしい。嫁入りしてからこのかた怒鳴られたことがなかったのでこれが初めてになる。ことさら迫力みを増して感じられ、稲妻のようなものが身にほとばしり肌があわだった。
 すがりつくようにあさ子の両手を引きよせ、菊子がかすれ声で訴えた。

「かように老いさらばいて道ばたの塵となるならば、後悔こそすれ、今生の甲斐もありません。どうか、どうか介錯をたのみます」

 かっと見ひらかれた目にうつるあさ子の顔が、くちびるをかみしめてゆがむ。

「できません、できるはずがないではないですか。お義母さまは私に残されたたった一人の母上なのです。もっと習うべきことが、まだ山ほどあります」

 菊子は小さくふるえながら、おだやかな微笑みをたたえ首を横にふった。

「いいえ、あなたはもう立派な会津の女です。もはや私がしめせるようなことはありません。ただあとひとつだけあるとすれば、仕舞いのつけかただけです……」

 にぎられた手に、強くふりしぼるような力がこめられた。

「それでも原源右衛門の娘ですか。河原家の女ですか。いまここで介錯もできぬほど心臆したのならば、まんぞくな戦ばたらきなど到底かないますまい。いまはお家のいちだいじ、河原家の女としてお城へはせ参じ、父祖代々のご恩に報いるべきときです。お国が見ていますよ。私たちが範をしめさずして何としますか。しっかりなさい。お国、こちらへ……」

 ふしぎと国子は、血にまみれた母と祖母を見てもおそれた様子がなかった。
 菊子は小さな手をとって三人の手をつなぐと、御伽草子をかたり聞かすようにつづけた。

「お国、あなたのお父さまは、かならずやお家のため討死をなされるでしょう。母さまもそのおつもりです。ならば私たちは、おこころざしの邪魔をしてはいけません。ここは平素より信仰する観世音菩薩さまのお膝もと。きっとお父さまと会えるようお導きくださります。私たちはさきまわりをして、お父さまのお供をいたしましょう。ばばの言うことがわかりますか……」

 さっきまで泣いていたはずの国子が、母と祖母の顔をまっすぐ見て、無言でこくりと頷いた。

「お国、あなたは……」

 あさ子は驚かずにいられなかった。
 家をでてから半時ぐらいしかたっていないというのに、そのまなざしが五つも十も大人びた色をやどしていたからである。
 国子が言った。

「母さま、国はおばばさまといっしょに父さまのおともをいたしとうございます。さきにいって母さまと兄さまのことを待っています」

 大人の言葉に流されたというわけでもなく、己の覚悟を見定めたような目だった。
 あさ子は待ってくれと言いたかったが言葉にできない。
 菊子の言葉に異論をはさむ余地などあろうはずもなかった。
 さっき目にした路傍にころがる亡骸や、身の寄る辺をうしなった子たちのようにさすぐらいなら、安楽のうちに仕舞いをつけてやるのが当主の妻として母としての役目である。
 道中にたくさんの屋敷から火の手があがっているのを見てきたが、いずれも本懐をなしとげたみごとな最期だった。
 ひきかえ己は、どこかに甘い考えがのこっていたのではなかったか。
 武芸の心得があるぶん家族を守りぬけるなどと思いこんでいた。そこまでの力などないのに、みっともなく右往左往するだけで精一杯だったではないか。
 みなで入城しようと勇ましいことを言いながら、幼い瞳にうつすべきではなかった恐ろしいありさまを国子に見せ、老いた菊子を引きずりまわして苦しめた挙句、この手で果たすべき使命から逃れてきただけだったと思い知らされた。
 すると胸の奥底から、閃光のようにこみあげてきた熱があった。
 たもってあった殻のようなものが戛然かつぜんと粉砕され、あとかたもなく霧散した。そして己がいま、この黒煙につつまれた天地のなかでなすべき使命は何であるか、あさ子は悟ったのだった。

「……わかりました。お義母さま、お国。介錯を、承りました」

 菊子は姉妹の支えをこばみ、よろけながら一人で雨傘と合羽をとって起きあがると、端座合掌して観音経を唱えはじめた。
 国子も隣にすわって唱和する。
 姉妹と伊右衛門も一心に経を唱えた。
 さきに菊子が頭を垂れ、国子もそれにならった。国子はよく平家物語を好んで読んでいたので、敦盛からそれを心得ていたものだろう。
 あさ子は二人のうしろにまわりこむと、腰を据えて刀を抜き、雨粒をはらって高く構えた。

「ノウマクサンマンダ、バザラダン、カン――」

 静まる。
 急に静まりゆく――
 ざんざと、地をたたいて白くけぶり、着物ごしに骨まで突きささる晩秋のつめたい雨も、むこうから聞こえていた女たちの悲鳴と、おさな子が母をもとめ泣きさけぶ声や、天地を震わす大砲の轟音もしんと静まりゆく。
 いれかわりにうしろから、なつかしい声がした。
 野太くて、雷のように身を芯まで震わせ、あたたかくつつんでくれた音。

「よいか、おあさ。これが刀というものだ。幼少より稽古したとおりに振れば、据え物はおろか人の命すら断ちうる。だからこそ武家はむやみに刀を抜いてはならぬ、しかるべき覚悟があるときだけ抜く。その覚悟とは、思いつきや感情に惑わされたものであってはならない。なにかに囚われた心からであってもならない。たとえるならばあたかも陰の気がみちて陽に転ずるように、冬をすごした草木が春に芽吹いて花が咲くように、天地の神祇がさだめた摂理にのっとったものであらねばならない。そしてそれこそがあるべき一太刀につうじる唯一の参道となる。そのとき初めておあさの振るう剣は、三千世界唯一の宝剣となる」

 十二のころ、はじめて信濃守信吉を構えたときに父から授けられた言葉だ。
 やや考えて、あさ子は小首をかしげた。

「父上は人を斬ったことがあるのですか」

 父はすこし困ったように苦笑して、頭をかいた。

「さて、どうであろうか。よく覚えてはおらぬ。だが、たとえこれから人を斬るときがこようとも覚悟をさだめておけば躊躇うことはない。また斬ったとしても覚悟をさだめておけば後悔することもない。あえて言いあらわすならそうした答えになるが、わかるか」
「うーん……わかりません」
「ガハハッ、今はわからずともよい。でもいつかわかる時がくる。だからここにしまっておけ」

 そう言って父は太い指で胸元をさしたが、あさ子は口をとがらせ豪傑笑いの顔をうらめしげに見あげたものだ。子供のお前にはまだわかるまいと、謎かけめいた言葉ではぐらかされたような気がしたからだ。
 あれから二十数年がすぎた。
 今はあのとき父の言いさしたところがありありとわかる。なつかしい声がなすべき道筋を照らし、一点の真実へと導いてくれる。
 あさ子は唇をひきむすび、ゆっくりとうなずいた。
 刀を大上段に置いた両腕のあいだに、二つの端座する白いうなじを見た。
 年老いて痩せほそった菊子の背と、となりに国子の小さな背がある。
 ふりそそぐ雨のなかで白無垢の輪郭がひときわ浮きたって見えた。
 うしろでおこった微かな気配の変化を察したのだろう。菊子が背をむけたままうなずいた。

「そうです。それでよいのです。河原家の女として、ただなすべきことをなさい。お国と向こうのことは私があずかりました。かならずや入城をはたして精忠を奉じ、血骨燃えつきるまで突き進むのです」
「はい、しかと承りました。本懐をはたしたのちは私もまいります。お国、おばばさまのお言いつけをよく守るのですよ」
「はい、母さま。しかとうけたまわりました」

 つめたく湿った柄に指を巻きなおした。冷気でしびれていた皮膚に感覚がもどってきて、刀と身が唯一となる。

「お義母さま、お国、まいります」

 つづけざまに二つ。
 真空の孤が雨粒を霧散させ、鋭い刃啼きとともにほとばしった。
 ふたつの体は、ぱっと華がひらいたように血潮を散らし、四人の身をあたためながら赤々と染めたのだった。
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