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それから
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台所へ戻ると、平次が立ち直っていた。吸したじを火にかけてあたため直している。
「平次さん、お客様のお膳は六つだそうでございやす」
「六つな。じゃあ――全部で十三、だな」
あやめ屋の六人に彦佐を加え、七人である。しかし、客と同じほどの菜が奉公人の膳に載るわけではない。客を優先し、見栄えよく美味しいところを盛りつける。
洲走の天麩羅と天つゆ、焼き茄子、胡瓜と麩の辛子和え、豆腐の吸したじ、沢庵漬け――
細かなところにまで気を配りながら膳を仕上げた。ていと志津、浜がそれを運ぶ。浜だけがひとつ、ていと志津は膳を重ねて運んだ。浜はまだひとつでも覚束ない。ふたつ持たせたらひっくり返しそうだ。
「さて、と」
高弥と平次はあやめ屋の皆の分の夕餉を盛りつけ始める。高弥が鉢に辛子和えを盛っていると、平次が天麩羅を分けた。いつも、ていと元助には多めに載せる。ていは主なのだから、奉公人とまったく同じではいけない。元助も番頭であり、ていに次いで偉いのだから、菜は多めだ。
しかし、今、平次の盛り方は明らかに彦佐もそれに匹敵するほどに多い。高弥が無言でそれを見ていると、平次は口元を少し曲げてから言った。
「女将さんの――いいや、あやめ屋の大事な客人なんだからな」
金を払う客とは違うのだけれど、実際にていの義弟ではあるのだから仕方がない。
「へい、わかっておりやす」
と言いつつも、高弥は平次に背を向けた時に少々嫌な顔をした。いつまでこれをやるのだろう、と。
そして、支度が整うと平次が二階まで足を運び、彦佐を連れてきた。退屈していたのか、寝ていたのか、あくびをしている。
「おお、今日も美味そうだな」
「ありがとうございやす」
平次が嬉しそうに答えた。ありがとうと礼を言うべきは、ただ飯食らいの彦佐であるべきだと思うのだが。
せめて飯を食べる時くらいはモヤモヤとした気持ちを忘れたい。高弥はあまり深く考えないように努めた。
「じゃあ、頂きましょうか」
ていがいつものごとく穏やかに言い、皆が手を合わせて食べ始める。彦佐はどれを食べても美味ぇ美味ぇと言った。それを白々しいと思うほどには高弥もすでにひねていた。
それとは真逆に、元助は滅多に美味いとは言わない。稀に言わされて渋々言うことはあるけれど、そういう素直なことを言うのが照れ臭いのだ。けれど、味わって食べてくれているのは知っているからいい。
彦佐は何かにつけて大袈裟で、嘘臭く思える。浜は彦佐の声を雑音と捉えているのか、聞き流して食べていた。ていと平次の二人が楽しげに言葉を交わしているばかりである。
志津はどこか浮かない顔をしていた。やはり、彦佐がいると調子が狂うのだろう。
たらふく食べ、箸を置くと彦佐は笑顔で言った。
「このあやめ屋は本当にいいところだなぁ。おていさんは優しいし、料理は美味ぇし、女中は別嬪だ。言うことねぇよな」
料理が美味い、そう褒められたことよりも、女中が別嬪だというところに高弥は引っかかった。志津のことを言うのだろうけれど、そんなふうに安っぽく言ってほしくない。志津は苦笑している。
色々と耐えていた高弥の中で何かがジリジリと焼け焦げていくようだった。
「えー、ありがとうございますぅ」
すかさず浜が言った。さっきよりも機嫌がいい。別嬪という言葉を都合よく解釈したのか。やはり逞しい娘だと高弥は感心して少し和んだ。
「おぅ」
彦佐もお前じゃあない、とは言わない。軽く笑って流したが、目が志津に向いた。やっぱり嫌なやつだと思う。
そんな時、平次が彦佐に言った。
「冷酒、用意してありやす」
「おお、すまねぇな。お前さんは気が利くな」
たったそれだけのことに、平次が糸目を潤ませる。高弥は胃の腑がキリキリと痛むような気がしてきた。
こんなやり取りの間も、元助はやはり無言である。
いつもの、高弥の好きなあやめ屋はこれじゃあない。
壮助にああ言われたものの、どうにも我慢しきれないかもしれない。こんなのが続くようなら、さっさと板橋に帰るべきだろうか。
ため息をつきたい気持ちをグッと堪えて、高弥は夕餉の後片づけをするのだった。
ていと彦佐は先に二階へ行き、平次が用意した酒と昔話とを肴に話を弾ませているらしかった。大人しいはずのていの笑い声が時折二階から降るようにして聞こえた。
むしろ、昔はああして亭主の晩酌に付き合いながら声を立てて笑っていたのかな、と思うと、彦佐がていの救いになっていると考えるべきなのだろうか。それが仮初であったとしても。
何が正しいのか、高弥にもよくわからなくなっていた。ただ、心が晴れないことだけが確かだった。
「平次さん、お客様のお膳は六つだそうでございやす」
「六つな。じゃあ――全部で十三、だな」
あやめ屋の六人に彦佐を加え、七人である。しかし、客と同じほどの菜が奉公人の膳に載るわけではない。客を優先し、見栄えよく美味しいところを盛りつける。
洲走の天麩羅と天つゆ、焼き茄子、胡瓜と麩の辛子和え、豆腐の吸したじ、沢庵漬け――
細かなところにまで気を配りながら膳を仕上げた。ていと志津、浜がそれを運ぶ。浜だけがひとつ、ていと志津は膳を重ねて運んだ。浜はまだひとつでも覚束ない。ふたつ持たせたらひっくり返しそうだ。
「さて、と」
高弥と平次はあやめ屋の皆の分の夕餉を盛りつけ始める。高弥が鉢に辛子和えを盛っていると、平次が天麩羅を分けた。いつも、ていと元助には多めに載せる。ていは主なのだから、奉公人とまったく同じではいけない。元助も番頭であり、ていに次いで偉いのだから、菜は多めだ。
しかし、今、平次の盛り方は明らかに彦佐もそれに匹敵するほどに多い。高弥が無言でそれを見ていると、平次は口元を少し曲げてから言った。
「女将さんの――いいや、あやめ屋の大事な客人なんだからな」
金を払う客とは違うのだけれど、実際にていの義弟ではあるのだから仕方がない。
「へい、わかっておりやす」
と言いつつも、高弥は平次に背を向けた時に少々嫌な顔をした。いつまでこれをやるのだろう、と。
そして、支度が整うと平次が二階まで足を運び、彦佐を連れてきた。退屈していたのか、寝ていたのか、あくびをしている。
「おお、今日も美味そうだな」
「ありがとうございやす」
平次が嬉しそうに答えた。ありがとうと礼を言うべきは、ただ飯食らいの彦佐であるべきだと思うのだが。
せめて飯を食べる時くらいはモヤモヤとした気持ちを忘れたい。高弥はあまり深く考えないように努めた。
「じゃあ、頂きましょうか」
ていがいつものごとく穏やかに言い、皆が手を合わせて食べ始める。彦佐はどれを食べても美味ぇ美味ぇと言った。それを白々しいと思うほどには高弥もすでにひねていた。
それとは真逆に、元助は滅多に美味いとは言わない。稀に言わされて渋々言うことはあるけれど、そういう素直なことを言うのが照れ臭いのだ。けれど、味わって食べてくれているのは知っているからいい。
彦佐は何かにつけて大袈裟で、嘘臭く思える。浜は彦佐の声を雑音と捉えているのか、聞き流して食べていた。ていと平次の二人が楽しげに言葉を交わしているばかりである。
志津はどこか浮かない顔をしていた。やはり、彦佐がいると調子が狂うのだろう。
たらふく食べ、箸を置くと彦佐は笑顔で言った。
「このあやめ屋は本当にいいところだなぁ。おていさんは優しいし、料理は美味ぇし、女中は別嬪だ。言うことねぇよな」
料理が美味い、そう褒められたことよりも、女中が別嬪だというところに高弥は引っかかった。志津のことを言うのだろうけれど、そんなふうに安っぽく言ってほしくない。志津は苦笑している。
色々と耐えていた高弥の中で何かがジリジリと焼け焦げていくようだった。
「えー、ありがとうございますぅ」
すかさず浜が言った。さっきよりも機嫌がいい。別嬪という言葉を都合よく解釈したのか。やはり逞しい娘だと高弥は感心して少し和んだ。
「おぅ」
彦佐もお前じゃあない、とは言わない。軽く笑って流したが、目が志津に向いた。やっぱり嫌なやつだと思う。
そんな時、平次が彦佐に言った。
「冷酒、用意してありやす」
「おお、すまねぇな。お前さんは気が利くな」
たったそれだけのことに、平次が糸目を潤ませる。高弥は胃の腑がキリキリと痛むような気がしてきた。
こんなやり取りの間も、元助はやはり無言である。
いつもの、高弥の好きなあやめ屋はこれじゃあない。
壮助にああ言われたものの、どうにも我慢しきれないかもしれない。こんなのが続くようなら、さっさと板橋に帰るべきだろうか。
ため息をつきたい気持ちをグッと堪えて、高弥は夕餉の後片づけをするのだった。
ていと彦佐は先に二階へ行き、平次が用意した酒と昔話とを肴に話を弾ませているらしかった。大人しいはずのていの笑い声が時折二階から降るようにして聞こえた。
むしろ、昔はああして亭主の晩酌に付き合いながら声を立てて笑っていたのかな、と思うと、彦佐がていの救いになっていると考えるべきなのだろうか。それが仮初であったとしても。
何が正しいのか、高弥にもよくわからなくなっていた。ただ、心が晴れないことだけが確かだった。
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