群青の空の下で(修正版)

花影

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第2章 タランテラの悪夢

193 奢る者の末路1

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 寝台に横たわったまま動けないベルクは、焦燥感から一睡もできずにいた。本来ならばこんな所で大人しくしている場合では無い。一刻も早くフォルビア正神殿に駆けつけ、現状を把握した上でラグラスの暴走を抑えなければならない。
 少しでも情報を得ようと、この神殿に立ち寄ったまでは良かった。だが、無理をして馬を駆った為に腰への負担は相当かかっていた。更には夜風で汗が冷え、盛大なくしゃみをした瞬間に腰に激痛が走って身動きが取れなくなってしまったのだ。
「これはいわゆるギックリ腰という奴ですな。数日は安静が必要です」
 呼ばれた医者はそう診断を下すと彼に療養を勧めた。だが、この非常時に冗談では無い。ベルクはそう食って掛かろうとするのだが、どう頑張っても動けないのだ。付き添っていた部下達からも療養を勧められ、不承不承寝台に体を横たえたのだ。
 その代り、自分の意向を伝える為にラグラスの下に人を送り、先行させた部下を呼び戻す手配を忘れなかった。
 何よりも腹立たしいのはこんな事態にならない様にラグラスの下へ残しておいた部下である。多額の支度金も預けたのに、全く役に立っていない。更には彼女を迎えに行かせた側近からも何の音沙汰もなく、彼の苛立ちに拍車をかけていた。
「一体何がどうなっているのだ?」
 全てがうまく行っていたはずなのに、気付けば何一つ計画通りに事が進んでいないのだ。ベルクは悔しさに歯噛みするが、少し身じろぎするだけで腰に響いて呻く羽目となる。
「くそ……」
 嫌な予感がしてならない。焦燥感が募る一方のベルクはイライラとして部下からの報告を待っていた。



 美しい庭園の向こうに美しい黒髪の女性が立っていた。己の前では萎縮いしゅくしてしまうのか、今まで向けられる事が無かったあの優しい微笑みで語りかけられる。話の内容はよく分からない。近寄ってもう一度聞きなおそうとするが、彼女の姿はもう何処にもなかった。
 ベルクがもう一度辺りを見回すと、いつの間にか庭園は消え去り、あの薬草園の真ん中に立っていた。あの貴重な薬草が風に棚引いている。この分だと今年の収穫量も期待できるだろう。もたらされる収益に思わず頬が緩む。だが、だんだん強くなった風に煽られて薬草の葉がまるで自分の足に絡みつくようだ。
 葉の先がまるで血に染められたように赤い。それが己の足にまとわりつく様子を見ていると気味が悪くなってくる。視察を止めて帰ろうとするのだが、足がびくとも動かない。
「!」
 足元を見ると、薬草は消え失せ、代わりに血まみれの手が足を掴んでいた。しかも掴んでいるのは1人では無い。男もいる。女もいる。そのうち、足を掴んでいる男の1人が顔を上げる。虚ろな表情だったその男はベルクと視線が合った瞬間、ニッと笑った。



「うわぁぁぁ!」
 慣れない騎馬での移動は本人が思っていた以上に疲れていたらしく、いつの間にか寝てしまっていた様だ。あまりの悪夢にベルクは飛び起きたが、腰に激痛が走って思わず呻く。
「ベルク様?」
 寝台にかけられた天蓋が少し開いて護衛の1人が顔を覗かせる。新参者だが、よく気が利くので側近のオットーも目をかけていた男だった。名前は確かガストンだったか、ガスパーだったか……。
「大丈夫ですか? お加減が優れませんか?」
「いや……大事無い。何か飲む物を頼む」
「かしこまりました」
 男は頭を下げて退出していく。その所作の一つ一つが洗練されており、出自はどこかの貴族ではないかとオットーが話していたのを思い出す。
「お待たせいたしました」
 ほどなくして男はお盆にいくつかの器を乗せて戻ってきた。中身はワインにお茶に薬湯と様々である。とにかく先程の悪夢を振り払いたい。ベルクは迷わずワインを選んだ。
「……ブレシッド産ではないか」
 極上の味わいに思わず頬が緩む。しかし、タランテラとは直接取引していない事実に気付き、どうやって入手したのかが疑問だった。
「まあ、特別な伝手がございまして……」
 曖昧な返答に個人で隠し持っていたものだとベルクは解釈した。何はともあれ、しばらくは味わうことが出来ないと思っていた逸品を口に出来たのだ。深く詮索するのは止めておくことにした。
「こちらの薬湯は体の苦痛を和らげる効果が、お茶の方は安眠効果があるそうです」
「ほう……」
 お盆に乗せて持ってきた薬湯やお茶の類を男は説明していく。お茶はともかく体が楽になるなら薬湯は飲んでおこうかとベルクは何の疑問も抱かずにその器を受け取った。
「うっ……」
 薬湯特有の匂いに顔をしかめるが、背に腹は代えられない。一刻も早く動けるようになりたい一心でベルクはその薬を飲み干した。後味の悪さに思わず差し出されたお茶も飲み干す。すると、何だか口の中がピリピリとしてくる。心なしか手が震え、じっとりと脂汗がにじみ出てきた。
「な、何を……飲ませた?」
「薬湯でございます」
 男は平然と答える。
「き、貴様、ワシに毒を盛ったのか?」
「とんでもございません。これは半年前、療養なさっていたロイス神官長の為に特別に用意された物でございます。他ならぬ、貴方様が神官長の回復を願ってご用意なさったものだと伺っておりますが?」
 男の答えにベルクは蒼白となる。確かに上辺ではそう言って薬湯を飲ませる様に指示はした。だが、その実態は徐々に体を弱らせる毒薬だったのは当のベルクが一番よく知っている。
「こ、このワシに毒を……」
「おや、毒だったんですか? これ」
 男はわざとらしく驚いて見せる。その白々しさにベルクは腰が痛むのも忘れて掴みかかった。
「ふざけるな! これはあの男を始末するのに用意した代物だ。誰か、誰かおらんか! ワシを毒殺しようとしたこの男を捕えよ!」
 部屋の外に向かってベルクは叫ぶが、その声に応じて駆けこんでくるものは1人もいなかった。
「誰か、誰かおらぬか! この不埒者を捕えよ!」
 再度声を上げると、ようやく1人の若者が顔をのぞかせる。小竜を肩に乗せた黒髪の若者のその顔には見覚えがあった。宿敵ミハイルの養子で自分を目の敵にしているアレスだった。
「お、お前は……」
 ベルクが戸惑っている間に寝台を覆う天蓋布が外れてストンと落ちる。すると何故か彼は広間の中央にいた。あの小神殿の客間で休んでいたはずなのに、いつの間にか広間の中央で休んでいたのだ。しかもこの場所には見覚えがない。少なくとも彼が情報の拠点にしていたあの小神殿にはこの大きさの広間はなかった。
「な、何故……」
「今の話は全て聞いた。そなたは同輩に毒を盛る様に指示したのか」
 声をかけられて首を巡らすと、驚いたことに寝台の周囲に人が集まっていた。ガウラの王弟にダーバの先代国主、シュザンナの父親でもあるタルカナの宰相、そしてエヴィルの国主もいる。いずれもベルクが良く知っている顔ぶれだった。だが、彼と親しいタルカナの宰相までもが一様に渋い表情を浮かべている。
 そしてミハイルとエドワルドに付き添われたシュザンナが彼の正面に回り込む。その姿にベルクは顔を強張らせるが、それでもあっさりとは認めず白を切ろうとする。
「同輩とは申し上げておりません」
「見苦しいの。いずれにせよ、人を殺める指示を出したのは確かの様じゃな」
 今までベルクの前で見せていた態度とは異なり、シュザンナはその地位に相応しい荘厳な雰囲気を身に纏《まと》っていた。
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