群青の空の下で(修正版)

花影

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第2章 タランテラの悪夢

149 彼等の絆6

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 深い眠りから覚醒したアスターは明かりを落とした室内でも鮮やかなプラチナブロンドを目に留めて安堵した。まだすっきりとは目覚めておらず、恋人の名前を呟いて手を伸ばしかけるが、その手は無残にも払われる。
「残念だがマリーリアではない」
 聞き覚えのある少し憮然とした声に、血の気が引いてアスターは一気に目が覚めた。
「で、で、で、殿下?」
「マリーリアでなくて悪かったな」
「い、いえ、その……」
 寝台の脇に座っていたのは、恋人のマリーリアではなくて上司のエドワルドだった。驚きのあまり寝台から転げ落ちそうになるが、辛うじて踏み留まる。
「気分は?」
「だ、大丈夫です」
 即答するアスターにエドワルドは不審な目を向けるが、薬のおかげで充分な睡眠をとれたので気分はすっきりしている。ただ、起きてすぐ目の前にエドワルドがいたので、その方が心臓に悪かった。
「……討伐は……巣はどうなりましたか?」
「済んだ。突出して負傷した奴らには厳重注意を与えた」
「そ、そうですか……」
 どうにか落ち着きを取り戻し、最初に頭をよぎったのは巣の掃討だった。自分の代わりにエドワルドが出たと聞いたのを思い出したのだ。
「……マリーリアから話は聞いた。頭痛の事、何故、黙っていた?」
「殿下にご負担をおかけしない為です」
「だからと言ってお前が倒れてしまっては意味がない。前にも忠告した筈だ」
 項垂れるアスターにエドワルドはさらに追い打ちをかける。
「こんな風に気を使われても少しも嬉しくないぞ。ブロワディだけじゃない。他の重鎮達も大隊長も皆、お前の不調を知っていた。何故、私に相談しない?」
「頭痛の事を話せば、当然原因となったこの左目の事を気に病まれます。この目の事で、これ以上殿下の気をわずらわせたくありませんでした」
「……」
 アスターの返答にしばらくの間沈黙が続く。それを先に破ったのはエドワルドだった。
「もう一度、バセットに詳しく診てもらえ。そして彼の許可が出るまでは討伐には出るな。ブロワディが完治するまでは、必要とあれば私が指揮を執る」
「な……」
「今日の事で、血気盛んな小隊長達も少しは懲りたはずだ。後は大隊長だけでもどうにかできるだろう。私は出ても指揮をするだけだ」
「ですが……」
「いいか、あの子を悲しませるな。もう少し、自分を大切にしろ」
 エドワルドはそれだけ言い残すと、話を切り上げて部屋を出て行く。何も言い返せずに取り残されたアスターはしばらくその場で呆然としていた。



 翌日、アスターはエドワルドに命じられたとおりバセットの診察を済ませ、自分の執務室に向かっていた。今の所出撃要請は無く、午後からは溜まっている書類の整理をするつもりでいた。ところがその途中でウォルフに呼び止められる。
「アスター卿、エドワルド殿下がお呼びでございます」
 すっかりエドワルド付きの侍官が板につき、毎日本宮内を走り回っているウォルフは以前に比べて随分とすっきりした体つきになっていた。痩せて精悍な顔つきとなり、エドワルドの信頼も厚いので、最近では女官からの受けもいいらしい。少し前まではゲオルグの取り巻きだった事で随分とさげすまれていたのが嘘のようである。
「殿下が?」
 今朝の朝議の場では前日の件についてはただ、決定事項を通達されたに留まり、他の重鎮達からも特に異論は出ずにあっさりと了承されていた。エドワルドの機嫌が悪く、口を挟みこめなかったのもあるだろうが、いずれこうなる事を彼等もうすうすわかっていたのだろう。
 もしかしたら、診察を受けたのを知って、昨日の話の続きになるのかもしれない。気は重かったが、呼び出しを受けて断るわけにもいかない。アスターは気が乗らないながらも大人しく従う事にした。
「失礼いたします」
 エドワルドの執務室に入ると、呼び出した当人の姿が無かった。不審に思っているとヒヤリとした空気が流れ込んでくる。見ると露台への窓が僅かながらに開いていた。
「殿下?」
 厚いとばりをめくり、窓を開けて露台に出ると、そこにエドワルドが立っていた。手すりに手をかけ、空を見上げていたのだが、アスターに気付いて振り向く。そこには今朝の不機嫌さは無く、いつもと変わらない様子にアスターはホッと胸を撫で下ろした。
「ああ、来たか」
「グランシアードが来ていたのですか?」
 気分転換と称してここで飛竜と戯れているのは周知の事実である。だが、昨日討伐に出た飛竜は疲れたらしく、室で大人しくしていたはずだ。
「いや、小さな客人を見送っていた」
 エドワルドはそう答えると、アスターを促して屋内に入る。竜騎士としてある程度の寒さには慣れてはいるが、この時期に防寒具無しで屋外に出るのは彼等でも耐えられない。屋内に戻ると窓を閉め切り、2人して暖炉の側で体を温める。そしてエドワルドはウォルフを呼んでお茶の支度をさせると、人払いを命じた。
「新たな情報が届いた」
 一切の前置き無しでエドワルドは小さく折りたたまれた紙をアスターに見せる。手渡された紙切れに書かれた小さな文字の羅列に目を通していくうちにアスターは怒りで手が震えてくる。
「こんな事が……」
 そこには薬草園で半ば監禁されていた農夫達を助けた経緯が書かれていた。元々、聖域の外れで不法に集落を形成していた彼等は、正式な居住権を交換条件にこの薬草を栽培していた。そしてあの薬草園が出来た時に、多額の報酬を約束されて連れて来られたのだ。助け出された今は神殿の竜騎士達によって保護されていると言う。だが、問題なのはその後だった。
 彼等の話では、あの薬草園でただ『名もなき魔薬』等の禁止薬物の原料となる薬草を育てていた訳ではない。『名もなき魔薬』によって能力を高められた人間が飛竜に対する支配力を強固にするために、飛竜に思考を鈍らせる薬を投与する実験も行われていた。
 手始めの実験として今まで数えきれないほどの小竜が犠牲となり、今年は遂にいずこから連れてこられた幼竜も実験台となった挙句に命を落としていた。
 カーマインの事件を知った彼等は、マルモアの正神殿がこの件に絡んでいると推測している。カーマインの表記が不明瞭で、繁殖用として登記されていないのは、彼女の産んだ卵から孵った雛をその実験に利用するためだと結論付けていた。
「これ以上驚く事は無いと思っていたが……」
「許せません……」
「全くだ。命をあまりにも軽々しく考えている」
 エドワルドはアスターから紙片を受け取ると、それを暖炉の中へ放った。それは炎に包まれてすぐに灰となる。
「正直、今度あの男に会う時に平静でいられる自信が無い」
「同感です」
「いきなり斬りかかりそうになったら止めてくれ」
「いえ、その前に私が斬りかかっているかもしれません」
 軽口のつもりが冗談では終わらない。それくらい2人は腹を立てていた。
「とにかく、無事に春を迎えなければそれも叶わない。無茶はもうやめてくれ」
「……分かっております」
 エドワルドが部屋を去ったあの後、マリーリアにも無茶をし過ぎると泣きながら責められたのだ。それもあって意地になりすぎた己の行状をアスターは猛烈に反省していた。
「……足を運ばせて済まなかった。カーマインに関わる事だったからお前にも知っていてほしかったのだ」
「いえ、知らせて頂いて感謝します。審理が終わるまでは、カーマインの周辺の警戒を怠らないようにします」
「そうしてくれ」
 カーマインの産卵予定日が迫っていた。雛は冬の終わりに孵る予定だが、少なくとも半年経たないと親からは離せないので、審理が行われる頃はまだ本宮から動かせない。狡猾な相手だけに何が起こるか分からないので、最後まで気を抜くことは出来なかった。
「大神殿にも協力を仰ごう」
「交渉は私がします」
 今までもカーマインに絡む諸事の交渉はアスターが行ってきた。それは妥当な申し出だったが、エドワルドは釘を刺すのを忘れない。
「その分、討伐に出るのを減らせ。決して無理はするな」
「分かっております」
 アスターは苦笑して頭を下げた。そして新たな仕事に早速取り掛かる為、彼はエドワルドの部屋を辞去した。


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寝ぼけて上司の髪に手を伸ばそうとしたアスター。
最悪の目覚めだったかもしれません。
翌日までその最悪な気分を引きずりながらも、新たな展開にそれどころじゃなくなります。

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