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第2章 タランテラの悪夢
67 フォルビアの暴君1
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地味に仕立てた馬車の車輪は、抗議するかのように耳障りな音をたてながら激しく回っている。だが、襲撃者から逃れる為にはそんな事には構っていられない。夜の街道をその馬車は全力で疾走していた。
「急げ、急ぐのじゃ」
真っ青な顔をしたヘザーは御者に向かって甲高い声で何度も喚き、恐怖で激しく泣いているバートをその母親は真っ青な顔で抱きしめていた。
ヘデラ夫妻やヘザーといった親族達がワールウェイド公グスタフの返事を待たずに皇都へ出立しようとした矢先、ようやく彼から返答が届いた。しかし、待ちに待った手紙には目通りできるのは子供の他に付き添いは1名と記されていた。
誰が行くかでもめにもめたが、結局は全員で行き、誰が目通りをさせてもらうかは向こうで決める事にしたのだ。計画がうまくいかなかった場合、フォルビアに残っている者から粛清されるのは間違いなかった。ラグラスに気付かれる前にワールウェイド公の元へ急がねばならず、彼等は二手に分かれて皇都を目指す事になったのだ。
「何故じゃ……何故……」
激しく揺れる馬車の中、ヘザーはなおも喚き続ける。計画は完ぺきだったはずだ。彼女達は闇にまぎれてフォルビア領内を北上し、夜明け前には北のワールウェイド領に出る予定だった。もう一組のヘデラ夫妻はフォルビアの西から隣領に出る大回りのルートを選んでいた。
但し、地味に仕立てたとはいえ貴族が所有するような大型の馬車である。それが2台も連なり、おまけに護衛がぞろぞろとついていれば嫌でも目立つ。それに彼女達は気づけなかった。
結果、ヘザー達の一行は盗賊に襲われたのだ。始めの一撃を受けた時点で護衛の何人かはさっさと逃げてしまった。ヘザー達も荷物(ほとんどがヘザーの着替え)を乗せた馬車と残った護衛を犠牲にして逃げてきたのだが、追手を恐れて全力で馬車を走らせているのだ。
更に運が悪いことに、襲撃の混乱の中、逃亡に選んだ道はフォルビア城へ向かう街道だった。川沿いの道をひたすら走っていると、やがて悲鳴を上げていた車輪が壊れて横転し、車は川へ突っ込んでいた。
「だ、誰か……」
川に投げ出されたヘザーは必死でもがく。ドレープの多いドレスは水を吸って体にまとわりついてくる。大量に水を飲み、意識が遠のきかけたところで誰かに腕を掴まれて引き上げられた。
「大丈夫ですかな?」
「……げ、げほっ……」
助けてくれたことに感謝しようと顔を上げたヘザーは固まる。そこにいたのは武装した一団で、ラグラス配下の城の警備兵だった。どうやら異変に気付いて様子を見に来たのだろう。
「何があったのか、じっくり話を聞きましょうか、ヘザー様」
「ひぃぃっ……」
一団を率いる隊長はヘザーとも顔なじみの相手だった。彼女は恐怖のあまりその場で卒倒した。
ウォルフ・ディ・ミムラスは書類の束を抱えて忙しなく廊下を歩いていた。くすんだ金髪と揶揄された事もあるダークブロンドにそばかすの残る顔、小太りの体を揺らしながらセカセカと足を動かすさまはどこか滑稽に映る。
少し前まではゲオルグの取り巻きとして、一年前の夏至祭に起こした事件の犯罪者としてつまはじきにされていたが、今では国政を掌握したワールウェイド公の部下として大手を振って歩ける身分となった。
今はもう誰も彼の事をからかったり揶揄したりする者はいない。両親や祖父母は相変わらずだが、親戚や知人の多くは今までとは掌を返したように彼に媚を売り、へつらう者もいて実に気分が良かった。
「ウォルフでございます」
ウォルフは宰相執務室の前に来ると、戸を叩いて声をかける。ほどなくして返事が帰って来たので静かに扉を開けて部屋の中に入った。
「失礼いたします。先日の法改正に関する書類をお持ち致しました」
「おお、ごくろう」
机に向かっていたグスタフはにこやかに彼を迎える。ウォルフは所持した書類の自分なりの気付きを添えて彼に手渡した。
「……ふむ、良くできている。君は見込みがあるな」
グスタフは満足げにくとうなずくと、その書類にすぐサインをする。ウォルフは内心舞い上がりそうになるのを必死に堪《こら》えた。
「それはそうと、殿下のご視察の準備は順調に進んでおるか?」
「はい、準備は万端整ってございます」
ウォルフは笑顔で答えるが、実は肝心のゲオルグ当人がこの視察に乗り気ではなかった。出発まで後2日。グスタフも承知している事とはいえ、その日になって行方を眩まされないように、他の取り巻きが護衛という名目の元、今から彼の動向を見張っている。
「ラグラスが最高のもてなしをするから期待して欲しいと言っておる。その旨を殿下にお伝えすれば多少は心を入れ替えられるであろう」
「かしこまりました」
さすがは宰相閣下だとウォルフは改めて彼を尊敬する。その後も忙しいにもかかわらず、グスタフは政に関する意見交換をウォルフと交わし、熱心に自分が思い描く未来を若い彼に語って聞かせる。
「今までこの国は竜騎士の資質がある者だけが優遇される仕組みとなっておった。しかし、国を動かすのにその資質は必要ない。必要なのは礎の里が示す大陸の指針をしっかりと理解し、それを政に生かしていく力だ。
ワシはのう、当代様を中心とした世の中を作りあげれば、大陸からは自ずと争い事は消えていくと思っておる。その為には血統に裏付けられたしっかりとした後ろ盾を持ち、神殿と密に連携出来る者が必要なのだ。
政に竜騎士の力は必要ない。奴らはただ、妖魔を狩っておればよいのだ。そうは思わぬか?」
「はい、私も宰相閣下の意見に賛成です」
ウォルフの返答にグスタフも満足げにうなずく。そこへ戸を叩く音がしてグスタフの側近が入室してくる。彼はウォルフの存在に少し顔を顰めたが、グスタフに近寄ると小声で何かを報告する。
「……子供が……」
「……真か?」
「はい、おそらくは……」
何やら予定外の事が起こったらしい。グスタフは先程までとは打って変わって非常に厳しい表情となる。すぐに退出するべきであったが、既に辞去するタイミングを完全に逃してしまったウォルフはその場で大人しく待つことにした。
「如何致しますか?」
「気付かれたところでワシに刃向うような真似は出来まい。だが、奴の動向からは目を離すな」
「かしこまりました」
指示を受けて側近は一礼をすると部屋を出て行った。
「ああ、待たせてすまなかったね」
グスタフは先程までの表情とは一転させて穏やかな笑みをウォルフに向ける。
「いつまでもすみませんでした。私もこれで仕事に戻ります」
「おお、そうか」
「それでは失礼いたします」
ウォルフが頭を下げて部屋を出ようとすると、なぜかグスタフが呼び止める。
「ああ、ウォルフ君」
「はい」
「君には期待しているよ」
「……ありがとうございます」
雲の上のような存在からそのように言われ、ウォルフは感激して涙が出そうだった。竜騎士の資質を持たなかった彼には祖父母や両親にさえ言われた事が無い言葉だった。辛うじてもう一度作法通りに頭を下げると静かに宰相執務室を後にした。
「急げ、急ぐのじゃ」
真っ青な顔をしたヘザーは御者に向かって甲高い声で何度も喚き、恐怖で激しく泣いているバートをその母親は真っ青な顔で抱きしめていた。
ヘデラ夫妻やヘザーといった親族達がワールウェイド公グスタフの返事を待たずに皇都へ出立しようとした矢先、ようやく彼から返答が届いた。しかし、待ちに待った手紙には目通りできるのは子供の他に付き添いは1名と記されていた。
誰が行くかでもめにもめたが、結局は全員で行き、誰が目通りをさせてもらうかは向こうで決める事にしたのだ。計画がうまくいかなかった場合、フォルビアに残っている者から粛清されるのは間違いなかった。ラグラスに気付かれる前にワールウェイド公の元へ急がねばならず、彼等は二手に分かれて皇都を目指す事になったのだ。
「何故じゃ……何故……」
激しく揺れる馬車の中、ヘザーはなおも喚き続ける。計画は完ぺきだったはずだ。彼女達は闇にまぎれてフォルビア領内を北上し、夜明け前には北のワールウェイド領に出る予定だった。もう一組のヘデラ夫妻はフォルビアの西から隣領に出る大回りのルートを選んでいた。
但し、地味に仕立てたとはいえ貴族が所有するような大型の馬車である。それが2台も連なり、おまけに護衛がぞろぞろとついていれば嫌でも目立つ。それに彼女達は気づけなかった。
結果、ヘザー達の一行は盗賊に襲われたのだ。始めの一撃を受けた時点で護衛の何人かはさっさと逃げてしまった。ヘザー達も荷物(ほとんどがヘザーの着替え)を乗せた馬車と残った護衛を犠牲にして逃げてきたのだが、追手を恐れて全力で馬車を走らせているのだ。
更に運が悪いことに、襲撃の混乱の中、逃亡に選んだ道はフォルビア城へ向かう街道だった。川沿いの道をひたすら走っていると、やがて悲鳴を上げていた車輪が壊れて横転し、車は川へ突っ込んでいた。
「だ、誰か……」
川に投げ出されたヘザーは必死でもがく。ドレープの多いドレスは水を吸って体にまとわりついてくる。大量に水を飲み、意識が遠のきかけたところで誰かに腕を掴まれて引き上げられた。
「大丈夫ですかな?」
「……げ、げほっ……」
助けてくれたことに感謝しようと顔を上げたヘザーは固まる。そこにいたのは武装した一団で、ラグラス配下の城の警備兵だった。どうやら異変に気付いて様子を見に来たのだろう。
「何があったのか、じっくり話を聞きましょうか、ヘザー様」
「ひぃぃっ……」
一団を率いる隊長はヘザーとも顔なじみの相手だった。彼女は恐怖のあまりその場で卒倒した。
ウォルフ・ディ・ミムラスは書類の束を抱えて忙しなく廊下を歩いていた。くすんだ金髪と揶揄された事もあるダークブロンドにそばかすの残る顔、小太りの体を揺らしながらセカセカと足を動かすさまはどこか滑稽に映る。
少し前まではゲオルグの取り巻きとして、一年前の夏至祭に起こした事件の犯罪者としてつまはじきにされていたが、今では国政を掌握したワールウェイド公の部下として大手を振って歩ける身分となった。
今はもう誰も彼の事をからかったり揶揄したりする者はいない。両親や祖父母は相変わらずだが、親戚や知人の多くは今までとは掌を返したように彼に媚を売り、へつらう者もいて実に気分が良かった。
「ウォルフでございます」
ウォルフは宰相執務室の前に来ると、戸を叩いて声をかける。ほどなくして返事が帰って来たので静かに扉を開けて部屋の中に入った。
「失礼いたします。先日の法改正に関する書類をお持ち致しました」
「おお、ごくろう」
机に向かっていたグスタフはにこやかに彼を迎える。ウォルフは所持した書類の自分なりの気付きを添えて彼に手渡した。
「……ふむ、良くできている。君は見込みがあるな」
グスタフは満足げにくとうなずくと、その書類にすぐサインをする。ウォルフは内心舞い上がりそうになるのを必死に堪《こら》えた。
「それはそうと、殿下のご視察の準備は順調に進んでおるか?」
「はい、準備は万端整ってございます」
ウォルフは笑顔で答えるが、実は肝心のゲオルグ当人がこの視察に乗り気ではなかった。出発まで後2日。グスタフも承知している事とはいえ、その日になって行方を眩まされないように、他の取り巻きが護衛という名目の元、今から彼の動向を見張っている。
「ラグラスが最高のもてなしをするから期待して欲しいと言っておる。その旨を殿下にお伝えすれば多少は心を入れ替えられるであろう」
「かしこまりました」
さすがは宰相閣下だとウォルフは改めて彼を尊敬する。その後も忙しいにもかかわらず、グスタフは政に関する意見交換をウォルフと交わし、熱心に自分が思い描く未来を若い彼に語って聞かせる。
「今までこの国は竜騎士の資質がある者だけが優遇される仕組みとなっておった。しかし、国を動かすのにその資質は必要ない。必要なのは礎の里が示す大陸の指針をしっかりと理解し、それを政に生かしていく力だ。
ワシはのう、当代様を中心とした世の中を作りあげれば、大陸からは自ずと争い事は消えていくと思っておる。その為には血統に裏付けられたしっかりとした後ろ盾を持ち、神殿と密に連携出来る者が必要なのだ。
政に竜騎士の力は必要ない。奴らはただ、妖魔を狩っておればよいのだ。そうは思わぬか?」
「はい、私も宰相閣下の意見に賛成です」
ウォルフの返答にグスタフも満足げにうなずく。そこへ戸を叩く音がしてグスタフの側近が入室してくる。彼はウォルフの存在に少し顔を顰めたが、グスタフに近寄ると小声で何かを報告する。
「……子供が……」
「……真か?」
「はい、おそらくは……」
何やら予定外の事が起こったらしい。グスタフは先程までとは打って変わって非常に厳しい表情となる。すぐに退出するべきであったが、既に辞去するタイミングを完全に逃してしまったウォルフはその場で大人しく待つことにした。
「如何致しますか?」
「気付かれたところでワシに刃向うような真似は出来まい。だが、奴の動向からは目を離すな」
「かしこまりました」
指示を受けて側近は一礼をすると部屋を出て行った。
「ああ、待たせてすまなかったね」
グスタフは先程までの表情とは一転させて穏やかな笑みをウォルフに向ける。
「いつまでもすみませんでした。私もこれで仕事に戻ります」
「おお、そうか」
「それでは失礼いたします」
ウォルフが頭を下げて部屋を出ようとすると、なぜかグスタフが呼び止める。
「ああ、ウォルフ君」
「はい」
「君には期待しているよ」
「……ありがとうございます」
雲の上のような存在からそのように言われ、ウォルフは感激して涙が出そうだった。竜騎士の資質を持たなかった彼には祖父母や両親にさえ言われた事が無い言葉だった。辛うじてもう一度作法通りに頭を下げると静かに宰相執務室を後にした。
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