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有明(一)
しおりを挟む「そなた、宇宰相の娘か?」
男の身にまとっている深衣が太陽の光に金色の輝きを放って、蓮珠の手が小さく震える。目の前にいるのは、趙高僥。皇帝陛下である。
「陛下、俺の夫人です」
蓮珠が「はい」と言うより早く、高僥に追いついた濤允が答えた。蓮珠は、息を弾ませる濤允を見て驚く。濤允の顔に、いつもと違う焦りの色が浮かんでいるからだ。様子がおかしい。直感がそう告げる。
「濤允。お前はやはり、宇宰相の娘を得てなにか画策しているのだな?」
高僥が、濤允をにらみつける。口を慎みなさい。皇太后が高僥をたしなめるが、高僥は濤允を威圧的ににらんだまま皇太后に言葉を返した。
「濤允は罪人です。朕の許しなく皇宮へ入れてはなりませんと、何度言えばお分かりになる」
「なにを言うの、高僥」
「高僥ではなく、陛下です。呼び方に気をつけてください。そういえば、その娘は我が後宮に入るはずだったのでは? それを濤允に嫁がせてほしいと、宇宰相に頭をさげたのはあなただそうですね。皇太后」
「私は濤允の母よ。我が子の幸せを望んでなにがいけないの?」
「白々しい。朕もあなたの息子ですが、あなたはいつも濤允の味方だ。宇家という強力な後ろ盾を濤允に与えるとは。あなたの望む濤允の幸せとは、濤允が帝位に就くことですか?」
「濤允が帝位を望んでいないことは、あなたが一番よく知っているはずよ。お願いだから、もう濤允を苦しめないで」
「朕も心苦しいのです。未だに濤允を担ぎ上げようとする輩がいるものですから。では、こうしましょう。朕が皇太后と濤允を信用するために、宇宰相の娘を朕の後宮へ入れてください」
「……なんてこと。蓮珠は濤允の夫人なのよ!」
「濤允は、嫌とは言いません。誰よりも朕の味方でいると誓っていますからね。宇宰相としても、皇籍を剝奪された罪人より朕の方が娘の相手として満足でしょう」
なぁ、濤允。
高僥が、濤允にゆがんだ笑みを向ける。濤允は、皇太后と蓮珠の顔を見たあと、高僥と真正面から視線を合わせた。
――どこまでも愚かで哀れな人だ。
兄に対して思うのは、ただそれだけ。血を分けた兄弟であるのに、冷たい感情しか湧いてこない。
「分かりました、陛下。しかし、急なことで夫人も驚いています。支度もありますから、少し日をください」
「馬鹿なことは考えるなよ」
「心得ております」
「三日後、湖光離宮に迎えを寄越す。よいな」
濤允は「御意に」と答えると、青ざめた皇太后を背負った。まともに喋っているように見えるが、高僥は明らかに発作を起こしている。外廷で、精神を揺さぶられるなにかがあったのだろう。
気が昂っている高僥に食い下がるのは得策ではない。高僥の性格をよく知っているからこそ、濤允はすんなりと身を引いたのだ。しかし、皇太后と蓮珠は地に足がつかない心地だった。
「皇太后、お体を大切になさってください」
にたりと笑って、高僥が言う。その言葉に、情はこもっていないように聞こえた。濤允が、皇太后を背負ったまま高僥に一礼して木香薔薇の庭を歩き出す。蓮珠は、急いでそれに続いた。
皇太后が、濤允の背中で涙する。もう先が長くないのだとおっしゃっていた。皇太后の悲しみの深い悲痛な表情に、蓮珠の胸が締めつけられる。
濤允は、皇太后を寝所へ送り届けると、蓮珠を連れてすぐ皇宮を辞した。
「あの、わたくしは本当に陛下の後宮へ……?」
帰りの軒車の中で、蓮珠は沈黙する濤允の顔をうかがいながら尋ねた。陛下の姿や声を思い返すと、恐ろしくてたまらない。数々の罪を犯した楊濤允が皇籍を剥奪されただけで済んだのは、陛下の実弟への温情あったればこそ。そう聞いていたから、陛下は血のつながりを大事になさっている御方なのだと思い込んでいた。
けれど、ご生母である皇太后様への物言いも横柄で礼に欠けていて、聞いていた人柄とは程遠い印象を受けた。実弟の夫人を後宮へ召し上げるなんて、どう考えても尋常ではない。
「蓮珠。あなたは、今も皇后になりたいと願っているのですか?」
「いえ……。わたくしは、あなたの夫人ですし……」
「そうですね、蓮珠。あなたは俺の夫人です。ですから、あなたが皇后の座を望んだとしても、俺は絶対にあなたを手放しません」
ふふっと軽やかに濤允が笑ってみせる。不思議。楊濤允の顔がほころぶと、心がほっとする。それに、手放さないという言葉がとても嬉しく胸に響いた。
「皇太后様は、大事なくお休みになられたでしょうか」
「薬を煎じるよう申しつけたので、大丈夫でしょう。しかし、最近は具合のよくない日が多いとか。俺がふがいないばかりに、気苦労が絶えないのでしょうね。親不孝な息子です、俺は」
「あの……。あなたは、本当に悪いことをなさったのですか?」
「ええ。ですから、皇籍を剥奪されて皇宮を追い出されました」
屋敷に戻ると、濤允は蓮珠の手を引いて軒車をおり、門の前で出迎えた家令に宇宰相を呼ぶよう命じた。皇宮での出来事や今の状況を上手く整理できず、蓮珠はただ濤允の手を握って、黙々と濤允のあとをついて歩く。
――なんだか嬉しそう。
濤允の横顔は、そんな感想を抱かせる相をしていた。濤允が、蓮珠の手を引いて輝蓮宮へ続く回廊を足早に進む。
「これから、あなたの父君と話をしなくてはなりません。疲れたでしょうから、あなたは輝蓮宮でゆっくり休んでください。陽佳に胡桃酪を用意させます」
「……あの、わたくしがいては不都合ですか?」
濤允の手をきゅっと握って、蓮珠が足を止める。心がざわざわと騒ぐ。今は一人になりたくない。楊濤允の傍を離れたくない。
「不都合ではありませんが、退屈な話ですよ。あぁ、そうだ。話が終わったら、宇宰相を輝蓮宮に案内しましょう。せっかくだから、父君と水入らずで……」
いえ、と蓮珠は濤允の言葉を遮った。どうかしましたか? 表情でそう言いながら、濤允が背をかがめて蓮珠の顔を覗きこむ。一緒にいてと頼めば、楊濤允はきっと嫌とは言わない。けれど、素直にそれを口にできない。蓮珠は、濤允の澄んだ目を見つめて眉尻をさげた。
「もしかして、胡桃酪はお嫌いですか?」
軽やかにほほえんで、濤允が尋ねる。蓮珠は、頬をほんのり赤く染めた。
「いえ、大好きです。胡桃酪は、とっ……、濤允様のお部屋でいただいてもよろしいですか?」
「今、なんと言いました?」
「あ……、厚かましくお願いしてごめんなさい。皇宮でいろいろとあったので、心もとなくて。い、一緒にいてほしいのです」
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