群青の空の下で(修正版)

花影

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第2章 タランテラの悪夢

56 時が来るまで5

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皇都、本宮北棟にて

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 アルメリアは刺繍針を持つ手を止めて一つため息をついた。普通ならばすぐに出来る意匠なのだが、今は遅々として進まない。
『此度の不祥事により、ブランドル家との婚約は解消となりました。皇女様はゲオルグ殿下に嫁いで頂きます』
 数日前、グスタフにより一方的に告げられた内容が彼女の心に重くのしかかっている。拒否をすれば母の命は無いぞと暗に脅しが含められており、アルメリアはうなずかざるを得なかった。
 子供の頃から我儘で乱暴なゲオルグが苦手だった。その素行の悪さから度々ハルベルトから注意を受けていた彼は、それを「お前の父親の所為で」と逆恨みされて何かと嫌がらせを受けてきたのだ。それを幾度かユリウスに助けられたこともあり、そのうちに彼に淡い恋心を抱くようになっていた。そして彼女の望みどおり、彼との縁談が正式に決まった時は本当に嬉しかったのに……。
「ふう……」
 また一つため息が漏れる。父親だけでなく、叔父のエドワルドも他界し、頼れる人は皆いなくなってしまった。
 予定されているゲオルグのフォルビア視察とグロリアの墓参が済めば国主選定会議が開かれる。そして、正式にゲオルグが国主に選ばれれば、即位と同時に婚礼を行うと告げられた。既に決定事項として準備が着々と進められている。
 アルメリア自身、皇家の花嫁の風習となっている神殿で祈りを捧げる為に、5日後には皇家の墓がある神殿に10日程の予定で籠る事になっている。喪が明けぬうちに行われる事に眉をひそめる物もいるが、最早、今のワールウェイド公に異論を唱える事ができる者は本宮にはいなかった。
「お父様……」
 アルメリアの目から涙が溢れていた。父親が他界したのをまだ彼女は信じられなかった。彼が礎の里から帰れば、彼女の成人の儀を行う予定だった。グロリアの喪中という事で、当初の予定よりも規模を小さくし、内輪だけでささやかな祝いの席を設けるつもりだった。
 叔父のエドワルド一家も招き、少しぎくしゃくしていたソフィアとの関係が元通りになればと淡い期待もしていたのだ。それなのに……。
「皇女様、母君のセシーリア様がお見えでございます」
 グスタフによって彼女専属となった女官のドロテーアに感情の無い声をかけられてアルメリアは我に返った。そっと涙を拭って刺繍の道具を片付ける。
「すぐ参ります」
 目の腫れぼったさはどうしようもないが、それでもアルメリアは背筋を伸ばして母親に会いに行く。
 現在、ハルベルトの喪中を理由に本宮の北棟は完全に隔離されていた。北棟から出る事も許されず、セシーリアもアルメリアも友人どころか家族に会うにも一々宰相となったグスタフの許可が必要になった。
 祖父のアロンに至っては、病状の悪化を理由に一切の面会を拒否されている。北棟に軟禁されてからはセシーリアもアルメリアも彼に会えない日々が続いているが、アロン付きの古参の女官がそれとなく様子を知らせてくれていた。
「お母様……」
 応接室に母の姿があった。思わず側に駆け寄って抱きついていた。不安な日々を過ごす彼女は母の姿に安堵して治まった涙が再び溢れてくる。
「アルメリア……」
 セシーリアは娘を優しく抱きしめ、泣き出した彼女の頭を撫でる。そんな親子の様子に何の感慨も持たず、ドロテーアは黙々とお茶の支度をすると扉の脇に控える。その様子をセシーリアはそっと目で追って確認すると、涙を流す娘を励ますそぶりをしながらその耳元にそっと囁く。
「エドワルドが生きているかもしれません」
 その内容にアルメリアはわずかに身じろぎする。
「動かずに聞いて。負傷したあの方が連れ去られる所を見た者がいます。あちらからの話では、神殿からの帰りに一家は何者かに襲撃され、4人を逃がす時間稼ぎをエドワルドはしたそうです」
 その話を聞きながら母に縋る手が震える。希望がまだある……。
「助け出すのは容易ではありませんが、まだ、諦めるには早いわ」
 母の言葉にアルメリアは小さくうなずいた。そのまましばらくアルメリアが落ち着くのを待つかのようにセシーリアは娘の背中を抱いていた。
 2人を……特にアルメリアを見張る様に付けられたドロテーアは無表情で親子の様子を観察している。セシーリアは頃合いを見計らうと、彼女に濡らした布を持ってくるように命じ、2人はようやくお茶が用意された席に着く。そして用意された布でアルメリアは泣いて腫れぼったくなった目元を冷やし、ようやく本来の要件に移る。
「5日後、祈りを捧げる為に神殿に移ると聞きました。こちらを……あの人の墓前に手向けて欲しいのです」
 セシーリアが持って来させたのはハルベルトが現役時代に着用していた竜騎士正装だった。故人に思いをはせて生前の愛用品を墓前に手向けるのは珍しいことでは無い。現状ではセシーリアが出向くことはかなわないので、婚前の祈りを捧げる為に神殿に籠る娘にそれを託した形となる。
「分かりました、お母様」
 アルメリアは久しぶりに見る父親の装束に胸が熱くなりそうだったが、母親から神妙にそれを受け取った。
そしてその後は当たり障りのない会話をし、親子で過ごす束の間の穏やかな時間を過ごしたのだった。

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