群青の空の下で(修正版)

花影

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第2章 タランテラの悪夢

16 苦難の旅路1

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 小船は荒れた湖面に翻弄ほんろうされながら進んでいた。霧雨で視界が悪く、どの方角に向かっているのか、どのくらい岸から離れているのかも分からない。
 フロリエは泣いているコリンシアを抱きしめ、オリガは弟のティムと共に慣れない手つきでかいを操った。
「エド……」
 フロリエの頬に涙が伝う。抱きしめた子供の体温を感じながら心を奮い立たせようとするが、1人残ったエドワルドの事を思うと気力の全てが失われていく。それはオリガとティムも同じだった。
 一行にとって幸いだったのは、厚い雲が空を覆い、夏場の暑い日ざしをさえぎってくれたことであろう。更には所持していた皮袋の水がなくなった後も霧雨が降り続けたので雨具に集めた水滴で少しなりとも水分補給が出来た事だった。そしてティムは保存食を、コリンシアが砂糖菓子を所持していたので、4人と1匹で分け合って口にした。
 やがて雨は止み、日が傾くにつれて視界が良くなってきた。自分達が今どこにいるのか分からない彼等はしきりに辺りを見回し始める。もし、元の岸からほとんど離れていなかった場合、孤軍奮闘したエドワルドの努力が無駄になってしまう。ティムは櫂を操りながら、目を凝らして辺りを見回した。
「あれは……岸でしょうか?」
 不意に彼が前方に映る影を指差すと、つられてオリガとコリンシアも見てみる。フロリエはルルーに意識を合わせる事が出来ず、見る事が出来ない。
「間違いない、岸だ!」
 船が近づくと、その影はだんだんとはっきりとしてくる。背の高い葦原の向こうに森らしき影も見えてくる。ティムは櫂を握り直すと、残った力を振り絞って懸命に漕いだ。そして葦原の外れの方へ船を向け、湖底が硬いことを櫂でつついて確認すると、船から降りて腰まで水につかりながら小船を葦原の間の僅かな浜へと押し上げた。
「ああ、地面だ」
 ティムはフロリエとオリガが船から降りるのに手を貸し、コリンシアは抱き上げて船から降ろした。ずっと揺れる小船に乗っていた彼等は固い地面に座り込み、陸地に戻れた事を安堵した。
「それにしてもここはどこでしょう……」
 一息つくと見知らぬ土地にいることへの不安感が一行を襲ってくる。フロリエとオリガは座り込んだまま不安げに辺りを見渡す。コリンシアも怯えた様子でフロリエの側に身を寄せている。
 やがてフロリエの肩にとまっていたルルーがしきりに鼻をならし、クワッと一声泣いて林の方へと飛び立った。
「ルルー?」
「何か見つけたのでしょうか?」
 小竜の行動にフロリエとオリガは顔を見合す。臆病な彼が自分から危険に飛び込んで行くことは無いので、危害を及ぼすものが近づいてきたとは考えにくい。だが、食い意地の張った彼が何か食べる物を見つけたのなら、彼等にとって朗報である。
「見てきます」
 足を投げ出すようにして地面に座り込んでいたティムは体を起こすと小竜が飛んでいった林の方へ草を掻き分けて向かっていった。
「フロリエ様、コリン様、姉さん、こっちへ来て下さい」
 しばらくして小竜の首根っこをつかんだ彼は3人を呼びに来た。3人の女性はよろよろと立ち上がると、互いを支えあうようにしてティムについて歩き始めた。
「フロリエ様、足元にお気をつけ下さいませ」
 ティムはフロリエの手を取り、オリガはコリンシアと手をつないで背の高い草を掻き分けて進む。道らしい道も無いので足場が悪く、何度もつまずきそうになる。
「わあ……」
 ティムが案内して林の外れに着くと、コリンシアが嬉しそうな声を上げた。そこには木苺がたわわに実っていた。無くなっている一画があるのはルルーが食べたからだろう。空腹でたまらなかった姫君は夢中でその実を食べ始めた。
「さ、フロリエ様も……」
 ティムとオリガは目の見えない彼女のために幾つか実をもいで手に乗せてくれた。
「ありがとう」
 彼女は礼を言って木苺の実を一つ口へ運んだ。少し酸味がきついが、今は全く気にならない。彼等は瞬く間にそれらを食べつくしてしまった。
 日が沈み始めたのか、辺りが急速に暗くなり始めた。彼等は真っ暗な中を移動するのは危険と判断し、浜に戻ると着ていた雨具をつなぎ合わせて簡易のテントを作った。立ち木を利用してそれを張ると、どうにか夜露はしのげそうである。そして彼等は眠れぬ一夜をその場で過ごしたのだった。



 小船がたどり着いた岸の辺りは人が住んでいる気配が無く、4人は相談の末、少しでもロベリアに近づくために歩いて東へ向かうことに決めた。
 船を使ったほうが移動は楽なのだが、充分な水や食料を確保できていない上に日中の日差しをさえぎるものが無い。コリンシアだけでなく、フロリエもオリガもすぐに暑さでまいってしまうだろう。だが、彼等としてはもう船はこりごりと言うのが一番の理由かもしれない。
 万が一、船が必要になった時の事を考え、彼等は小船を背の高い葦原の中へ隠した。そして僅かな所持品を手分けして持ち、湖に沿って東へ向けて歩き始めた。
「日差しが強くなってきました。あの辺りで休憩にしましょう」
 歩き始めて2日経ったものの、彼等は未だ街道へ出る事が出来ないでいた。当初思っていたよりも、小船は随分西へ流されていたらしい。
 日の出から正午辺りまで歩き、日差しの強い時間帯は陰を見つけて休憩し、日が傾く頃再び歩き始める。日没後は野営が出来る場所を見つけたらそこで夜を明かすといった生活のサイクルが出来上がりつつあった。
 ティムが見つけた木陰に雨具をつなぎ合わせたものを敷き、一行はその上に座り込んだ。慣れない歩きでの移動に女性陣は足がボロボロである。それでもコリンシアでさえ弱音ははかなかった。
「この先を少し見てきます」
「大丈夫? あなたも少し休んだ方が良いわ」
 唯一の男とは言え、まだ13歳の少年にもこの旅はきつい筈である。それでもティムは自ら率先して水汲みをしたり、食料を確保するためにカニや魚を捕まえたりして体を動かし続けた。田舎育ちの彼はそういった事に慣れていた上に、昨年も今年も兄と慕うルークと共に数日間の野営を体験していた事が幸いした。野営地の選定方法から水の確保、食べられる草の実の見分け方などを旅なれた竜騎士から教わっていたのだ。
 あの時、エドワルドの替わりに囮になれなかったことをずっと悔やみ、せめてフロリエやコリンシアを守ろうと彼は必死だった。弟のその気持ちをオリガも理解し、彼女も同様に2人に仕えた。
「大丈夫です、フロリエ様。ルルーを借ります」
 ティムは笑ってそう答えると、小竜を連れて歩き始める。実際、この小竜のおかげで清水の湧き出る沢や木苺などが実った茂みを見つける事が多い。ティムは空になった皮袋を肩に提げて見晴らしのいい丘の上に立った。
 どこまでも続くなだらかな丘陵地帯の合間に森や林が点在する光景はもはや見飽きた景色となっていた。やがて肩にとまっていたルルーがクンクンと鼻を鳴らしながら辺りの匂いを嗅ぎ始めた。早速何か見つけたのだろう、クワッと一声鳴くと、丘を下った林の中へと飛んでいく。もし果物の類であれば腹ペコの小竜を一匹で行かせる訳にはいかない。ティムは自分達の食料を確保するため、慌ててその後を追った。
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