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第2章 タランテラの悪夢
88 かけがえのない存在6
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「ふう……」
マリーリアは馬車に乗り込んでから幾度目かも分からないため息をついた。着なれないドレスに身を包み、きつく結い上げた髪は頭を動かす度に引き連れるように痛く、なんだか落ち着かない。
「お加減が優れませんか?」
向かいに座るエルデネートが心配げに声をかけてくれるが、彼女はゆるゆると首を振る。確かに、ここ数日はあまりよく眠れていなかった。特に昨夜は宿泊したワールウェイド家の別邸では気も体も休まらず、出立したのが日の出前だった事もあってほとんど寝ていなかった。
好きでもない男の元へ嫁がされるのだから無理もないのだが、本当は彼女を悩ましているのはその事では無かった。
「あんな言い方しなければよかった……」
村で過ごす最後の1日を、従兄の計らいでアスターと共に過ごしたのに、最後は口論で終わってしまったのだ。頭痛が起き、薬を飲んで寝室に下がってしまった彼を彼女はただ見送るしかできなかった。
あの時に輿入れの話をして本心を打ち明けていれば、恩を感じているアスターは何よりも優先して阻止しようとしてくれたかもしれない。だが、ファルクレインもアスター自身も本来の調子を取り戻していないし、現状ではマリーリアの事に構っている場合ではなく、主君であるエドワルドの事を優先するべきなのだ。だからこそ、話してしまう訳にはいかなかったのだ。
「マリーリア卿……」
彼女は何も言わなかったが、それとなく察しているエルデネートもかける言葉が見当たらない。意地っ張りな2人が心を寄り添えるようになるにはもう少し時間が必要だったのかも知れない。だが、その時間がもう無い。
新大公の認証式と婚礼というこの大きな行事に、きっと竜騎士達は動くだろうと確信してはいるものの、時間が経つにつれてじわじわと不安が広がってくる。このまま何事も無く明日を迎えれば、もう会う事が出来ないだろう。
「ふう……」
マリーリアはもう一度ため息をついた。輿入れについては元々グスタフの言いなりになるしかなかったので半ばあきらめていたが、アスターとの最後の思い出があんなつまらない口論で終わってしまったのを後悔していた。
「何だ? どうした?」
「おい、動け!」
馬車の外から護衛達の狼狽した声が聞こえてくる。閉められていたカーテンの隙間から覗いてみると、護衛が乗っている馬が乗り手の意に反して立ち止っている。逆に馬車は止まることなく、むしろスピードを上げて進み、置き去りにされて呆然としている護衛達はどんどんと離れていく。我に返った何人かは言う事を聞かなくなった馬を降りて追いかけて来るが、到底追いつける速度では無かった。
「何?どうしたの……」
口ではそう言うが、竜騎士としての訓練を受けた彼女には分かっていた。何者かが圧倒的な竜気に任せて護衛達が乗っている馬を操っているのだ。それが出来るのは高位の竜騎士ぐらいである。しかも騎乗した護衛は20人。それに加えて車を引く馬が4頭。だが、これだけの数を1人で操るのは不可能だ。
ガタン
今度は急に馬車が止まった。
「何者だ!」
誰かが立ちはだかっているのか、御者台にいた2人の護衛が怒鳴る声が聞こえる。マリーリアはたまらず馬車の扉に手をかけて外に出ていた。
「嘘……」
前方に隻眼の男が仁王立ちして立ちはだかっていた。気に入らなければ捨ててくれと意地を張ったメモ書きの伝言と共に置いて来たあの眼帯を付けたアスターだった。その彼に御者台から降りた護衛が2人がかりで斬りかかる。
「!」
彼はまだ十分に調子を取り戻していない。マリーリアは真っ青になるが、そんな彼女の心配をよそに、彼はその刃をかいくぐり、剣の柄で護衛を2人共殴って昏倒させる。
「アスター卿……」
マリーリアの呟きに、彼は長剣を鞘に納めると、ゆっくりと彼女に近寄ってくる。
「マリーリア」
少し離れたところで彼は立ち止まり、機嫌が悪いのかそのまま押し黙って視線を逸らしてしまう。だが、どことなくいつもと様子が違う。
「アスター卿?」
戸惑いながらマリーリアが問いかけると、彼は意を決したように顔をあげる。珍しいことに彼は緊張していた。
「この間は悪かった。ただ、困った事になっているなら相談して欲しかった」
「……ごめん……なさい。その……どうしていいか……分からなかったの」
「ベルントが知らせてくれたおかげで間に合った。良かった」
少し調子が出て来たのか、アスターもほっとした表情で彼女に近づく。だが、2人が触れ合えるほど近寄った時に、乱暴に馬車の扉が開けられる音がする。振り返ると、中に残っていたエルデネートが護衛の1人に捕えられて喉元に剣を当てられている。
「武器を捨てて大人しくしろ。女はこっちに来い」
「……」
やはり感覚が完全には戻っていなかったらしい。昏倒させたはずだったが、1人は殴り方が不十分だったらしく、アスターがマリーリアに気を取られている間に中に残っていたエルデネートを捕えて人質にしていた。
形勢逆転とばかりにその護衛は余裕の笑みを浮かべているが、彼が立っている位置が悪かった。邪魔された苛立ちをぶつけるようにアスターが一睨みすると、すぐ後ろにいた馬が護衛の向う脛を蹴り飛ばしていた。
「ぎゃあぁぁ」
加減を一切させなかったので、もしかしたら骨が砕けているかもしれない。剣を落とし、足を抱えて転げまわるその男を別の馬がのんびりとした動きで襟首を咥えて放り投げる。地面で体を強打し、その護衛はそのまま伸びてしまった。
自由の身となったエルデネートは少し青ざめていたが、怪我は無さそうだった。
「ごめんなさい。大丈夫よ」
彼女は気丈に微笑むと、2人に謝罪する。その姿を見て安堵したアスターはマリーリアに手を差し出す。
「命が助かっても君がいなければ何の意味もない。これからも一緒に戦ってくれるか?」
「……アスター卿」
「好きだ、マリーリア」
「わ……私も……」
マリーリアの目から涙が溢れる。そしてそのままアスターの胸に飛び込んだ。少しよろけたが、彼は彼女をしっかりと受け止め、そしてそのまま唇を合わせた。
「もう言いなりになって誰の所へも行くな」
「……はい」
「それから……眼帯、ありがとう。気に入ったよ」
涙が止まらないマリーリアは、アスターの腕の中でうなずいた。
「エルデネートさーん!」
そこへベルントが慌ただしく駆けつけてきた。折角の雰囲気を邪魔された気がして、こいつも馬で蹴ってやろうかとアスターは本気で思った。
マリーリアは馬車に乗り込んでから幾度目かも分からないため息をついた。着なれないドレスに身を包み、きつく結い上げた髪は頭を動かす度に引き連れるように痛く、なんだか落ち着かない。
「お加減が優れませんか?」
向かいに座るエルデネートが心配げに声をかけてくれるが、彼女はゆるゆると首を振る。確かに、ここ数日はあまりよく眠れていなかった。特に昨夜は宿泊したワールウェイド家の別邸では気も体も休まらず、出立したのが日の出前だった事もあってほとんど寝ていなかった。
好きでもない男の元へ嫁がされるのだから無理もないのだが、本当は彼女を悩ましているのはその事では無かった。
「あんな言い方しなければよかった……」
村で過ごす最後の1日を、従兄の計らいでアスターと共に過ごしたのに、最後は口論で終わってしまったのだ。頭痛が起き、薬を飲んで寝室に下がってしまった彼を彼女はただ見送るしかできなかった。
あの時に輿入れの話をして本心を打ち明けていれば、恩を感じているアスターは何よりも優先して阻止しようとしてくれたかもしれない。だが、ファルクレインもアスター自身も本来の調子を取り戻していないし、現状ではマリーリアの事に構っている場合ではなく、主君であるエドワルドの事を優先するべきなのだ。だからこそ、話してしまう訳にはいかなかったのだ。
「マリーリア卿……」
彼女は何も言わなかったが、それとなく察しているエルデネートもかける言葉が見当たらない。意地っ張りな2人が心を寄り添えるようになるにはもう少し時間が必要だったのかも知れない。だが、その時間がもう無い。
新大公の認証式と婚礼というこの大きな行事に、きっと竜騎士達は動くだろうと確信してはいるものの、時間が経つにつれてじわじわと不安が広がってくる。このまま何事も無く明日を迎えれば、もう会う事が出来ないだろう。
「ふう……」
マリーリアはもう一度ため息をついた。輿入れについては元々グスタフの言いなりになるしかなかったので半ばあきらめていたが、アスターとの最後の思い出があんなつまらない口論で終わってしまったのを後悔していた。
「何だ? どうした?」
「おい、動け!」
馬車の外から護衛達の狼狽した声が聞こえてくる。閉められていたカーテンの隙間から覗いてみると、護衛が乗っている馬が乗り手の意に反して立ち止っている。逆に馬車は止まることなく、むしろスピードを上げて進み、置き去りにされて呆然としている護衛達はどんどんと離れていく。我に返った何人かは言う事を聞かなくなった馬を降りて追いかけて来るが、到底追いつける速度では無かった。
「何?どうしたの……」
口ではそう言うが、竜騎士としての訓練を受けた彼女には分かっていた。何者かが圧倒的な竜気に任せて護衛達が乗っている馬を操っているのだ。それが出来るのは高位の竜騎士ぐらいである。しかも騎乗した護衛は20人。それに加えて車を引く馬が4頭。だが、これだけの数を1人で操るのは不可能だ。
ガタン
今度は急に馬車が止まった。
「何者だ!」
誰かが立ちはだかっているのか、御者台にいた2人の護衛が怒鳴る声が聞こえる。マリーリアはたまらず馬車の扉に手をかけて外に出ていた。
「嘘……」
前方に隻眼の男が仁王立ちして立ちはだかっていた。気に入らなければ捨ててくれと意地を張ったメモ書きの伝言と共に置いて来たあの眼帯を付けたアスターだった。その彼に御者台から降りた護衛が2人がかりで斬りかかる。
「!」
彼はまだ十分に調子を取り戻していない。マリーリアは真っ青になるが、そんな彼女の心配をよそに、彼はその刃をかいくぐり、剣の柄で護衛を2人共殴って昏倒させる。
「アスター卿……」
マリーリアの呟きに、彼は長剣を鞘に納めると、ゆっくりと彼女に近寄ってくる。
「マリーリア」
少し離れたところで彼は立ち止まり、機嫌が悪いのかそのまま押し黙って視線を逸らしてしまう。だが、どことなくいつもと様子が違う。
「アスター卿?」
戸惑いながらマリーリアが問いかけると、彼は意を決したように顔をあげる。珍しいことに彼は緊張していた。
「この間は悪かった。ただ、困った事になっているなら相談して欲しかった」
「……ごめん……なさい。その……どうしていいか……分からなかったの」
「ベルントが知らせてくれたおかげで間に合った。良かった」
少し調子が出て来たのか、アスターもほっとした表情で彼女に近づく。だが、2人が触れ合えるほど近寄った時に、乱暴に馬車の扉が開けられる音がする。振り返ると、中に残っていたエルデネートが護衛の1人に捕えられて喉元に剣を当てられている。
「武器を捨てて大人しくしろ。女はこっちに来い」
「……」
やはり感覚が完全には戻っていなかったらしい。昏倒させたはずだったが、1人は殴り方が不十分だったらしく、アスターがマリーリアに気を取られている間に中に残っていたエルデネートを捕えて人質にしていた。
形勢逆転とばかりにその護衛は余裕の笑みを浮かべているが、彼が立っている位置が悪かった。邪魔された苛立ちをぶつけるようにアスターが一睨みすると、すぐ後ろにいた馬が護衛の向う脛を蹴り飛ばしていた。
「ぎゃあぁぁ」
加減を一切させなかったので、もしかしたら骨が砕けているかもしれない。剣を落とし、足を抱えて転げまわるその男を別の馬がのんびりとした動きで襟首を咥えて放り投げる。地面で体を強打し、その護衛はそのまま伸びてしまった。
自由の身となったエルデネートは少し青ざめていたが、怪我は無さそうだった。
「ごめんなさい。大丈夫よ」
彼女は気丈に微笑むと、2人に謝罪する。その姿を見て安堵したアスターはマリーリアに手を差し出す。
「命が助かっても君がいなければ何の意味もない。これからも一緒に戦ってくれるか?」
「……アスター卿」
「好きだ、マリーリア」
「わ……私も……」
マリーリアの目から涙が溢れる。そしてそのままアスターの胸に飛び込んだ。少しよろけたが、彼は彼女をしっかりと受け止め、そしてそのまま唇を合わせた。
「もう言いなりになって誰の所へも行くな」
「……はい」
「それから……眼帯、ありがとう。気に入ったよ」
涙が止まらないマリーリアは、アスターの腕の中でうなずいた。
「エルデネートさーん!」
そこへベルントが慌ただしく駆けつけてきた。折角の雰囲気を邪魔された気がして、こいつも馬で蹴ってやろうかとアスターは本気で思った。
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